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魔界王妃ノ浪漫譚  作者: 竜ヶ崎
第一章
12/15

第十二話 プレゼント



午前の陽射しが王宮の中庭を優しく照らしていた。花壇には庭師の手で丁寧に整えられた色とりどりの花々が咲き誇る。

マリィはそっとかがみ込み、指先で花びらを撫でながら微笑んだ。その瞳には、花たちのひそやかな息づかいまでもが映し出されているかのようだった。

隣には、午前の公務を終えたオルクが立っていた。腕を組み、柔らかな微笑みを浮かべて、ひたむきに花に見入るマリィを静かに見つめている。


「本当に好きなんだな。この花、ルミナフローラ王国にもあるのか?」


オルクの声はさりげなく、しかし温かく響いた。マリィは顔を上げ、柔らかな笑顔で答える。


「はい。このスミレはルミナフローラにも咲いていました。でも、この花壇の大半は魔界大陸の固有種でしょうか……見たことのない花ばかりで、とても楽しいです」


マリィは植物事典を片手に見比べて翡翠色の目を輝かせている。

その様子に、オルクの瞳は優しく光った。マリィの無邪気な笑顔は、王宮でもひときわ輝いて見える。言葉にしなくても、二人の間に、穏やかで柔らかな時間が流れていた。はじめてオルクと対面して怯えていたマリィはもういなかった。


「オルク様は、植物にご興味はお有りですか?」


マリィの問いかけに、オルクは一瞬口をつぐみ、少し気まずそうに後頭部を掻いた。


「あー……興味ってほどじゃねぇな。戦場でマンドラゴラを囮に使ったり、狩猟で食人植物を狩ったりはあるけどよぉ。……マリィが好きそうな花には、正直縁は無かったな」


言いながら、どこかバツが悪そうに目を逸らすオルク。その不器用さが、逆にマリィには微笑ましく映った。

彼女はクスクスと笑い、その笑顔は花そのもののように柔らかく綻ぶ。


「ふふ、オルク様はいつも規模が大きいです」


その言葉に、不意に胸を射抜かれたような気がして、オルクは一瞬息を飲む。

花に触れるような、あまりに自然な優しい笑顔。思わず見惚れそうになりながらも、彼はふと閃いた。


(……そうか。マリィには、あれを見せてやれば…)


忘れかけていた、長らく閉ざされていた場所を思い浮かべる。オルクの心に、新たな決意が芽吹いた。


マリィの笑顔が胸の奥に残ったまま、オルクは一人、執務室の椅子に深く腰掛けた。窓から射し込む午後の光が、書類の白さを淡く照らしている。

不意に――遠い記憶が、薄靄のように浮かび上がってきた。

それは、まだ彼が幼い頃のこと。

はっきりとした輪郭ではない。けれど、ただひとつだけ確かなことがあった。


――母は優しかった。


その声の色も、顔の細やかな表情も、年月の中に霞んでしまった。

だが、赤い花を手にしていた姿だけは、鮮烈に胸の奥に刻まれている。柔らかな風の中、花を摘み、その花を笑みとともに差し出していた母の姿。

その横で、幼いオルクはただ見上げていた。

胸の奥がじんわりと温かくなる感覚。


オルクは机に肘をつき、低く息を吐いたあと、執務机の脇に控えていた側仕えに視線を向けると、姿勢を正し静かに主の言葉を待った。


「なぁ……ちょっと頼み事があるんだけどよ」


その声はいつもの威圧を帯びたものではなかった。どこか柔らかく、けれど決して軽くない響き。従者は主の眼差しにただ頷き、次なる言葉を待つのだった。


※※※


数日後の昼下がり。

マリィの私室にノックの音が響いたかと思えば、扉を開けた先に立っていたのはオルクだった。


「おう、マリィ。ちょっと顔貸してくんねぇか?」


唐突な言葉にマリィは瞬きを繰り返し、側仕えのミラとサフィーも驚いて顔を見合わせる。


(……陛下、言い方が山賊にゃ〜……)


「えっ、と……どうされましたか?」


とマリィが首をかしげると、オルクは唇の端をつり上げ、どこか悪戯を企む少年のような顔をした。


「ヒミツだ!」


それ以上の説明はなく、マリィは疑問に思いながらも微笑んで後を追うしかなかった。

城の廊下をしばらく歩いたところで、オルクはふと立ち止まり、振り返ってマリィを見やった。真剣な声で告げる。


「ここから先は――目を閉じててくれねぇか? 絶対だぞ!」


「……え?」


マリィは戸惑いながらも、彼の瞳に浮かぶ真摯さに逆らえず、素直に頷いて目を閉じる。

少し離れた所で見ていたミラとサフィーは、(陛下、何を……?)と息を呑みながら二人を見送るのだった。


「マリィ、すまねぇが少し触れるぜ?」


目を閉じたままのマリィに、オルクはそう断りを入れると、その手首を自分の大きな掌で包み込んだ。ごつごつとした武人の手だったが、その力加減は驚くほど繊細で、まるで壊れやすい硝子を扱うようだった。


マリィはわずかに頬を染め、オルクはマリィの歩幅に合わせて歩みを進める。足取りはゆっくりと導くように。


「目ぇ閉じてるか?……閉じてるな?」


「うふふ、はい。ちゃんと閉じてますよ」


そんなやり取りを重ねながら、しばし進む。

やがて――重い扉の開く音が響いた。

その隙間から、ふわりと濃密な花の香りが流れ込んできて、マリィの心臓が自然と高鳴った。オルクの手が離れる。


「いいぜ、マリィ……目を開けて」


そっと瞼を持ち上げた瞬間――マリィの瞳に飛び込んできたのは、光に満ちた楽園だった。


ガラス張りの天井から陽光がこぼれ落ち、そこに色とりどりの花々が咲き乱れる。

見慣れぬ魔界固有の草花に混じって、懐かしいルミナフローラ原産の花や薬草たちが、緑の絨毯の上に織り交ぜられている。

香りと彩りが重なり合い、まるで森の奥深くに迷い込んだかのような豊穣さ。


「……っ」


マリィは驚きに息を呑み、胸に手を当てた。


「こんなに……なんて、凄い……」


隣でオルクは、いつもの豪胆な笑みを浮かべていた。


「へへ……まぁ、俺からのデカい花束だ」


「オルク様……」


マリィが振り返ると、彼は少し照れ隠しをするように後頭部をかいた。


「気にすんなよ。母上が亡くなってから、ここはずっと閉ざされたままだったんだ……けど、マリィに使ってもらった方がいい」


胸の奥がじんわりと温かくなり、マリィは言葉を失った。その瞳を潤ませながら、見慣れた花々に目を走らせる。


「この花も……あの花も……ルミナフローラ原産のものばかり……どうやって……」


「ん、まぁ特別なルートがあんだよ」


オルクはわずかに視線を逸らす。


「……俺がマリィを祖国から攫ったようなもんだからな。せめて、これくらいのことはしてぇんだよ。……もしかして、余計だったか?」


「そんなこと……ありません。絶対に、ありません。とても……嬉しい」


マリィは強く首を振った。その姿に、オルクは少し屈み込み、彼女の視線に合わせる。

大きな影が覆いかぶさるようにして、彼の顔が間近にあった。不意に頬が熱を帯び、マリィは視線を揺らす。

だがオルクはにかりと牙を覗かせ、眩しいほどの笑みを浮かべた。


「嬉しかったら、『笑う』んだぜ?マリィ……ほら」


「……はい。」


マリィもまた、自然と微笑みがこぼれる。


「ありがとうございます……オルク様」


その笑顔は、花々さえも綻ばせるように柔らかで、サンルームの光景と溶け合って、ひとつの奇跡のように見えた。

オルクが去ったあともマリィはサンルーム内でゆっくりと足を進める。その歩みは自然と止まり、並んで咲き誇る花や小さな苗に視線を落とした。


「まぁ……」


彼女の唇から、思わず吐息のような感嘆が漏れる。赤や白、青といった花々は一輪ごとに表情を変え、可憐に咲き誇っていた。

まだ幼い芽は小さく震えながらも、しっかりと土に根を張ろうとしている。その姿に、マリィはうっとりと目を細め、一つひとつの苗をまるで宝物を確かめるように丁寧に見回った。

そんな彼女を少し離れたところで見守る二人の側仕え、ミラとサフィーは顔を見合わせ、自然と笑みをこぼす。


「陛下も粋ですねぇ、マリィ様にサンルームのプレゼントなんて〜」


サフィーが楽しげに呟くと、隣のミラも耳と尻尾をぴんと立てて大きく頷いた。


「にゃ〜!陛下がそんなロマンチックなことするなんて思わなかったですにゃ!」


ふたりは声を潜めることも忘れ、きゃあきゃあと弾むように盛り上がる。その様子に、マリィはふと顔を振り返った。頬にはかすかな朱が差し、瞳は揺れている。


「……恐れ多いかもしれないけど、私がオルク様にお返しできることって、あるかしら。」


控えめに漏らされたその言葉に、ミラとサフィーは目を丸くし、すぐに輝かしい笑顔を浮かべる。ふたりの視線は、まるで少女の秘密を見つけたかのようにきらきらと光り、マリィをじっと見つめた。



※※※


訓練場。

剣戟の音が響き、土煙が舞う中でオルクは兵士たちに混ざり鍛錬の汗を流していた。

剣を軽々と振るうその姿に、兵士たちからは感嘆の声が上がる。

そんなとき、側仕えを連れたマリィが訓練場の端に現れた。

花のように柔らかなドレス姿で、砂が舞う訓練場に立つその姿は静かだったがとても目立った。


「……おい、あれって王女殿下じゃ……?」


「本当だ!どうされたんだろ……」


兵士たちがざわつく。すぐにオルクも気づき、剣を収めて手を上げた。


「よし、ここまで!休憩だ!」


そう言い残すと、彼は少し息を切らしながらマリィへと歩み寄った。


「どうした?マリィ」


視線を向けられたマリィは、兵士たちの視線を意識して頬を赤らめ、彼の袖をそっと引いて人目の少ない場所へと誘った。


「えっと……サンルームのお礼としては小さくて申し訳ありませんが……差し入れを」


そう言って差し出したのは、小瓶に入った冷えたポーション。淡い白ぶどうの香りに、爽やかな薬草の清涼感が混じる、飲みやすく工夫された一品だった。

オルクの瞳が一瞬で輝く。


「え……?これ、俺に?」


「はい、こんなものしかできませんけれど…あのサンルームの薬草を組み合わせて作りました。」


大きな尾がぶんぶんと揺れ、まるで感情を隠しきれないようだ。


「俺、めちゃくちゃ嬉しい…!ありがとうな、マリィ!」


マリィはその反応に驚きつつも、胸の奥が温かくなり、ふっと微笑んだ。


「……よかった。お気に召していただけたのなら」


……その姿を、遠巻きに見ていた兵士たち。


「陛下、あんな嬉しそうな顔、初めて見たぞ。」

「尻尾があんなに揺れて…隠す気ゼロじゃねぇか……」

「く〜〜!うらやましいっ」


ひそひそと盛り上がる声が、しっかりオルクの耳に届く。


「……おい、テメェら!!」


オルクは顔を赤くして振り返り、怒鳴った。


「聞こえてんぞ! ガタガタぬかしてねぇで腕立て百回追加!!!」


「ひぇっ!? す、すんません陛下!!!」


兵士たちは蜘蛛の子を散らすように走り去り、土煙を上げて腕立てを始める。

マリィはその様子を見て、思わずくすりと笑った。


「ふふ…受け取って貰えて良かったです」


「…お、おう……当たり前だろ。マリィが俺のために作ってくれたんだ。……大事に飲む。」


オルクの真剣な眼差しに、マリィの胸が温かく満ちていく。後ろで控えていたミラとサフィーは口元がにやつかないよう必死で取り繕っていた。


※※※


夜の静寂が、王宮のマリィの部屋をそっと包んでいた。シャンデリアの灯は消され、テーブルの上に置かれた魔鉱石のランプだけが、淡く青白い光で部屋を柔らかく照らす。

マリィはそっと窓を開け、バルコニーに出る。微かに冷たい夜風が髪を揺らし、目の前には王宮の棟や中庭、穏やかな星空が広がっていた。街の明かりが遠くきらきらと瞬き、静かな夜に温かさを添えている。


今日、オルクから賜ったサンルームの素晴らしさとオルクの真っ直ぐな優しさを振り返り、胸からジワリと温かさが広がる。


「こんばんは、お姫様♪」


低く落ち着いた声が、夜の空気を震わせた。マリィは一瞬、風のせいかと振り向く。しかし、そこにいたのは煙のように宙に浮かぶ、見知らぬ青年の姿。

青年は漆黒の肩までの髪を揺らし、深い藍色の瞳でじっとマリィを見つめている。顔立ちは睫毛が濃く端正で、魔族の魔人族特有の鋭い耳の先端が僅かに見え、少年のような輝きと経験を帯びた深みを同時に宿していた。


「え!…あなたは……?」


マリィの声には、驚きと警戒が入り混じっていた。夜の冷気に少し震える声が、静かなバルコニーにひそやかに響く。

青年はふわりと宙に浮かんだまま、柔らかく微笑んだ。


「ン?よしよし、悲鳴を上げなかったのはナイスだぜ。俺は…まだ名乗るほどの者ではないね」


マリィは少し背筋を伸ばし、膝を折って丁寧に礼をする。


「私はルミナフローラ王国、第3王女マリィ・ド・ルミナフローラと申します。訳あって、西ファングレイヴ王国に身を置かせて頂いております」


青年は目を大きく見開き、マリィをじっと見つめる。やがてにやりと笑うと、軽やかに声をあげた。


「ガハハハ!真面目だなお嬢ちゃん! 俺は名乗ってもいないというのに、こりゃまた丁寧に挨拶するもんだ」


マリィの頬はわずかに赤く染まる。


「でも貴方は『まだ』とおっしゃいましたし、今後またお会いすることもあり…目上の方の可能性も否定できません…」


青年はゆっくりとマリィの顔を覗き込み、その藍色の瞳を細めた。


「なるほど、いい娘だ。悪〜い狼に攫われたお姫様の顔を、一足早く拝んでおきたくてね。息子が良い娘だったって言うもんだから…そう言われると我慢できねぇって話よ」


その“悪い狼”とは、もちろんオルクのことだ。


「…オルク様は、とてもお優しいです」


咄嗟に訂正するマリィに、青年は豊かな睫毛の影を落とした瞳をさらに細め、くすくすと楽しそうに笑った。


「ほほう、アイツもなかなかやるなぁ…」


その瞬間、宵闇の向こうから小さな雲雀ひばりが一直線に飛来した。

ピィピィと鳴きながら、マリィと青年の周囲を軽やかに旋回する。


「おお?!メリルの使い魔か!早く帰らないと、アイツ機嫌を損ねちまう。すまんなお嬢ちゃん、もう少し話したかったんだが…またな!」


そう言うと、青年は煙のように、雲雀とともに闇へと溶けるように姿を消した。


「なんて不思議な人…でも、危ない人じゃないわ…」


残されたマリィは、なぜか恐怖や不信感を抱かず、一夜の不思議な出会いに小首をかしげた。冷たい夜風に髪を揺らされながらも余韻が残っていた。




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