第三話 入学式
なぜ、こうなった………。
ぼくは今、乱れたシャツと上着のブレザーを恥ずかしそうに整えているルナ姉の右横で、正座している。頭には巨大なタンコブが二つ。そして、ぼくの右隣には同じく頭に巨大なタンコブを二つ乗せている橘美春が正座している。美春は黒髪で長さは顎くらいまでのちょっとボーイッシュな感じだ。肌は少し焼けているので活発な印象を覚える。ぼくは、あの鬼のようなルナ姉を簡単に無力化した美春を「師匠」と呼ぶことにした。
ことの発端は、師匠がルナ姉の胸を背後から襲い制圧したことにより、周囲にいた男子生徒達の首を垂れさせる形で行動不能にした。それを見ていた女子生徒の一人が風紀委員に通報、現在に至るというわけだ。
「橘美春さん、あなたと言う人は公衆の面前でルナマリア王女様のむ、胸を……ジュルジュル……揉むなどと……羨ましい……じゃなかった……品位に欠けています」
ジュルジュル?羨ましい?なんかこの女の風紀委員も相当ヤバいぞ。ぼくは横で正座している師匠を見ると、風紀委員の説教にシュンっと反省の色を見せて背中を丸めている。
師匠の様子を見た後、今度はルナ姉の方を見上げた。乱れた服を整え終えたルナ姉はぼくと目が合うと殺し屋のような眼光で、ぼくを見てきた。ぼくは思わず、「ひっ」と肩がビクッとなって縮こまった。
「なんでぼくまで………」
ぼくは不貞腐れて頬をプク〜っと膨らませて呟いた。それもそのはず、ぼくの頭に乗っている二つのタンコブはルナ姉によるゲンコツだったからだ。師匠は風紀委員の人に取り押さえられる時に抵抗したため、頭を殴られたから仕方ないのだが、ぼくはただ見ていただけだった。師匠が取り押さえられ、ルナ姉から引き剥がされた後、すかさずルナ姉がぼくの方に振り返った。
「しゅ…修吾、黙って見て……ないで助けな…さいよね」
そう言うと制服とシャツが乱れ顔を赤らめ息が上がっているルナ姉は、ぼくの頭にゲンコツを二発落とした。
そういった経緯で納得していない修吾は、不貞腐れた表情で再度ルナマリアを見上げた。ルナマリアは毛先を指先にクルクルと巻き付けながら、
「アンタ、美春が男だったとしても黙ってみてたわけ?」
と、修吾を横目で見ながら小声で言った。
「は?そんなのその男の四肢を引きちぎってぶち殺すに決まってるじゃん」
修吾は当たり前のように真顔で答える。ルナマリアは、ヒッとたじろぎドン引きした。
「真顔で何てこと言うのよ、アンタ」
「ルナ姉を守るのが、ぼくの役目だからね」
修吾は立ち上がりながら、ふんっと鼻息を鳴らしてドヤ顔で答えた。
橘美春は風紀委員の人に連行された。
「ルナ〜、また後でね」
「しっかり反省してきなさいよ」
美春は風紀委員に首根っこを掴まれて、引きずられながらルナマリアに約束をする。
「師匠ってルナ姉の友達?」
修吾は連行される美春を見ながら聞いた。
「美春のこと?初等部の時からクラスが一緒よ」
「へぇ〜、良い人だね」
ルナマリアはポカンとした顔で修吾を見た。
「アンタ、人を見る目あったんだ」
「それくらいあるわい」
修吾のツッコミに、ふふっと笑みを浮かべるルナマリア。修吾はプイっとそっぽを向いて不貞腐れた。
「ルナマリア王女様と気安く喋るとは……あの方が許すはずがない、報告しなければ」
修吾とルナマリアの30m後方を歩く男子生徒が、修吾を憎たらしく見ながらブツブツと呟いていた。
そんなこんなしながら、校舎入り口に着いた二人は校舎の中に入り、
「じゃあ、修吾ここからは別々だから、がんばりなさいよ!」
「う、うん」
修吾に声をかけるとルナマリアは左の三年棟に向けて歩き出した。修吾はルナマリアの後ろ姿を少しの間見た後、踵を返し右の一年棟に向かって歩いて行った。
イグドラシル魔術学院は初等部、中等部、高等部と区分されているが各六学年制になっている。初等部は七歳から六年間、中等部は十三歳から六年間、高等部は十九歳から六年間と、実に十八年間学院に通うことになる。
初等部は基礎魔術の学習、中等部は応用魔術の学習と実践、そして学院の外での魔族の討伐訓練がある。高等部になるといろんな分野に分かれて研究や魔術師として討伐に出向いたりする。
ルナマリアは初等部は常に主席で中等部も主席だ。超絶美人で頭がめちゃくちゃ良いのだが、初等部の時は友達はあまりいなかった。王女だからか、神聖視されていて近寄り難い存在になっていた。唯一話しかけてくれたのが美春とジェイクだった。美春は朝会うと挨拶代わりに抱きついてきた。王女だとか関係なくタメ口で話しかけてくれた。そんな美春には素の自分を出せていた。
ジェイクは許嫁ということもあって学院以外でも話す機会があったが学院に入ってからすごく増えた。ジェイクは常にルナマリアのことを気にかけてくれる優しい人。そんな優しさがルナマリアは嬉しかった。
ルナマリアの周りには常にジェイクと美春がいた。そのせいか中等部に入ってからは、他のクラスメイトも話しかけてくれるようになり、少しずつ友達が増えていった。ただ、友達が増えて嬉しいルナマリアだが、学院にいるとき美春やジェイク、クラスメイトと話している時ですら、屋敷にいる修吾の心配をしていた。学院にいるときは、修吾と離れているから心配で仕方なかった。
しかし、今日からは違う。修吾も同じ学院にいる。近くにいる。それだけでルナマリアは嬉しい気持ちになった。三年棟に向かって歩き出したルナマリアは立ち止まり、踵を返し振り返ると一年棟に向けて歩いている修吾を見えなくなるまで見送った。ルナマリアは自然と笑みを浮かべていた。
修吾は一年棟のある校舎に入り、自分の教室に向かっていた。廊下にはそれぞれグループを作って談笑している生徒がチラホラ見えた。その中を一人進んで教室に向かう。教室の入り口の前まで進むと、恐る恐る教室の中を覗いた。教室には五人くらい固まってはしゃいでいる生徒達、一人で読書している生徒、机に突っ伏して寝ている生徒と入学式までそれぞれ自由な時間を過ごしているようだ。
修吾は教室に入り、黒板に貼られている座席表を見た。
「ぼくの席は、窓際の一番後ろかぁ」
自分の席を確認した修吾は、踵を返し指定された席に向かう。カバンを両手で抱えてオドオドしながら並べてある机の間を縫って自分の席まで向かった。
「はぁ〜」
席に座った修吾は、大きなため息を吐いて机に突っ伏した。修吾は今の今までルナマリア以外の歳の近い子と接したことがなかった。同い年の子とどう接したら良いのかわからず、挙動不審な態度になってしまっていた。修吾の緊張の理由である。
そんな理由で、机に突っ伏してこれからの学院生活どうしようと考えていると、
「ねぇ、キミ見ない顔だね、新入生?」
突然、後ろから肩をトントンと叩かれた。修吾はビクッと肩を震わせすごいスピードで起き上がり後ろを振り向く。
そこには、肩まで伸びた青い髪の女の子が立っていた。
「う、うん」
修吾はオドオドしながら答える。
「へぇ〜、そうなんだ、キミ名前何て言うの?」
「ぼく?神名……修吾……」
「神名くん、ていうんだ、これからよろしくね、あ、私はリノア・オーベルンだよ」
リノアは修吾の名前を聞き、自分も自己紹介した。
「リノア……ちゃん」
修吾がリノアのことをちゃん付けで呼ぶと、リノアは顔を少し赤らめ、
「ちゃん付けは……ちょっと恥ずかしいから、リノアでいいよ」
と、修吾に要望した。
「あ、うん、わかったよ、リノア、こちらこそよろしく」
修吾はオドオドしながら答えた。
「よお、リノア、なんだナンパしてんのか?」
教室後方の入り口から教室中に聞こえる大きな声でリノアに話しかける男が入ってきた。
「ケヴィン、おはよ、って誰がナンパですって」
「お友達マスターの得意技だろ、ん?そいつは?」
身長が180cmくらいある赤髪でツンツン頭のケヴィン・アルタートは修吾を指差す。
「神名修吾くん、初等部から進級の私たちと違って中等部から入学なんだって、さっき友達になったの」
「やっぱリノアはお友達マスターじゃねぇか、っと、俺はケヴィン・アルタート、修吾これからよろしくな!」
「う、うん、よろしくケヴィン」
「お友達マスターいうな」
リノアがケヴィンの尻に足蹴りをする。ケヴィンは蹴られた衝撃で、つま先立ちになり身体をエビみたいに仰け反った。修吾は二人のやり取りが面白かったのか、クスクス笑っていた。
「は〜い、皆さん席に着きなさい」
教室の前の入り口からハイヒールをコツコツと音をさせながらスーツ姿の女教師が入ってきた。女教師は黒板中央に設置されている教卓に立つと持っていたファイルを教卓に置いた。
「え〜、今日からこのクラスの担任を務めます、ルビーナ・オルコットです、皆さん一年間よろしくね」
「はいは〜い、ルビーちゃん、今年もよろしく〜
!」
先生が挨拶をした直後に、修吾の二個隣に座っていたリノアが手を上げながら、ルビーナ先生に挨拶した。
ルビーナ先生は右手で額を押さえながらため息を吐いた。
「リノアさん、初等部のときにも言いましたが、先生にちゃん付けはやめなさい」
「え〜、いいじゃん、ルビーちゃんの方が可愛いじゃん!」
「いや、そういう問題じゃなく………はぁ、もういいです」
ルビーナ先生はリノアの自分勝手な言い分に反論しようとしたが、途中で止めた。
「リノアおまえ、自分はちゃん付け嫌がるのにルビーナ先生はいいのな、お友達マスターの名が泣くぜ」
「だから、お友達マスターいうなし」
リノアは、斜め前に座るケヴィンにシャーッと猫のように威嚇していた。修吾は心の中で、ケヴィンの意見に強く賛同した。二人の夫婦漫才にクラスの皆んなが笑っている。
「は〜い、皆さん静かに、あと五分で中等部の入学式が始まります。皆さんは教室でモニター越しに入学式に参加する形になりますので、このまま教室で待機をお願いします」
ルビーナ先生は、そういうと光魔術を唱えて黒板にモニターを映し出した。映像には学院にある礼拝堂の壇上が映し出されている。壇上には豪華な装飾のされた横に長い教卓が鎮座していた。まだ、始まっていないせいか誰もいなかった。モニターの映像が見えるように、ルビーナ先生は教室の窓のカーテンを閉め、明かりを消し始めた。
ルビーナ先生が、明かりを消し終えると同時にモニターの映像から声が聞こえてきた。
『これより、中等部入学式を始めます』
『まず、初めに中等部代表のお二人からの挨拶です』
『中等部三年ジェイク・レクト・アームスト様、同じく三年ルナマリア・アルド・ラインハルト様お願いします』
司会が紹介した生徒の名前を聞いた修吾はモニターの映像に釘付けになった。
「ルナ姉………と、ジェイク・レクト・アームスト………」
修吾はルナマリアの隣に立っているジェイクの顔を見るや、表情が険しくなった。修吾はモニターを睨みつけたまま唇を噛んでいた。
ジェイクはラインハルト王国の南に隣接するアームスト王国の王子だ。身長が180cm近くあり、超絶イケメンで頭脳明晰の天才で魔術師としてもかなりの実力を持っている。
修吾は小さい頃にルナマリアに連れられて行ったパーティーで何回かジェイクを話したことはないが見たことがある。修吾がジェイクを敵視しているのには理由があった。それは、ルナマリアが八歳の時にジェイクと許嫁になったからだ。いつも一緒だったルナマリアが知らない男と結婚する、修吾は幼いながらルナマリアが取られる恐怖心で不安な日々を過ごしていた。ルナマリアがジェイクと許嫁になって一年くらい、修吾はルナマリアが困るくらいべったり離れなくなった。
修吾がモニターの映像を見ていると、二人の挨拶が始まった。
『中等部新入生の皆さん、おはようございます、私達は三年ジェイク・レクト・アームストと』
『同じく三年ルナマリア・アルド・ラインハルトです』
ジェイク『中等部では、初等部で学んだ基礎魔術を
応用した実践的な魔術を学びます』
ルナマリア『そのほか魔術以外にも、体術や武術な
ど魔術が使えなくなった状況でも対応
出来る授業があります』
ジェイク『更に実際に学院の外に赴き、魔族と闘う
戦闘訓練が二年生から始まります』
ルナマリア『そして皆さんに覚えておいてほしいこ
とがあります、それは、戦闘訓練は命
を落とす可能性があるということで
す」
ジェイク『実際に二年生になって、戦闘訓練に出て
命を落とす生徒は毎年数人います』
ルナマリア『だからこそ、皆さんには一年生の間に
自分の身を守れる技術を身につけてほ
しいのです』
ジェイク『自身の身を守れないものは決して魔族に
苦しめられている人達を助けることは出
来ません』
ルナマリア『私達は今魔族に苦しめられている人
達、そしてこれから起こることから世
界中の人達を守る為に魔術師になりま
した』
二人『私達上級生は、新入生の皆さんが立派な魔術
師になれるよう全力でサポートに努めてま
す、だから安心して勉学に励んでください』
二人『この世界の平和のために頑張りましょう』
二人の挨拶が終わると、修吾のいる教室の生徒達が立ち上がり、一斉にモニターの映像の二人に拍手を送っていた。修吾も遅れて立ち上がり弱々しい拍手を送った。拍手が止むと生徒達は席に座った。モニターを見ると、ジェイクとルナマリアがお互い見合い笑顔で話しながら壇上の袖に履けていくのが見えた。その姿を見た修吾は俯いて唇を強く噛んだ。
またモニターの映像から司会の人の声が聞こえた。
『ジェイク様、ルナマリア様ありがとうございました』
『最後に、当学院の学院長ランデル・セイレーン様からご挨拶がございます』
『学院長、お願いします』
司会の言葉が終わると、壇上の袖から司祭のような白い服を着て、銀髪を足まで伸ばした中性的な顔立ちをした男性が歩いてきて壇上に立った。
『ただいまご紹介に預かりました、私が当魔術学院長ランデル・セイレーンです』
学院長は女性の様な澄んだ優しい声で話し始めた。
『重要な話は先ほど、ジェイク君とルナマリア君が話してくれたので、私は別の話をするとします』
『皆さんは、マナについては初等部で勉強されたと思います』
『実は、マナは人の心の影響を強く受けます』
『強い揺るがない意志を持っていると、マナは集まってきます、しかし、不安や恐怖で心が弱っているとマナは拡散していきます』
『どんなに強い魔術師でも、心が弱っていると本来の力を出すことが出来ず命を落とします』
『だから、皆さんには常に強い意志を持ち続けてほしいのです』
『どんなことでも構いません、大切な人、大好きな人を想い浮かべてください、それだけでマナは力を貸してくれます』
『マナに愛される魔術師になってください、私からは以上です』
学院長は挨拶を終えると、修吾の教室の生徒達が立ち上がり拍手を送った。学院長は一礼して壇上の袖に消えて行った。修吾はジェイクとルナマリアのことが気になって立ち上がることはしなかった。
『えー、これを持ちまして中等部入学式を閉めたいと思います』
『この後は、昼休みを挟みまして新入生は教室にてオリエンテーションがありますのでお忘れなく』
司会の人が一礼して袖に歩いて行った。
教室では、ルビーナ先生がカーテンを開け昼の眩しい日差しを教室全体に迎え入れ、明かりを消した。
ルビーナ先生が教卓に立ち、このあとの説明をした。
「今、司会の人が言ったとおり、昼休みを終えたら、教室で今年一年のスケジュールを説明するので、忘れずに昼休み終わったら教室に戻ってくるように」
生徒達は「は〜い」と返事をして解散した。昼ご飯食べるために食堂に行く生徒、教室で食べる生徒、何人かで中庭に行く生徒と行き先は様々だった。
「ねぇ、神名君はお弁当?」
肩まである青い髪の女の子、リノアがお弁当を持って話しかけてきた。リノアの後ろにいるケヴィンもお弁当を持っていた。
「うん、ぼくもお弁当だよ」
「じゃあさ、一緒に食べよ」
「修吾、食べようぜ」
リノアとケヴィンが誘ってくれて、修吾はすごく嬉しい気持ちになった。
「うん、食べよ」
修吾は同意し、机の横のカバンを開けお弁当を取り出す。
「え?な……い」
修吾はカバンを覗いたまま、固まっていた。
「修吾、どうした?」
「お弁当、忘れた……」