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魔界王妃ノ浪漫譚  作者: 竜ヶ崎
第一章
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第十三話 魔族の歴史



 サンルームには朝の柔らかな光が差し込み、ガラス越しに温かな空気が漂っていた。色とりどりの花々や緑の葉が、まるで息をしているかのように揺れる。


(ふふ、日当たりが良いから伸びるのが早いわ)


 マリィは満足気に植物たちを眺めながら丁寧に枝や葉を整えていた。剪定ばさみが軽やかに花を撫でるたび、微かに甘い香りが広がる。


 オルクはその様子を少し離れた場所から、腰を軽くかがめて眺めている。彼の目は険しさや戦場での鋭さを忘れ、ただただ穏やかな微笑みで満ちていた。


「今日はどの花の手入れからだ?」


 オルクが低く声をかける。

 マリィははっと顔を上げ、微笑み返す。


「今日はこの白いバラを。少し枝が伸びすぎていたので…」


「棘に気を付けろよ?」


 2人は他愛もないが自然で穏やかな会話を重ねる。するとマリィはふと視線を上げ、城の敷地内にそびえる白い塔を指差した。


「そういえば、前々から気になってたのですが…あの塔はなんですか?」


オルクはふふ、と笑い、肩を軽くすくめる。

マリィが気軽に質問してくれるのが嬉しい。


「ああ、あれは『英霊の塔』。

俺の先祖が祀られている塔だ。歴代王族の肖像画や、使用していた剣なんかが飾られてて、中々迫力あるぜ?」


 オルクは腕を組み、目を細める。


「行くか?今なら時間もあるし、俺が案内してやる」


 マリィは小さく息を呑んだ。

 オルクの先祖が祀られているという塔――ただの建物ではなく、重みと歴史がある場所だ。胸が高鳴る。緊張と好奇心が入り混じり、自然に指先がそっと触れた花の葉を撫でる。


「…行ってみたいです」


 小さな声に、少し照れくささと緊張が混じった。オルクと一緒に、大切なものを見られる事に、心がじんわり温かくなる。

 サンルームの窓越しに差し込む光の中、二人は並んで歩き出す。花々の香りが淡く漂い、その日常の一瞬が安らぎとなり二人を包み込んでいた。



「今日はマリィも一緒だ」


 英霊の塔の前には見張り番の兵士が立っており、オルクの一声で敬礼したのち扉をゆっくりと開けた。

 その瞬間、マリィの耳に届くのは外界の喧騒とは無縁の、深く静かな空気だけだった。まるで世界から切り離されたかのように、塔内には静寂が支配している。


(とても静か…だけど寂しい雰囲気が無いわ)


 柔らかく青白く光る魔鉱石のランプが、天井や壁を淡く照らす。

 光は壁に掛けられた剣や鎧、盾を滑らかに映し出し、それぞれが歴史の重みを宿しているように見える。

 さらに目を上げると、歴代王族の肖像画が列をなして並び、まるでマリィたちをじっと見守っているかのようだった。それは塔に宿る王族の魂の気配を、ひっそりと示している。


「なんて荘厳なの…」


小さい呟きと足音がかすかに反響するだけで、塔の静けさが一層深まる。

 ここにいる全てが歴史と威厳に包まれていることを、マリィはひしひしと感じた。


(不思議…塔の中なのに空気が澄んでいて、とても落ち着くのね)


 オルクは横で軽く微笑み、塔内を案内する。塔内を眺める彼の目は、遠い過去と現在とを自然に結んでいた。


「こっちだ、足元気を付けろよ」


 オルクは手を差し出し、マリィをそっと導く。階段を抜けると、空間は一気に広がり、壁一面の肖像画を照らしていた。歴代王族の厳格な表情が並ぶ中で、ここだけは少し違う温かみがあった。



「俺の家族だ」


「オルク様の、ご家族…」


 石壁に並ぶ肖像画の中で、まず目を引いたのはオルクの父だった。屈強な体格と鋭い眼差し、一際大きい黒色の尾、整った口髭が戦場の王としての威厳を静かに語りかける。


「俺の父上のロディオスと母上のブランカ…」


 マリィは自然と背筋を伸ばした。

 次に母ブランカの肖像画。柔らかな黒髪と微笑む唇が優しさと知恵を伝える。竜人族らしくの鱗が光を受け、王族としての誇りも感じさせた。


「こっちは兄上のルーカス…俺と違って賢かったらしいけどよ…」


 灰色の肩までの髪と鋭い瞳が知性と冷静さを宿し、微かに上がる口角から導く覚悟が伝わる。オルクそっくりの獣耳と尾を携えている。

 三つの肖像はそれぞれ異なる輝きを放ちつつ、塔の静寂の中で家族の絆と歴史を語り続けていた。


「全員…俺の幼い頃に死んじまった。

母上は病気で…片割れを亡くしちまったせいで父上も立て続けにな。そんで兄上は最後の大戦で戦死だ」


 オルクは肖像画を見上げ、目を細める。その瞳には、尊敬と愛情、そしてわずかな哀愁が宿っていた。マリィはその肩越しにそっと覗き込み、彼の過去と家族の温かさを肌で感じる。


「…当然の事かもしれませんが、皆様の誰もがオルク様の面影があります。きっと…強くて、素敵なご家族だったのでしょうね」


「ああ…そうだな」


 正直、オルクは幼すぎて家族それぞれのやり取りすら朧げだった。でも断片的に母の笑顔や父の力強さ、兄の手の大きさが心の中で生きていた。

 その記憶が王であるオルクを支えてきたものの一つであることは間違い無かった。


(俺の家族は確かにこの国で生きていた。いや、今も魂がここに『在る』)


「…俺の家族に会ってくれてありがとうな」


マリィは首を静かに横に振る。

初めて見たオルクの家族と歴史、穏やかさと寂しさが混じる瞳。マリィはそれが切なくもあり、強いと感じた。


「私に会わせて頂いて…ありがとうございます、オルク様」


2人は穏やかな気持ちでしばらくオルクの家族の肖像画を見つめていたのだった。



※※※



「知よ、我らに照らしを。忘却より守りたまえ……」


 マリィは小さく息を整え、胸の前で指を組んだ。講義が始まる前の短い祈り。自然に心の奥から湧き上がるその所作は、塔の空気と溶け合い、静かな清らかさを生んでいた。

 正面で見ていたエルゴ教授は、目を細め、豊かな白い髭を撫でながら頷いた。


「うむ、うむ……」


 その顔は、孫を見守る老人のように柔らかい。「さてさて」と教授は咳払いをひとつ。


「今回の授業は『人魔大戦』についてでございますが……マリィ様にとっては、辛い思いを抱かれるやもしれませぬ」


 マリィは視線を落とし、机の下でぎゅっと両手を握った。


「エルゴ先生……私は覚悟しています。今もなお続く人間と魔族の長い戦の歴史。……このファングレイヴ王国の地で、その真実を学べるのなら、幸いです」


 その声にはわずかに震えが混じっていたが、瞳は澄んでいた。エルゴはしばし見つめ、深く頷く。


「承知いたしました。ですが無理はなりませぬぞ。心が苦しくなれば、ためらわず申し出てくだされ」


 教授は丸眼鏡を指先で押し上げ、眉間の皺を深くした。


「……さて。『人魔大戦』は今から九百年以上前に始まります。

第一次人魔大戦――1度の停戦と冷戦に至るまで、実に四百年もの歳月を要したのです」


白髪をかき上げる仕草には、歴史を語る者の重みが滲む。マリィは息を呑んだ。


「……バルメギア帝国が、領土拡大を求めて侵攻を始めたのですね。魔界大陸は、人間にとって未知なる資源の宝庫……」


エルゴの瞳がぱっと明るくなる。


「ほう。マリィ様、その通りにございますぞ」


マリィは小さく首をすくめ、目を伏せた。


「申し訳ありません……。城に保管されていた歴史書を読んでしまいました。もちろん、私の理解は浅いものですし……エルゴ先生の許しもなく……」


「いやいや!」


エルゴは両手を振って笑った。


「知を求める心に、私の断りなど不要。心の赴くまま書物に出会う――それこそ祝福に値するのです」


そう言って、彼はポケットをごそごそと探り、小さな青い包み紙を取り出した。差し出されたのは、ハーブの香りがほんのり漂う飴玉。


「どうぞ」


マリィは一瞬きょとんとし、それからふっと微笑んで受け取った。塔の空気が少しだけ柔らかくほどける。

だが、これから語られる歴史の重さを思い、彼女の胸の奥は静かに緊張していた。


「……戦が激化していた頃は、この地にも人間が足を踏み入れていたのですね」


 マリィは噛みしめるように目を閉じて静かに問いかけた。エルゴは頷き、視線を遠くに投げる。


「ええ。当時、人間の国は非常に強く、魔界大陸への上陸は今よりもはるかに容易だったのです。……いや、下手をすれば、今より戦上手であったかもしれませぬな」


 教授は小さく息を吐き、指先で白髭を撫でる。


「文献に目を通せば、バルメギア帝国の力は実に脅威でございました。

 魔界大陸の伝説的英雄――東エルグランド王国のラグナド王。そして人間側、バルメギア帝国の英雄カイロス。

 あの二人の戦いは、歴史上もっとも壮大にして、もっとも残酷なものと記されております。」


その言葉と同時に、教授は口に含んでいたチョコレートキャンディをひとつ、コリリと噛み砕いた。石造りの教室に小さな音が響く。妙に生々しく、マリィの胸に残った。


「……そういった人間の脅威に対抗するため、魔界大陸の国々は同盟を結んで一つに纏まったのですね」


「その通りです」


教授の目が細められる。


「魔界三大国は『魔界三国防衛協定』を結びました。

さもなくば、人間に飲み込まれると早くから悟ったのです。……共通の敵は、結束を強める。これは人も魔も同じことですな」


「はい。人間側でも――」


マリィは静かに言葉を重ねた。


「『対魔族同盟』が発足しています」


 その瞳はどこか憂いを帯びていた。

双方の同盟が今も存続しているということ――つまり、それは対立がまだ終わっていない証にほかならない。しばしの沈黙。

 やがてマリィはためらいがちに口を開いた。


「あの……先生。魔界の王族が戦の前線に赴くのは、なぜなのでしょう。人間の王族は己の血統や国の存続のため、そのような選択をいたしませんわ」


 エルゴは椅子に深く腰を沈め、目を閉じてから、ゆっくりと答えた。


「……そうですな。そこにこそ、価値観の違いが顕著に現れるのです。人間は賢く、合理的。血を守り、国を残すため、王族は戦場に出ぬ。

だが魔族は違います。兵と共に剣を振るい、血を流すことが誇り。負けて血筋が絶えれば、それは運命として受け入れる」


丸眼鏡の奥から放たれる瞳は、どこか熱を帯びていた。


「命を惜しむことよりも、勇気を示すことこそに価値を置く。……それが魔族の王族でございます」


マリィは息を詰め、胸に手を当てた。

どちらの価値観も、正しく、そして残酷。

その狭間に立たされている自分を思うと、心が揺れた。


(オルク様のお兄様も、戦でお亡くなりになった……。けれど――それでもオルク様は臆することなく、戦場へと赴かれる。あの方にとっては、それが勇気であり、誇りなのね……)


静かな祈りにも似た想いが、胸に広がっていった。


「……さらに、伴侶の考え方も人と魔では大きく異なりますな」


エルゴは顎に手を当て、白い髭をゆっくり撫でながら言葉を紡いだ。


「人間にとって伴侶は血統を残すためのもの。ゆえに複数の妃を持つ。合理的といえば合理的でしょう。

しかし魔族にとって伴侶は、ただひとり。子ができぬとしても、それは運命の定め。――“運命を裏切る”という行為は、決して許されぬのです」


 マリィはそっと瞬きをした。

ふと思い出されたのは、英霊の塔でオルクが口にした言葉。


『全員…俺の幼い頃に死んじまった。

母上は病気で…片割れを亡くしちまったせいで父上も立て続けにな。そんで兄上は最後の大戦で戦死だ』


 なぜ父王の死に「片割れを失った」ことを結びつけるのか――。その理由が、今も心に引っかかっていた。


「……あの、先生」


マリィは胸の奥から自然に問いを口にしていた。


「ここでは“伴侶”のことを『つがい』と呼ぶと聞きました。それは……ただの呼び方の違いではないのですよね?」


 問いかけに、エルゴは少し間を置いた。眼鏡の奥の瞳でマリィをまっすぐ見据えると、慎重に言葉を選び始める。


「伴侶とは少し違います。……番とは、魂で結ばれた唯一無二の相手。

 “魂の片割れ”であり神が導いた運命。もし失えば……二度と持つことはできぬ」


 その声は静かだった。だが、塔の石壁に反響してなお、重く響き渡る。マリィは思わず息をのむ。


「……それは、誰もが持つものなのですか?」


掠れる声でマリィは問う。エルゴは首を振った。


「いいえ。魔族すべてに宿るものではありませぬ。ですが、獣人族においては他の種族よりも根づいております。血に刻まれた本能ゆえに」


彼は両手を静かに組み合わせ、さらに言葉を続けた。


「番とは互いに魂を分け、魔力をわかち合う。存在そのものを補い合うのです。

ゆえに成立したとき、真に“ひとつ”となる。

そして……もし魔族と人間が番った場合。魔族の魂と魔力に引かれ、人間は“魔族化”し、共に悠久の時を生きるのです」


マリィは思わず胸に手を当てた。


 魂を分け合い、時を共にする――。それは運命の契約そのものであり、祝福であると同時に、恐ろしくも感じられた。


「……ですが」


 エルゴの声音が低く沈む。


「もしもその片割れを失ったならば。残された者は大きく弱体化いたします。力を削がれ、時に生きる意味すら失うこともあるのです」


 マリィの脳裏に、英霊の塔に並ぶオルクの父と母の肖像が浮かんだ。

 后を喪った父王が、なぜ急速に命を落としたのか――その答えが、今ようやく胸に突き刺さる。


「……マリィ様」


教授の声音が鋭くなる。


「この“番”の在り方こそ、大戦においては最大の弱点ともなりえました。

…魔族の愛する者を、大戦の道具に仕立て上げたのです」


 その言葉と同時に、教授の目からはいつもの温かな色が消え去っていた。

 そこにあったのは、真実を語る者の厳しさ――そして、過去の罪を決して忘れてはならぬという、深い決意であった。


「……大戦の、道具……」


 マリィの小さな声が、静まり返った塔の空気に吸い込まれた。エルゴは頷き、淡々としかし重く言葉を続ける。



「バルメギア帝国軍は魔界大陸の王族や貴族、民の…伴侶や番、家族までも捕らえ戦場の盾として利用したのです」


 マリィの心臓が跳ねるように脈打ち、頬から血の気が引いていく。

 けれど教授は、あえて立ち止まらなかった。


「愛する者が捕らえられ、盾にされた。多くの魔族は理性を失い……罠だと分かっていながらも単身で戦場に飛び込んだのです。

理屈では止められぬ……魂を分かつ者を救うためならば」


 エルゴの声が低く響く。


「その結果、魔族の軍はたちまち崩れ……戦場は地獄のような光景に変わりました。

記録には、“戦場が狂気そのものに飲み込まれた”と残っております」


 マリィの指先は震えていた。

 それを隠すように手を重ねても、震えは止まらない。胸が詰まり、視界が滲む。


「……この非人道的な行いは、後に『肉の壁事件』と呼ばれることとなりました。

消えぬ傷として、今もなお因縁に影を落としているのです」


 教授の言葉が落ちた瞬間、マリィの瞳から涙が零れた。


「……わたし……そんな、酷いことがあったなんて……知らなくて……」


 声が震え、嗚咽が混じりそうになる。


「それも無理はありませぬ」


 エルゴは静かに首を振った。


「人間の歴史書には、この出来事の記載はございませんから」


 マリィは唇を噛みしめ、震える息を整えようとする。教授の瞳が細められ、その奥に宿る厳しさと温かさが、同時にマリィを射抜いた。


「……マリィ様」


 声は柔らかくも揺るぎない。


「傷付いた魔族にも、人間にも――貴方様のように、涙を流せる者が必要なのです」



 その言葉に、マリィの頬を伝った涙は止まらなかった。エルゴが真っ白なハンカチをマリィにそっと渡した。


「…マリィ様、今日は少し早いですが終いにしましょうか」


 マリィはハンカチで涙を押さえ、エルゴから貰っていたハーブキャンディを口に入れた。深呼吸するとミントやレモンの香りが心を落ち着かせる。


「…いいえ、エルゴ先生、私は大丈夫です。最後までお願いします」


 マリィは深く息をつき、視線を机の上の歴史書に戻した。

 ページには戦の惨状と、失われた多くの命、番の悲劇が記されている。胸の奥が締めつけられるようだ。それでも、マリィの手は震えながらも止まらず、文字をなぞり、目で追い続けた。


(知ることを止めたら…何も変えられない…)


 小さな声で、マリィは自分に言い聞かせる。エルゴ教授はマリィの決意を静かに見守った。


「痛みを知りながらも歩もうとする者こそ、未来を紡げるのです」


 

(私がこの魔界で知らない事、知らなきゃいけない事……まだまだ多すぎるわ)


 痕跡は過去にあっても、学ぶことを止めず、知る勇気を持ち続ける――それが今の自分にできること。


マリィは深く頷き、窓の外に広がるファングレイヴ王国の空を見つめた。





最期まで読んで頂きありがとうございます。

ちなみに年号『M.Y(Magicyear)』は人間が魔界に侵攻を開始した魔暦の起点です。以降、魔族が外史を記し始めました。


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