四
英は、一階の二人がけミニテーブルの脇に座っていた。向かいにいる女性と何やら話しているようだ。
ちなみに、何故一階にいるかわかったかというと、渡井のスマホに連絡が入っていたからだ。
「連絡先知ってたのかよ!」
俺は盛大にそう突っ込んだ。
「おーい」
ぶんぶんと手を振るに渡井に対して、上げ返したのは向かいの女性である。
肩まででバッサリ切り揃えた黒髪がさらりと靡いていて、ヒールを履いた長い足を組んでいる姿は、バリバリのキャリアウーマンに見えた。
「久しぶりだな、渡井」
低い声で喋り方も男らしくサバサバとしている。勝気そうなキリッとした顔立ちの美人で、"格好いい"という形容詞がとても似合う女性だった。
「お雛ちゃん、ここの大学だったんだな」
どうやら、英だけでなく渡井とも知り合いらしい。
その女性は苦笑していた。
「二人の方こそ、同じ大学だとは知らなかった」
会話に取り残された俺は助けを求めるように英を見た。
「彼女は雛菊茉莉。ここの学生で、高校の同級生だったんだ」
一度聴いたらなかなか忘れない名前だ。本人曰くあだ名は「雛祭り」らしく、英はお雛様呼びなのだとか。
可愛らしい名前とは裏腹に、渡井と同じ歳とは思えないほど落ち着いて大人びた雰囲気である。
高校の同級生ということは……
「もしかして……先輩たちは同じ高校だったりするんですか?」
「……小学校から同じなんだよ」
ため息を吐いた英はこめかみを抑える。
「……大学じゃ全然話してるとこ見たことないんですが」
隣からは「えへへ」と笑う声がして、正面の人はこめかみを抑えたまま困ったように笑っている。
その前で堂々と足を組む御仁は、そんな二人を見て呆れたように口を開いた。
「これが腐れ縁というやつか?」
「まあねー」
実に楽しそうな渡井は、そのままの顔で言い放つ。
「英。てめえ手紙の事隠してただろ」
低く、怒気のこもった声と笑顔のギャップが末恐ろしく感じたが、それを向けられた英はため息をついただけだった。
「……話せることがなかったから話さなかったんだよ。僕は手紙を読んでないんだ」
「え、本当ですか?」
「そうだよ。手紙と、あとメモをもらったところを知らない女の子に見られててね。呪いの手紙だって言われて、私が処理しますって持ってかれちゃったんだ……それから遊びに誘われるわ連絡先聞かれるわ、別の意味で大変だった」
嫌味か、と俺は突っ込みたくなるのを我慢して聞いた。
「何か手がかりとかは……」
「ないね。少し皺が入ってて古い感じはしたけど、安藤さんの話と全く同じで、手紙の入った封筒には何も書いてなかった。メモだって見る暇はなかった」
「特徴も何もない、ただのメモですか?」
英は少しだけ遠い目をした。
「手紙よりは綺麗だった気がするけど、それだけだね」
渡井は、笑みを消して英を見た。
「それで、どっちも見てないんだな?」
「見てないよ……見てたらまず話してるだろ」
「なら良い。こういうことで下手な隠し事したらぶっ飛ばすからな」
「……わかったよ」
やはり、二人はそれなりに親しい関係であることが窺える。
だが、雛菊も驚いたように会話を聞いていたため、高校時代もあまり会話はしていなさそうだ。
そして、渡井は打って変わってまた笑顔で雛菊に声をかけた。
「同学年に内藤と、あと土清瀬って人わかるか?」
「ん?」
雛菊は記憶を探るように宙を見る。
「あー……いたな。あまり関わりはなかったが、確かにいた。良く二人で昼飯も食ってたし、確か内藤は英と……」
「僕も土清瀬って名前に覚えがあるよ」
英が割って入った。
俺も雛菊も不思議そうに見ていた。だが、それを口にする前に渡井が言う。
「話が聞きたい。連絡先はわかるか?」
雛菊と一緒に、俺たちは再びラウンジに上がってきた。四人がけのテーブルに、椅子を1個足しての待ち人だ。
「お雛様はゲームとかやるの?」
「いや全く」
「マジ? 勝手に乙女ゲーとかやってそうだと思った」
「やっ……てないに決まってるだろ」
「え、何ですか今の間」
「そういうしのくんはギャルゲーやってそう」
「うっえっ……やってませんよええ」
わちゃわちゃと話していた俺は、ふと視線を感じた。顔を上げると、目が合った小柄な体が一瞬震える。
そこにいたのは、内藤よりもさらにひょろっとした男であった。激務らしい医者としてやっていけるのか少々心配になった。
やがて、俺の視線に気付いたのか先輩たちもその人物を見た。
「あ、土清瀬」
雛菊の言葉に、やっとその土清瀬はおずおずと頭を下げて近付いてきた。
神経質そうな男は、俺以外キラキラしい集団に囲まれて目が泳ぎまくっている。気持ちがわかるだけ、申し訳なくなった。
「突然呼び出してすまない。君が内藤にあげた手紙について、この三人が聞きたいらしくてな」
口火を切った雛菊に、渡井が追従する。
「早速で申し訳ないんだが、手紙は誰から貰ったんだ?」
「え、あの、その……いつの間にか鞄に入ってたんだ」
「鞄に?」
渡井の言葉に、がくがくと頷く。
「三ヶ月前、図書館で調べ物してて、本を取って戻ってきたら、鞄から封筒と……あとメモが出てきたんだ」
「メモの中身は?」
「あの、あまり覚えてないんだけど」
渡井は構わんとばかりに首を振り、先を促した。
「手紙を読んだものを見てるとか。あと他の人に見せなきゃいけないって……確か、その一文だけ走り書きだった」
――他の人に見せなきゃいけない。
確かそれは内藤の覚えていたメモの最後の一文だ。
「その一文だけか? それは確かか?」
「う、うん。めちゃくちゃ焦ってきたんだ。その字見てたら不安になって」
「それで、手紙読んだのか?」
「いや、読んでない。読まなきゃ良いんだって思って……でも、すぐ誰かに渡さなきゃダメだってメモにあったし」
「それで、友達に渡したんだな?」
「いや、その……」
歯切れが悪い。視線は下に落ちていたが、突然パッと顔を上げた。
「まあ知り合いにね。その日のうちにさっさと渡しちゃったんだ。もう良いだろ?」
さっさと切り上げようとしているように見えた。
「流石に、あの話じゃどこから手紙が来たのかはわからないな」
「土清瀬くんに心当たりがないんじゃあね」
手紙の流れが早々に止まってしまったことに、渡井は苦い顔だ。英も眉間に皺を寄せて手元のジュースを飲んでいる。
俺は諦めモードだったが、二人は真剣に、その先を考えているようだった。
「まだやるのか? なんだって、そんな呪いの手紙なんてものを調べてるんだ?」
呆れたような雛菊の顔を西日が照らす。いつの間にか時間が経っていたようだ。
流石医学系大学というべきか、あたりを見ると先ほどよりは人は減ってはいるが、そこらで勉強してる人が少なからずいた。
だが、そろそろ潮時だろう。雛菊はお開きだとばかりにスマホを確認している。
「んー……ちなみに雛ちゃんはそれについて……」
「一切、聞いたことがない。視線なんて気のせいか、あるいは……まあ悪戯だろう」
「言うと思った」
渡井は、オカルトを否定されたというのに意外なほどほがらかに笑う。
どうも雛菊は昔からそういったものに興味が全くなく、話題にすらしたことがないらしい。
よくよく聞けば彼女はトイレの花子さんすらよく知らないという。俺だって、学校の怪談くらいは知ってるし、なんなら映画も見たことがあると言うのに。
「あれか? 私綺麗? って聞いてくるやつか?」
それは都市伝説の口裂け女である。英も俺も、マジかと首を振った。
「流石に僕も知ってるよ……」
「俺にはとても信じられん。流石お雛ちゃん」
「私も信じられない。まさか英までそんなのに興味があったとは……お前渡井に毒されてないか?」
「そんなことはないよ。ただどうもタチの悪い、いけすかない噂話がうちの大学に入ってきて、さらには被害者まで出ちゃってね」
「それで犯人探しをしてたってことか?」
そう言って、雛菊は顔を顰めた。
「解せんな。噂なんて放っておけばそのうち消えるだろうし、その子も捨てたんだろう? ならもう終わるだろうに」
「だが、このままじゃ本来の持ち主が報われない」
その言葉に、俺はぽかんと渡井の顔を見た。もしやあれが本物の恋文だと言うのだろうか。
「本来の持ち主、ですか?」
この時点で、俺も雛菊と同意見だった。あれはチェーンメールのような悪戯だ。手紙は脅かす目的で書かれたものであり、恋文としては偽物のはずだった。
だというのに、渡井はこっくりと頷いた。
「そ。ここ最近の噂なのに、肝心の手紙はどうやら古い。メモが作られる前のものだろう。悪戯のために用意したとは考えにくい」
「古い紙でも使ったんじゃないですか?」
だとすると結構手が込んだ悪戯だが、できないことはないはずだ。
それに、人から人へと伝われば伝わるほど、それはボロボロに劣化しやすくなるだろう。
「それで、わざわざ新しいメモを用意して一緒に流したってか? しのくん。悪戯なら読ませないと意味がないんだ」
渡井は、優しく言い聞かせるように言う。
「読ませた上で『お前は呪われた』と選択肢を突き付ける。でないと、相手の不安や恐怖を煽れない。土清瀬のように読まないやつは多いだろうし、そのまま捨てられても全くおかしくない――本当に読ませたいなら、手紙の最後にそれを書けばいい」
「じゃあメモはやっぱり後付けで書かれたってことですか?」
「ああ。メモこそが悪戯、おふざけだったんだ」
渡井は頷いた。他の二人はじっと考えている。
「僕としては、最後の部分だけ走り書きだったって言うのも引っかかる」
「そのメモを書いた人物には余裕がなかった……ということじゃないのか?」
雛菊の言葉に、渡井は「かもしれないが」と言い、顎に手をやる。
「多分、最後の文だけ別の誰かが書いたんだ。筆跡でも見れれば確実なんだが」
「何故です?」
何故そんなことをする必要があったのだろうか。
「書いたやつに聞かなきゃわからん……わからんが、このメモが後付けの悪戯だとすれば、だ」
そう前置きして、渡井は胸ポケットから紙とボールペンを取り出す。
『この手紙を読んだものを、私はずっと見ている。
苦しければ隣人に。恐ろしければ一生閉ざせ。
私はいつでも手紙と共にある。』
「この文面、明らかに怖がらせようとして『私は』なんて幽霊気取りの書き方をしているよな」
「そう、ですね」
手紙自身が呪いのアイテム、ではなく、手紙に幽霊が引っ付いているタイプらしい。
よく読んでみると、見られたくないから呪うのか、それとも見せたいのか、どちらなのかいまいちわからない。
渋い顔の俺にちょっと笑い、さらに渡井はポケットからくしゃくしゃのレシートを取り出して裏に書き殴る。
『これを読んだらすぐ誰かに見せなければならない』
「でもこれだけ見ると、第三者からの警告文に見えないか?」
なるほど。切り離してみると確かに違うものに見えてくる。
だが、そうすると前半の文章はなんだかわかりにくく思える。俺の読解力の問題かもしれないが、さっきの文を読んで「誰かに手紙を読ませれば助かる」とわかるものだろうか。
そんな俺を他所に、渡井は話す。
「そんで、この一文だけは走り書きだ。時間に追われるような状況でこんな悪戯仕込むかよ――つまり、この手紙に誰かが馬鹿馬鹿しい謳い文句を付け、余裕のない誰かが付け足したって可能性は十二分にある」
こういうのは雰囲気が大事なのに、と渡井は力説した上で、真面目な顔で嘆息した。
「このメモが本物の幽霊の書いたものでなければ、一番の被害者は、手紙を書いた人物に他ならない。ここで見捨てたら男が廃るってもんじゃないか? お雛ちゃん」
渡井はそれを最後に雛菊を見る。彼女は少し唸って黙り込んだ。俺も英も、渡井でさえ何も言わずにそれを見守る。
やがて、雛菊は何やら唸って頭をかいた。乱雑な動きにさらりと黒髪が靡く。
「……私だって、恋の一つや二つしたことはあるし、昔ラブレターが流行った頃に書いてみたこともある。それがこんな扱いを受けたら溜まったもんじゃないよ」
「へえ。お雛ちゃんって男らしいけど、かわいいところもあるんだね」
「じゃかましか。黙らんと〇〇ちょん切んぞ」
俺はどことは言わないが、思わずキュッとした。一体どこの方言だ。
英も引き攣った顔だが、渡井本人は「こえー」と苦笑いで嘯く程度であった。
「まあいい。そういうことなら、だ」
俺たちの視線は、腕を組み顎をさする雛菊に向かう。
「情報収集は任せろ」
「さっすがお雛ちゃん」
渡井はニコニコ笑っている。
「噂を知ってる奴を洗い出せばいいんだな?」
「そう。あと、二ヶ月前に土清瀬の周りで怪しい動きをした奴もできれば」
確かに。手紙を忍ばせた犯人としては、土清瀬がちゃんと手紙を読んだのかヤキモキして確認していた可能性がある。
「任せろ。胸糞悪い連中にバッチリ話を聞こうじゃないか」
その姿は、この場にいる男よりよほど頼もしかった。