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「顔が好み」で勇者にしてあげたのに、裏切られたのでラスボスになります  作者: さらん
第一章『寵愛(ちょうあい)の勇者、憎悪(ぞうお)の反転』

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第一話:女神の依怙贔屓(えこひいき)


神崎湊かんざきみなとは、息を潜めていた。

分厚い黒縁メガネの奥で瞳を伏せ、猫背気味に背を丸める。そうすることで、自分の存在感を極限まで希薄にし、教室という名のサバンナを生き延びてきた。窓際の一番後ろ。そこが彼のシェルターだった。

だが、捕食者はシェルターの場所を知っている。


「よぉ、神崎。今日の『お駄賃』、忘れてねぇだろうな?」


休み時間の喧騒を切り裂く、不快な声。佐藤健也さとうけんや。このクラスの生態系の頂点アルファに立つ男だ。数人の取り巻きを引き連れ、湊の机を蹴飛ばす。ガタン、と鳴る音に、湊の肩が小さく跳ねた。


「……持ってる」

「あ? 聞こえねぇよ」

「持ってます」


消え入るような声で答える。抵抗は、更なる暴力を呼ぶだけだ。健也は満足げに鼻を鳴らし、湊の胸ポケットから雑に財布を抜き取った。


「よし。じゃ、購買で焼きそばパンな。もちろんお前の金で全員分」


周囲のクラスメイトたちは、その光景に慣れきっていた。あるいは、慣れることを選んだ。視線をスマホに落とす者、友人とのおしゃべりに夢中になるふりをする者、そして、健也たちに同調するように薄ら笑いを浮かべる者。誰も、助けない。それがこの教室のルールだった。


ただ一人、例外がいた。

教室の対角線上、同じく窓際の席に座る、田中美咲たなかみさき。彼女もまた、クラスカーストの底辺に属する地味な女子生徒だった。美咲は、健也のグループが湊に絡むたび、おどおどと視線をさまよわせる。


そして、意を決したように、わざと大きな音を立ててペンケースを床にぶちまけたり、教師に質問があるふりをして教室の前方へ移動したりする。


今もそうだ。美咲は立ち上がり、教師用の机に向かおうとした。健也たちの注意をそらすための、ささやかすぎる抵抗。だが、健也は一瞥しただけで、うるさそうに舌打ちを返すだけだった。


「チッ、うぜぇな……。おい神崎、さっさと行けよ」

「……うん」


湊は立ち上がる。美咲の小さな善意は、この濁流の中では何の力も持たなかった。


――その全てを、遥か高みから見つめている存在がいた。


神々の住まう神域しんいき。慈愛を司る女神セレスティーナは、下界を映す水鏡を覗き込み、その美貌をわずかに歪めていた。


「……なんと醜悪なのでしょう」


彼女の目には、神崎湊の魂が受ける苦痛が、黒い染みのように映っていた。健也たちの歪んだ愉悦。傍観者たちの冷たい無関心。


「悪を為す者、悪を黙認する者。どちらも罪深い」


そして、彼女は水鏡に映る、もう一つの小さな光にも気づいていた。田中美咲の、無力だが懸命な抵抗。


「ふふ、健気な子もいたものですね。感心ですわ」


女神は、水鏡に映る湊の姿に、そっと手をかざした。彼女の神々しい・・が、湊の表面的な姿――分厚いメガネと、卑屈さによって歪められた姿勢――を透過していく。

やがて、その奥に隠された本質が露わになる。


「……あら」


女神は、思わず声を漏らした。

そこにあったのは、長い前髪とメガネに隠された、驚くほど端正な顔立ちだった。通った鼻筋、意志の強そうな眉、そして、今は伏せられているが、おそらくは涼やかな光を宿すであろう瞳。


「……まあ! なんてこと! これは……これは、実に、私の『好み』ですわ!」


女神セレスティーナの頬が、わずかに高揚する。

彼女は神である前に、一つの感性を持つ存在だ。そして、神崎湊の隠された容姿は、見事に彼女の美的感覚を射抜いた。


「いけません、いけませんわ。こんな原石を、あんな泥の中に放置しておくなんて! 罪です! それこそが最大の罪です!」


当初の「虐げられた魂を救わねば」という慈愛の心に、「こんなイケメンを不遇のままにしておけるものですか」という強烈な依怙贔屓えこひいきの感情が混入した。


女神は決意した。この不条理な舞台ごと、ひっくり返してしまおう、と。


午後の授業。古文の教師の退屈な声が教室に響く。

その瞬間は、唐突に訪れた。


窓から差し込む光が、突如として視界を焼き尽くすほどの純白に変わる。生徒たちの悲鳴よりも早く、強烈な浮遊感が全身を襲い、彼らの意識は暗転した。


次に湊が目を覚ました時、そこは荘厳な神殿だった。

大理石の床、天を突く柱、七色の光を投げかけるステンドグラス。呆然とするクラスメイトたちの中で、湊も何が起きたのか理解できずにいた。


神殿の奥、玉座に座る絶世の美女が、静かに彼らを見下ろしていた。


「ようこそ、異世界『アルカディア』へ。我が名はセレスティーナ。この世界を司る女神の一人です」


凛とした声が響き渡る。混乱と悲鳴。女神はそれを意にも介さず、宣言した。


「皆さんは私の力で転生しました。元の世界へは戻れません。この過酷な世界で生き抜くため、一人一人に『ギフト』と新たな『地位』を授けます」


生徒たちの顔に、不安と、そして新たな世界への淡い期待が入り混じる。

女神は、一人ずつ名前を呼び、その地位とギフトを宣告していった。


「鈴木愛理さん。地位は『聖職者見習い』。ギフトは『初級回復魔法ヒール』」

「田中誠くん。地位は『村人』。ギフトは『農耕技術』」


大半の生徒に与えられたのは、ごく平凡な地位だった。

そして、健也の名が呼ばれる。


「佐藤健也くん」


自信満々に前に出た彼を、女神は氷のように冷たい瞳で見据えた。


「あなたの地位は『罪人』。ギフトは『悪臭』です」

「……は? ふざけんな! なんで俺が!」

「他者を虐げ、その苦しみを娯楽とした罪。あなたの魂の穢れに相応しいものです」


健也の取り巻きたちも、『奴隷』『下級労働者』といった地位と、『ゴミ拾い』『汚物清掃』といった屈辱的なギフトを与えられ、その場に崩れ落ちた。


次に女神は、傍観していた大多数のクラスメイトたちに向き直った。


「悪を見て見ぬふりをしたあなた方。その罪もまた、決して軽くはない」


彼らには『農奴』『雑用係』といった、健也たちよりはマシだが、自由とは程遠い地位が与えられた。神殿は阿鼻叫喚に包まれる。


その中で、女神は穏やかな声を響かせた。


「田中美咲さん」


びくり、と肩を震わせ、美咲がおずおずと前に出る。


「あなたは、あの濁った水の中で、唯一抗おうとした。そのささやかな勇気は、確かに私の目に届いています」


女神は優しく微笑んだ。


「あなたの地位は『平民』。ギフトは『生活魔法』。この世界で、ささやかでも穏やかに暮らせるよう、祝福しましょう」


他の生徒たちとは明らかに違う、温かい待遇。美咲は目を丸くし、そして深く頭を下げた。


最後に、女神は神崎湊に向き直った。その瞳には、慈愛と、そして隠しきれない期待と熱がこもっていた。


「神崎湊さん」


湊は、戸惑いながら前に出た。


「あなたの魂は、数多の理不尽に耐え、その輝きを失わなかった。実に気高い」


女神はうっとりとした様子で湊を見つめ、そして、ふと眉をひそめた。


「ですが……その眼鏡、鬱陶しいですね。私の『お気に入り』の顔がよく見えませんわ」

「え?」

「外しなさい」


有無を言わせぬ響きに、湊は戸惑いながらも、ゆっくりと顔のメガネに手をかけた。

カシャン。メガネが床に落ちる。


長い前髪の奥から、隠されていた端正な顔立ちが露わになる。

その瞬間、神殿が不自然なほど静まり返った。

特に女子生徒たちが、信じられないものを見る目で湊を凝視している。


「え、うそ……あれ、神崎?」

「メガネないだけで、あんな……」


ざわめきが広がる。

女神は、満足げに深々と頷いた。


「ええ、ええ。やはり、私の目に狂いはありませんでした。完璧です」


彼女は高らかに宣言した。その声には、明らかに他の生徒たちに対するものとは違う、甘やかな響きが混じっていた。


「その美しき魂と、何より私の好みにドンピシャなその容姿に免じ、最高の祝福を授けましょう!」


依怙贔屓、全開だった。


「あなたに与える地位は『勇者』! ギフトは、あらゆる理を書き換える唯一無二の力、『女神の祝福スペシャル・フェイバー』です!」


黄金の光が湊を包む。ステータスプレートには、他の誰とも比較にならない、圧倒的な数値とスキルの数々が並んでいた。


「なっ……なんであんなゴミが勇者なんだよ!」


健也が憎悪に満ちた叫び声を上げる。

だが、その声はもう、湊の耳には届いていなかった。

彼は、自分の手のひらを見つめていた。みなぎる力。クラスメイトたちの驚愕と嫉妬の視線。そして、玉座の上からうっとりとした視線を送ってくる女神。


理不尽な教室せかいの序列は、今、女神の個人的な好みによって、完全に破壊された。

神崎湊の新たな物語が、今まさに始まろうとしていた。


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