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第八話  大満月の夜①



             ◇


 ぼくは五歳の時、ルナ姉に命をもらった。


 日本王国にいた人身売買業者に売られたぼくは、ラインハルト王国を拠点に人身売買をしている業者に捨て値で売り飛ばされた。男で魔術の才がないぼくは、タダ同然の価値しかなかったらしい。それを捨て値とはいえ、買ってくれたと日本王国側の業者は喜んでいた。


 ラインハルト王国に来た後の扱いは、酷いものだった。不衛生な地下の牢屋に入れられ、食事は一日一回カビの生えたパンと、味のないスープだけだった。牢屋の中は、ネズミが住み着き、ネズミがしたフンにはダニが大量に発生し、ぼくの体を這い上がっていた。匂いも酷いものだった。でも、ぼくはそんなことよりも、空腹で目の前に置かれたカビの生えたパンを食べることに必死だった。パンは置かれた瞬間ネズミが群がるため、ぼくはネズミを払い除けながらカビの生えたパンを掴み口に放り込む。そんな毎日だった。ぼくはネズミと一緒だった。


 牢屋がある地下には、毎日小さな子供が連れてこられた。泣き叫び殴られて気を失う、その連続だった。


「おい、あのガキ、餓死しちまったぞ」

「何日も食いもん拒否してたからな、仕方ねぇだろ、ボスが来るまでに片付けとけよ」


 そんな会話が聞こえてきて、ぼくは恐怖で頭がおかしくなりそうだった。ぼくもいずれああなるのかと思うと、パンが喉を通らなかった。


 不衛生な牢屋にいるからか、カビの生えたパンを食べ続けているからか、ぼくは次第に衰弱していった。体が動かない。目も霞んできた。ネズミが何かをかじる音だけが聞こえてきた。ぼくはその音のほうを見た。ネズミはぼくの足をかじっていた。ネズミも生きていくために必死なのだろう。体が動かなすぎて足をかじっているネズミを払い除けることも出来なかった。


「……ああ、ぼくは……死ぬんだね……」


 ぼくは、死を悟った。次生まれ変われたら幸せになりたいと願った。


「……なんだ、貴様ら、ぐわぁ……」


 牢屋の外から、男の叫び声が聞こえてきた。それと同時に、ざぁっざぁっざぁっざぁっ、階段を駆け降りる無数の足音が聞こえてくる。


「ラインハルト王国国王直属治安維持部隊だ、人身売買の容疑で貴様らを拘束する、大人しく投降しろ!」


 ぼくは動かない体に鞭を打ち、顔だけを声の方に向けた。牢屋の外には、五人の赤い軍服を来た男たちが立っていた。軍服の男たちは、地下の奥の方を見ている。恐らく人身売買の奴らが奥にいるのだろう。軍服の男三人が奥に走っていった。すぐに爆発音と男たちの悲鳴が聞こえてきた。ぼくはこれでもう辛い思いをしなくていいと、体の力が抜けていくのを感じながら思った。顔を上げる力もない。


「あなた、大丈夫?」


 ぼくを呼ぶ声が聞こえた。だけど、さっきいた軍服姿の男の声じゃない。小さい女の子の声だ。


「ルナマリア様、向こうの牢屋に子供はいませんでした」

「わかりました、そのまま奥に進み容疑者を拘束してください」

「はっ!」


 軍服姿の男は、女の子の指示を聞くと奥へと走っていった。


「もう大丈夫だからね」


 ぼくは最後の力を振り絞り、顔を女の子の方に向けた。その瞬間、ぼくは目を見開いた。そこには女神様がいた。眩しいほどの後光がさして顔は見えない。女神様は牢屋の柵の間から、ぼくに手を差し伸べてきた。ああ、この手を取れば全てから解放されて天国に行けるんだ、とぼくは女神様の手を取り、今までの苦痛を忘れるくらいの幸福感を感じた。ぼくは女神様の手を掴んだまま、全身のチカラが抜けていった。



   ______________________




「この子の容体は?」

「幸いにも命に別状はありません、重度の栄養失調と感染症が見られますが、治癒魔術ですぐに完治するでしょう」

「そう……よかったわ」


 誰か話してる、


 (容体?栄養失調?天国にもお医者さんっているんだな)


 と、思っていると誰かがぼくの頬に手を当ててきた。


「ん、んん……誰?」


 ぼくは目をうっすら開けてまだボヤけている視界で視線の感じる方を見た。


「目を覚ましたのね、ここは安全なところだから安心しなさい」


 うっすら開けていた目に眩しい光が入ってきたが、今度はハッキリと顔が見えた。ピンク色の髪を肩まで伸ばし、すごく整った顔立ちエメラルドグリーンの綺麗な瞳の、ぼくより少しお姉さんな女神様が頬を摩ってくれていた。


「女神様……ありがとうございます」


 ぼくは、女神様を見るや頬を摩ってくれている手に自分の手を重ね、目から一筋の涙を流し目を閉じ、眠りについた。


「め、女神様?この子、誰と勘違いしてるのよ!」


 女神様は顔を真っ赤にしてたじろいだ。


「はっはっは!ルナマリア様、彼はきっと自分が天国にいると思っているのでしょう」


 治療に当たった医師が笑いながら、女神様に言った。


「はぁ、勝手に死んでんじゃないわよ、こら、起きなさい!」


 女神様はぼくの体を大きく揺すって起こそうとした。


「ルナマリア様、いけません!傷に障ります」

「このまま本当に起きなかったらどうするの?」


 医師に羽交い締めにされ、ぼくから引き剥がされた。ぼくはスースーと寝息を立てて眠っていた。


 ぼくとルナ姉の初めての出会いである。



              ◇


「………様、修吾様!」


 車の窓に体を預け、ヨダレを垂らしながら寝ていた修吾は、運転手の呼びかけで目を覚ました。


「う、う〜ん、あぁ、すみません、寝てしまいました」


 目を擦り、ヨダレを制服の袖口で拭きながら体を起こす修吾。ふと窓越しから外を見るとそこは見慣れた屋敷だった。


「修吾様、屋敷に到着いたしました」

「お疲れのようですね、何回か呼びかけたのですが、なかなか目を醒さなかったので」


 運転手は、微笑んで修吾を労った。修吾は苦笑いしながら、


「今日は初めてなことばかりでしたからね」


 運転手がドアを開け、修吾は車を降りた。


「送迎ありがとうございました」

「いえ、修吾様を安全に送り届けることが出来て幸せでございます」


 運転手は深々と一礼した。修吾は一礼している運転手を見て踵を返し、玄関先へと歩いて行った。


 修吾は歩きながら、車の中で見ていた夢について考えていた。見ていた夢はルナマリアと出会ったときのものだった。


「あれから八年か、早いな……」


 見ていた夢を思い出しながら、玄関先まで来た。大きな玄関扉の取っ手を引き開ける。いつもならメイドの誰かが中から開けてくれるため、玄関扉を押す力はそれほど要らなかったが、今日はずっしりと重く全身を使って扉を押した。時間的にも帰ってくる時間ではなく、メイドや執事の人たちも忙しいのだろう。


「ただいま〜」


 中に入り玄関の扉を閉めて振り返ると、ルナマリアの母マリアンヌが修吾の帰りを待っていた。ルナマリアと同じピンク色の髪を肩まで伸ばしている。スタイル抜群でお淑やかな雰囲気な大人な女性だ。マリアンヌはエメラルドグリーンの瞳を潤ませて修吾を見ていた。


「おかえりなさい、修ちゃん」


 マリアンヌが修吾の帰宅を歓迎した。マリアンヌの姿を見た修吾は手に持っていた鞄をその場に落とし、履いていたローファーを脱ぎ散らかしてマリアンヌの元にかけていき抱きついた。


「マリアンヌおばさん……お弁当忘れて……ごめんなさい……」


 修吾はマリアンヌの胸に顔を埋めながら、涙声で謝罪した。マリアンヌは修吾の頭を、お弁当を作ったときに負った絆創膏だらけの手で優しく撫でた。


「良いのよ、お弁当は学院長からもらったみたいね」

「うん、お弁当………おいしかったよ……」


 修吾の抱きつく力が強くなった。マリアンヌは微笑みながら涙を流した。


「そう……良かったわ……作った甲斐がありましたね」


 マリアンヌは、修吾の頭をそっと優しく撫で続けた。



              ◇



 掃討作戦の会議が終わったルナマリアは、一度自分の教室に戻っていた。会議で配られた資料に目を通し、作戦の流れ配置等を頭に叩き込んでいた。失敗出来ない。


 (ジェネシスへの救援要請を提案します)


 ナターシャのこの言葉が、ルナマリアの魔術師としてのプライドに火を付けた。


 確かに、ジェネシスが来れば安全に作戦は遂行できるだろう。しかし、それではダメだとルナマリアは考えていた。


 魔術師団『インペリアルガード』は、よくジェネシスと比べられていた。


『インペリアルガードは各国の王子王女が集まる娯楽集団だから、ジェネシスに敵うはずがない』

『戦果を挙げていると言っても、ジェネシスが担当しない低級の魔物レベルしか倒してないじゃないか』


 ジェネシスは基本魔人相手に戦っている。ルナマリアたち『インペリアルガード』に依頼されるのは、魔物の討伐もしくは低級の魔人くらいだ。過去に三回低級の魔人を討伐したが、ルナマリアたちの被害は甚大だった。八十人編成で挑んだときは三十人が死亡、二十七人が重傷という悲惨な結果になった。なんとか魔人は倒せたが、『インペリアルガード』のメンバーの中には、二度と魔人とは戦いたくないと言い出す者もいた。


 だからこそ、今回の作戦は必ず成功させなければならなかった。『インペリアルガード』の汚名を返上するために。


「必ず……成功させてみせる」


 ルナマリアは決意に満ちた眼差しで資料に目を通した。


「……ルナ」


 教室の後ろの出入口から声が聞こえて、ルナマリアは振り向いた。ジェイクが立っていた。


「いよいよだな……」

「うん……絶対成功させようね」

「ああ……」


 ルナマリアは机の上で両手を組み、ギュッと強く握り込んだ。ルナマリアが緊張していることを察したジェイク。


「……ルナ、こんなときにどうかと思うんだけど……」

「?……どうしたの?」


 ルナマリアが不思議そうに見ていると、覚悟を決めた表情をするジェイク。


「作戦が成功して、無事に戻ってきたら………二人で遊びに行かないか?」


 ポカンとするルナマリア。ジェイクは顔を真っ赤にして俯いた。すると、ルナマリアがプッと笑った。


「あははは、本当にこんなときにだね!あはは、お腹痛い」


 ルナマリアはお腹を抱えて笑っている。ジェイクはムッとした表情をした。


「そ、そんな笑うことないだろ」


ルナマリアは笑い終わると、ジェイクの方を真剣な表情で見つめた。


「ありがとう、私の緊張を解くために言ってくれたんだよね」

「え、あ、……うん」


 ジェイクは、ルナマリアに考えがバレていて動揺した。


「……作戦が成功したら……二人きりで遊びに行こう!」


 ルナマリアは笑顔で、ジェイクに返事をした。返事を聞いたジェイクもまた笑顔を返した。


   _______________________



 ジェイクとルナマリアが西側の校門に向かうと、すでに全員が集まっていた。美春が駆け寄ってきた。


「二人とも遅いよ〜、何?二人で作戦前にイチャイチャしてたの?」

「イチャ………そんなんじゃないわよ、美春のバカ」


 集まっている全員が二人のやりとりを見て笑っている。みんなの緊張が解けた証拠だった。


「この雰囲気なら、大丈夫だな」


 ジェイクがルナマリアに小さい声で話しかけた。ルナマリアはみんなを見て笑顔で話している五、六年生や、応援で来た治安維持部隊の人たちの笑い声を聞いた。


「そうだね、必ず成功させなきゃね」


 ルナマリアは両手を強く握り込んだ。


 ナターシャは、後方支援を担当するガルドと資料を見ながら打ち合わせをしていた。そんなナターシャをルナマリアは見つめていた。ナターシャのあの発言が気になっていたからだ。


 ルナマリアがナターシャを見ていると、時間になったのかジェイクが校門の下に移動した。


「本作戦に参加するみなさん、いよいよ出発の時間になりました、私たちは今日本作戦を成功させ、必ずここに戻ってくるでしょう」


 ジェイクは真剣な眼差しでみんなを見回し最後にルナマリアを見た。


「だから、俺からはこの言葉を送ります」


 全員が静まり返る。ジェイクは唾を飲み込んだ。


「みんな死ぬな!全員生きて帰ろうぜ!」


 ジェイクが右手を上にかざすと、習ってみんなも右手を上げ、


「おーー」


と、みんなは雄叫びを上げた。ジェイクのみんなを鼓舞する姿を見ていたルナマリアは、目が離せず頬を赤らめて鼓動を高鳴らせていた。


 作戦に参加するみんなは、西側校門外のロータリーに並んでいる治安維持部隊が用意した軍事用車輌に次々と乗り込んでいった。満員になった車輌から出発していく。ルナマリアたちは出発する車輌を見送りながら、自分たちが乗る車輌を待っていた。

 

 ルナマリアはさっきのジェイクのみんなを鼓舞する挨拶を見て、ジェイクがカッコいいと思い少し惹かれているのを感じていた。今まで感じていなかったジェイクへの想いが芽生え始めていた。


「ルナ、俺たちが乗る車輌が来たぞ」


 ジェイクがルナマリアを呼ぶ。美春はすでに乗り込んで一緒に乗っているナターシャにちょっかいをかけていた。ナターシャはウザ絡みしてくる美春を無視して資料を見ていた。


「必ずここに戻ってくる」


 ルナマリアは学院の校門を見ながら、決意の言葉を小さく呟いた後、車輌に乗り込んだ。


 ルナマリアたちが乗った最後の車輌が、戦場に向けて走り出した。



              ◇


 

 ルナマリアたちが学院を出発する三十分前。



 修吾は、屋敷の敷地内にあるメイドと執事の社宅にある自分の部屋にいた。


「えっと、財布は持ったとハンカチとポケットティッシュも……大丈夫」


 出掛けるためリュックに用意したものを詰め込む修吾。部屋の小さい玄関先で靴を履く。施錠してある扉を開け外に出た。左手にした腕時計は十四時半を示していた。


「ちょっと急いだ方良いかな」


 修吾の部屋があるメイドと執事の社宅は、屋敷の北西方向にある。屋敷と社宅は大体200m離れている。毎日屋敷に行くときは裏に回って勝手口から入っている。


 今日も修吾は、かけ足で屋敷の裏に回り勝手口から入った。屋敷に入った修吾は、靴を脱ぎちょうどルナマリアの両親がアフタヌーンティーを楽しんでいる食堂に顔を出した。


「おお、修吾」

「修ちゃん、もう行くの?」

「うん、出掛けてきます」

 

 ルナマリアの両親に挨拶した修吾は、マリアンヌからクッキーをもらった。


「マリアンヌおばさん、ありがとう」

「修ちゃん、気をつけてね」

「修吾、気をつけてな」


 クッキーの入った包みをリュックに入れた修吾は、食堂を出るとき立ち止まった。


「おじさん、おばさん、行ってきます」


というと、走って勝手口に向かった。靴を履いた修吾は、勢いよく勝手口を飛び出し走って王宮方面に走って行った。


 その様子を食堂で見守っていたルナマリアの両親はお互いに寄り合い、ルーベルクはマリアンヌの肩を抱いた。


「………修ちゃん」

「修吾……ルナマリアを頼んだ




              ◇



         グランベルク市中央部。


 ルナマリアたちを乗せた軍事用車輌が市中央部の真ん中にある噴水の前に到着した。街の景観とは、不釣り合いなゴツゴツした巨大な車輌のドアが開き、白い軍服を着たルナマリアと美春、黒い軍服姿のジェイクが降りてきた。降り立つと、白いスカートが空気を含みフワッと膨れた。


 市の中央部は静まり返っていた。人一人いない。それもそのはず、すでにルナマリアが到着する一時間前に、市民の避難は完了していた。普段噴水の周りには、親子連れや休憩しているサラリーマン、キッチンカーなどがいて賑わっているのだが、今は何ひとつない。あるのは、時間になると噴き上がる噴水だけだった。


 噴水前に集合するルナマリアたち。春のこの時期としては珍しく冷たい風が吹き付けてルナマリアの頬を叩いた。


「さむっ」

「こんな冷たい風が吹くなんて珍しいね」


 ルナマリアが寒そうに両腕で体を抱き抱えると、美春が灰色がかった薄曇りの空を眺めて言った。空は不気味に濃い灰色の雲に覆われ始めていた。


「なんか嫌な曇り空だね、やな事起きそうな予感」

「やめてよ、美春……」

「冗談だよ!」


 美春の予言じみた言葉にビビるルナマリア。ビビった表情を見て、美春は苦笑いしながら謝った。

 二人は噴水の縁に座った。これから始まる戦いに不安がないわけではないが、なぜかわからないが上手くいく自信があった。


「二人とも、いよいよだな」


 黒い軍服姿のジェイクが話しかけてきた。出発前校門でみんなを鼓舞した凛々しい表情のジェイクは、今二人の前には居らず、どこか不安な表情を浮かべていた。みんなの前では、作戦のリーダーを装っていたが実際は怖くて不安でたまらなかった。俯き手を震わせているジェイクを見て、ルナマリアが声をかけた。


「……ジェイク、大丈夫?」

「ごめん、ルナ……実は…怖いんだ。みんなには、偉そうに生きて帰ろうなんて言ってたくせに、俺は逃げ出したくて仕方がないんだ」


 そんな恐怖で戦いから逃げ出したくてなっているジェイクの震えた冷え切った冷たい手を、ルナマリアはそっと両手で握った。


「……ジェイク、私も怖いよ。もしかしたら死ぬかもしれないって思うと逃げ出したいって思ったときもあったよ。でもね、私たち三人がいれば大丈夫だよ。今までだって世界中飛び回って魔族を倒してきたじゃん、だから大丈夫。必ず成功するよ」


 ルナマリアのジェイクを思う言葉は、彼の恐怖に染められた表情と心を浄化していった。次第に表情がいつもの自信に満ち溢れたジェイクに戻っていく。


「ちょっとジェイク、しっかりしなさいよ!将来の奥さんがこんなに想ってくれてるのに、アンタがしっかりしなくてどうすんの!」


 美春がバシッとジェイクの背中をおもいっきり叩いた。その衝撃でビシッと背筋が伸びたジェイクは、手を握り続けているルナマリアを優しい眼差しで見つめた。


「ありがとう、ルナ。もう大丈夫!俺たち三人なら必ず成功できる、俺もそう思うよ」

「ジェイク……」


 二人は見つめ合った。そんな二人を見て、美春はいたずらっぽく、


「ヒューヒュー、お熱いねお二人さん。ラインハルトとアームストは将来安泰だね!」


 と、二人を茶化した。二人はお互いを見て顔を真っ赤にして顔を逸らした。二人の鼓動は速くなる一方だった。


「ちょ、美春……そんなんじゃないわよ!」


 耳の先まで真っ赤にして、美春に否定するルナマリア。そんな三人の様子を見て、他の作戦参加者の笑い声が街中に響き渡っていた。一人の少女を除いては……。


「アンタたち、もうちょっと緊張感持ちなさい。今日は大満月の夜よ、何が起こるかわからない」


 三人の元に近づいてきた背丈に似合わない白衣を着た少女、ナターシャは不機嫌そうに三人を注意した。時折、吹き付ける風によってナターシャの長すぎる丈の白衣がたなびいて、体がもっていかれそうになる。それを足で白衣の裾を踏みなんとかその場に留まった。


 まだ、日は高く明るかったが雲の切れ間から半透明のいつにも増して大きな満月が、こちらを見ていた。胸騒ぎがする。ナターシャはなんとも言えない不安に駆られていた。


「こっちで、マナの数値は順次計測してるけど、万が一魔人が発現したら、連絡して」


 ナターシャは、ワイヤレスイヤホンをその小さな耳に着けて言った。三人は支給されたイヤホンを取り出した。


「ええ、わかったわ」


 ルナマリアは耳にかかっていたピンク色の長い髪を掻き上げてイヤホンを装着する。


「ルナ、聞こえるか?」

「ええ、聞こえるわ。美春は?」

「オッケー、バッチリ聞こえるよ!」


 三人はお互いがイヤホンの動作確認をした。イヤホンは右耳だけにし、左耳で外の音を取り入れる。両耳にイヤホンをして音楽を聴くのとは、わけが違うため片耳だけというのは違和感を覚える。確認を一通り終えると、ジェイクが作戦の再確認をしてきた。


「よし、作戦の流れを確認するぞ。中央部を担当する俺たちは北側をルナ、南側を美春、そして、西側を俺が受け持つ。残りのメンバーが東側を担当する」


 ジェイクは手に持っている市中央部の見取り図を見ながら、的確に配置や指示事項をわかりやすく伝えていく。さっきまでいた自身を蔑んでいた弱気な王子はもうそこにはいなかった。


「各自、発現した魔族を掃討全滅を確認後、この噴水前に帰還してくれ」


 ジェイクを囲んでいる全員に聞こえるように、力の入った大きな声で伝えた。


「ガルドさん、西部と南部の部隊はどうなっていますか?」


 ジェイクは、噴水の縁に座って、ワイヤレスイヤホンで他の部隊と連絡を取っている大きな筋肉質な男ガルドに確認する。


「王子、西部の部隊は準備が整いすでに作戦を開始しています。南部はもうまもなく作戦を開始するでしょう」


 西部と南部の部隊は、学院の五、六年生と治安維持部隊が担当している。西部と南部も膨大なマナ溜まりになっているが、中央部に比べれば半分以下だ。とはいえ、大満月の影響で上級の魔物が発現する可能性があるが、五、六年生と治安維持部隊の編成なら問題ない。それに比べ中央部は過去に類を見ないほど、膨大かつ濃いマナが溜まっていた。いつ魔人が発現してもおかしくない状況だった。だからこそ、ジェイク、ルナマリアと美春が担当することになった。


「よし、俺たちも行こう!だが、無理はするな、危ないと判断したら距離を取り連絡してくれ!」

「了解!」


 ジェイクの言葉に、その場にいた全員が返事をした。

「ルナ、頑張ろうね!」

「うん、美春も気をつけてね!」


 ルナマリアと美春はお互い顔を見合わせ頷いた。何が起こるかもわからないこの状況で、二人励まし合うことで恐怖心を少しでも和らげようとした。


 その様子を見ていたジェイクが、二人に歩み寄りそっと二人の肩に手を置いた。お互い見合わせていた顔をジェイクの方に向けた。


「ルナ、橘行くぞ!」

「うん!」

「どんとこ〜い」


 三人はそれぞれ担当する方角に体を向けた。この戦いが始まればもう後戻りは出来ない。それぞれ各方角に進めば一人で戦うことになる。少しでも状況を見誤れば、確実に死が待っている。


「お父様、お母様、私必ず生きて帰ります」


 少し薄暗くなってきた空の、雲の切れ間から見える半透明の空の向こうが透けて見えていた大満月が、徐々に不透明感を増していき空の色に染まっていたのが赤く浸食されていく。


 不気味に変化していく大満月を見上げながら、王宮にいる両親に誓うルナマリア。その大満月を見る眼差しには、不安や恐怖はなかった。



 ただ一つだけ………。俯くルナマリア。



「………修吾」

「……私が死んだら……修吾が一人になっちゃう……。 だから、死ねない」


 ルナマリアは自分が死んでいなくなったら、修吾が一人になってしまうのを、心配していた。ずっといつも一緒だった修吾を置いて、死ぬのが堪らなく嫌だった。


 いずれルナマリアは許嫁のジェイクと結婚して、修吾の元を離れることになる。国のためだから仕方がない。


 常に修吾の将来を考えているルナマリア。学院に入学させたのも、修吾にはいろんな人たちと、友達になって話ししたり遊びに行ったりして欲しかったからだった。自分の元から離れていくのは寂しいし嫌だが学院生活を送って、一人でもやっていけるようになることを望んでいた。


「各員、作戦開始!」


 ジェイクの気合の入った声に、ルナマリアは修吾のことを考えていた思考世界から現実世界に呼び戻された。


 (今は目の前のことに集中しないと……)


 ジェイク、美春と他の人たちはすでに担当する方面に出発していた。ルナマリアはその場で直立に立ち、目を瞑り深呼吸した。心の中を無にする。周りを漂うマナの流れを感じとる。マナ溜まりの中なのか、足元に漂うマナが足を這い上がりやがて、ルナマリアを覆い尽くし体に吸収されていった。普段ではあり得ないくらい力が漲ってきた。


「これなら、いける!」


 瞑っていた目を開いたルナマリアは、自分が担当する北側に向けて駆け出して行った。


 


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