緋色のときめき
-なぁなぁ、昇って「好きな奴」いるのか?-
友達の秋山次郎にそう問いかけられたときに俺は若干軽蔑する目をむけた。中学1年生だった当時の俺は、スポーツ一筋で大抵のスポーツならできる人間だった。「好きな人」なんて考えたこともなかったし彼女が欲しいとつぶやくこともなかった。高校1年の秋までは。
1.小さな話題
-ねぇねぇ、さやかは〈好きな人〉っているの?-
その単語が聞こえると無意識に体がはねてしまう。自分に向けてのものではないと頭では理解していても、頬が自然と紅潮してしまう。教室の窓際から聞こえたその単語に、対角線上にいる俺は耳を傾けた。聞き耳を立てるつもりはなかったが、そのグループの中には幼稚園からの幼馴染、前田ひとみがいるからだ。いかにも子どもらしく、甘酸っぱい話題だった。小心者の俺は耳に入ってくる名前を聞くことが徐々に怖くなっていきペットボトルのブラックコーヒーを飲み干し、教室から逃げるように飛び出した。
ひとみはいわゆる天然でかつ知的だった。普段の授業はさっぱりだった俺にわかりやすくかみ砕いて説明してくれるし、自由研究の結果で何かしらの賞を取っていた時もあった。(内容は理解できなかったから覚えていないが。)授業にも休んだことはなかったし、分からなければすぐに友達や先生に聞けるほどのコミュニケーション能力もずば抜けていた。かと思えば真剣な顔で気の抜けたことや哲学的なことを話しはじめるからおもしろい以外のなにものでもなかった。
2.葛藤
「そろそろ昇も〈好きな人〉できたか?」
学校から駅へと帰る途中、中学校から友達の秋山次郎は鋭く聞きつけてきた。こいつは何かと噂や心境の変化を見破ることができてしまうから今だけは放っておいてほしかった。
「できたけど...まだ告白までいかないかな。友達としてそばにいたい。」
スポーツで鍛えた足腰を利用してかなり早歩きで駅に向かう俺はそれらしい理由をつけてこの話を切り上げようとする俺に対して、次郎はお見通しとばかりに深掘りしてきた。
「確かに気持ちはわかるぜ。でも、友達以上の関係ってのも案外悪くないぜ?俺だって最初はそうだったし。」
次郎はすでに彼女がいた。普段クラスでムードメーカーな次郎は楽し気な雰囲気を纏いながらも塾に通っているので、寝ていても試験は高得点だった。同じ塾に通っている女の子が気になったから思い切って告白したらしい。彼女のほうも気になっていたので成功したという形だった。
だけど、俺は違った。
俺はひとみみたいに魅力的な頭も持っていないし、次郎みたいに雰囲気を作ることもできないただの高校生だ。取柄となるスポーツでさえ中学校ではリーダーの実力だったものの、今では上の下、一般的に[そこそこうまい]というレベルになってしまった。
もやもやをいだきながら、会話の内容に戻った。
「んで、誰なんだ?好きな人!」
目の前で目をキラキラ輝かせながらこちらを見てくるその姿はまるで散歩をしているときの犬そのものだった。こういう可愛らしい雰囲気も俺にはなかった。
「......幼稚園の時からの.........友達。前田ひとみっているだろ?...あの子だよ。」
次郎は目をひん剥いた表情でこちらを覗き込んでいた。おそらく相当意外だったのだろう。どういう意味かという言葉は一旦喉の奥へとしまい込んだ。
駅に着いたので中途半端な会話で話を切り上げる形になってしまった。話すべきではなかったと後悔しながらも緋色に染まった夕焼けを感傷に浸りながらただ見つめていた。
なにげなく眺めていた景色でさえ、俺を置いていくようなさみし気な雰囲気が漂っていた。
3.謎と矛盾
次郎にひとみのことを教えてから約8か月後の高校2年の夏休み。突然ひとみから2日後にカフェに行こうと誘われた。だが俺は幼稚園からの付き合い。この誘いが他人によるものだと理解するのに時間はかからなかった。ひとみは俺の予定が入ることも考慮して最低でも1週間前に連絡をくれるし、ひとみはコーヒーは苦手だったはずだ。コーヒーを自慢しているカフェにわざわざ出向く必要もない。この文章の内容はいろいろと俺の知っているひとみとは矛盾していた。そしてこの文章を書いた第3者も見当がついた。次郎だ。いまだに行動しない俺に次郎は苛立ちを覚えたのかそのことをひとみに話したという線が濃厚だった。謎が深まるこの文章とにらめっこをし、夏休みの課題もすべて終わらせてしまったため、誘いには結局乗ることにした。
4.友達としての時間
「昇~!随分と話すの久しぶりじゃない?」
駅で待ち合わせをしていた俺は改札の向こうから走ってこちら側に来ているひとみに顔を向けた。赤と黒のチェック柄の長めのスカートに溶け込むように黒のタイツと半袖のシャツを身にまとい、白色のカバンを片方の腰に提げていた。
「たしかに。いろいろと忙しかったからな。」
元気溌剌なひとみをみて自然と笑みがこぼれる。歩きながらひとみとの空白の8か月間の話題をお互いマシンガントークのように尽きることなく話しているとあっという間に目的地に着いた。予約なしで入れるみたいだったので案内された2人用のテーブルに腰かけた。
注文するや否や、15分ほど待って到着したパンケーキとブラックコーヒーを口に運んだ。ひとみはやはり、チーズケーキやシェイクというような甘いものである。ここはコーヒーの専門店でもあるのに。
やっぱり気になってしまった。
なぜ次郎がひとみに俺を誘うことをさせたのか。
パンケーキとコーヒーはおいしかったがその話題が引っ掛かり、うまく顔に曇りがかかっていないか心配だった。
「おいしかったね!...おいしかった?」
突然の問いかけに一拍後れを取ってしまった。
「...もちろん。また一緒にこよう。」
「やっぱり、何か考え事してるでしょ?」
もうここまでくると言い逃れできなかった。今の友達という関係を壊すことになるかもしれない僕にとっては一触即発の状態だった。
-『でも、友達以上の関係ってのも案外悪くないぜ?』-
いつしか次郎が言っていたセリフが脳内でこだました。俺は思い切って訪ねてみた。
5.彼女としての時間
「なぁ、あの文章...次郎のだよな?」
シェイクがストローに沿って上に運ばれていく動作が止まった。恐らく図星を突かれたのだろう。あわててなにか違う話題にしようか逡巡したが、ここまで来て話題をそらすことも無理があった。
しばらく沈黙が続いた。彼女なりの秘密があるのだろうか、なにか聞いてはいけないことを聞いてしまったか、そもそもこの場所で話すべきじゃなかったか、などいろいろな可能性を考えては頭を振るばかりだった。その時ひとみが沈黙を破った。
「昇、私のこと好きらしいじゃん。」
ドキリという効果音がしっかりと耳に聞こえたような感覚だった。突然早くなる鼓動、紅潮する頬、泳ぐ瞳、ぴたりと時間が止まったように体が動かなかった。怒っているか、うれしいのか、どうでもよいのか、表情を見ればどんな心境かわかったはずのひとみの顔。それを体が拒むように見れないほど顔が上を向いてくれない。結果がわかってしまうということは、恋人かただの友達か伝えられているようなものだからだ。1年前はどちらに転んでもよかった。でも今は1択クイズだった。それ以外の回答は求めていなかった。ひとみが欲しかった。
「次郎君が教えてくれたんだよ。昇が私のこと気になってるって。でも全然そんなこといってくれなかったから冗談なのかなって思ってた。」
好きになった人にまっすぐ好きだって言えれば苦労はしないが、またかわいいところが見えて、自然といつもの俺に戻っていた。
「だから...そういうところが好きなんだよ...!」
思わずぶっきらぼうに言ってしまった。怒っていると思われかねないのであわてて苦し紛れに言い訳しようとしたが、顔を見てほっとした。
「大丈夫。知ってたよ。昇に興味を持った時からずっと...!だから私も...!昇のこと好きだよ...。」
お互い頬を紅潮させ、落ち着くために追加で注文をした。シェイクのお代わりを二人で分け合いながら。課題のことや部活で忙しそうなひとみの話を聞くだけで幸せが積もっていった。気付けば空は一日の終わりを告げるようにゆっくりと傾いていた。
6.小さな幸福
帰り道、俺とひとみは約8か月ぶりに同じ列車に乗って家路についた。やはりまだぎこちない部分はあるが、3日もしないうちに戻るとわかっていた。ひとみは空の端に沈んでいく緋色の夕日をぼんやり眺めている。俺もそれに倣って夕日を目に焼き付けた。数日前までは幼い時にひとみと一緒にいた時間を思い出してしまっため、あまりいい思い出はなかったが、今は違う。
幼稚園の時、一緒に見ていた緋色の夕焼けと何一つ変わらない。そんな夕日に照らされていた俺達も同じように何一つ変わっていなかったのかもしれない。
この幸せがずっと続いて欲しいというひとみの表情を汲み取った。そして同時にこれからも一緒にいてほしいという表情を彼女に向けた。
夏休みが終わり始業式が終わると、真っ先に向かった先はひとみ、ではなく次郎だ。まだ謎は解明していないため、直接聞きに行くことにした。ひとみの話と照合するとどうやら先日の好きという話をひとみにばらしていたらしい。ここまでは推理通りだったが、次郎はその後戸惑っているひとみを止めようとしたらしいが、ひとみもまんざらではなかった様子だったため好きにさせたということだった。ひとみも俺もお互い幼稚園からの付き合いだ。道理でコーヒー専門のカフェに行ったりしたわけだ。次郎は8か月間何もしない俺に痺れを切らしてしまい代わりに行動したということだったから結果オーライということにしておいた。
今日も俺とひとみは同じ列車に乗って夕日を眺めながらなにげない雑談を始めた。
一日の幸福がこの瞬間に濃縮され一層理解度が深まった。きっと。