第一話 胸に潜む予感
世界は人間界と魔界に分けられていた――。
両者の争いは、すでに数百年に及んでいる。
両大陸を隔てる海に存在する中間諸島は、幾度も奪い奪われ、血で染まる戦場。
今日もまた、波打ち際に戦の炎が立ち込める――
鎧を纏う獣にも似た魔族軍が、浜辺を駆け抜ける。大太鼓のように響く足音、振り下ろされる剣、火薬の匂い。
戦場の丘の上で、黄金の双眸を光らせる者がひとり。魔族軍を率いる獣王――オルク・ファングレイヴ。
「引けェ!貴様らごときがこの地を踏む資格はねぇッ!!」
獣の耳と尾を立たせ、低く地鳴りのような咆哮に、すでに蹂躙された人間の兵士たちは慄く。そして、赤く染まった浜辺に脚を取られながら自国の軍艦に向かって必死に逃げる。
黒い大海を掻き分けて軍艦が遠ざかる光景に、オルクは満足げに目を細めた。
戦いの勝利に興奮冷め遣らぬ魔族の兵士達に向かって、響く様な力強い声を轟かせる。
「我らファングレイヴ王国の勝利である!」
雷鳴のような歓声が戦場を包む。
しかし、オルクの胸の奥では別の炎が燃えていた。
勝利の興奮ではない。もっと深く、もっと重いもの――。
オルクにとってこの勝利は単なる国取り合戦では無い。もっと別の『目的』と『意味』が隠されている――。
(やっと……やっと『手に入る』ッ!)
傷痕だらけの拳を震えるほど握り締め、大海の遥か向こう側の『人間大陸』を眺めてニヤリと嗤った。
※※※
太陽が穏やかに大地を照らす。
ルミナフローラ王国――名の通り、花と緑に満ちた人間界の国。
果樹園の果実が陽に透け、黄金の麦が波打ち、城下の市場では子どもたちの笑い声が絶えない。
その光景は、まるで世界に“戦”など存在しないかのようだった。
「今年の麦も豊作ね……」
白亜の城のバルコニーで、マリィ・ド・ルミナフローラ第3王女は微笑んだ。
春風が桜色のドレスを揺らし、淡い髪を撫でていく。
その横顔には、安らぎと同時に、どこか憂いがあった。
(平和がずっと続けばいいのに……。)
幼い頃から幾度も聞かされた“魔界の戦”という言葉が、ふと脳裏をよぎる。
けれど、その想いを打ち消すように、背後から明るい声が響いた。
「マリィお姉様! やっぱりここにいたのね!」
妹のリリーが弾むように抱きついてくる。
太陽のように笑うその顔に、マリィの胸の不安が少しだけ薄れた。
(……この子だけは、何があっても守りたい)
「もう、リリーったら。お勉強の時間じゃなかったの?」
「ふふん、終わったのよ。今日は一緒にお茶をしたいんだもの!」
そんな他愛ないやりとりに、マリィは癒され、穏やかに微笑む。
だが、その優しさの裏には、王女としての責務と、姉としての祈りが同居している。
「マリィ様、リリー様。陽に焼けてしまいますよ。ただいまお茶のご用意をいたします」
柔らかい声とともに現れたのは側仕えのエルダー。白髪をきっちりまとめた穏やかな老婦人だ。
手際よくティーセットを並べながら、ふわりと紅茶の香りを漂わせる。
「エルダー、甘いお菓子はある?」
リリーが首を傾げながらエルダーの手元を覗き込んだ。
「もちろん。リリー様には焼き菓子を、マリィ様には秋の新茶をご用意しました」
「まぁ、覚えていてくれたの?ありがとう、エルダー」
「うふふ、そんな勿体ないお言葉……年甲斐もなく照れてしまいますわ」
三人の笑い声が春風に溶けたその時――
「……あれ?ねぇお姉様、見慣れない馬車が来るわ!」
リリーの声に、マリィは視線を橋の向こうへ向けた。
石畳の道を進む黒塗りの馬車。四頭立ての軍馬、鋲打ちの装甲。
窓には鉄格子がはめられ、その扉には双剣の紋章――バルメギア帝国。
陽光の中に沈む黒い影。まるで春の風景の中に冬が差し込んだようだった。
「……帝国の使者……?」
マリィの胸がざわつく。
国境の向こうでは最近、帝国軍が魔界の諸島に侵攻したという噂を耳にしたばかり。
遠い出来事だと思っていたその戦が、今この国にも近づいている――。
次の瞬間、バルコニーを一陣の強い風が吹き抜ける。
マリィの髪を乱しながら、彼女の心に確かな予感を残した。
この来訪こそが――“宿命”の幕開けになる、と。
読んで頂いてありがとうございます。
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