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魔界王妃ノ浪漫譚  作者: 竜ヶ崎
第一章
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第五話 大きな行き違い



人間大陸・ルミナフローラ王国。

花の名を戴くこの国には、今日も爽やかな風が吹いていた。だが、どこか悲しい。


 城下町の市場。豊富な野菜を選り分けながら、年配の婦人がぽつりとつぶやいた。


「……マリィ王女様、魔族に差し出されたそうじゃないか」


「ええ、獣たちがウジャウジャいる獣王の所に行ったらしいわよ。」


 近くにいた若い主婦が、小声で返す。手の動きも止まった。


「まさか、食われたりしてないよね?」


 言った婦人はすぐに口を押さえた。だが、その場の誰もが同じ不安を胸に抱いていた。


「バルメギア帝国が悪いんだ。武を誇るくせに、うちの国に負担ばかり……!」


「でも、抗えなかったのだろう。ウチの国は軍事力は弱いしね…。

魔族に逆らえば攻め込まれるだろうし…バルメギアに逆らえば魔族の脅威から守ってくれなくなるし…」


 誰もが分かっている。

 この国の優しさが、力なきまつりごとが、少女の未来を犠牲にしたのだと。

 それでもなお、民は日常を繕う。祈るように──


「……ご無事でありますように。マリィ様……」



※※※



魔界大陸・西ファングレイヴ王国のマリィの部屋…

側仕えの猫獣人ミラが、胸に手を当て礼をしながらマリィに微笑んだ。


「姫様、そろそろ御入浴に移らせて頂きます…ニャ」


双眼と爪がキラリと光る。

恐怖と緊張で、マリィは身体を硬直させた。

しかし、すぐに良い意味で期待を裏切られることになった。



広々とした浴場に満ちる湯けむりの向こう、龍の口から流れ出る湯は柔らかな乳白色を帯びていた。


「……すごい……」


 マリィは湯に指先を触れた瞬間、びくりと肩を跳ねさせる。ほんのりと甘い香り、肌に吸い付くようなとろみのある湯。


 服を脱がされるとき、手伝ってくれたミラとサフィーを始めとした側仕えたちは、無駄なく優雅に身支度を整えていく。

あまりの静けさに、マリィは「これから処されるのでは」と真剣に思った。



(塩を塗られて胡椒をすり込まれて……煮られるのかしら、それとも焼かれるのかしら)



 そんな不吉な妄想に反して……湯の中は、ただただ心地良かった。


「……こんなの、夢みたい……」


 恐怖の涙が、湯けむりに溶けて消えた。

そして、髪の毛を丁寧に洗われている。


「姫様、かゆい所はありませんか?ニャ」


ミラは爪を当てないよう、絶妙な力加減でマッサージを施しながら尋ねる。緊張や疲れが消えるほど気持ちが良かった。


「はい、ありません。とても…心地良いです」


「にゃは」


ミラが照れ笑いをした後、サフィーが優しい声を掛けながら傍に寄る。


「この後は香油でマッサージ致しますね〜。」



 入浴を終えたマリィは、湯気の中から出ると、柔らかな絹の寝間着を渡された。

肌を包む感触は軽い。しかし心は落ち着かず、胸の奥の不安は溶けなかった。


 案内された部屋は広く、温かい明かりに満ちていた。

部屋に入ったマリィが戸口で立ち尽くしていると、黙って控えていた侍従が一礼し、そっと銀の食器が並べられた膳を前へ滑らせた。


 香ばしい香りが、ふわりと漂う。


 金と黒曜石で細工した皿に、香草で包まれて焼かれた肉が盛られ、果実のソースが彩りを添えている。パンには温かみがあり、何より――


(切られてる……最初から、食べやすいように)


 思わず息をのんだ。見た目は確かに豪奢だが、どこにも“残酷”な香りはない。

恐れていた魔族の野蛮を思わせるものは一切ない。香草茶の湯気がたちのぼり、心なしか頭が軽くなるような香りがする。


 それでも、マリィの手は止まったままだった。


 その時、ひとりの側仕えが穏やかに口を開いた。


「毒味は、私たちがすでに済ませました。どうぞご安心を」


 驚いて顔を向けると、豚獣人の側仕えが小さく微笑んでいた。敵意も憐憫もない――ただ、自然な礼節だけがそこにあった。


「あ、あの……ありがとうございます」


 小さな声が、思わず漏れた。


 震える指先でカトラリーを使い、肉を口に運ぶ。熱と旨味が広がり、わずかずつ警戒がほどけてゆく。

不思議な安心が胸に満ちていくのを、マリィは感じていた。


(不思議だわ…なぜこんな丁重な扱いをしてくれるのかしら…)


マリィは、その言葉が頭の中で何回も浮かんだ。


(私…生贄以外に使い道あるのかしら…この人達にとって、私は一体なんなの…?)


食事が終わっても、その考えと不安が心と頭を支配してしまっていた。


(聞きたい…でも…こわい…)



天蓋付きのベットの柔らかい、肌触りの良い毛布に包まりながら、マリィは次第にその意識を手放したのだった。



※※※


 二日後――。


 支度が始まった朝、マリィの私室では、側仕えのミラとサフィーが彼女の髪を丁寧に整えていた。

 静かな部屋には、梳かれる髪の音と、窓の外から差し込む柔らかな風だけが満ちている。


 そんな穏やかな時間に、ついに意を決したマリィがぽつりと口を開いた。


「……あの、私の処分って……いかほどに決まっているのでしょうか?」


 その一言に、ミラとサフィーは同時に手を止め、目を丸くした。


「にゃっ……!? マ、マリィ王女様っ、それは一体どーいう……その、何のお話で……」


 慌てるミラをよそに、マリィは静かに、でも悲しげに微笑む。


「……私、生贄としてこちらに参った身ですから。こんなふうに優しくしていただいて、本当にありがたく思っております。

 皆さまのご厚意が、かえって申し訳なく感じてしまうんです。

 ……このままじゃ、きっと私、この世に未練がましくしがみついてしまいそうで……

でも、もう、覚悟はできておりますから」


 さらりと告げるその言葉に、二人の顔から血の気が引いた。


「いっそ……ひと思いに……!」


マリィは胸の前で手を組み、祈るような仕草で目を閉じた。


「にゃわわわわ!?!?マ、マリィ王女~~っ! ど、どうか落ち着いてくださいませぇぇ!」


「ひゃあ〜、そんな怖いこと言わないでください〜!? 」


 明らかに“イレギュラー”な発言に、ミラとサフィーは半ばパニックだった。

 日頃から王族の世話には慣れていても、さすがにこんな命がけの発言にどう対応すればいいのか分からない。


「あ、あのっ、わたしたちちょっと女官長様のところに行ってまいります〜っ!

 代わりに、べ、別の者をお呼びしますので~~っ!」


 サフィーは普段の倍の早口でまくしたて、別室で掃除をしていた側仕えと即座に交代。そのままミラの手を取って、廊下を駆け出した。


「ヘレナ様にご報告を……!!」




※※※



「……なんと」


 実務室にて、帳簿の整理をしていた女官長ヘレナは、二人の報告を聞くなり、低く喉を震わせた。

 年若い側仕えたちの様子は真剣そのもの。取り乱した様子のまま、必死にマリィの言動を伝えている。



「マリィ王女が……そんなことを……」


 報告を受けた女官長ヘレナは、書類を置く手を止めたまま、静かに目を伏せた。



 マリィ王女の発言は、ただの冗談や気の迷いなどではない。

 長年王宮に仕え、無数の貴族や王族を見てきた彼女の直感が、そう告げていた。


「……報告ご苦労だったわ。後ほど、こちらからマリィ様に対応いたします」


 落ち着いた口調でそう告げたヘレナは、まだ顔を強張らせているミラとサフィーを一瞥し、命じた。


「ふたりは引き続き、王女様の言動に注意を払いつつ、通常業務に戻りなさい。

 万一、精神面での異常がこれ以上に見られるようなら、即座に報告を」


「「……は、はいっ!」」


 ミラとサフィーは同時に深々と頭を下げ、足早に執務室を後にした。


 扉が静かに閉じられるのを確認すると、ヘレナはコケ……と一息つき、視線を天井へと向ける。

 無数の魔導蝋燭が吊るされた石造りの天井が、妙に重く感じられた。



(マリィ王女殿下の出自は、長年魔族と敵対関係にあった人間大陸の国の一つ…

 あちらで、どれだけの偏見を吹き込まれて育ったかは想像に難くない。

 だが、我が国は正式に王妃としてお迎えすることを打診し、向こうもそれを了承したはず……)


(……それなのに。ご自身のことを『生贄』などと――)


 思わず肩が重くなる。

 このままでは、彼女はこの城で心を開くことも、王妃候補として振る舞うこともできない。



「……オルフェール宰相に相談せねばな」


 女官長ヘレナは、早足で石造りの回廊を進んでいた。足音は高ぶる内心とは裏腹に、規則正しく落ち着いていた。



 政務棟――宰相オルフェールの執務室。



「失礼いたします、ヘレナでございます」



 執務室の扉を軽く叩き、返事を待たずに中へ足を踏み入れると――

 そこには、宰相オルフェールと、王である――オルク・ファングレイヴの姿があった。


 宰相の手元には分厚い報告書の束が広がっており、オルク王は背後の長椅子に腰を下ろし、足を組んで書類を見下ろしていた。


 王は顔を上げ、片眉を僅かに動かす。


「……女官長、何かあったか?」


 威圧感ある低音の声。だが、それはヘレナにとって恐れるものではなかった。


「はっ。ご在室とは存じ上げず、失礼いたしました。ですが、これは急ぎご報告すべき事案と判断し――」


 ヘレナは一礼ののち、王と宰相を前に背筋を伸ばす。


「先ほど、マリィ王女様が側仕えの前で自らを生贄と発言されました。

 さらに、“いっそひと思いに”と、自身の命を断つような意図とも取れる言葉を……王妃として来たという意識がそもそも無いのでは…と」


その瞬間、空気が張りつめた。


 オルクは、ガタンと椅子を蹴って立ち上がる。宰相もまた、反射のように立ち上がっていた。


「はあああっ⁈ ちょ、待て待て待てッ!」


 オルクの耳と尻尾が総毛立つ。


「俺、生贄に寄越せなんて、一言も言ってねぇからな!?バルメギア帝国にも、ちゃんと! “王妃として迎えたい”って手紙で書いたぞ!」


「そ、そうじゃとも!」


 オルフェールも激しく頷きながら翼を広げた。


 ふわり、と空気が揺れ、本棚の一角が反応する。

 一冊の厚い革表紙の本がフワリと宰相のもとへ飛び、勝手にページが開く。

 中から記録された公文書が一枚、ひらりと舞い上がった。


「我ら、オルク様の意志を正確に確認し、慎重に審議のうえ――正式な文書として発信したはず!文言に誤りはなかったはずじゃ!」



西ファングレイヴ王国

宛先:バルメギア帝国・王都防衛省


貴国との緩衝地帯における戦闘行為において、我が軍は既に貿易路の保全と防衛任務を完遂せしめました。

本件に対し、我が国は占領地の保持も、貴国への賠償請求も致しません。

しかしながら、今後の長期的平和のため、貴国の同盟国の一つルミナフローラ王国王家より、第三王女マリィ殿下を王妃候補として迎え入れたいと存じます。

此の希望はあくまで「提案」であり、ルミナフローラ王国王室の意向と合致する場合に限り、我が王国はこれを名誉と受け止め、最大限の歓待をもってお迎えいたします。

         外務大臣レオナス卿



「な?強制なんて一言もしてねぇだろ?」


 オルクは文書を指差して、必死に訴える。


「ルミナフローラ王国に一方的に“姫寄越せ”なんて言えるわけねぇじゃねぇか。そんなことしたらマジで嫌われちまうしよ!」


「そしてこれに対するバルメギア帝国の返答が、こちらでございます」


 オルフェールが差し出したのは、別の文書。



西国ファングレイヴ王国 陛下

緩衝地帯における戦闘行為に際し、貴国が速やかに退去の意思を示されたことについて、我が国としても一定の誠意と理解を確認いたしました。


また、マリィ殿下の貴国への「迎え入れ」のご提案についても、ルミナフローラ王室より正式な同意がなされたことをここに伝達いたします(別紙参照)。


なお本件は、我が国としてその結果にいかなる責任も負いかねますこと、あらかじめ明記申し上げます。


また、王女の処遇につきましては、貴国の「最大限の歓待」とやらが、魔族大陸において何を意味するのかは計りかねますが─せめて形ばかりでも「貴国の矜持と格式」のある振る舞いを、静観させていただく所存です。


       バルメギア帝国外務大臣

      アドマール・ガルシュタイン



「っか〜〜!いちいち嫌味っぽい書き方しやがって……でもこれでハッキリしただろ!」


 オルクは拳を握りしめながら言う。


「俺ら、正式に申し込んだんだよ! ルミナフローラの同意書だって、ちゃんと保管してあるし!」


「……考えられることは、ただ一つですな」


 オルフェールは嘴を両翼で覆って、低く呟いた。


「バルメギア帝国が、我らの要求を……『王妃として』ではなく『生贄として』と、勝手に解釈したのでしょうな」


「合点が行きますわ」


 ヘレナが眼鏡の奥で目を細め、冷静に続ける。


「人間側は魔族に対して……偏見や誤解が根深いと聞きます。ルミナフローラ王国に、帝国が“生贄”として行くよう、圧をかけたのでしょう」


 ──その推測は、大当たりだった。


「……っああ〜〜!? クソがぁッッ!」


 オルクは怒りに震え、額に青筋が浮かぶ。


「マジかよっ、あのクソ国……戦ん時、もっとぶっ飛ばしてやりゃ良かったぜッ!」


 ヘレナは言葉遣いの悪さに眉をひそめたが、それよりも今は優先すべき事がある。


「──オルク様のご意志が変わらず、マリィ王女を“王妃”、いえ、“つがい”として迎えたいのであれば──」  


 真剣な表情で言い切る。


「……改めて、正式に想いをお伝えしなければなりませんわね。」


「お、おう!」


 オルクは耳と尻尾をピン!と立て、ピリッと気合を入れる。


「なにより、マリィ王女が“番”と認めてくださらなければ──ファングレイヴ王家は滅亡!血筋断絶!王国終了!」


 オルフェールがバサバサと翼を広げて絶叫する。


「わたくし共、全力でご成婚を支援いたしますわ」


 ヘレナも鶏冠を優雅に撫でながら、力強く頷いた。


「誤解は私が解いておきます。“生贄ではない”と。

そして…“王妃として迎えたい”と伝えるのは……オルク様、貴方ですわ」


「お、俺が……直接、マリィに……っ!」


 オルクは武者震いしながら拳をぎゅっと握りしめ、足に力を込めた。

 思い浮かぶのは、マリィの不安げな顔。震える声。寂しそうな瞳。


「ホホ……しかし、今すぐ直接告げるのは得策ではありませぬぞ」


 オルフェールが、やや芝居がかった口調で制す。


「今はまず、マリィ王女の心の氷を溶かすのです。お時間はかかりましょうが──オルク様のこの逞しさ、そして男気。きっと王女の心に響きますぞ!」


 だが、オルクの耳にはすでにその言葉は届いていない。頭の中は、ひとつだけ──マリィの笑顔を取り戻す。


王女の心を掴む作戦の、火蓋が切って落とされた瞬間だった。








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