14 恐怖
「ヤツが逃げた! おそらくこれが狙いだ!」
叫ぶグラシエラ。同時に彼女は異様な形状の剣を握る。これがグラシエラの能力。
「こんなことは想定済みだ。来い、オリヴィアに晃真。これはまたとないチャンスだ!」
キルスティの声に応えるかのように廊下の影がゆらりと蠢いた。それにグラシエラは気づかなかったが――先に動いたのはグラシエラ。踏み込んでからの二段切り。奇妙な剣の形状をものともせずに剣を振るった。対するキルスティは鋏で二撃とも受け止め。
「実力もそれなりということか」
キルスティの動きを見てグラシエラは一歩後ろに下がる。そして。
「恐怖しろ、この剣の前に!」
グラシエラの剣の柄にある眼が、開眼する。その瞬間、キルスティはえも言えぬ感覚に襲われる。同時に一瞬だがキルスティの脚が止まる。グラシエラはそれを見逃さない。畳みかけるような攻撃を繰り出した。胸部、左手、右足の太腿が痛み、攻撃に気づく。攻撃を見切ることなどできなかった。
「くそっ……やってくれる……!」
のけぞりながらもキルスティは前を見る。そんな彼女に迫るグラシエラ。彼女の狙いは間違いなく首。
――とどめを刺しに来たか。動きづらいが、剣筋は見える。慣れてきたらしいな。
ガキン。剣とハサミがぶつかる音が響く。
「止めたか。体は無事でも心は無事では済まないはずだが」
キルスティの目とグラシエラの剣の目が合った。瞬間、キルスティの脳内、精神に流れ込む恐怖。キルスティは無心で剣を受け止める。が、錬金術で修復される身体とは反対に精神は恐怖に侵されてゆく。すぐに傷は塞がった。ハサミを持つ手がプルプルと震える。これはグラシエラの力故か、あるいはキルスティが恐怖で震えているのか――
「お前はこれでも持った方だよ。この距離ではほとんどがすぐに廃人になる」
グラシエラは言った。まだ何を言っているのかは理解できる。
――こいつの言う通り、もう壊れそうだ。それなら、いっそ私が壊れてしまえばいい。グレゴリウム、相当強い麻薬だというが――
さらにふりかかるグラシエラの斬撃。キルスティはすんでのところで受け流し。服の中から水色の錠剤を取り出して口に含む。
――効くのが先か、壊れるのが先か。そもそも効くのかも知らねえ……賭けか。
「何をした!?」
うろたえるグラシエラ。何を焦ったのか、剣筋が乱れたようだ。が、今のキルスティはすべての攻撃を満足には防げない。防いで、防いで、腹部にくらう。それなりに深手ではあるが、不思議と痛みはない。とはいえ、精神が壊れていくのは止まらない。意識が混濁する中で腹部の傷を治す。そして、ふらつきながら立ち上がる。
「殺すなら殺せ……なあ……あんたは……天才を殺した人になれるぜ……だから……」
ここでキルスティは意識を手放した。だが、彼女はまだ立っている。立って鋭い眼光をグラシエラに向けている。
「殺せと言うならお望み通り」
グラシエラはキルスティに斬りかかる。殺されることを望んでいるはずのキルスティは反撃に出た。剣を素手で受け止め、左に流す。がら空きになったところで距離を詰め。鋏がグラシエラの喉笛を切り裂いた。辺りに赤い鮮血の花が咲く。
グラシエラは目で何かを訴えるようだったが、キルスティには伝わらない。なぜなら彼女はもうまともな意識を保っていないから――
「なぜ……お前は私に殺せと……」
ヒューヒューと音を立てながら発せられる声。声を絞り出してもキルスティは虚ろな目で迫る。さらに、二撃目。今度はしっかりと頸動脈をとらえた。
使い手が死ねばたいていの能力は解除される。血と肉の塊となったグラシエラ。彼女の右手から剣が消えた。それを見届けるとキルスティはその場にへたりこむ。恐怖をのりこえようとしてグレゴリウムまで口にして、もう限界だった。だが、キルスティの頭の中の霧が晴れるような感覚を覚える。少なくとも言葉を発することができる程度にはなった。
「いくぜ……響ここは地図から消える」
時は少しさかのぼる。影を使って中の様子が見えた。どうやらキルスティは医者を血祭に上げたらしい。
「今だ。チャンスは今しかないよ」
と、オリヴィアは言った。
「今、ここから殴り込んでランスを救出だな。やってやる……!」
そう言ったのはジェット。彼も彼なりにランスのことを気にかけていたらしい。
「いくぞ」
晃真の声とともに3人は行動を開始する。オリヴィアはキルスティが入っていった正面から、晃真は裏から、ジェットは手近な窓から建物の中に乗り込んだ。
「今日は客が多いな。いや、まさかお前自ら来るなんてな。逃げ回っていたようでもあったが、どういう風の吹き回しだ?」
正面玄関近くで待ち構えていたクラウディオは言った。オリヴィアは彼との面識がない。一瞬だけきょとんとした顔をしたが。
「ロム姉に会いに来たの。ここにいるってサーリーに聞いたから」
と、オリヴィアは言った。するとクラウディオは眉をぴくりと動かし。
「なら、その隠しきれていねえ殺気は何だ? 敵を狩りに来たようだが」
クラウディオは言った。彼の言う通り、オリヴィアは足元にイデアを展開していた。




