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魔界王妃ノ浪漫譚  作者: 竜ヶ崎
第一章
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第二十八話 緊迫する場、ふたつの手紙


 ルミナフローラ王国の玉座の間は水を打つような静けさに陥っていた。

 バルメギア帝国から急いで帰還したカトレア王妃の護衛騎士と女官たちが、必死の面持ちで膝をつき、報告を差し出す。



「陛下……バルメギア側はカトレア王妃殿下と私達を切り離し――のち使者を介し、『先に帰国せよ』との伝言を私達に通達しました。」


 女官や騎士の額からぽたりと汗が落ち、歯を食いしばり軋む。


「そんなはずはないと喰い下がりましたが、バルメギアは武力をちらつかせました。私達は…ここで争うことだけは避け、至急の報告することを優先いたしました」


「馬鹿なッ……カトレアがそんな命を下すはずがない!」

 

 ロアンの顔色が焦燥の混じった蒼白に変わり、咄嗟に立ち上がる。

 その瞳には、「最愛の妻」への深い思いが宿っていた。


 「なんてことだ……カトレア!」


 王の嘆きに騎士隊長が床に頭を擦り付けながら平伏し、後悔の念が入り混じり震える。


「申し訳ありません! 私がついていながら…妃殿下をこのような状況に! 隊長としてどんな極刑でも」




 ロアンは制止するように手を向け、これ以上は言ってはならぬ、と言葉を遮らせる。


「バルメギアがここまでの蛮行をするとは誰も思うまい。故に誰であってもこの事態を止められなかっただろう。責任を取りたいのであれば王妃救出に皆で全力を注ぐのだ」


「……!

 か、寛大な温情、感謝いたします!」


 騎士隊長もその他騎士や女官も静かに涙を流す。

 しばらくの沈黙の後、ロアンは深く息を吐き、額を押さえ、自分を落ち着かせる。


「……冷静になれ」


 張り詰めた静寂の中で、葛藤が満ちていた。


「あやつらは、何故に私の妻を……これから何かを要求するのか……」


 王として感情だけで行動するわけにはいかない。臣下を見渡し、毅然と指示を下す。


「直ちに使節団を編成し、バルメギアに抗議の書簡を届けよ。

 そして各国に嫁いだ我が娘たちに全て直達の書簡で伝えよ!」


 そして民衆の不安を最小限にするための配慮も忘れない。


「民には、王妃が滞在を延長しているとだけ告げよ。不安を煽ってはならぬ」


 ひとりの家臣が恐る恐るの面持ちでロアンに尋ねる。


「陛下、魔界大陸のファングレイヴに直達の知らせをするとなると…対魔族同盟の規律に違反してしまいますが…」


 そうなればバルメギア帝国から目を付けられ厄介だが、もう今更である。


「構わぬ、その追求をされたら私が直接対応をしよう。私が全ての責任を取る」


「は!仰せのままに!」


 臣下たちが深く頷き、早急に玉座の間を後にする。慌ただしく複数の足音が遠ざかる。


「……カトレア、必ず私が取り戻す。それまで辛抱してくれ」



※※※



 ――西ファングレイヴ王国

 政務の間は、昼の光を遮る重い緞帳どんちょうが引かれていた。

 オルクの隣にはマリィが控えているが、2人の顔は張り詰めたようにかたい。


「入れ」


 オルクの低く通る声に扉が開き、レオナス外務大臣が息を整えながら進み出た。腕に二通の書簡を持ち封蝋にはそれぞれ、花章と双剣の紋章。



「陛下、妃殿下。急使が二件――

 ルミナフローラと、バルメギア帝国からでございます」


 室内の空気が弓のように張り詰め、オルクは顎で促す。


「まず、ルミナフローラだ」


「はっ!」


 内容はバルメギアで行われた茶会の、カトレア妃に起こった一連の経緯を、説明するものだった。

レオナスは一つ咳払いをして続ける。


「――そしてカトレア妃は帰国予定日を越えても帰還せず、ルミナフローラ側は幾度となく抗議の使節を送るも帝都に『病が流行ってるから』と感染拡大を理由に追い返されたそうです」


「……私たちに届いた書簡も母が『流行り病』にて伏せる内容でした」


 そして帝国いわく病床のカトレア妃は『娘のマリィに会いたい旨』を申し出ている――


「加えてルミナフローラは、バルメギアから受け取った自分たちと我らの書簡間に齟齬そごがあれば速やかに知らせて欲しいと……協力要請の申し出ですな」


「お父様……」


 レオナスが読み終えた、マリィの細い指が膝上の衣の裾でぎゅっと結ばれた。琥珀色の瞳光を集めて揺れる。



「……やはりお母様はバルメギアに」


 囁きに近い声。オルクはマリィを案じながらも次を促した。


 レオナスは双剣紋の封蝋を割る。低い息継ぎの後、文面を読み上げる声が微かに硬くなった。


 内容を要約すると……

『カトレア妃の希望でバルメギアに延泊をした』

『矢先に帝都で流行り病が発生し、王妃も罹患りかん

『悪化するも娘のマリィに一目会いたいと希望』


 「大まかな内容はルミナフローラの書簡と違いは無いな」


オルクは眉間に皺を寄せたまま不愉快そうに喉をグルルと鳴らす。


「は……では続きを。

『人道にかんがみ、敵対関係を一時解くべしとの提案なり。感染拡大防止のため、マリィ王妃単独での入国のみ許可する。

 護衛は当帝国より精鋭を貸与するゆえ、同行は一切不要――』……とのこと」



 ぱき、と音がした。オルクの掌の中で、椅子の飾り金具の角が軽く歪む。怒りを押し殺した喉の奥で、低い唸りが一瞬生まれた。


「単独だと?俺の王妃を、敵の陣地に突っ込ませろってか」



 レオナスは書簡を置き、正面から二人を見た。外務官らしい冷静さの下に、怒りと侮蔑がはっきりと宿っている。


「“感染防止”を掲げ、夫であるロアン王への面会を遮断しておきながら、遠国のマリィ妃殿下ひとりの入国は許すという矛盾……」


 

 マリィは握った拳をそっとほどき、膝の上に置き直した。


「バルメギアの言う事は信憑性に欠けます。ですが、お母様が囚われているのは事実。

 私が行かねば、お母様の解放はもとより、処遇もどうなるか……」


 オルクが立ち上がり、マリィの前へ出る。

言葉は荒いが声音は震えていた。怒りと、守りたい一心が混ざった声を絞り出す。


「行かせられるかよ。“人道”だと? 笑わせんな。人質取って脅してる奴らに……!」


 この場にいる者は既にわかっていた。バルメギア帝国の真の狙いは、『マリィをおびき出す』ことだと。

 室内の灯が、ふっと小さく瞬いた。マリィは目を伏してから顔を上げるとオルクの切実な視線がぶつかる。


「……私が狙い……でも母を、見捨てることなんて――」


「見捨てるわけじゃねぇ」


 オルクが遮り、その大きな手がマリィの手の甲へと移る。そこにはつがいの紋様が淡く灯っている。


「お前は俺の隣にいろ。動くのは俺たちだ。正面からでも、裏からでも、やり方はいくらでもあるはずだ」


 マリィは小さく息を吸い、吐いた。涙は零さない。代わりに、指先に力を込める。隣の手は、同じ強さで握り返してくれた。



「レオナス、近衛に伝えろ。政務の間は今より閉鎖、出入りは俺と王妃、大臣のみ。

 ……それと、オルフェを呼べ。三刻後、対策会議だ」


「はっ」


 命令が次々と滑らかに飛び、部屋の空気が動き始める。重い扉が静かに閉まる音。灯の光は変わらないのに、室内はわずかに明るくなったように見える。

 マリィは横顔でオルクを見た。彼は前だけを見ている。強く、迷いなく。


「……オルク」


「心配すんな。俺たちは、ひとりじゃねぇ」



 短い言葉に、すべてが籠っていた。

――確かめ、そして、救い出す。

 静かに、しかし確実に回り始める。


 大理石の柱に囲まれた広間の中、列席する大臣たちは誰もが怒りを滲ませた顔つきで黙り込む。

 その視線の矛先は宰相オルフェールに集まっていた。


「まずは帝国へ――“現地確認権”の要求と、“カトレア王妃の直筆”の提出を求めたが……」


 オルフェールは冷ややかな声で口を開き、視線を資料から離さぬまま言葉を紡いだ。


「バルメギア帝国はそのどちらも、いかなる理由をもっても棄却してきましたな。案の定と申すべきか……」


 静まり返った空気の中に、その冷徹な響きが鋭く落ちる。

 オルフェールは羽先で文書を叩き、さらに続けた。



「我が国をはじめ、ルミナフローラ王国……そしてカトレア王妃の御息女であるフーヴァルヘイツ王国のセラフィア妃、さらにはネーベル王国のヴィオラ妃までもが、相次いで抗議の書簡を帝国に寄せております。

 いまや孤立しつつあるのは、帝国そのもの」


 バルメギア帝国は、同じ対魔族同盟国であるはずの国を自ら敵に回した。

 カトレア王妃の血を引く后たちまで侮辱されたも同然である。



「……異様なほど敵を作っているな」



 オルクは苛立ちを隠しきれぬように、玉座の前で組んだ足をせわしなく揺さぶり、唇を噛む。


「普段からそういう気質だったが……ここ数年は過激さが増しているな」


 その隣で、参謀エルネストは深く眉間に皺を寄せ、固く握った拳を机の上に置いた。


「おそらく直近での侵攻失敗も一因でしょう。敗北により焦燥が募っているのかと」


「……つまり、バルメギア帝国は大きな一手を打った、ということか」


 オルクは苦々しげに呟き、舌打ちをした。その音が、広間に重苦しい余韻を残す。




「……私は、オルク陛下の番です」



マリィその声音は静かであったが、言葉の端々に切実な重みが宿っていた。皆が視線を向けると再び口を開く。


つがいは、番を喪失すれば心身に深刻な弱体化を招く……。バルメギアは、それを狙っているのですね。私の母の安否を、引き換えにして――」



「……!!」


 その場に居並ぶ者たちの背筋に、冷たいものが走る。

 一瞬にして空気が凍りついたのは、全員が思い出したから。


――第一次人魔大戦における惨劇。


 人質に取られた魔族の番や家族たちを、肉塊の壁と化すまでなぶり尽くした『肉の壁事件』。魔界史上における最も忌まわしい記憶。その亡霊が、再び帝国によって呼び起こされようとしている。


「……バルメギアぁ……」


 オルクの喉から、怨嗟の混じった低い唸りが生まれ、熱を帯びた。


「マリィを……俺の番を人質に、俺ごとファングレイヴを崩壊させるつもりか……!」


 怒りが全身を駆け巡り、抑えきれぬ獣の本能が表に出る。オルクの瞳は血のように赤く染まり、歯を噛み締めた口元からは血が滲む。

 王の威が、怒りの咆哮となって広間を震わせた。


「なんということだ……」


 レオナスが低く呻くように呟く。

 冷静を装う声色の裏には、隠し切れぬ焦燥が滲んでいた。


「このままでは……新たに、第三次人魔大戦の火蓋が落とされかねない……」


 政務の間に再びざわめきが広がる。

 だがオルクは燃え上がる激情を押し殺すように深く息を吐いた。


「……至急、魔界三国同盟――同胞たる東エルグランド王国と北グリムヴァルド王国に現状を報告しろ!」


 怒りの中にも冷徹な判断が光る。

 その横で、マリィはそっと身を寄せる。


 怒りに震えるオルクの左手、その甲に刻まれた「番の紋様」に、小さな手を重ねると、オルクの荒れ狂う気配が、わずかに静まる。


 「オルク……」


 呟いたあと、マリィは席を立った。

 広間に響く声は、透き通るほど澄み切っていて、ただ真っ直ぐに響く。


「……私を、バルメギア帝国に行かせてください」


その一言に、政務の間の時が止まる。

誰もが言葉を失い、その場の空気はさらに深く溶けていくようだった。







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