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魔界王妃ノ浪漫譚  作者: 竜ヶ崎
第一章
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第七話 最初の一歩



「これにて、本日の会議を終了とする」


西ファングレイヴ王国の軍備会議が締めくくられると、参謀や将校たちは礼を取ってそれぞれ持ち場へ散っていった。王オルクは椅子を押しのけるように立ち上がり、大きく背を伸ばす。


「……よし」


短く息を吐くと、彼はそのまま会議室を飛び出した。鹿の耳を揺らした近衛騎士が慌てて追いかける。


「お、お待ちください、王よ!」


だがオルクにはもう耳に入っていなかった。向かう先はただひとつ。


(マリィと話す……するぞッ!会話!)


初対面の挨拶からというもの、謁見や公務に追われて自由な時間などなかった。今日こそはと心に決めて、城内の奥、マリィがすごす私室の前へと足を運ぶ。

扉の前には、背筋を伸ばした女騎士がひとり。彼女は王の姿を認めるや、すぐに敬礼した。


「……えーっと、マリィはいるか? 少し話がしたいんだけど……よ」


「はっ、ただいま確認いたします!」


女騎士は手際よく扉を開き、中の様子をうかがうと、すぐに戻ってくる。


「姫より、お通ししてよいとのことです。どうぞご入室を」


「お、おう。ありがとな。よし!」


緊張を押し隠すように一歩を踏み出し、扉をくぐると、かすかに甘く、花に似た香りが空気に混じって漂ってきた。それがまたオルクの緊張を加速させる。


(お、落ち着け…俺…!)


扉が音もなく閉じると、部屋に優しい甘い香りがより満ちていた。香の主である少女は、窓辺の椅子から静かに立ち上がり、ふわりと裾を払って床に膝をついた。


「陛下、お疲れ様でございます。ご足労、痛み入ります」


 凛とした声が部屋に響いた。マリィの薄桃の絹衣が床を滑るように揺れる。


「あ…ああ、楽にしろよ」


 オルクは少し照れたように手を振った。


「はい、ありがとうございます…あの、どうなさいましたか?」


 立ち上がったマリィが静かに問いかける。笑みを浮かべてはいるが、どこか緊張も滲んでいる。


「え? あー……いや、なんつーか、その……元気か?」


 話をすると意気込んだはいいが、いざ本人を目の前にすると用意してたはずの話題は真っ白く塗り替えられてしまった。

 その言葉に、マリィは一瞬驚いたように瞬きをした。いつもの豪快な王とは違う、不器用な一面を垣間見て、側仕えのミラとサフィーもひそかに目を合わせる。


「はい、皆様にとても良くして頂いているので…」


返答は丁寧だったが、二人の間には妙に気まずい沈黙が流れた。

何を話せばいいのか分からず、緊張で険しい表情を浮かべるオルクと、その圧に萎縮してしまうマリィ。

それを見かねたサフィーがふわりと一歩前に出た。ミルク色の柔らかな髪が揺れ、ゆったりとした眠たげな口調で言う。


「あのぅ…オルク様、マリィ様、お茶のご用意ができておりますのでぇ、よろしければお二人でお召し上がり頂くのはいかがでしょうかぁ」


隣で控えていたミラも勢いよく頷きながら、


「ぜひ!今しがたバルコニーに準備した所ですニャ!本日も天気がよろしいので!にゃ!」


二人の側仕えがあまりに必死な様子だから、オルクはつい流されてしまい同席することに決めたのだった。


 ポットから注がれた琥珀色の茶が、陶器のカップの中で静かに揺れ、立ち上る湯気がふわりと甘い香りを運んだ。

 そのポットは、深い漆黒の地に銀色の蔦薔薇が繊細に描かれており、つややかな黒曜石のような光沢が燻銀の模様を際立たせている。

手に取ればひんやりと冷たく、魔界の気品と重みが感じられる逸品だった。カップもまた同様の意匠で、口縁にあしらわれた銀の縁が、揺れる茶の色を美しく映している。

 テーブルには、薄くスライスされた黒いベリーを飾ったタルトレット、燻製した木の実をキャラメリゼした一口菓子、そして砂糖漬けの魔界産白霊花──淡く光る白花──が、小皿に上品に盛られていた。どれも甘さは控えめで、ひと口食べれば、かすかに魔力を感じるような独特の風味が広がる。

 オルクが先に紅茶を飲んだのを確認したあとティーカップを手にしたマリィは、香りを確かめるように一呼吸置いてから口をつけてから呟く。


「…このような茶器も、茶葉も、初めてですわ」



 向かいに座るオルクは、カップを置くと肩をすくめて言う。


「そうか、俺にとっては見慣れたもんだけどな。マリィが知ってるのとは違うのか」


「はい。私の祖国では、白磁に鮮やかな絵付けが主流で……このような漆黒の器は珍しくて。ですが、とても素敵です」


「ルミナフローラ王国は、たしか…茶文化発祥の地だしな。華やかな国だから、器のデザインも華美なんだろうな」


 その言葉にマリィは少し目を丸くする。


「ご存知なのですか?」


「あー……まあな。興味はあるんだよ」

 ──だって、お前が生まれ育った国だし。


 そう言いかけて、オルクは口を閉ざした。


「俺はまだ、人間大陸のことを詳しく知ってるわけじゃねぇ。でも、いつか堂々と、自由に行き来できるようになったらいいと思ってる。そうしたら違う国の文化も知れるしな…」


 それは、魔族と人間が分かち合い、手を取り合える世界を願う言葉。長きにわたる戦が終わる、その未来を。


「……そうなれば、とても素晴らしいことですね」

「なる! なるなる! 絶対なる!」


 あまりに勢いよく言い切るものだから、マリィはつい噴き出して笑ってしまった。


「ふふっ、すみません。でも……そう言い切っていただけると、とても頼もしいです」


「言い切るのって、大事なんだぜ。王様が『できるか分からねぇ』なんてしけたツラしてたら、部下だって不安になるだろ? ……でも俺はハッタリじゃねぇ。

本気で、できるって思ってんだ。……野生の勘だけどな!」


 オルクは少年のように笑い、口角から白い牙が覗いた。


「……陛下の“野生の勘”なら、きっと信じられますわ」


 マリィがやわらかく微笑むと、オルクは一瞬だけ顔を赤らめ、視線を逸らしつつ、揺れそうになった銀灰色の尻尾をギュッと押さえつけた。

「……なあ、“陛下”じゃなくて、名前で呼んでくれていいぜ。『オルク』って」


「え……」


 マリィは困ったように一瞬だけ視線を伏せる。ちらりと遠慮がちにオルクを見ると、小さな声で、けれど丁寧に応えた。


「……では。オルク様」


 もちろん呼び捨てではなかったが、それでも彼にとっては特別な一歩。マリィが初めて自分の名を呼んだことで、オルクの耳がぴくりと嬉しそうに動く。


 すでに、部屋の中からは側仕えたちが空気を読んで退室していた。

 扉の外では、ミラとサフィーがにやにやと笑いながら顔を見合わせている。


「んにゃ〜、いい感じにゃあ」


「意外と王様って、紳士的〜」


 そこへ、廊下の奥から鹿獣人の近衛兵が駆けてきた。額に汗を浮かべながら息を切らしている。

「ひぃ、はぁっ……!へ、陛下を見かけませんでしたか!? ま、撒かれてしまって……まさか王女殿下のお部屋かと……!」


 その問いに、ミラとサフィー、そして扉の前で控える女騎士までもが、息ぴったりに声を揃えた。


「「「今はダメです!」」」



※※※


 就寝前の静寂が、マリィの私室を優しく包んでいた。

 厚手のカーテンが夜の冷気を遮るなか、壁に設けられた細工入りの燭台には、青白く煌めく魔石灯が柔らかな光を灯している。その冷たい輝きが、部屋に置かれた書物の背表紙や、調度品の金細工を仄かに浮かび上がらせていた。

 マリィは一人、寝台脇の肘掛け椅子に身を預け、膝に開いた書物へと視線を落としていた。

 頁に記されていたのは、魔界各地に根づ民間伝承や風習を網羅した一冊――《魔界地域別民俗学》。エルゴ教授から勧められた学術書である。

 夜の静寂に溶け込むように、マリィはゆっくりと本を閉じた。手元の皮表紙が小さな音を立てて重なり合い、軽い眠気がそっと意識を包みこむ。

 深く息を吐き、天井を仰ぐ。――思い出されるのは、今日のこと。


「オルク様……お優しい目をしていらしたわ」


 思わずぽつりと漏れた呟きは、まるで自分自身に言い聞かせるようだった。


 西ファングレイヴ王国に足を踏み入れた初日、正門前での初対面。

あの時は、褐色肌の巨躯と、王の放つ圧に気圧され、顔を上げることすらできなかった。彼の瞳を見つめる余裕もなく、ただ恐怖と緊張で礼を述べるだけで精一杯だった。


 ――だが今日、彼と目を合わせ、言葉を交わし、そして何より、穏やかに笑うその表情を見た。


(お話が出来て良かった……今日という日がなければ、私はきっと、ずっと……オルク様を、恐ろしい方だと誤解し続けていたでしょうね)


 胸に芽生える安堵と、わずかな後悔。そのふたつが入り混じるようにして、マリィの中でそっと息をする。


「……私が、この国に呼ばれた理由は……結局、聞けなかったけれど」


 呟いた声が、部屋の静けさに吸い込まれる。答えを想像すれば、どうしても不安が先に立ってしまう。

自分は外交の駒として利用されるのだろうか、あるいは――もっと他の、想像もしたくない役割を担わされるのではないか、と。

 それでも、マリィは首を小さく振った。

 エルゴ教授の言葉が、記憶の奥から浮かび上がる。


『人は未知なるものに恐れを抱く。――ならば、未知を、知に変えればよいのですな』


「未知を……知識に」


 彼女は繰り返すように、ゆっくりとその言葉を口に乗せた。


「私はもっと……視野を広げないといけないわね」


 そう言って、立ち上がったマリィはカーテンを少しだけ開く。魔石灯の明かりが洩れぬよう気をつけながら、窓の外に広がる夜空へと視線を送る。

 魔界の空は、祖国のそれとは異なる深い藍色をしていた。吸い込まれるような星々の輝きが、黒々とした山々の稜線を静かに照らしている。

 ふと、二つ並びの恒星が目に留まる。その寄り添うような輝きに、どこか心が安らぐのを感じながら、マリィはしばらくのあいだ黙って見上げていた。

心に渦巻いていた不安は、まだ消えない。けれど、その奥に、ほんのわずかでも確かな光があるように思えた。












読んで頂いてありがとうございます。

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