幕開け
吹きすさぶ霰、しなる樹氷。行く先を遮る木々を魔法でたわませ、風のように駆け抜ける。
ビキキキキキイイイイイッ
「っ飛んで!」
血も凍る零下の世界、大狼の足を狙い氷杭が付きあがる。自分を乗せて高く飛び上がろうとする彼の足を、氷杭は微かにかすめた。
パリィンッ
雷魔法と重力魔法をかけあわせた魔法を氷杭に叩きつける。血にぬれた杭が粉々に砕け散る。二人は立ち止まらず、氷った森をかけていく、視界の狭く、足場の悪いところを選んで。
ビキキキキッ ビキキキキッ
氷杭が先ほどよりも正確に狙いを定めてきている。血の臭いで検討をつけてきたのだろう。
《森の香りが薄まる。出る》
守護魔法はかけたが通用しないかもしれない。一瞬の逡巡。視界が開け、雪原に来た。
「捕まえた」
突如目の前に転移してきた敵。敵は零距離で長剣をふりかぶった。
(ちっ)
大狼に索敵は効かないはずなのだが、勘のよすぎる敵だ。腿から大狼の背へと敵の刃が突き刺ささる。
「っっっくぅう」
終わらせなければ。敵の二の腕を掴み、先ほどの魔法を敵の肺めがけてぶちこんだ。あっけなくはじけ飛ぶ肉塊。大狼は自分をのせたまま雪原に転がり落ちる。毛皮が血にまみれ指が滑る。突き刺さったままの剣が傷をえぐる。
「……っ」
長剣を足から引き抜く。肩で息をしながら大狼を見る。背中から血を流した大狼は大量の敵の血をあび、衰弱していた。大狼の姿でも血の穢れは彼の精神をむしばむ。
「起きろ!しっかりしろ!」
手は凍り、思うように動かない。血の凍らんとする毛皮を殴る。朱に染まる雪原。
木の天井。ベッドの上だ。顔を傾けると、黒く柔らかい毛並みにつつまれた。そっとその腹を触る。呼吸と体温を感じる。腹には掌ほどの大きさの奴隷紋が焼き印のように刻まれている。べっとりと汗を握っていた自分の手、その皮膚は老いて荒れ、ごつごつとしている。
――誰もいないし解いてもいいんじゃない。
そういった相方に安宿の鍵は信用できないというと「確かに」と笑っていた。ベッドから立ちあがり、水瓶を掴む。
(お前はいいのか?)
月明かりに照らされるベッドの上では、大狼が丸くなって眠っている。ごくりごくりと水を呑む、だいぶ汗をかいてしまっていたらしい。水が喉にしみた。
「あっつーい、たまんなーい」
ラルフは神殿の屋根の上にしゃがみこんで氷菓を食べていた。このあたりで多く栽培されているナランガの果汁を氷魔法で固めた名物は甘く酸味が強い。主のエリーゼや上役の目の前ではとても見せられないような、がに股姿でサクリと氷菓をはむ。氷菓の角を伝ってボトリとしずくが零れる。
「ひゃっ」
しずくがお気に入りの靴を汚さなくてよかった。肩口で切りそろえた髪が汗で顔にまとわりつく。髪の毛を耳にかけ、対象を恨めしそうに見る。この神殿は丘陵の上にあり、目下1㎞程先では尾行対象が痩せた文官風の男と太陽の帝国の衣服をきた男二人と話をしている。
季節は夏。ここは竜王国火山列島の小さな島だ。近年太陽の帝国ではここの様な小さな島の果汁園や建物を買い、避暑地にすることが流行っているらしい。夏の竜王国は…暑い。直射日光がバンバン当たる屋根の上はすぐに喉がかわく。
(売れるはずのない物を売ってくれて…だ~れが持ち主なのかしら)
この島も名目上は宰相派の貴族の領地だ、貴族名義で租税も納められている。
(城代が接触したのはこれで3人目)
しかし実態は太陽の帝国の者達が土地を購入し、果汁園を営んでいる様にも見える。彼らに成功法で問いただしても「自分は友人の貴族に招待されただけだ」と答えるだけだろう。ラルフと主の予測ではこの島の所有者である宰相派であるばずの貴族は黒だ。表では法と国家に実直な宰相派の皮をかぶりながら、裏では皇后にごまをすり太陽の帝国との密貿易のパイプを得て私腹を肥やす。皇后派つまりラルフの主である側妃エリーザの敵対派閥だ。
(やっぱり予想どおり、皇后派に寝返ったか)
ラルフは氷菓を口にくわえ、髪を革紐で結い縛る。溶けた後の金属スプーンが苦いのがこの菓子の難点だ。対象はやりとりを終えたようだ。太陽の帝国の男二人は立ち去る際、トーブの裾を掴んで歩いて行った。
(あれ?)
予定ではこのまま城代を尾行するつもりだったが。ラルフはスプーンをぽいっと亜空間へ投げ入れる。
(ちょっとお顔を拝見)
次の瞬間、ラルフは蜃気楼のように男達が向かった方向にある通りの真下の浜辺に現れた。周囲に誰もいなかったことは千里眼で見通してある。軽い足取りで階段をのぼり通りに出ると、正面から堂々と先ほどの男達とすれ違う。
(クルヌギア語…一緒にいるのは通訳か。)
大洋の帝国の者であれば、着慣れたトーブの裾を掴んで歩くことはないだろう。違和感を感じて近くで観察してみれば、やはり男達は太陽の帝国の言葉ではなくクルヌギア語を話していた。文官風の男はおそらく竜王国語の通訳か案内人といったところか。真ん中を歩く男は金の指輪をしている。
(真ん中が主人、護衛と通訳。鞘が古い、傭兵?変装ってことはお忍び…もしかして)
思いあたる国は一つ。
(やばくない?仕事が超増える気がするんだけど…)
ラルフは腕を組み街中を歩く。通りには土産物屋や屋台がならんでいる。
「キレーナヒト!キレーナヒト!ヒヤシミロン!三十五シリン!」
前掛けをしたゴブリンに声をかけられた。店主らしき竜人はラルフを見ると、もみ手で笑っている。ゴブリンは裸足で汚らしいが男の方はまあまあ清潔にしてある。媚びへつらう笑顔もいい。
「三十五シリンかあ、他の果物もある?」
難しいことを考えるのは後にしよう。みずみずしい果物の誘惑にラルフはころりと負けた。
氷水にバラの花びらを浮かべたガラス鉢は、窓から差し込む夏の日差しをあつめ輝いている。
「この水色の花弁が一層映えるわね」
竜王国の側妃エリーザ・ヒュッター・ユルゲンはガラス鉢にその手をつけ、涼をとっていた。
「お母さまのドレスともとてもお似合いです。みんなもそう思うでしょ?」
エリーザの隣では、第二王子のルードヴィヒ・バルトル・ランスロットが氷水を貯めたガラス鉢に足をつけている。ルードヴィヒのお願いによって侍女たちも足を水鉢につけ、水遊びをしていた。侍女たちは「はいとても」と口々に側妃のドレスを褒めたたえた。
「ルードヴィヒ、このガラス鉢はどこから来た物だと思う?」
エリーザの謎かけにルードヴィヒは喜々として答えた。
「ガラスはルーメンの技術品だと風土の先生から教わりました!」
ルードヴィヒはすらすらとクルヌギア平原の地理やクルヌギアに点在する都市、その歴史や技術について話をする。
「ルーメンのお隣のダンケルト共和国のそーとくの名前は、ベレリウス…えーとなんだっけ、難しくて。」
えへっと舌を出して笑うと周りの侍女たちがくすくすとほほ笑んだ。
「ベレリウス・イェドリウス・ユコラ様ですね。まだ九歳のルードヴィヒ様にはクルヌギアの名前は難しいでしょう。殿下のご聡明さは、城中の者みなが期待しております。」
隣で控えていた執事は手拭きの布をエリーザに渡しつつ、ダンケルト共和国の現総督の名前を教えた。
「ですって。精進なさいね、ルウ」
「母様!もうそんな子供みたいな名前で呼ばないでください!」
口を膨らませる表情もかわいらしい。侍女たちはきゃあきゃあ言いながらルードヴィヒの足をふき、靴を履かせる。
「ただいまもどりました。」
エリーザ達が水遊びをしていた広間の入り口に、ゆらりとラルフが現れた。
「ラルフ!」
ラルフを見るなりかけよったルードヴィヒに、ラルフは大仰に臣下の礼をとる。
「側妃様付き侍従長、ヴィ・ラルフ。只今任務より帰還いたしました!」
「ふふふ、ラルフってば!おかえり!どこに行ってたの?」
「我らが愛しきルードヴィヒ殿下のため、極上の果実を探しに竜の島へ」
さっと亜空間からよく熟れたナランガの実を取り出すと、ルードヴィヒの小さな手に乗せる。
「わあ!」
夏の太陽の光そのもののような色の果実にルードヴィヒは目を輝かせる。
「実は料理長にもうして、この氷菓を作らせております」
「氷菓??」
「果汁と甘露を凍らせたお菓子ですよ、今流行っているのだそうです。」
「すごい!母様いい?」
「いいわ、でも体が冷えすぎてしまうといけないから先にお風呂にしてはどう?」
エリーザはちらりと執事に視線をおくり、エリーゼと執事のアイコンタクトを察知した者達はそそくさとガラス鉢を片付けルードヴィヒを王子の私室へと送り届けた。
ラルフは千里眼を施し壁やドアの向こうに間者が潜んでいないか確認すると、領主たちとその領の様子を報告した。
「そう。…レイス伯爵と懇意にされているのかと思っていたけど、白なのかしら。」
竜王国の将軍レイス・ファン・オーエン伯爵は代々海軍の家系だ。竜王国国軍はもともと飛翔隊を中心とする空軍が軍部の中心である。海軍の家系であるオーエン伯爵家はエリーザの生家であるヒュッター家を筆頭とする竜王国貴族の派閥の中では、さほどとるに足らない存在であった。
「予測通り筋肉バカの船頭さんと仲良くしてもらってたらわかりやすかったんですけどね。皇后派なのか、宰相派なのか今回の調査ではわかりかねました。」
しかしここ十年は火山列島の開発や、竜寝台から採れる魔石や魔具の貿易で大量の物販移動が可能な海上ルートの有利性が増し、オーエン家はその頭角をあらわにし始め、一年半前ついに家長のレイスが国軍将軍にまでのぼりつめた。
「太陽の帝国の衣装を来た、クルヌギアの方、ね。どこのお国の方が検討はついてるんでしょ?」
二十数年前、エリーザが輿入れした当時ははヒュッター家を中心とした貴族派か、宰相派が圧倒的多数だった。しかし近年、太陽の帝国との貿易で味をしめた貴族が皇后にとりいり皇后派が増え、城内の勢力図は三つ巴の状態だ。
「……言いたくない」
「ラルフ。」
「たぶんダンケルトの貴族だと思う、よ。」
しかし城内の勢力問題をさらに複雑にしているのが魔海に散らばる諸島を領土にもつ領主たちだ。貴族派と公言しながら社交の場には顔を出さず、裏のルートで財源を膨らませ裏で皇后派や宰相派とつながっている貴族達は狡猾な二枚舌の持ち主達でエリーザの頭痛の種だった。だからこそ、侍従長のラルフに火山列島の小島の領主たちの動向を単独調査させているのだった。
「あら、ダンケルトとの交易だったら大問題ね」
クルヌギア平原の西端にあるダンケルト共和国との貿易はこれまでヒュッター家が中心となって外交を行ってきた。エリーザが掌握していないダンケルト共和国との交易などあるわけがない。
「アヒム殿下の婚約者探しはどうですか?」
ラルフは話題をかえようと王城内の情勢について質問した。第一王子アヒム・バルトル・ランスロット殿下は十二歳になる、さ来年には成人だ。
「かんばしくないみたいよ。学院での評判が問題みたい」
「あちゃ~、あっちの家令は学院での裏工作に婚約者探しに、お気の毒です、ね。」
第一王子は一年半前にグリフォンの呪いに充てられ腕を失って以来、何かとヒステリーを起こす事が多くなった。暴力や暴言は命があるだけましなほうである。
「だいぶ落ち着かれたわ、ルウへの殺気を表立っては隠せるくらいに、ね。今の所ルウの護衛はヴィ・ドルチェで足りてるわ」
第一王子は右腕を失ったと同時期に、側近のペーガソスや、父親である皇帝も失った。以来命の捉え方が変わったのか、何度かルードヴィヒに刺客を放ってきたことがある。
「表立っては、でしょ。血の大好きな第一王子のお母さまは聖女様だっていうのにおかしな話。サニス島の慰問病院また棟をふやしてましたね。魔物の職員もいたしほんと不思議な人ですよね」
正妃クラーラは公務の傍ら暇をみてはサニス島に渡り、慰問病院での慈善活動に精を出している。
「慈善活動ね。魔物の病気なんて治して何が楽しいのかしら。」
献身的な活動や麗しい外見もあいまって正妃クラーラは聖女、と呼ばれている。太陽の帝国という巨大な国を背負う皇后の趣味は聖女様ごっこ。すりよって傀儡としたい貴族達は五万といる。
「ねえ、ねえエリーザ。やっぱりヴィ・ドルチェより僕の方が――」
「ラルフ、お願いがあるのだけど」
エリーザはニコリと微笑み、扇子を閉じる。哀願の上からかぶせられた主の命令、ラルフはこれから言われるであろうことを完璧に予測して即答した。
「いや!」
「嫌じゃないでしょ?」
かたくなな拒否は長くは続かず、最近流行っているという噂の飴菓子の情報につられ、ラルフは泣く泣くダンケルトへと旅立つことになった。