第十六話 東エルグランド王国
魔界大陸が誇る大国が集結する軍事演習。西ファングレイヴ王国から大勢の騎士や兵士を率いての旅路はとにかく迫力と威厳に満ちる行進だった。
「わあ…ここが東エルグランド王国。初めて見る街並みです…!」
マリィは王族専用の移動車の窓から街並みを覗くと感嘆の声をあげた。
東エルグランド王国の城門を抜けると、石畳の通りに沿って、スチームパンク風の建物が立ち並ぶ。
「凄いよな盟主国…技術大国だぜ」
「はい、まるで未来都市ですね…!」
甲冑を身に纏った騎士、槍を構えた歩兵、浮遊する飛行兵……前後に数百列を数え、総数は軽く一万人を超える。
足並み揃えた行進の衝撃が石畳を揺らし、低く響く鼓笛隊の音と重なり、大地そのものが生きているかのような重厚な迫力を生む。
──全てが東エルグランド王国の威厳を象徴しているかのようだった。
「とても…美しくて豪華…」
マリィがそう言うとオルクは深く頷き城を見上げる。
「たぶん魔界大陸ん中で1番でかい城だぜ」
東エルグランド城は淡い金色の装飾で彩られ、中央の王塔が堂々と街並みを見下ろしていた。尖塔や小さな装飾塔が林立し、品格と豪華さを兼ね備えている。
「さ、行こうぜマリィ」
「はい、オルク様」
マリィはオルクにエスコートされ、従者や女官たちに案内されながら入城した。
東エルグランド王城の大広間は、磨き抜かれた大理石の床に赤い絨毯がまっすぐ敷かれ、天井からは無数の魔鉱灯が星空のように輝く。
「──おお、来たか」
低く朗らかな声が大広間に響き渡った。
玉座に座っていたのは、白銀の髪と豊かな髭をたたえた壮年の王、レグノス。
深紅のマントを肩にかけ、立ち上がったその姿は威厳に満ちていながらも、不思議と温かさを帯びていた。
その隣には、陽光を思わせる金髪を輝かせる王妃メリルが控えていた。しなやかな仕草で一歩前に出ると、彼女は思わず子供のように声を弾ませる。
「まあ! なんて可愛らしい娘なの!」
その瞳は若々しく、年齢を超えた魔力の輝きを帯びていた。
「レグノス陛下、メリル王妃陛下
──本日こうしてお目にかかれましたこと、身に余る光栄にございます。心よりご挨拶申し上げます」
マリィが2人の前に進み、深々と礼をすると、レグノスは口元に笑みを刻む。
「はじめまして──いや、チッチッ、実は“はじめまして”じゃないんだよな。思い出したかい?」
マリィはきょとんとした顔で首をかしげ必死に記憶を探るが思い出せない。
レグノスは愉快そうに笑いながら白髭を撫でた。
オルクはレグノス王と会ったのか?とマリィに聞いた直後にレグノスは笑いながら己の漆黒のマントを引っ張り顔を隠す。そしてそのマントを下げると黒髪の青年が顔を出した。
「これで思い出したろう?」
「あ!あの時の…」
マリィは驚きのあまり口を手で覆う。
肩までの黒髪、深い藍色の少年の様な瞳、間違いない、ファングレイヴ城内のバルコニーで出会った不思議な青年だ。まさか王だとは思うまい。
「んだよ、来たんなら言ってくれよなレグノス王、酒でも用意したのによぉ」
「いや、俺はふらっと行きたいんだよ」
「レグノスったら、よく若い姿で他国に遊びに行くのよ!危ないから止めてって言うのに聞かないんだから…」
口を尖らしたメリルに少しバツが悪そうなレグノス王はハハハ…と笑って誤魔化すように視線を逸らす。
そのとき、快活な声が割り込むよう響く。
「よう!オルク!マリィも久しぶりだな!楽しんでくれよな!」
「おお! ジャスティン!」
豪快に手を振り、相変わらず華やかな笑顔を見せ、オルクと固く握手を交わし笑い合う。
空気が和んだところで、もう一方の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、漆黒の髪を持ちオルクと並ぶほど逞しい体躯、その眼光は剣のように鋭い男だ。
(この方が規律と魔法を重んじる北グリムヴァルド王国の王…)
「セリオン陛下、お会い出来て光栄でございます」
事前に王族の情報を頭に入れていて良かったと心底思いながらマリィは膝を折り深く礼をする。
セリオン王の隣に控える青年は柔和な笑みを浮かべ、まずはレグノス王とメリル王妃に挨拶を済ませると、やがてマリィに視線を注いだ。
「はじめまして…私はグリムヴァルドの参謀・アーロンと申します。
──貴女が、マリィ王女殿下ですね。噂以上に……清らかなお方だ」
マリィは膝を折り、丁寧に口上を述べる。
澄んだ蒼の瞳に見つめられ心臓は跳ね、背筋を伸ばす。だが、そのアーロンの言葉にオルクの獣耳がピクリと動いた。
「うふふ、セリオンは私とレグノスの孫なのよ!このグリムヴァルドの2人とってもハンサムでしょ!」
メリル王妃はセリオンとアーロンに駆け寄り裾を引っ張るが、相変わらずセリオンは眉一つも動かず冷静だ。
「…お久しぶりですお祖母様」
「メリル王妃、相変わらず麗しく、ご健勝で何よりです」
アーロンは胸に手を当てメリルに浅く一礼するとメリルはチャーミングな仕草でウインクを返す。
大広間には三国の王族が揃い立ち、張り詰めた空気と柔らかな笑みが交錯する。
やがて、レグノスが一歩進み出る。
「さて──まずは腹割って話すとしよう」
重厚な扉が閉ざされ、外交の幕が上がったのだった。
※※※
そして翌朝――
エルグランド郊外の広大な荒野に朝霧が立ち込める中、軍事演習の準備はすでに整っていた。騎獣隊の怪鳥ドルドの蹄が地面を打つたび、荒野に響き渡る。
ファングレイヴの一万を超える騎士・兵士たちは整然と列をなし、旗を高く掲げて荒野に勢揃いする。
北グリムヴァルドの精鋭魔法士たちは緑と銀色のローブを翻し、静かに魔力を張り巡らせる。
東エルグランドの騎士団は完璧な隊列で構え、飛空艇が低く飛ぶ空に影を落としていた。
観覧席には安全を確保する結界魔法に守られており、マリィの周囲にはドレスに身を包んだ魔族の貴婦人たちが並び、その視線が一斉にマリィとメリル王妃に注がれる。
「まぁ……あの方は人間なのね。想像よりも可憐なお姿」
「人間を間近で見るのは初めてだわ。ファングレイヴの保護下?それってどういう意味かしら」
小声の囁きは途切れることなく、マリィの耳にまで届き、背中を差すようで落ち着かない。
(想像はしていたけど、そうなるわよね…)
笑顔を崩さず、背筋を伸ばす──けれど胸の奥はざわめく。落ち着かない。
やがて、一人の年配の角の生えた貴婦人が扇子をたたみ、にこやかに切り込んだ。
「マリィ王女殿下。僭越ながら……オルク殿下とは、どういうご関係で?」
マリィは一瞬言葉を失う。しかし表情に戸惑いの顔色を見せず、微笑みを絶やさないよう懸命に口角を上げる。
「はい…私はファングレイヴ殿下のご厚意で、こうして学びと交流の場をいただいております。
このご縁を通して、人と魔族が共に歩む道を少しでも拓ければと願っております」
マリィは我ながら当たり障りの無い返事だわ、と思ったがそう言うしかない。改めて自分は下手な事を言えない立場だとつくづく思い知る。
メリル王妃がマリィの言葉にすかさず、羽の扇をはためかせ、ソプラノのように通る声を上げる。
「まぁ〜!なんて素敵な志なのかしら!お若いのに立派な淑女ねぇ!」
貴婦人はまだ何かマリィに言いたげであったが、メリル王妃が間に入っては質問しにくく引き下がるしかない。
「ご覧になって! ほら、あの布陣! 見事な魔法だわぁ」
場の視線が一斉に戦場へ移り、囁き声は潮が引くように消えていく。
マリィはそっと息をつき、 ありがとうございます!と小声で伝える。メリル王妃は、いたずらっぽい笑顔を向けて応えた。
荒野に広がる軍団の行進と模擬戦を見下ろす観覧席で、マリィは圧倒される戦術の迫力に目を奪われる。隣で紅茶を飲むメリル王妃がティーカップを傾けながらにこやかに話しかける。
「ねぇ、マリィ、オルクは…ご覧の通り勇ましすぎて少々乱暴なところもあるけれど、それ以上に他人を大事にする優しさを持ってるのよ。だって貴方といるときのオルクったら、とびきり優しいものね?ウフフ」
メリルの意図をなんとなく感じるマリィは、なんと反応すればいいのかわからなくなる。ただ気恥ずかしくなり、目を伏せる。
「は、はい…とても、優しいです」
メリル王妃の笑みとマリィの少し赤くなった頬の間に、突如――地響きと共に空気を裂くような爆発音が響いた。
「きゃっ!」
貴婦人たちは驚き、マリィも思わず身をすくめる。
響く号令と共に、数万規模の兵士たちが一斉に動き出した。大地が微かに揺れ、乾いた風に戦の匂いが混じる。観覧席の貴婦人たちが思わず声を上げ、歓声が飛び交った。
「まぁ、あの騎兵たち…息を呑むわ!」
「魔法が交錯する中でも統率が取れて……素晴らしいわね!」
マリィも息を呑み、視線は自然とオルクが指揮するファングレイヴ軍に向く。
「オラァッ!テメェら!気合い入れやがれッ!!!」
オルクの咆哮が荒野に響き、鳥獣人兵士は空から滑空して敵陣に飛び込む。
その隣、東エルグランド王国のジャスティン王子率いる魔法剣士団は、炎の壁で敵陣を囲み撹乱する。空の小型飛空艇が魔法弾を放ち、戦場は赤と橙の光で一瞬にして染まった。
「相手の布陣を崩しちまえ!」
ジャスティンの声が風を裂く。兵士たちの動きは俊敏で、計算された攻撃が次々と決まっていく。
一方、北グリムヴァルド王国のセリオン王と参謀のアーロンは、静かに指揮を執る。後方の精鋭魔法士たちが騎士の防御力を魔法で底上げする中、アーロンが手元の魔導盤を指でなぞりながら声をかける。
「第一魔法士団は前方のファングレイヴ歩兵団に遅延魔法を展開、第三魔法士団は氷魔法で足場を崩せ。第四歩兵団は南側から包囲の準備だ」
セリオンは短く「…第二歩兵団はそのまま北の方角に展開しろ」とだけ告げる。
たった二人の指示で、全員が統率された動きを見せる。冷徹に計算された布陣は、戦場全体を支配しているかのような美しさを漂わせた。
マリィの視線は各国を見渡した後、ファングレイヴ軍に戻り、オルクを探している。
オルクは指揮官として凛々しく立ち、荒野の風にマントをなびかせる。その逞しい肩越しに兵士たちが戦場を縦横無尽に駆け抜ける。すべてが彼を中心に動く舞台装置のように感じられた。
「……本当に、頼もしい方だわ」
マリィは心の中で呟く。観客席の歓声も、魔法と火薬の爆発音も、オルクの姿には勝てない──マリィは目を離せなかった。




