恋の△ABCに挑む瑠瑠華さん
期末テストの結果に一喜一憂するクラスメイトを、横目で羨む男子がいた。
「見るまでもないな」
平均点を余裕で下回る切ない記録が書かれた紙を手に、尊は席に座る。
そしてニヤつく友人に向かって舌打ちをした。
「どうよ?」
「聞くな」
しまうより早く、友人の手に結果用紙が渡ってしまった。
「うわ、なにこの赤点スレスレ。リンボーダンスなら拍手喝采だわお前」
「っせし」
友人から用紙を奪い返しクシャクシャに丸めようとした時、傍に人影が見え、手を止めた。
「尊くん。そんなに落ち込まない方がいいわ。誰にも得意不得意があるわよ」
「瑠瑠華に言われてもなぁ……なあ?」
米所瑠瑠華はクラスで上位の成績を誇る秀才であり、尊とはリケッチャと土星ほどの差がある人間だ。
「尊くん、確か数学は得意だったわよね?」
切ない結果がまとめられた用紙には『38』と記されている。50点満点とは言え、何ともいえない数字である。
尊は「別に……」と断りを入れた。
「私に数学を教えてくれない……かな?」
「えっ?」
「は?」
友人と二人、素っ頓狂な声でアホ面を並べる。
何の嫌みかと悪態を突こうとして、尊は息を呑んだ。瑠瑠華の結果用紙には『18』と書かれていたからだ。
「ね? 誰にも得意不得意があるって言ったじゃない」
「は、はぁ……」
瑠瑠華が自分より、それもかなり悪い点数を取ったことに驚きを隠せず、尊はただただその顔に疑問の色を浮かべるしかなかった。
「あ、赤点野郎どもは月曜に追試なー」
担任が黒板を叩きながら、そういった。
「そういう訳なの。宜しくね♪」
「お、俺で良ければ……」
「嬉しい! じゃあ~代わりに社会を教えるね?」
尊は自らの背番号と同じ『23』の社会に、心の中で感謝をした。
「じゃ、土曜日に私の家で勉強しよ?」
「おふ」
突如無と化した尊から離れ自分の席に戻る瑠瑠華は、隣の席の女子に向かってO.K.サインを飛ばした。
「ね? 男子なんか勉強会と称して家に誘えばイチコロって言ったでしょ?」
「で、でも二人でなんか緊張して何話せば良いか……」
「大丈夫よ。沈黙も良しとしなさいな」
ガハハと笑う女子。瑠瑠華は緊張を胸に、土曜日までに部屋の掃除を何度もした。
「い、いらっしゃい」
「いらっしゃいました」
初めて訪れる瑠瑠華の家に、尊の脳内は最早勉強どころではなくなっていた。
「これ、ふつつかな物ですが」
「あ、ありがとう」
手土産のゼリーを手渡すと、二人は瑠瑠華の部屋へと向かった。
「──で、鎖国がワシントン条約で、米騒動が和同開珎なの」
「うんうん」
ヘッドバッドのような頷きで、尊は瑠瑠華から社会の手ほどきを受けていた。勿論内容は一割一分一厘すらインプットされていない。
全く勉強が手に着かない尊は、早々に根を上げ瑠瑠華の数学へと切り替えることにした。
「瑠瑠華はどうしてあんな点数を? 普段なら絶対良い点取るのに」
「点Pがね──」
瑠瑠華が数学の教科書を広げ、問題の問題を指で叩いた。
内容は、△ABCの辺上を点Pが移動するという、よくある問いであった。
「英語や国語は前振りがあって、会話文があって、繋がりを感じるんだけど、数学っていきなり辺AB間を秒速かんたらで~、じゃん?」
「そう、だね」
尊は素直に頷いた。
普段気にしたことは無いが、確かに言われてみればその通りである。
「は? 点Pってなに? 何人? 何歳? ってなっちゃって、全然解けないんだよね」
「そ、そうなんだ……」
ちょっと瑠瑠華の感性について行けず、尊は愛想笑いを浮かべた。
「あ、今『コイツ何言ってんだ?』って顔した」
「してないしてない!!」
必死で首を振る尊。しかし瑠瑠華は「ほんと~?」と尊に顔を近づけた。
急に恥ずかしくなり、尊は話をごまかす。
「そうだ! 点Pを何かに例えたら良いんじゃない?」
「……なら、点Pは尊くんね?」
瑠瑠華がニヤッと意地悪そうに微笑んだ。そんな瑠瑠華を見て、尊は率直に可愛らしいと感じた。
「△ABCのAが尊くんの家。Bが私の家。Cが……楓花ちゃんの家、ね?」
「はあ……」
楓花は、ちょっとおとなしめな女子だが、男子からはそこそこの人気があるクラスメイトだった。尊も楓花の事はまんざらでも無い感じである。
「で、尊くんは家を出発して、どっちの家に行くのかな?」
「ん?」
「私の家? それとも楓花ちゃんの家? どっちに行きたい?」
またもや意地悪そうな笑顔をニカッと浮かべる瑠瑠華は、返答に困る尊を見てクスクスと笑った。
「どっちが好き?」
眉をへの字に曲げる瑠瑠華に、尊は「問題文だと点Bに向かうから、瑠瑠華の家だね」と焦りながらこたえた。
瑠瑠華は薄々勘づいていた。尊が楓花に気があることを。
そして瑠瑠華は知っていた。押せばまだ逆転のチャンスがあることを。
しかし、瑠瑠華は言えなかった。
自ら想いを伝えることが出来ず、モヤッとしたままいたずらに時間ばかりが過ぎていくばかり。
「追試やるぞー」
二人きりで何も無いまま月曜日。
放課後の教室に、リンボーをくぐれてしまった者達が集う。
「ダメだった教科だけやるんだぞー。得に数学は点Pに討ち取られた奴が多かったから、先生気合い入れて問題作ったからな!」
追試用の問題を配り終えると、担任は椅子に座り腕を組んで時計を見た。
「始め」
瑠瑠華は数学の問題を広げた。
先ずは基礎的な計算問題。
瑠瑠華はいきなりxだのyだのが顔を出して少しイラッとしたが、尊からの暗号めいたラブレターだと思い解くことにした。
「……来たわね点P」
終盤、お決まりの△ABCの問題が現れた。
瑠瑠華は土曜の勉強会の時のように、点Pを尊に例えた。
尊が自分の家に会いに来てくれる。そう思うと自然に顔がほころんだ。
「尊くんに例えたら、どんな問題もイチコロのコロよ」
瑠瑠華は早くも最終問題に辿り着く。
「辺ABを二等分する点を点Dとするとき、ADの距離を求めよ…………」
ポキッとシャープペンの芯が折れる音がした。
点D?
新たなる存在に瑠瑠華は怒りを露わにした。
「誰よ点Dって女は……」
瑠瑠華は前の席に座っている尊の背中を睨み付けた。
そしてチラリと椅子にふんぞり返る担任に目が行った。
がさつな女教師だが、男子からの人気は高く、隠れファンも多数。そんな存在が点Dに窺えた。
「まさか……尊くんが点Dと……? そしてこの辺ADは二人の赤い糸の事では!?」
瑠瑠華は思わず席を立った!
「瑠瑠華、どうした?」
担任が声をかける。
「尊くんのストライクゾーンが知りたいです」
「──は!?」
「テスト中だ、後にしろ」
変な声が出てしまった尊を無視し、担任は冷静に着席を促した。
「ダメです! 問題に関わることです!」
「尚更後にしろ。訳が分からんぞ」
「先生は生徒と付き合うことに何ら疑問を持たなかったのですか!?」
瑠瑠華の気迫に満ちた問いかけに、やれやれと担任はため息をつく。
そして「何の事だかさっぱりだが、私は年上派だし、彼氏も居る。それで疑問は解決したか?」と瑠瑠華を睨んだ。
「分かりました。すみません」
大人しく着席した瑠瑠華。だがすぐに新たなる疑惑が頭をかすめた。
「点Bと点Dを繋ぐ線を引くと、熱い火花に見える……!!」
瑠瑠華は再び席を立った!
「つまり生徒は別腹と言うことですね!? PTAに訴えますよ!?」
「落ち着けー。何があったか知らんがこれは普通の問題だ。私情は捨てとけー」
それは点Bから辺ADに伸びる垂線。
瑠瑠華は尊の肩を押さえた。
「尊くんは渡さないわ! 点Pはずっと辺ABを往復して幸せに暮らすのよ!」
「──は!?」
「あー、勉強のし過ぎで頭やられたパターンか? 誰か保健室にぶち込んどけー」
「あ、私が行きます」
「点Cは黙ってて!!」
「?」
楓花に向かって声を荒げる瑠瑠華。担任は精神的に錯乱した瑠瑠華を「チェストーッ!」と、気絶させて尊に「保健室にぶち込んどけ」と丸投げした。
「あ……」
「あ、気がついたかな?」
保健室のベットで、瑠瑠華は事の顛末を思い出した。
「ここは?」
「保健室」
「点保健室……?」
尊は心配した顔で瑠瑠華を見た。
保健室の外では楓花が心配そうに、中の様子を覗っていた。
「尊くんは……」
瑠瑠華の顔色が変わった。
「点Bと点C……どっちが好きなの?」
尊の手を取る瑠瑠華の目が、うっすらと光って見えた。じんわりとした温かさが尊の指先を支配する。
「勿論、瑠瑠華の方が……」
自分は何を言っているんだと、抑える前に言葉が出た事に戸惑う尊は、そっと瑠瑠華の手を握り返した。
「うれしい」
瑠瑠華はそっと尊にもたれかかった。
保健室の扉から、人の気配が消えた。廊下を走る音が悲しい音を奏でている。
楓花は追試が終わったら渡そうとしていた恋文を、目いっぱい強く握りしめ、涙を払った。