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魔界王妃ノ浪漫譚  作者: 竜ヶ崎
第一章
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第十一話 取るに足らず



 西ファングレイヴ王国の長く続く廊下の一角、2人の女官がひそやかに声を潜め、何やら会話を交わしていた。しかし、そこにあるのは笑顔とは程遠く、目元に不快さがにじむ表情だった。

1人はきらびやかな黄色の毛並みに斑点模様を持つひょう獣人、ローニャ。もう1人は金髪のロングヘアをリボンで束ねた獅子しし獣人、イメルダ。どちらも中堅の女官で、長年の経験から王城のしきたりには通じているはずだった。


「人間大陸から来たあの王女、どう思う?」


濃藍色の銀糸刺繍が施されたローブの袖を無造作に振りながら、ローニャが口を開く。


「ふん。オルク陛下が番に見初めたというから、どんな女性かと思ったら……あんなにひ弱そうで、それも人間だなんて。魔力も弱々しいこと!」


2人は口元を歪め、不快感をあらわにした。まるで生のドクダミを噛みしめたかのように、鋭い表情が廊下の薄暗い光の中で映える。


「それに、あの王女はまだ祖国のドレスを未練がましく着ているのよ。当てつけかしらね!」


ローニャは頬に手を添え、鋭い爪をちらりと光らせた。

確かにマリィは、祖国ルミナフローラ王国から持参したドレスを慎ましく身に纏っていた。だがこれは、正式に王国に籍を置いていない自分が税金で服を仕立てることができない遠慮の現れである。

ローニャとイメルダにとって、マリィが新しいドレスをこの国で新調しても文句の種は尽きない。税金の無駄遣いだと噛みつくことだろう。


2人は、澄ました顔で余所者ぶるマリィを何とかして一泡吹かせたいと考えていた。公の場で恥をかかせることが理想だが、今は行事も予定されておらず、機会はない。

一方でマリィは、女官長ヘレナの厳格な指導の下、黙々とマナーを身につけていた。もしも故意に間違ったマナーを教えようものなら、問い詰められるのは自分たちの方だ。


「イメルダ、私たちは王城の秩序を守るために、先手を打っているだけよ、ね?」


ローニャが低い声で問う。


「そうね……ええ、そうよ!」


イメルダも口角を引き結び、強く頷く。

余所者でしかも長年魔界と対立してきた人間側の王女。

スパイの可能性も否定できないし、側仕えたちが洗脳されるかもしれない……と、都合よく自らを正当化する二人は、自分たちの感情を俯瞰で見ることなどできなかった。いや、感情に支配されすぎて理性はもはや存在しなかった。


「そうだわ、思いついた」


ローニャは牙を覗かせ、長い舌で舌なめずりをしながらイメルダに嗤いかける。

廊下に差し込む柔らかな光の中で、二人の女官の陰険な笑みが、これから起こる小さな陰謀の序章を予感させた。



※※※


マリィは午前中の講義を終え、側仕えのミラとサフィーと並んで渡り廊下を歩いていた。

窓から差し込む光が紺色のスカートをやわらかく照らし、三人の影が大理石の床に長く伸びる。


「マリィ様、ここでの生活は慣れましたかにゃ? 慣れない土地で暮らすのは大変ですよね、にゃ」


「何か不都合がありましたらぁ、絶対〜私たちに言ってくださいねぇ」


心配そうに覗き込む二人の眼差しが、どれほどマリィの胸を温めることか。

もしこの二人がいなければ、きっともっと寂しさに押しつぶされていただろう。

マリィは微笑み、そっと礼を返す。


「ええ、本当にありがとう」


ミラとサフィーが照れたように笑い合い、マリィの部屋の扉の前に立った。

金色の縁取りに、控えめながらも上質な彫刻が施された扉。その重厚な扉がゆっくりと開かれる。


「あら…?」


足を踏み入れた瞬間、マリィは言い知れぬ違和感に足を止めた。

家具も装飾も、いつも通りのはず。だが、胸の奥にざわりとした嫌な波が立つ。


視線が部屋の一角で止まる。

深みのある木目と、温もりを湛えた精緻な彫刻が美しいコモード。その引き出しのひとつが、半端に開いていた。

その前の椅子には、柔らかな桜色のスカーフが無造作に掛けられている。

マリィの心臓が徐々に速くなり、血が冷たく逆流していく感覚に襲われた。


そっとスカーフを手に取る。指先に伝わる滑らかな絹の感触——だが次の瞬間、呼吸が詰まる。

布地には鋭い刃物で切り裂かれた跡。真っ二つになる寸前の深い裂け目が、痛々しく口を開けていた。


「な、な…!」 


「これ、マリィ様の…!」


ミラとサフィーは青ざめ、口元を手で覆って絶句する。

マリィは胸の奥がじくじくと痛み、スカーフを胸に抱きしめた。


「ルミナフローラから持ってきた、私のスカーフ…」


はっとしてポケットから小さな鍵を取り出すと、コモード下段の鍵穴に差し込む。

静かな音を立てて引き出しを開けると、そこには落ち着いた木目の宝石箱があった。

箱の中には、ルミナフローラの紋章を刻み、宝石をちりばめたブローチ。母から譲り受けたフラワーダイヤのネックレス。

どれも家族から誕生日や記念日に贈られた、唯一無二の宝物だ。


(良かった…どれも無事)


安堵がわずかに胸を満たしたその時、サフィーが声を震わせた。その声色はいつもの穏やかさは無い。


「マリィ様…すぐに上の者へご報告いたします!見過ごせません!」


ミラも拳を握りしめる。


「こんな…酷すぎますにゃ…王族の私物を…!」


緊張が静かに、しかし確実に部屋の空気を満たしていった。

マリィはふぅと息を吐くとミラとサフィーに心配をさせまいと微笑む。


「大丈夫…私個人のことに、周りの人たちの時間を使わせるのは忍びないもの。それに確証が少ないから…憶測で騒ぎを広げたくないの。」


静かに告げた声に、ミラの灰色の耳がペタリと倒れ、眉が下がる。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「で、ですがぁ……このままでは……」


その訴えにも、マリィは穏やかな笑みを崩さずに首を振る。


「とにかく、上の者への報告はせずに様子を見るわ。また同じようなことがあれば、そのとき改めて検討します。

…そうね、今日を含め、部屋に出入りした側仕えや女官を確認しておきましょう。」


王族の部屋は、許された者しか入れない。長く仕える者でも、許可なく無断で入れば重大な規律違反だ。


(被害はこのスカーフだけ……物は盗られていない。目的は私への嫌がらせ。わざわざ人目をはばかって侵入してまで、こんなことをするのは割に合わない。……犯人は、部屋に自由に出入りできる限られた者かもしれないわね)


そう心中で結論づける。

ミラとサフィーは互いに視線を移し、側仕えの仲間たちにだけ注意を促すことに決めた。


※※※



ミラは不機嫌さを隠さず、城内の長い廊下を足早に進んでいた。


(マリィ様、お可哀想にゃ……まったく、忠義のかけらもない奴がいるもんにゃ!)


その腕には、色とりどりの季節の花を束ねた花束が抱えられている。淡い香りがふわりと鼻先をくすぐった。

――せめて可愛い花を見てもらえば、少しは辛い気持ちも癒えるかもしれない。

そんな思いを胸に、ミラは花束を持ち直した。


「んにゃ?」


廊下の先で、女官二人が若い側仕えの娘に何やら声をかけている。

どう見ても、穏やかな会話ではなさそうだった。相手の顔をよく見た瞬間、ミラはあからさまにうんざりした溜息を漏らす。


――ローニャとイメルダだ。


「あなたねぇ、廊下の隅に埃がついているの、本当に気づかなかったの? 気づくと思って私、ずっと見てたんだけど……最後まで気づかないんだもの。ビックリしちゃったわよ。その手にあるモップは何のための道具かしら?」


ローニャは下まぶたをぴくぴくさせながら、大きく息を吐く。深呼吸というより、わざとらしい溜め息だ。


「私の若いときなんて、同じことをしたら反省文を書かされたわよ。今の娘は幸せねぇ〜」


隣に立つイメルダは口元だけ笑っていたが、その瞳の奥には鋭い悪意が光っていた。

若い側仕えの娘は小さく「すみません……」と頭を下げ、二人は鼻を鳴らし得意げな顔をしたかと思うと、何かに気づいた様子で急ぎ足で去っていった。


「な、なんにゃ……?」


その直後、奥の廊下から女官長ヘレナが厳しい足取りで現れる。

ミラは思わず額に手を当てた。――こんな幼稚な光景を見せられたら、頭痛も出るというものだ。


(あいつら……本当に変わらにゃいな)


ローニャとイメルダは、規則や指導を口実にして、立場の弱い者や特に若い女官を執拗に苛める。

新人女官や側仕えが泣かされた例は数知れず、もちろんミラもサフィーも、かつては何度も重箱の隅をつつかれた。

腹立たしいのは、上の者の前では殊勝な態度を取り、真面目で温厚な女官を装う小賢しさを持っていることだ。


「……あいつらが犯人じゃないだろーにゃ……いや、十分あり得る。」


信頼がなければ、こういう時に真っ先に疑われる――それが世の常だ。

ミラは爪を伸ばしたり引っ込めたりしながら、胸の奥で煮え立つ怒りを押さえ込んだ。


翌日、側仕えの間でサフィーとミラは休憩をとっていた。

サフィーは帳簿をぱらぱらとめくりながら、何やら訝しげな表情をしている。

ミラは陶器のカップを両手で包み、糖蜜をたっぷり入れた温かいミルクティーをひと口すする。香りに安堵しながらも、サフィーの手元をのぞき込んだ。


「……ミラぁ、マリィ様と私たちが“白鳳の塔”にいた間に、マリィ様のお部屋に入ったのは――『王女付き』側仕えのララとドリィ……それから、申請を出して入室した『女官・ローニャ』だけだったよぉ。

もちろんマリィ様にはお伝えしたけど……怪しいよねぇ」


王女付きの肩書きを持つ側仕えや女官は、決められた仕事がある時に限り入室が許される。その肩書きを持たない者が入るには、緊急時を除き必ず申請が必要だ。

ミラもサフィーも、心の中では犯人をほぼ確信していたが、決定的な証拠はまだない。


「次にまた嫌がらせがあったら、もう我慢できないにゃ!相手が私より身分が上でも関係ないもんね!この爪でこうして……こう!」


怒りをこめて、ミラはシャドウボクシングのように空を切る。その瞬間――


バタン!


勢いよく扉が開き、木製の扉が石壁にぶつかる鈍い音が響いた。

同じ側仕えのララが、鼠獣人らしい大きな白い前歯をむき出しに、ひどく焦った様子で飛び込んできた。


「サフィー!ミラ!大変よぉ!マリィ様のお部屋に……!」


言葉を最後まで聞く前に、ミラとサフィーは駆け出していた。

廊下ですれ違った騎士たちが目を丸くしていたが、そんな視線など気にも留めない。


――マリィ様に何かあったの?


部屋にたどり着くと、マリィは祖国から持参し、大切に保管していた木目調の宝石箱を胸に抱えて立っていた。

その前には、例の中堅女官――ローニャとイメルダ。眉を吊り上げ、明らかに威圧する姿勢で王女を囲んでいる。

傍らには、事情がつかめずおろおろと狼狽える側仕えが数人。


「あの……失礼します。これは何事でしょうか」


サフィーとミラがマリィの傍に立つと、マリィはわずかに安堵の色を浮かべた。

それは二人にとって、何よりも誇らしいことだった。


フン、とローニャが鼻を鳴らし、鋭い視線を向けてくる。


「王宮内の規則にはこうあります。

――『第十二条 外部の者が王宮城内に入場する際は所持品を預託しなければならない』。

マリィ王女殿下は我が国に籍を持たぬ外部の方です。よって、その“人間界”の国から持ち込まれたこの木箱は、私たちが預かります。さあ、お出しくださいませ」


イメルダもすかさず続く。


「郷に入りては郷に従うべきではありませんか、マリィ王女殿下。規則は規則……他国の王族であれ、守っていただきますわ。」


その口調にも視線にも、親切心の欠片すらなかった。含まれるのは悪意と嘲りだけ――それは誰の目にも明らかだ。

サフィーとミラの胸には、不快感と同時に疑念が湧き上がる。


「あの……」


緊迫した空気を裂くように、マリィが口を開いた。


「私は、この木箱をお預けすることはいたしませんわ。

――なぜなら、その必要はないからです」


思いがけないマリィの返答に、ローニャとイメルダは口をパクパクと開閉させる。まるで水面に浮かぶ鯉のようだ。

次の瞬間、イメルダの顔はみるみる紅潮し、ローニャの目には血が走った。


「な、なんと……外様の王族だからといって、ファングレイヴ王国の規則に従うつもりはないと仰せですか!」


「お言葉ですが、この王宮内で規則に従わないということは――オルク陛下に逆らうも同然!不敬に当たります!」


その声はやけに大きく、わざと廊下の兵士にまで届くよう張り上げられていた。舞台女優顔負けの大袈裟な身振り。


「いいえ?逆らうつもりは毛頭ございませんわ。むしろ従っているからこそ――『預ける必要は無い』のです。」


「……へ?」


マリィの穏やかな笑みと柔らかな声色に、二人はすっかり調子を崩される。言っている意味さえ理解できない様子だ。


「先ほどお二人が口にされた王宮規則ですが、正しくは――

『第十二条(城内入場時の所持品の預託)

一 外部の者が王宮城内に入場する際は、携   行する一切の所持品を所定の場所に預託しなければならない。

二 前項の規定は王族には適用しない。ただし、緊急時その他やむを得ない事由がある場合には、この限りでない。』……ですわ」


その一文を聞くや、先ほどまで赤鬼のようだった二人の顔色は、逆に血の気が引き、青ざめていく。


「そ、そんな……私の憶えに間違いはないはず……!」


なおも食い下がろうとするローニャに、マリィは変わらず優しい声音で告げる。


「確かに二十年前までは、ローニャ殿のおっしゃる内容で間違いありませんでしたわ。ですが、その後に一部改正があり、今は私が申し上げた通りです。」



「は、はい! 私、マリィ様のおっしゃった内容で把握してます!にゃ」


「私もぉ、新人の時に、その改正後の規則を覚えましたぁ。」


ミラとサフィーの追い打ちに、二人の視線はますます下を向く。

その背に刺さるのは、一部始終を目撃していた側仕えたちや、何事かと集まってきた騎士たちの冷たい視線だった。


「ぐ……!」


「いいのです、人は時に間違えるもの…このことは、もちろん他言無用ですわ。

それで、私物は預けなくてもよろしいですね?」


微笑むマリィに、ローニャは握りしめた拳を震わせながら「け、結構です!」と吐き捨て、イメルダと共に脱兎のごとく退室していった。

その背中を見送り、マリィは側仕えたちの方へ向き直る。表情は、何とも言えない爽やかさと穏やかさに満ちていた。


「皆さん、騒がせてしまってごめんなさいね」


「ま、マリィ様……」


唖然とする二人に歩み寄り、マリィはひそやかに耳打ちする。声は若い娘らしい、少しイタズラめいた響きだった。


「あの…喉が渇いちゃったわ。お茶、いただけるかしら?」


しかしミラとサフィーだけが気付いた。その声の響きに僅かに震えがあったことを…


――その日のマリィの茶席は、上質な茶葉はもちろん、側仕えたちの渾身の力で用意された豪華絢爛な菓子と果物に彩られていた。


『 ローニャとイメルダが宮廷規則を盾にマリィ様をいびろうとしたけど、逆に間違いを指摘されてたしなめられたんだぜ!』


『 いい気味だわ! あのお局たち、いつも意地悪だったもの。バチが当たったのよ』


『しかもマリィ様、怒らずに寛容なままでいらしたそうよ。格の違いってこういうことね!』


マリィや王女付きの側仕えたちは、今回の件について口外しなかった。

しかし、あの日のやり取りを目撃した者や耳にした者は複数おり、それだけで噂が広がるには十分だった。

もちろん、その噂はすでに女官長ヘレナの耳にも届いていた。廊下を歩いていたヘレナは、ふと足を止めて小さくため息をつく。


(まったく……マリィ様。私物の破損が発覚した時点で報告すべきでしたわ。

……でもおかげで、あの小狡いローニャとイメルダを公式に異動できる口実ができた。まあ、それに免じて叱責はやめておきましょう)


立派な羽で自慢の鶏冠を撫でながら、窓の外へ視線を移す。

中庭では、ミラとサフィーと並んで花を眺めるマリィの姿があった。


そのマリィの首元には、先日引き裂かれたはずの桜色の絹のスカーフ。

見事な刺繍で補修され、軽やかな風にたなびいて、美しく彩を添えていた。



読んで頂いてありがとうございます!

外様から来た姫に嫌がらせする女官は史実でもあったそうで…どの時代にもいるもんですね…

次回はオルクが頑張ります。

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