溺愛生活は溜め息とともに 【コミカライズ】
草と小石の設定はほぼ同じですが「草と小石のリッチな逃亡生活」とは別の作品となります。
ややこしくして申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
フリージアは安堵の溜め息をついた。
先ほど婚約者から、
「おまえのような無能な女とは婚約を破棄する。せっかく数千人にひとりの祝福持ちだと言うのに、1日に1個小石を出せるだけの祝福だなんて! みすぼらしい! おまえと婚約していたこと自体が恥辱だ!!」
と罵られ、父親からは、
「家の恥だ! 貴重な祝福持ちだから1年間はもしかしたら何かあるかもと様子をみてきたが、1年たっても小石を出せるだけ! おまえのせいで家は社交界の笑い者だ! 今年の成人の儀で公爵家の嫡子も草を生やせる祝福を女神様より与えられて、我が家と同じく他の貴族から蔑まれていたが、まったく嘲笑ものの祝福だ!!」
と罵倒されて屋敷から追い出されたのだ。
「おまえのような恥さらしとは絶縁する。除籍の手続きはもう終わっているからサッサと出て行け!!」
使用人に背中を押され屋敷の門を閉められ、着の身着のままのフリージアは静かに息を吐いた。最悪、家の恥と病死として処分される可能性も考えていたので、除籍ならば大歓迎であった。
実は身の危険を感じていたので、明日にでも家から逃亡しようと服の下には腹巻きのような布を巻いて、そこに大事なものを隠していたのでフリージアは無一文でもなかった。
けれども今日まで伯爵家の令嬢であったものを、いきなり平民落ちはキツイ。1年前の成人の儀から逃亡のための準備と勉強はこっそりしてきたが、外出は侍女を連れて馬車に乗っての移動しか経験のないフリージアは、貴族街で治安は良いとは言えひとりで道を歩くことさえ初めてであった。
頼れる者も庇護してくれる者もいない。
使用人は父親側であったし友人は祝福を受けた後に離れてゆき、親しい者もいない。
味方になってくれるはずの家族も婚約者も……。
フリージアは今日、何度目かの溜め息をついた。
王国では15歳の成人の時、神殿で成人の儀を受ける。
女神が成人を祝って極たまにだが祝福を授けてくれるからだ。確率は数千人にひとりと低いが、それだけに授けられた祝福はとびきり価値のあるものばかりであった。
ある者は、聖女のような治癒魔法を。
ある者は、羅針盤のように正しく進む道を占う能力を。
ある者は、鳥のように空を自由に飛べる魔法を。
あるいは、怪力を、鑑定眼を、能力を、魔法を。人々が尊敬し敬服する力を女神から授けられていたーーーー今までは。
昨年15歳になったフリージアが、まるで役にたたない1日1個小石を出せる能力を女神より授けられた時。誰もが驚愕した。そして女神の怒りをかった故にフリージアは無能な祝福を与えられたと囁かれ、それは次第にフリージアへの嘲りへと変わっていった。
父親は忌々しげな形相で激怒した。
貴族は体面を重んじるというのに伯爵家は社交界から後ろ指をさされ見下された。
怒り狂ってフリージアを虐げ、それは父親だけではなく母親も兄弟も家族全員がフリージアに辛くあたった。
家族はフリージアに寄り添ってくれなかった。もちろん婚約者も。
生活面では使用人がいたので貴族の令嬢として不自由はなかったが、15歳の成人までは愛されていたと思っていた家族から容赦なく見捨てられるのは悲しくて、フリージアの心はひび割れていった。
貴族として生まれたからには家名を傷つける存在は許されない、と心得ていたが15年間の優しい思い出が少しずつ削られていく毎日は苦しくて、身体がチリチリと音をたてて焦げていくようだった。
だからフリージアは伯爵家から出奔できたことに後悔はない。
もし祝福を授けられなかったら、普通の貴族の娘として何事もなく家族と暮らし婚約者と結婚していただろうが、もはやフリージアに未練はなかった。
「頑張れ、私!」
ひとりぼっちの不安で震えそうな身体を叱咤してフリージアは歩き出そうとして、ふと頬に風を感じた。
散る花の名残のような甘い香りを含んだ風だった。
香りをなびかせた舞姫みたいな風は、フリージアの足元に落ちていた花弁をふわりふわり踊るドレスの裾のように持ち上げた。
父親の言葉が脳裏に甦る。
今年成人の公爵家の嫡子、草を生やす祝福、おそらくマムリト公爵家の氷の貴公子として有名なセリアンだと。
親しくはなかったが、茶会で挨拶はする間柄だった。
出席した茶会で祝福を侮蔑されドレスにお茶をかけられたフリージアを、庇ってくれたことがあった。あの時、助けてくれたのはセリアンのみだった。婚約者は他の人々といっしょにフリージアを笑っていたのに。
「どうしよう……」
フリージアは迷った。
セリアンの草を生やす祝福の本当の価値をフリージアは理解していた。自分の祝福の価値を把握していたから。
セリアンにフリージアは教えてあげることができるが、そのためには自分の祝福の使い方を相手に明確にすることになる。
自分を虐げた家族に知られれば利用されるからと、家族との関係を諦めてからは1年間黙ったままだったのに、今度はマムリト公爵家に?
危険だと思った。
セリアンは賢いから自分でいずれ気がつくとも思った。
けれども社交界の冷酷さを知っているフリージアは、唯一助けてくれたセリアンを晒し者にしたくはなかった。自分のように。苛酷な目にあって欲しくなかった。
石畳で舗装された道のはしっこで立ち去ることも動くこともできずに佇むフリージアに、甘い花の香りの風が纏わりつく。
あの茶会の時も、庭から甘い花の香りが漂って来ていた。セリアンが庇ってくれて涙が滲むほど嬉しくて。公爵家のセリアンの無言の威圧があったからこそ、お茶をかけられる以上に酷いことはされずにすんで。
我が身は可愛いが恩は返すべき、とフリージアは気合いを入れた。
「頑張れ、私!」
利用されかけたら逃げ出そう、と決意してフリージアは公爵家へ向かって足を踏み出した。
とことこ歩いていると馬車で通りすぎるだけだった道の景色が、ゆっくりと瞳に映る。
風に吹かれる街路樹のそよぐ音、葉の香り、花の香り。
風がどこからか運んでくるバイオリンの音色、小鳥のさえずり。
風に揺れる影絵のような木々の葉陰、油絵のような花花の色彩。
ひとりぼっちで不安だったことも忘れフリージアは、ゆるやかな水みたいに流れる風に身をおされ景色を楽しんだ。
上機嫌でウキウキと歩くフリージアだが、バチコーン、と目と目があってしまった。
街路樹にとまった大きなカラスと。
どうやらカラスはフリージアのキラキラ輝くガラスの髪飾りをロックオンしたらしい。
「カアッ!!」
研ぎ澄まされた鋭い鳴き声に、びくり、とフリージアの身体が強ばる。
青みを帯びた黒い羽根を広げて威嚇するカラスにフリージアは子猫のように怯えて、ぎゅっ、と目を閉じた。
「大丈夫だよ」
フリージアの前に影ができる。
目を開けると、セリアンがフリージアを庇うように立っていてセリアンの護衛がカラスを追い払っていた。
鴨ネギ! ではなくてグッドタイミング!
伯爵家から除籍されて平民になったフリージアは、もう公爵家のセリアンに堂々と訪問できる身分ではない。
公爵家の門に張り付いてセリアンの外出時に言葉をかけるべきか、と悩んでいたので出会えたことに喜んだ。
「セリアン様」
嬉しさ満面で笑いかけるフリージアにセリアンは、ウッ、と息を呑んだ。可愛いがすぎる。にこにこ微笑むフリージアは、蝶が舞うような甘い風を纏って愛らしかった。
「セリアン様、ありがとうございます。カラスを追い払って下さって。それに嬉しい。セリアン様にお会いしたかったのです。本当はセリアン様ともう言葉を交わせる身分ではないのですが……」
「身分とは?」
「私、婚約破棄をされて伯爵家から除籍されました。平民の分際で図々しくセリアン様にお会いするなんて、無礼討ちされても文句は言えないと思ったのですが、どうしてもお伝えしたいことがあったのです」
「私の祝福とセリアン様の祝福のことで」
真剣な表情のフリージアに、
「道端でする話ではないね。あちらに僕の馬車がある、馬車内で話そう」
と冷静に促すセリアンであったが、脳内では舞い上がるような高揚感でいっぱいだった。
婚約破棄!
家から除籍!
つまりフリージアはもう僕のもの!!
驚異の三段論法で、セリアンの眼が密かな興奮に輝く。フリージアの家を見張らせていた者から、フリージアがひとりで家を出た、と報告を受けて慌てて駆けつけた甲斐があった。
セリアンは子どもの時から大人だった。
才知が優れすぎたのだ。
1を知れば10を理解して100の結果を生み出した。そんなセリアンに近寄ってくる人々の腹の底はセリアンには透けるように見えて、子どもではいられなかった。大人にならざるを得なかったのである。
しかもセリアンは人間とは思えないほどの美貌の主であった。
差し貫く氷の視線と美しく冷たい無表情で「氷の貴公子」と呼ばれることによって、近付こうとする人々を遠ざけていた。
だから草が生やせるだけの祝福も、セリアンには足枷になっていなかった。
他人が同情しようと嘲ろうと見下そうと、どのような感情を向けてこようとセリアンには欠片も響かなかったし、公爵家の後継者である足場も崩れることはなかった。
セリアンにとってフリージアは、最初は前例のない小石という祝福の興味から始まった。
しかし家族や婚約者に冷遇されても恨み言ひとつ言わず、セリアンの美貌にもよろめかないフリージアにどんどん惹かれていった。
とうとう先日の茶会で恋を自覚したセリアンは、フリージアを冷遇するならば奪ってもいいよね、と悪辣な手筈を整えているところであった。
まさに鴨ネギ! 美味しくいただきます、とセリアンは馬車の扉をパタンと閉めた。
黄金の象眼が施された精密な装飾飾りの豪奢な馬車が滑らかに動き出す。周囲を騎士服の護衛の騎馬が油断なく取り囲む。左右と後尾、等間隔で乱れなく騎馬は進み、先行の騎士はセリアンの指示により馬車から離れ、マムリト公爵家へ馬を走らせていた。
「あの、セリアン様。セリアン様は私の祝福をご存知ですよね?」
カタゴトと揺れる馬車内で対面に座るセリアンにフリージアは尋ねる。すでに自分の祝福の内容を打ち明けようと覚悟を決めているので淀みが無い。
「小石のこと?」
「はい、小石です。でも石って色々な種類があるのです。そして知識と経験と鑑定する目を所有する人が視れば、ただの綺麗な石も宝石という名前を持つのです。それに私の出す石は形も思うがままにできるのです。もっとも訓練して最近ようやく可能になったのですけど」
「つまり石は石でも単なる石から宝石まで幅広く出現させられる?」
「はい。宝石の原石を家族に渡したこともあったのですけど、汚い黒色の小石だと棄てられてしまいましたが……」
フリージアが言わんとすることを100を悟る頭脳のセリアンは少し考えただけで、たちまち自分の祝福を理解した。
「そうか。僕の草を生やせる祝福も雑草から貴重な薬草まで、そうか、草は草だものな。そうか、雑草も需要はあるか。王都ならば価値はないが、荒地ならば? 家畜は草を食べる、荒地は牧草地に早変わりだ」
セリアンは対面からフリージアの横にさりげなく移動して、柔らかな手をとった。
「ありがとう、自分の祝福を告白するのは勇気がいっただろう」
フリージアは控えめに首をふる。少し目元が赤い。家族と婚約者以外に手をつないだことがなかったので男性に免疫がないのだ。
「セリアン様の素晴らしい祝福が蔑まれるなんて我慢ができませんでした」
セリアンは身震いした。
僕を純粋に心配してくれて、気遣ってくれて。
本当にどうしてくれよう。
愛しい愛しい、愛しさの余り可愛さが限界突破だ。今すぐ結婚したいよ。
セリアンはフリージアの手を更に力を込めてぎゅっと握った。
「フリージア。フリージアと呼んでいい?」
氷の無表情が決壊して、セリアンの表情が蕩ける。
「好きだよ、フリージア。愛している。僕と結婚してくれないかい?」
このセリアン様っぽい方はどなたなの?
「氷の貴公子」である無表情のセリアンしか知らないフリージアは、驚きに声も出ない。
「条件としては僕は最高だよ? 公爵家には金がうなっているからフリージアの宝石を利用したりしない。それどころかフリージアを利用する者から公爵家の権力で守ってあげられる」
「身分も心配ないよ。そうだな、叔父の侯爵家に養女として入って、ああ、両親もフリージアを大歓迎するよ。僕はまったく結婚する気がなかったから、涙を流して喜ぶだろう」
「公爵夫人としての仕事は僕が全部するから大丈夫。社交もしなくていいよ。誰にも文句は言わせないから安心して?」
「フリージアは僕の隣でただ幸福になってくれればいいんだよ」
優しく激しくこいねがうセリアンに、フリージアは精一杯言葉をはさむ。ここで抵抗しなければ結婚秒読みの怖さがあった。子猫が爪をたてるように懸命に抗う。
「でも、私は婚約破棄されたばかりで……」
「あの最低男。あの元婚約者はフリージアを大切にして愛してくれていたかい? フリージアは元婚約者を大切にして支えていたよね、ねぇ、考えてごらん、失って損をするのはどっちかな。後悔する愚か者はどちらだと思うかい? ねぇ、フリージアはあの浅慮な元婚約者にまだ未練があるの?」
くくっ、と喉で冷たく元婚約者に対して嗤うセリアンだが、声にはフリージアへの労りに溢れていた。
「すぐに僕を愛してくれなんて言わない。けれども、僕はフリージアを心から愛している」
真摯な、ひたむきなセリアンの熱い眼差しにフリージアは息が止まりそうになった。
キィ、と馬車が静かに停止した。
馬車の窓の外には城のような立派な屋敷の玄関で、並んで頭を下げる大勢の使用人の姿があった。
フリージアが目をみはる。
「公爵邸に着いたよ。今日からここがフリージアの家だよ」
「でも、私は平民に……」
「残酷なことを言うけれども、カラスに負けるフリージアには平民は無理だと思うよ」
ぐぅの音もでない事実に、
「が、頑張れ、私……!」
と弱々しく呟くフリージアにセリアンは上品に口角を上げる。
せめてフリージアは握られた手を引き抜こうとするが、セリアンは美しい笑顔のまま離さない。逆に小さな貝殻のような桜色の爪を指の腹で撫でられてしまう。なでなで。
「うん、頑張って。僕も頑張ってフリージアを口説くから。イエスと言ってくれるまで毎日プロポーズするよ」
微笑むセリアンは煌めく宝石のような眼をスウゥと細めた。
「覚悟してね、僕のフリージア」
宝物のようにフリージアの名前を甘く優しく呼ぶセリアンに、フリージアは敗北の溜め息をつきそうになり何とか踏みとどまった。
馬車の扉が開かれると、連絡を受けてマムリト公爵と夫人が嬉しげに表情をほころばせて待ち構えていた。
その目が。笑顔の圧が凄い。
雄弁に、嫁! 逃がしてなるものか! と空気を伝染してフリージアに覆い被さるようだった。
こうして競うように公爵と夫人とセリアンによる溺愛の、フリージアの新たな生活の始まりの鐘が高らかに鳴ったのであった。
数年後、大陸全土は猛烈な大冷夏に襲われた。
しかし全ての荒地が隅々まで青々とした牧草地となっていた王国は、近隣諸国に食糧の援助の手を差し伸べ餓死者が出ることはほぼなかった。
またその王国では、ダイヤモンドは角形にしかカット技術はないというのに、多角形にカットされた光り輝く宝石が貴婦人たちを魅了した。
これは草を生やす貴公子と小石の令嬢の物語。
読んで下さりありがとうございました。