1 蓋されたレムリアの闇
列車を降りればそこはややじめじめした場所だった。夏の便りが届く季節ではあるが、シンラクロスよりも圧倒的に過ごしにくい。
駅を出たところでランスが待っていた。パスカルが連絡すると、駅まで迎えに来てくれるとのことだった。
「よう、パスカル。治安悪いから迎えに来たぞ。7人で乗れる車を準備してきたから抜かりはないぞ!」
と、ランスは言った。
「それにしても大所帯になったな」
「目的が同じだったわけですから」
キルスティが答えた。
オリヴィア一行もキルスティ一行も行先はマルクト区であることに変わりはなかった。ならば一緒に逝けばいいということになって行動をともにすることになったのだ。
「行こうか。マルクト区にも鮮血の夜明団の支部がある。公的にはないことになっているが、あそこも鮮血の夜明団を必要とする場所なんだ」
一行が車に乗るところを見ながらランスは言う。
車で移動するとき、ランスはマルクト区というところについて話をしてくれた。
マルクト区はあらゆるものが流れ着く可能性がある、地図にないはずの場所。もちろん犯罪者、脱獄犯なんかも流れ着くことがあるらしく治安は悪い。レムリアの一般人が貧困にあえぐことなく暮らしていれば訪れることなどありえない場所だ。
「とは言ってもいろんな事情でマルクト区に流れ着くヤツもいる。身の上の話はあまり効かない方がいい」
ランスはそうやって忠告した。
「うん。わたしも、ロム姉が助けてくれなかったらマルクト区に流れ着いていたかもしれないし、変なことは……」
オリヴィアはここで言葉を区切る。彼女を頭痛が襲ったのだ。
『拾ってこなければよかった』
『ディサイドの町で死んでいればよかったのに』
『もう、どうしてこうなの。理解に苦しむわ』
脳裏に響く、女の声。夢ではないのでその声の主の顔はわからないが、やはり聞き覚えのある声だった。
オリヴィアは目を見開いた。彼女からは冷や汗が出ている。
「顔色が悪いぞ」
オリヴィアの隣に座っていた晃真は言った。
「……なんでもない。少し嫌なことを……あれは思い出したのかもわからないけど、とにかく今言えることじゃない。あまりにも複雑すぎて、わたしにもわからない」
と、オリヴィアは言う。
「そうか……あまりとらわれすぎるなよ。そうするとあんたもしんどくなる。俺も人のことは言えないが……」
晃真は言った。
そのときの晃真も何か悩みでも抱えているように見えた。いや、それ以前からだろうか。
やがて車は市街地を抜けて海岸沿いのごちゃごちゃとしたところに突入した。
この辺りから物乞いの数も目に見えて増えた。かと思えば左右にはいくつものマーケットが立ち並ぶ。この近くの雰囲気はあまり秩序がないようでもあった。
「このマーケットと住宅街の近くを抜ければマルクト区はすぐそこだ。マルクト区に入る前に約束してほしいことがある」
と、ランスは言う。
車に乗っていた全員がランスの方を見た。
「マルクト区で金品を見せびらかさないこと。鮮血の夜明団の敷地から出るときはマルクト区のメンバーを護衛につけること。マルクト区のうちX区画には立ち入らないこと。マルクト区に入るときに車のドアを開けないこと。マルクト区の屋台の食べ物を食べないこと。これだけは約束してほしい。守らなかったせいで死んだやつを何人も見てきたんだ」
ランスは言った。
「まさに修羅の国だね。それだけ生きることに必死な人たちが集まっているってことか」
と、パスカル。
「そう言いかえることもできるかもしれない。とにかくだ。この約束は守ってほしい」
「勿論」
やがて、車はマルクト区と言われるエリアに突入する。車に表示されるマップは何もない空き地のようになっているが、それに反して周囲には掘立小屋のようなものが立ち並ぶ。生活水準が目に見えて低くなっている。少し前に通っていた場所以上に物乞いが多いのだ。
「へへ……よく目に焼き付けな。これがレムリアの闇ってもんだ」
キルスティはどこか楽しそうに言った。
「そうだね。わかるさ、私がどれだけ恵まれているかも」
と、パスカルは言った。
「私は食うに困るような生活をしたことがないんだ。だから、ここにいる人たちが何を考えているかもわからないし、彼らの思想もわからない」
「だろうな。あんたと私やここにいる人間は全然違う人間だ。そりゃ、世界をどう見ているかも違うだろうな」
と、キルスティ。
パスカルはキルスティの過去を知らなかった。
「キルスティは、一体どういう人生を送ってきた?」
パスカルは尋ねた。
「生まれは悪くないな。むしろ裕福な家の生まれだ。母は吸血鬼だったが、人格者だ。父もな。穏やかに暮らして、私が錬金術アカデミーを志したのが10歳頃。12歳で錬金術アカデミーを受験して合格、それまではいいんだ。錬金術アカデミーの校長に入学を拒否され、両親が裁判を起こそうとすれば私以外家族親戚皆殺し。私は適当な貧民街で暮らしていたよ、しばらくは」
と、キルスティ。
「貧民街での人生もよかったな。とても刺激的だ……殺せばすべて手に入る。寝ている連中の首を絞めて殺して、解体して臓器を売って。そうやって暮らしていたよ。エミーリアに会うまでは」
自嘲気味にキルスティは続けた。
「そうだねえ。キルスティはアングラの世界には案外詳しい。錬金術も人を解体する過程で腕を上げたそうだよ」
と、エミーリア。
キルスティとエミーリアの言葉を聞いてパスカルは口を覆った。
「そんなことが……大変な」
「貧民街での人生もよかったって言ったろ? ほら、見えてきたぞ。鮮血の夜明団マルクト支部が」
キルスティは何かをごまかすかのように言った。
彼女の言う通り、落書きだらけの塀に厳重に囲まれた建物が見えてきた。




