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魔界王妃ノ浪漫譚  作者: 竜ヶ崎
第一章
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第十七話 舞踏会


 二日間にわたる合同軍事訓練も無事に終わり、荒野には静かな空風が吹き渡る。

西ファングレイヴ王国の勇ましい兵士たち、東エルグランド王国の精巧な飛空艇、北グリムヴァルド王国の規律正しい魔法士たち――すべてが見事な調和を見せて閉幕となった。



 夜、来賓棟の広間は豪華なシャンデリアに照らされ、金縁の大窓からは静かな庭園と夜空が望める。

 マリィは窓際に立ち、夜空の暗雲から出てきた満月を眺めていた。軍事訓練でのオルクの勇姿が脳裏に蘇り、その逞しさと統率力に改めて感嘆する。あの人は勇猛果敢な真の王なのだと。


「オルク様…本当に勇敢でした。あんなに統率の取れた部隊を率いるなんて…」


 オルクは少し照れくさそうに肩を竦め、しかし嬉しそうに笑う。


「お前に褒められると、なんか…照れるぜ」


 涼しい風に当たりたいと二人はテラスに出ると、夜風が二人の頬を優しく撫で、星々がきらめく。オルクは遠く荒野に光る篝火を見やり、ふとマリィの視線に気付き顔を向け、真剣な声色となる。


「明日は舞踏会だ……俺はお前を、皆に特別だって分かるようにしたい」


 その言葉にマリィは胸を高鳴らせ、しかし心中で自制する。


(…それって外交のため?でも……)


 どこか二人だけの世界が流れる瞬間。マリィは小さく頷き、静かに呟く。


「はい…明日も、楽しみにしています」


夜空に星々が瞬く中、二人の距離感と信頼を柔らかく包み込んでいた。



※※※



 東エルグランド王宮の大広間は、早朝の光が差し込む中、すでに慌ただしさに包まれていた。長い廊下を行き交う従者たちは、王族の衣装や舞踏会用の装飾品を運び、浮遊する花や魔法で光るシャンデリアを次々と取り付ける。


「シャンデリアには洗浄魔法を掛けましたね?」


「この花瓶には深紅の薔薇で統一させよう」


「注文していた砂糖菓子はどこ?!」


 大広間の中央では、職人たちが最後の調整を行っていた。浮遊する花を完璧な円形に配置し、魔法の光を巧みに重ねて、光の帯を描き出す。

 調理場もまさに戦場のような活気だ。香ばしい香りが漂い、料理人たちは古今東西の最高級の食材を用いて巨大なごちそうや魔法で冷却を保つ氷菓を次々と並べていく。


 王族たちは点検のために順に会場を巡り、衣装の乱れや装飾の不備がないか細かく確認していた。


「おや、あの花の位置が少し…」


「大丈夫、魔法で微調整すれば完璧ですわ」


 メリル王妃は、手際よく浮遊する花を魔法で動かしがら微笑む。


「準備は順調ね。今日の舞踏会、皆が息をのむこと間違いなしだわ」


 舞踏会という名の一大行事は、単なる宴ではなく、三大国が集う外交の舞台でもある。メリル王妃のもとに品のいい女官が近付く。


「メリル王妃殿下、本日のご衣装と装飾品の最終確認をお願い致します」


「はぁい♪私も楽しんじゃいましょ!」


 メリル王妃は可憐に白羽たっぷりの扇を扇いで、足取り軽く赴いた。



 豪奢な客間の一室では、朝から従者と女官たちが息を弾ませながら立ち働く。


「さあ、マリィ様! 今夜は外交のための大舞踏会でございます。磨き上げて挑まねば!」


 年配の女官が張り切った声を上げ、湯気立つ浴室へとマリィを案内する。


「は、はい…!」


 マリィは小さく苦笑しつつも、その必死さに逆らわず素直に従った。視線を横に向けると傍らのミラとサフィーは、誰よりも張り切っている。

 仕える姫の晴れの舞台、気合が入らない訳がない。 粗末な飾りで済ませると、ファングレイヴの威光も大した事ない、などと侮られては困るのだ。


「肌磨きなら任せてくださいましにゃ!」


「今日は最高級の香油を使いましょう。薔薇と月桂樹のブレンドでございます〜」



 温かな湯に浸かりながら、肌に香油が塗り込まれていく。滑らかな香りと感触に包まれると、まるでマリィは魔法にかけられていくような気分になる。

 化粧の支度。白磁のような肌に薄く薄桃色を重ね、光を受けるたびに彼女を幻想的に輝かせる。鏡に映る自分を見て、マリィは少し頬を染めた。


「少し緊張してきたわ…」


「マリィ様、今宵は外交を背負う王女としての“本当の姿”でございます。自信を持ってくださいませ」


 女官が誇らしげに鏡越しに微笑む。


 宝石箱が開かれ、色とりどりの首飾りが差し出された。マリィの指は一瞬迷いながらも、深い青にきらめくサファイアを選ぶ。


「……これを」


 その声音には、外交を意識した確かな意志があった。サファイアは魔界大陸において平和と調和を意味する宝石である。


「マリィ様!ナイスなチョイスにゃ」


「これ、なんて口の聞き方ですか!」


 女官に叱られたミラは猫耳をペチャと伏す。しかし手は誰も休めなかった。

 ドレスの紺青の生地は未だ布で覆われ、全貌は誰にも見せられない。

 けれど――裾からちらりと揺れたオーガンジーが光を拾い、未来の輝きを予告する。



※※※


 来賓棟の広間は、まだ人影もなく静けさに包まれており、深い紺青の軍装に身を包んだオルクが、そこに佇む。

 豪奢なシャンデリアの光を受けながらも、彼は落ち着きなく胸元の飾紐を指で弄び、肩を少しそわそわと揺らしていた。


――なにを緊張してやがる。俺らしくもねぇ。


 自分にそう言い聞かせても、落ち着かず胸の鼓動は収まらない。そのとき、軽やかな足音が響き、広間の扉が開いた。


「お待たせしました〜!」


 にやにや顔のミラが先に飛び込んでくる。すぐ後ろから現れたサフィーが、唇に手を当て小声で囁く。


「マリィ様のご準備、整いましたよ、陛下。……とってもお綺麗でございますから。腰を抜かされませんように?」


 オルクはピクリと肩を揺らし、低く言い返す。


「はァ? 馬鹿言え。俺がそんな――」



 言葉を途中で切ったのは、二人のにやにやした視線に気付いたからだ。余計なことを言えばからかわれるのは目に見えている。

 だが、頬に熱がのぼっていくのをどうしても抑えられなかった。

 そっと扉が静かに開き、マリィが姿を現す。



 髪は柔らかな亜麻色を編み込み、首元には深い蒼を宿したサファイアのネックレス。

紺青のドレスは微かに色を変えるグラデーション。幾重にも重なったオーガンジーが光を受けて揺れ、裾はまるで水面に映る月影のよう。


 オルクは一瞬、息を呑んだ。

 言葉を失い、ただ見つめてしまう。



「……変、ですか?」


 身を包んだその姿は、普段の清楚さをそのままに、凛とした大人の気配を纏っていた。

オルクは一瞬だけ目を逸らし、しかしすぐに視線を戻した。そして低く、噛みしめるように言う。



「変なもんかよ……」


 低く絞り出すような声。

 それ以上に言葉が出ず、視線だけが「美しい」と告げていた。

 外交の舞台に立つ緊張が、少しだけ溶けていく。オルクの言葉に支えられるように、マリィは小さく微笑む。


 扉がゆっくりと開いた瞬間、広間の空気が変わり、人々はざわめく。

 姿を現したのは、艶やかに装いを整えたマリィと、その隣に立つオルク。


(たくさんの人が見てる…)


 マリィのほんの少しの不安を感じ取ったのか、オルクは小声でマリィに囁いた。


「大丈夫だマリィ…俺がいるから」



 マリィの淡い微笑みと、紺青のドレスの揺れの美しさに観客の視線を奪う。

 だが、その可憐さをさらに引き立てていたのは、彼女の隣に立つ男の存在だった。


 オルクの装いは、普段の粗野な印象とは正反対に、王族としての威厳を纏っている。

 深い紺青を基調とした軍装は、肩口から胸元にかけて金糸が緻密に縫い込まれ、夜空に瞬く星を思わせた。



 彼の逞しい腕に、マリィの白い手がそっと添えられる。

 それだけで会場の視線は一斉に釘付けとなり、抑えきれぬ感嘆があちこちから漏れた。


「まぁ…美しい…」


「なんて絵になるのかしら……」


 羨望と驚嘆、そして興味と嫉妬が入り混じった視線の奔流。

 だがオルクはそれを一切意に介さず、ただ隣の姫を見やり、堂々とした足取りで会場の中心へと進む。

 マリィの胸は、観衆の熱い眼差しに息苦しさすら覚えるほどだった。けれど、その逞しい腕が自分を支えていると思うと、不思議と心は落ち着いていく。


――オルク様が隣にいるから、大丈夫。


 天井高くから吊るされたシャンデリアが、まるで夜空の星のように輝き、浮遊する花々がゆらりと揺れる。


 最初に舞踏の中心へと歩み出したのは、盟主国・東エルグランド王国のレグノス王とメリル王妃。白髪と髭の壮年の王は威厳と落ち着きを併せ持ち、その一挙手一投足に会場の視線が集まる。

 隣で輝く金髪をフワリと揺らすメリル王妃は、優しげな優雅さで微笑み、まるで温かな光そのもののように会場を照らしていた。


「皆の者、準備はよろしいか?」


 レグノス王の低く朗らかな声が響くと、観客の期待が一気に高まる。

 二人は軽やかに手を取り合い、最初の一歩を踏み出す。レグノス王の力強くも優雅なリードに、メリル王妃は笑みを浮かべて応じ、舞踏のリズムに身を任せる。


 大広間の奥には色とりどりのドレスや軍装に身を包んだ貴族たちが集まり、その視線とささやきが会場に波紋のように広がる。

 花や光、音楽が重なり合い、これから始まる舞踏会の華やかさと壮麗さを、最初の瞬間から余すことなく示していた。


「もうすぐで、私達の番ですね…」


 魔界式のワルツは今日まで鍛錬をしてきたが、本番がこの大規模な外交の祝宴でどうしても緊張と不安が付きまとう。


「ん?緊張してるなマリィ、大丈夫だ!俺がリードする」


 オルクがそっとマリィの手を握る。低く、でも力強い声で囁く。


「こうなったら、楽しんだもん勝ちだぜ、マリィ!」


 マリィの胸は一気に高鳴った。緊張と期待、そしてオルクの温かい視線に、息が詰まりそうになる。小さく頷くと、自然に唇がほころんだ。


「はい…楽しみます…!」


 二人はゆっくりと舞踏会場の中央へ歩を進める。その存在感は周囲の視線を吸い込むほど。だが、マリィの視界にはオルクしか映らなかった。


 音楽が流れ始め、二人の体が自然にリズムに乗る。オルクの手はしっかりとマリィの腰を支え、マリィの指は彼の腕に絡まる。


(ステップが軽いわ…リードがとてもお上手…)


 目が合うたび、オルクが笑ってくれて、胸の 奥が熱くなるのを感じて、頬がほんのり赤く染まる。

 穏やかな鼓動、そして踊るリズムに合わせて交わる視線――すべてが、世界を二人だけのものにしてしまったようだった。


(オルク様は、私をとても大切にしてくれている…)


 踊り終え、柔らかな音楽が遠くへと消えゆく中、マリィの頬は淡く紅に染まり、瞳にはまだ興奮の光が残る。オルクはそんな彼女をそっと見つめ、自然と微笑みがこぼれる。二人には得も言われぬ高揚感があった。


「な?楽しんだもん勝ちだろ?」


「はい…!本当に、楽しかったです」


 二人が会場を歩き出すと、レグノス王やメリル王妃、ジャスティン王子の視線が温かく注がれた。


「鼻垂れ小僧が、いつの間に立派になりおって」


髭を撫でながらレグノス王が微笑みを浮かべつつ呟く。


「オルク、俺より上手くなってねーか?」


ジャスティン王子が軽口を叩けば、メリル王妃は両手を胸に当て、満面の笑みで「とっても素敵だったわぁ!私、感激しちゃった。お二人、本当にお似合いね」と称えてくれた。


 その瞬間、会場に柔らかく和やかな空気が広がる。胸の奥で、ほんの少し甘く温かい余韻が広がる——そんな、小さな幸福の時間だった。

 ジャスティン王子の前には、華やかな貴族女性たちがまるで引力に導かれるように集まる。我先にと前に出ては声を上げた。


「王子殿下♡ご挨拶に参りました!」


「よろしければ、ダンスを……」


「少しお話でも!」


 その笑顔はどれも麗しく、目にも鮮やかだが、次第にジャスティンの顔には困惑の色が濃くなる。


「あー…ちょっと酔いが回ってきたから、少し休んでくる!」


 言い終えるや否や、王子は軽やかに人混みを抜け出す。後ろからは「お待ちになってー!」と、まるで小さな波のように追いかける貴族女性たちの声が続いた。

 マリィは目を驚きで大きく見開き、その騒がしさに目を引かれた。一方でオルクは肩をすくめ、ほんのり微笑む。


「今日はまだマシな方だぜ」


 傍でメリル王妃は、息子を誇らしげに見つめながら囁く。


「さっすが私の息子ねぇ、華やかに見せるのも心得てるわ」


「ワシと違って、シャイだのう…」


 

 煌めきの中、セリオン王と参謀アーロンは揃って立っていた。その端正な佇まいは、軽やかに声を掛けることすらためらわせる威厳と優雅さを漂わせ、周囲の貴族女性たちはちらりと視線を向けるだけで、言葉を交わせずに息を潜める。


 マリィは少し緊張しながらもオルクの隣で深くお辞儀をすると、セリオンはいつものように短く「ああ…」とだけ告げる。

 その声色には冷徹さの奥に、ほんのわずかな親しみの温度が含まれていることにマリィは気づき安堵した。


 アーロンはにこやかに手を差し出し、オルクとマリィを丁寧に迎える。


「先程のダンスは非常に素晴らしかったです。マリィ王女殿下…会場で一際輝いていました。正直、私がこんなに目を奪われたのは初めての経験です」


 アーロンの言葉は直球で、蒼色の瞳で真っ直ぐ射抜くよう見てくるからマリィは照れにより、顔を赤くさせた。


「そんな…お褒め頂き大変光栄ですわ、アーロン殿。」


 眉間にしわを寄せるオルクはセリオンに抗議するように目配せするが、彼の表情は変わらず冷静。


「悪気はない」と、短く告げるだけだった。


 その後、何人かの王族や貴族と会話後にマリィは化粧直しのため一旦場を離れた。

 そしてまたミラとサフィーに伴われて会場へ戻ろうとしたその時──。

 廊下から続く人の波の合間で、数人の貴族がマリィを見つけた。


「これは…姫君!少しお時間をいただけますかな」


「先ほどのダンス、見事でございました! あのオルク陛下と並ばれるとは……」


「ご関係は?…ご婚約のご予定で?」


 畳みかけるような質問に、マリィは立ち止まり、にこやかに礼を返した。


「ご厚意に感謝いたします。私は、ただ祖国の代表として……」


 外交の微笑みを崩さぬまま答えるが、言葉を探すほどに詮索は増していく。

 横に控えたミラとサフィーは必死に庇いたげに身じろぐが、相手は地位ある貴族たち。  軽々しく口を挟むわけにもいかない。


(どうしましょう……)


 ほんの少し心細さが胸をかすめた、その瞬間。



「おう、楽しそうだな」


 低い声が割り込んだ。

 振り返った貴族たちが一斉に青ざめる。立っていたのはオルクだった。

 オルクが姿を現した途端、取り囲んでいた貴族たちは「ひえっ」と小さく悲鳴を漏らした。

 オルクは口元に余裕の笑みを浮かべていたが、琥珀色の瞳は鋭く光り、誰もが息を呑む。


「お、オルク陛下……!」

「い、いえ我々はただ……!」


「ん? さっき俺とマリィのこと、何か言ってたよな?」


 穏やかな口調だが圧のこもった声音に、貴族たちは一斉に頭を下げる。


「はひ…!お似合いだと申しただけでぇ」


「え、ええ!ほんに、絵画の様なお二人でございますと…!」


 オルクはふっと口角を上げた。だが笑みはどこまでも鋭く、貴族たちはさらに背筋を凍らせる。


「まぁ、そう思っておきな」


 短く吐き捨てると、彼はすっとマリィの手を取り、そのまま人混みを切り裂くように歩き出した。

 マリィは驚きに目を瞬かせつつも、その掌の温もりに胸が高鳴る。


 背後では、ミラとサフィーが必死に声を殺しながら、(きゃーー!!)と顔を見合わせていた。



 夜風がひやりと頬を撫でる。

 華やかな宴のざわめきも、ここまで届けばただの遠い囁きにすぎない。

 月明かりに照らされるバルコニーは、まるで二人だけの舞台だった。


 マリィは、胸の鼓動を宥めようと深呼吸をひとつ。


「……先ほどは、本当に助かりました」


 恥じらいを隠すように微笑むが、声はわずかに震えている。

 オルクは欄干に手を置き、しばし黙って月を見上げていた。やがて振り返り、まっすぐにマリィを射抜く。


「……助けたくて助けただけだ」


 その声音は低く、けれど誤魔化しの余地がなかった。


「お前は俺にとっての特別で、お前が綺麗すぎて誰もが見ちまうんだろうな。今夜のマリィは、誰よりも眩しすぎる」


 胸の奥に秘めていたものが、抑えきれずに溢れ出すようだった。軽口ではない。からかいでもない。

 真正面から告げられたその言葉に、マリィの呼吸は止まり、頬が熱に染まっていく。


「オルク様……」


 その瞬間、彼の瞳に浮かぶ真摯な光を見てしまった。


 ――間違いない。

 オルク様は、私を特別に思ってくれている。



 マリィの心臓は今にも破裂しそうで、けれど同時に温かく満ち足りていた。

 遠くで流れる宴の音楽も、きらめく星も、この瞬間すべてが背景となり、二人を包み込む。

 寄り添うように立つだけで、世界は満たされていた。


――これが、きっと「特別」ということ。


 マリィはそう確信しながら、そっと2人で月と互いを見ていた。



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