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魔界王妃ノ浪漫譚  作者: 竜ヶ崎
第一章
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第八話 知りたい気持ち



『……陛下みずからが本当の理由を語るはずです』


女官長ヘレナの言葉が、時折マリィの脳裏をよぎる。


(私は西ファングレイヴ王国に“要求”された身……。生贄でもなければ、目的は何?

オルク様が言ってくれるのを、ただ待つしかないのかしら……)


「マリィ王女殿下、魔力が乱れておりますよ!」


鋭い一声に意識を引き戻され、マリィは思わず背筋を伸ばした。


「あっ、すみません」


「ダンスは精神と魔力の乱れがすぐに現れますわ。それはご自分の恥になってしまいます。常に精神統一を心掛けてくださいまし」


淡く光を帯びた翼を広げ、女官長ヘレナは羽毛を滑らせるように靡かせた。風が舞い、羽音が鍛錬場に静かに響く。


マリィは幼少期から社交ダンスを学んでいたが、魔界に伝わるダンスは人間界のそれとは全く異なり、リズムもステップも一筋縄ではいかない。彼女は日々、苦戦していた。


「さあ、もうお時間でございます。お開きにいたしましょうか」


「ヘレナ殿、ありがとうございました。……あ、あのっ、お待ちください」


去ろうとしたヘレナの背に、マリィは思わず声をかけた。


「はい、どうされました?マリィ王女殿下」


優雅に振り返る女官長に、マリィは一歩踏み出し、静かに口を開いた。


「……お聴きしたいのです。畏れ多いこととは存じておりますが、オルク陛下のことを知りたいのです」


ヘレナの瞼が一度、ピクリと動く。その双眸が真っ直ぐにマリィを見据えた。嘘も忖度も通用しない、そんな視線だった。


「……そうですか。私が応えるには、理由をお聞きしなくてはなりませんわ。」


マリィはその視線を正面から受け止める。


「……ただ、知りたいのです。

私は今、この魔界の大地に立ち、この国にいます。

ならば、その頂に立つ方が――どのような想いでこの国を見つめ、何を信じておられるのか……その本質に触れたいのです。 それが、この地に触れる者としての、礼儀だと思ったのです」


「……陛下ご本人に聞かず、なぜ家臣に聞かれるのか。その理由はいかほどに?」


「ええ、もちろん。陛下のお心は、陛下ご自身にしか語れないものだと承知しております。

ですが――陛下と日々を共にされる皆さまの眼差しや言葉もまた、そのお人柄を映す鏡のように思えるのです。

もちろん、偏った意見に引き込まれぬよう、心がけるつもりです」


数秒の間、ヘレナは黙してマリィの瞳を見つめた。 翡翠色のその目には、誠実な光が揺らめいている。


やがてヘレナはそっと目を伏せ、静かに開いた。


「……マリィ様の御心、よく理解いたしました。 勇気を出し、知りたいと申し出ていただいて……本当に嬉しく思います。 このヘレナ、女官長の名において、可能な限りお答えいたしましょう」


バサッ、と片翼を広げる。



「では――オルク殿下の幼少期は、どのような方でしたか?」


その問いにヘレナはしばし黙し、やがて目をぱちぱちと瞬かせた。 嘴を小さく開き、そして――



「コーコココココッ!まさか、幼き頃のことをお尋ねになるとは!これは、予想外!」


「うふふ、でも意外と馬鹿にできませんわよ? 三つ子の魂は何とやら、という言葉もありますもの」


ヘレナは羽で目元を軽く拭い、マリィに優しく微笑んだ。その表情には、慈愛がにじんでいる。


「陛下は、それはもう元気な……いえ、元気すぎたお方でした。

マンドレイクを大量に城内へ放ちましたり、魔獣アイアンファングを捕獲して“ペットにする”と連れ帰ったこともありました。

勉強の時間に逃げ出した回数など、数えきれません……お、思い出しただけで頭痛が……」


「そ、それは……豪快ですね」


「それに!幼き頃より兵士や傭兵に混じって訓練場や戦場に入り浸ってるせいでっ!お言葉遣いも野性味が溢れるようになってしまい……この私がその度に矯正を試みるも、結果はご覧の通りでございますわ…」


ヘレナは嘴から気苦労を含んだ深いため息をついた。

あまりにも桁外れなエピソードに、マリィは思わず苦笑をする。


「……でも、優しく素直な方です。

陛下は豪快でいらっしゃいますが、驕り高ぶることはなく、分からぬことは『分からぬ』と仰り、家臣に教えを請うこともできる方。 ……私は、そこが何よりも尊く感じております」


しかしそう語るヘレナの瞳と声色は優しさが含んでいた。


「ご自分を大きく見せようとはなさらないのですね。人に素直になれるのは…案外難しいことだと感じます」


ヘレナとマリィは椅子に座り、少しだけ冷たい風に撫でられながら穏やかに語り合った。



※※※



石造りの静かな執務室に、ヘレナの羽音が軽やかに響く。


「――宰相殿。少々よろしいでしょうか」


書類に目を通していたオルフェールが、梟の顔をゆっくりと上げた。

杉の幹を思わせる深い茶色の羽根に縁取られたその目元は柔和だが、目の奥には深い洞察が宿っている。


「ほう、ヘレナ殿が珍しく急ぎのご様子じゃの。何かあったかね?」


「……本日、鍛錬場にて王女殿下と会話いたしました」


「うむ」


「その中で…フフフ、王女殿下は陛下のことを“知りたい”と仰せでした。

ご自身がこの地に生きる者として、陛下の本質に触れたいと…そう、お言葉をくださったのですよ」


一瞬の静寂が落ちたあと、オルフェールは椅子からゆっくりと立ち上がった。

ふくふくとした眉と羽角を上げ、フクロウ特有の低く穏やかな声を響かせる。


「ホ!…まことか」


「ええ、私は最初…コケッ、――申し訳ありません、人形のように大人しく従うだけのお方かと思っておりました」


少しだけ語尾が揺れる。

ヘレナの声音には、わずかに感情がにじんでいる。


「……ですが今日、はっきりと思いました。あのお方は、芯に熱を持つ方です」



「……そうかそうか……!」


オルフェールはどっしりと笑った。


「なんと嬉しい知らせじゃ、ヘレナ殿!

王女殿下みずから、王の心を知りたいと申されたか!

いやぁ……これは、いい風が吹いてきおったなぁ……ホホホホ」


「……ふふ、まことに」


オルフェールはヘレナの言葉に力強く頷いた。彼の尾羽が、満足げに揺れた。


「うむ、うむ……

のうヘレナ殿――わしらにできることは、ただ一つ。王のために、礎を築いておくことじゃ」


「はい……宰相殿」


二人の老練な家臣の目が静かに交わる。その互いの双眼には国の未来の光が一筋見えていたことだろう。




オルフェール宰相は上機嫌で執務室から廊下を抜け、鼻歌でも歌いそうな勢いで歩いていた。

すれ違う兵士たちにまで笑顔を向けては、翼をひらひら振っている。


「いやはやめでたい……めでたいぞう……!これはもうつがい確定じゃ!お世継ぎも、夢ではないのうッ!」


羽をわずかに広げて、若干浮くほどの軽やかな足取り。まるで年甲斐もなく舞い上がっているようにも見える。


すると、中庭園の端を歩いていたマリィの姿が目に入った。


「おお……マリィ王女殿下!」


羽をバサバサと動かしながら駆け寄ると、彼女の前でピタリと止まり、片膝をついて恭しく礼をした。


「お散歩中でいらっしゃいますか。本日はまた一段とご麗しい……!」


「ふふ……こんにちは、オルフェール殿。宰相殿こそ、ずいぶんご機嫌ですね?」


「うむ、うむ……ええ、まあ、その……よい知らせが、ありましての!」


微笑むマリィに、彼はほとんど顔をほころばせながら立ち上がった。


季節の話題や植物の手入れについて、少しばかりの雑談を交わしていたそのとき――

ふと、マリィが静かな声で切り出した。


「……宰相殿。お聞きしても?」


「もちろん、なんなりと!」


「……陛下は、身分を問わず共に働かれる方だと、聞きました。

それは、どういった……お考えから、なのでしょう?」


(来たッ……!!)


オルフェールの背筋がピンと伸びた。これぞまさに、

『ワシがオルク様の魅力を伝えるべき時!』

とばかりに、目をキラキラさせる。


「よくぞ聞いてくださいました!オルク陛下というお方は、まこと実直であらせられる!能力があれば惜しみなく取り上げるべきだと身分問わず受け入れッ…」


オルフェールは力説を始めた。


「勇敢な部下とともに、伝説の英雄のように敵や魔獣をバッタバッタとなぎ倒し、戦場では雄々しく!

戦場から離れれば豪快に――そして、頭も切れ……いや、うーん、まぁ、とにかく実直で!

さらに!お顔立ちもなかなかに男前で――」


「宰相殿……少し落ち着いて」



「ようッ!」



場の空気を割って、低く豪快な声が響いた。


マリィがハッとそちらを向くと、そこには――


巨大な魔獣・キラーベア(推定全長3m超)を片肩に担いだオルクの姿が…


「おお、オルフェールもいたか!」


ドッッッ!


重々しい音と共に、オルクは担いでいたキラーベアを地面に置いた。


「見ろよ、城近くの森で家畜を狙ってやがった!……あ、もう血抜きは済ませてあるから安心しろ。」


返り血をたっぷり浴びた狩猟帰りの王。

マリィは目を丸くし、声も出ない。


その傍らで――


「………」


オルフェールは白目をむき、その場に崩れ落ちた。見事な失神であった。


「おい、気絶してんのか? おーい、オルフェー?」


オルクは地面にぱたりと倒れたオルフェールをしゃがみ込みながら覗きこみ、指でつん、とつついてみせると嘴から「くええ〜…」と小さい鳴き声が漏れた。


「……ったく、仕方ねーなあ」


呆れたように笑って、彼はオルフェールの体をひょいと肩に担ぎ上げた。

鍛え上げられた魔族の体には、この老宰相の体重もまるで羽のように軽い。


そして、ふとマリィの方を見やって――気まずそうに目を逸らし、もぞもぞと喉を鳴らした。


「……なぁ、この熊の肉さ!美味いんだぜ!」


「……え?」


マリィが目を瞬かせると、オルクはますますそわそわし始めた。


「えっと……だから……その……今日、オレ、時間空い……いや、あの、もし……一緒に夕食とか、どーかなって……!」


言いながら、ちらちらとマリィの様子を伺う。

返り血まみれの顔に、似つかわしくないほどの照れが浮かんでいた。


「もちろん、マリィがアレなら、無理にとは……いや……いいんだぜ、ほんと!」


突然の申し出に、マリィは思わず目を見張った。


王族の誘いにしてはあまりにぶっきらぼうで、けれど不器用な誠実さがにじむその姿が、どこか可笑しく、どこか愛おしかった。


くすっ――と喉の奥で笑いがこぼれる。


「ふふ……このような形でお誘いを受けるのは、初めてです。

――はい。楽しみにしております、陛下」


その一言に、オルクは一瞬固まった後、顔を赤らめて「マジか……!」と小さく呟いた。


……が、


二人の間の静かな空気とは対照的に、周囲はてんやわんやだった。


転がる巨大キラーベアの死体からは、なおも血がじわりと滲み出し、側仕えは悲鳴を上げて、兵士たちは「おい誰か片づけろ!」「血がっ!マリィ様の靴にかかるぞ!」と大騒ぎ。


オルフェールを担いだままのオルクは泥と返り血でぐちゃぐちゃ、

兵士が魔獣の足に躓いてうっかり転んで盛大に水音を立てる始末。


にもかかわらず――


二人の間には、なぜか心地よい余韻と、ふんわりとした温かさが残っていたのだった。











人間大陸には魔獣はほぼいません。

魔界大陸にはウジャウジャおり、魔族と魔獣は全くの別物です。

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