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魔界王妃ノ浪漫譚  作者: 竜ヶ崎
第一章
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第二十三話 マリィ、婚礼前夜

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王城にほど近く、城下町に面した広場の端に迎賓館はあった。

外交や来賓のもてなしを目的とするその館は、無骨で堅牢な王城とは対照的に静か。

森林と調和した清廉な雰囲気を漂わせている。外正面には列柱と広いバルコニーがあり、威厳よりも優雅さを感じさせる造りだった。



翌日に婚礼式を控えたオルクとマリィが、移動車から降り立つ。

車を引いていた怪鳥ドルドが嘴を空に向け、笛のような澄んだ鳴き声を響かせた。


「ほら、マリィ……焦ると転ぶぞ?」


そわそわと落ち着かないマリィは、はっと顔を上げてオルクを見た。


「……私、そんなに焦っているように見えます?」


「少しな!まあ無理もねえさ。花嫁を婚礼前にケガさせたら大変だからな。ほら……手」


差し出された手をとり、オルクの腕に添える。その言葉と仕草に、マリィは安心感に包まれ頬を赤らめた。


「ありがとうございます、オルク様……」



吹き抜けの広いホールに足を踏み入れると、磨かれた黒木の梁が艶めき、壁には名画《森と動物たち》が掲げられていた。

従者たちが一斉に敬礼し、二人を客間へと案内する。シンプルながらも重厚な扉が開かれると――。


「ヴィオラお姉様……!」


そこに立っていたのは、ネーベル王国の王妃にしてマリィの姉、ヴィオラだった。

艶やかな髪をゆるやかに結い上げ、白磁の肌に涙ぼくろが映える。

深い藍と牡丹色の花模様が浮かぶドレスを纏い、片手には雅やかな扇。その佇まいは一つひとつが舞のように気品を帯びている。


「婚礼おめでとう……マリィ」


柔らかな声を聞いた瞬間、マリィの胸は熱くなった。異国の地で、姉に祝ってもらえるとは思っていなかった。こみ上げる感情に声が震える。

ヴィオラの隣には夫のアラン王が立っていた。中肉中背で穏やかな瞳を持ち、藍色の長服に竜の刺繍を施した胸元が光を反射している。ふっくらとした頬には人の良さがにじみ、王としての落ち着きも漂わせていた。


二人はオルクとマリィの前に進み出て、深々と礼をする。


「オルク陛下、マリィ王女殿下。この度はご婚礼、心よりお慶び申し上げます」


「お会いできて、本当にうれしく存じますわ」


オルクとマリィも笑みを交わし、丁寧に礼を返した。普段よりも柔らかな口調でオルクが言う。


「遠いところから来てくださり、ありがとうございます」


「アラン様も、お久しぶりでございます」


マリィが跪いて礼をした後、ヴィオラとアランの瞳が輝いた。扇で口元を隠したヴィオラが夫の肩に手を置き、二人同時に声を上げる。


「「なんとご立派な……!」」


アランは興奮したようにオルクを見上げ、胸を押さえて叫ぶ。


「ああ……オルク陛下、大変申し訳ありません! 我が国には陛下のような立派な体躯の方は滅多におらず……見てくれ、ヴィオラ、この僕との差を!」


「アラン様はアラン様で素晴らしいですわ」


しかしアランの視線はオルクの揺れる尻尾に釘づけになり、息まで荒くなっていた。


「アラン陛下……?」


マリィとオルクは目を丸くする。


「魔族……なんて素敵なんだ!

実は私は物心つく前から魔族に大変興味があり……今まで秘密裏に魔族と交易し、香木や魔獣の爪を収集しているのです!

オルク陛下のような獣人族の方にお会いできるなんて初めてで……か、感激……!!」


早口でまくし立てるアラン。

その横でヴィオラが優雅に扇をあおぎ、くすくすと笑う。


「ほほほ、今サラッと暴露しましたが……どうかお聞き流しくださいまし。アラン様は魔界文化の大変な愛好家でいらっしゃいますの」


オルクは苦笑しつつも、真摯な表情で二人に向き直った。


「アラン陛下、ヴィオラ妃殿下。

この度の婚礼に際し、私たちの代わりにマリィのご両親や姉上に手紙を届けてくださり……夫として心より感謝いたします」


「アラン陛下、ヴィオラお姉様……本当に感謝してもし尽くせません」



ヴィオラは妹の肩にそっと寄り添い、柔らかく微笑む。


「いいのよ、マリィ。私たちにできることはそのくらいだもの。

それに――『コソコソ働く』のは我が国の専売特許ですわ」


「ね!僕ら可能な限りご協力いたしますので、今後はネーベル王国とどうぞ良しなに!この婚姻で人間と魔族がもっと仲良くなれれば、大っぴらに交易もできるし……僕も魔界大陸に行き来できる……!」


「あなた、下心をお隠しになってくださいまし」


ヴィオラが扇で夫をあおぐと、場の空気が和らぎ、皆の笑い声が響いた。




※※※



夜の迎賓館は柔らかな燭光に照らされ、天井の高いホールに神秘的な陰影を落としていた。

各国からの来賓王族が集い、晩餐会が静かに幕を開ける。


オルクとマリィは中央の席に座し、互いの手を握りしめたまま、神殿から運ばれた聖杯を前にする。


(聖杯に魔力が纏っているわ…)



杯には神殿で代々貯蔵されている特別な葡萄酒が注がれ、これから二人はその杯に交互に口をつける。


「これは、二つの魂が一つに繋がることを象徴しているのです」


神殿の巫女の声に、マリィは少し緊張しながらも頷いた。オルクもまた、瞳を真っ直ぐに前に向ける。


マリィの国ではこの様な儀式をする文化ではないので、目の前で行われる全てが目新しい事だった。


(……でもなんて神聖なのかしら)


まずオルクが杯に口をつけ、次にマリィが軽く触れる。柔らかい赤の光を帯びた酒が二人を繋ぐように揺れるたび、来賓たちの視線も温かく注がれた。

静かな中に、かすかな笑みや小さな囁きが響く。これが、婚姻の私的な絆の成立を示す儀式だ。


「続いて『聖水の祝福』を執り行います」


各国の代表王族が順に進み出て、聖域の山《始まりの山》から汲まれた清水を、二人の結んだ手に少しずつ振りかける。

水は清めと生命の循環、そして国と国の縁を表す。


「オルク陛下、マリィ王女殿下…末永く互いを支え合いなさい」


レグノス王が微笑み、軽く祝詞を添える。

続いてメリル王妃、セリオン王、ジャスティン王子、アラン王とヴィオラ王妃、そして小さなセイリーン王女も順に手をかざす。


子どもであるセイリーンが小さな手で子どもらしい仕草で水を振りかけるたび、会場には柔らかい笑い声が広がった。


「清めの水……生命の循環……二人の縁だけでなく、国々の縁も結ぶ……」



マリィは小さく呟き、オルクの腕に寄り添う。オルクはそっと頷き、二人の視線が一瞬交わる。

晩餐会は静かに進み、神秘的な祝福の空気と、温かな視線に包まれたまま夜は更けていった。



晩餐会が終わり、オルクは賑やかなホールの片隅に目をやった。

マリィがメリル王妃や姉のヴィオラ妃と並んで、まるで花が咲くように朗らかに笑っている。その姿を横目に確認すると、彼は北グリムヴァルドの王・セリオンのもとへ歩み寄った。セリオンの娘セイリーンは侍女と共に席を外している。



「……セリオン王、王妃の容態は」



静かな問いかけに、セリオンは淡々と答えた。


「……良くはない。『石の部分』が広がっている」




表情は変わらないが、その瞳の奥に沈む哀しみは隠しようもなかった。

オルクはわずかに眉を寄せ、低く呟く。


「……すまねぇ。国中探しているんだ。ジャスティンだってずっと……」


「ああ」


セリオンはそこで言葉を遮り、オルクの肩に力強く手を添えた。


「構わない」


そのとき、軽やかな足音が近づき、小さな声が響いた。


「おとうさま!」


駆け寄ってきたのはセイリーン王女だった。父親と同じの黒檀色の柔らかな長い髪の毛を揺らして、小さな腕を父の腰に回し、顔を見上げる。


「なにしてるの!今日は夜ふかししていいのね!」


「いいや、セイリーン……明日はオルクとマリィの婚礼式がある。お前も楽しみにしていただろう」


セリオンは大きな手で娘の頭を撫でる。セイリーンは少しだけ頬を膨らませ、可愛らしい拗ね顔を見せた。


その場に、オルクの背後からマリィが現れる。


「こんばんは、セイリーン王女殿下。本日は儀式にご参加くださり、ありがとうございました」


そう言って彼女は跪き、子どもの目線に合わせる。セイリーンは途端に顔を赤くし、父の手をぎゅっと握りながら小さく答えた。


「こ、こんばんは……」


どうやら少し人見知りがあるようだ。

その様子に、マリィの表情は自然とほころび、祖国にいる妹姫のリリーを思い出した。


「うふふ……セイリーン王女殿下は、おいくつなのですか?」


「二十歳くらいだっけか?」


オルクの何気ない言葉に、マリィは冗談だと思い笑みを返した。だが次の瞬間、セリオンの低い声が響く。



「いや、三十歳だ」



「ええっ?!」


思わず声を上げたマリィに、二人の視線が向けられる。オルクが笑って補足した。


「ああ、マリィは人間だからな。魔族の年齢は人間とは全く違うんだ。もちろん種族によるが……俺は百歳くらいだし、ジャスティンも同じだ」


「ひゃ、百歳……!」


マリィの声が裏返る。

セリオンは変わらぬ無表情のまま言い添えた。


「……百歳はまだ若造だ」


魔族は見た目と実年齢が結びつかない。

目の前にいるセリオンは二十代後半ほどに見えるが、その実年齢は人間の尺度からはかけ離れているのだろう。

マリィは思わず息をのんだ。


――ここは人間の物差しでは測れない世界。


そう痛感せずにはいられなかった。

ふと見ると、セリオンの後ろでセイリーンが眠そうに目を擦っている。あどけない仕草に、マリィは柔らかく微笑んだ。


「魔界には……まだまだ新しい発見が多そうですわ」


その言葉が、夜の静かな空気に溶けていく。

そしてオルクとマリィは心に刻む。



――明日はついに、婚礼式の朝が訪れるのだ。



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