28 毒に侵される身体
一行の先頭を歩くオリヴィアはまるで悪魔のよう。ここまで来る間に武装した親衛隊はほとんど殺してしまった。血溜まりを歩いた跡――靴やタイツについた血がそれを物語る。
ここはホテルの7階。最上階にはまだ到達していないが、結構上ったところだ。ここでオリヴィアは足を止めた。
「わたしが殺し損ねた人がいる……」
と、オリヴィアは言った。
彼女の心を反映するかのように影が蠢く。
「どういうことだ?」
「話せば長くなるんだけど、多分クロル家の人だと思う」
晃真に聞かれるとオリヴィアは答えた。
「戦ってみて、夜なら勝てるとは思った。わたしならね」
と言うと、オリヴィアの展開した影が動く。2方向に影を伸ばし、先制攻撃を叩き込む。
「外した……両方ともっ! もうひとつの階段の方から上がってくるから注意して!」
オリヴィアは言った。
「あいつか!」
気付いたのはキルスティ。ある男の攻撃を鋏で受け止め、逆に斬り込んだ。
どうやら彼はキルスティの使う鋏が見えていないらしく。間合いを見誤ってキルスティのペースに乗せられる。それでも男はキルスティから距離を取り、値踏みするような視線を投げ掛けた。
「銀髪か。そして強い。お前は総長の結婚相手になってみないか?」
その男――ティーデ・クロルは言った。
ティーデは顔に皺の刻まれた60歳前後の男だ。クロル家の人間に漏れず、髪は銀色。
「だれがなるかよ、クソ野郎。そうしたいならてめぇの脳を解剖させろ。総長とやらの結婚式の場でな」
と、キルスティ。
ティーデはほんの少し戸惑いを見せた。
「できない? じゃ、交渉決裂だな。私は近親相姦一族に入りたくないんでね」
キルスティは続けた。
「まあ待て。待遇は約束するさ。なに不自由ない暮らしも名誉も富も」
「だからそんなものは要らないね。私が欲しいのはそんなんじゃない」
キルスティは相変わらず強気だった。
「そうだな。まずは私の未来を潰したやつを私の前に引きずり出せよ。そいつがクロル家の人間ってことは私も覚えてる。早く、ほら早く」
と、キルスティは捲し立てた。
「……無理だ。7年前に死んだ人間をどうやって連れて来いというのだ。世界を知れ、銀髪」
ティーデは言った。
できるはずもない。それをわかってキルスティはティーデにそんな要求をしたのだ。
「その言葉、お前に返すよ。老害――」
言い終わらぬうちにキルスティはティーデに肉薄。だが、ティーデも負けてはいない。防具を仕込んだスーツの袖で、キルスティの鋏を弾いた。特筆すべきは、ティーデにキルスティの鋏が見えていないこと――しかしキルスティもそれには気づいていた。
「対応してきたか。間合いがわからないのに大層なことだ!」
目を見開いて笑うキルスティ。狂気をあらわにした彼女は今度はフェイントを入れる。右と見せかけて左。ティーデには見えない鋏を消しては出し。
ティーデはキルスティのいずれ振るう暗器に警戒していた。が、暗器は既にあった。
鋏の刃先がティーデの頬を切り裂いた。これがただの傷であれば単なるかすり傷でしかない。
「いっ……」
「時代について来いよ。それとも化石みたいな伝統にすがるってか?」
追い討ちをかけるようにキルスティは言う。
彼女を前にして、ティーデはその傷がたいしたものではないと判断した。
「お前は伝統の重みを知らんのか……」
と言ってティーデは持っていた刀を抜く。今度は彼が斬り込んだ。するとキルスティは鋏で刀を受け止めるが――鋏は破壊された。
――なるほどね。理解した。
キルスティは焦らずに距離を取る。
鋏で傷を負わせたのだから、もう勝っている。あとはその傷から入るダメージを待つだけだ。
ティーデはさらに斬り込もうとするが明らかに動きが鈍っていた。キルスティは斬撃を難なくかわした。
「お前さ、免疫力は強いだろ」
と、キルスティ。
ティーデがその言葉の意味を理解するとき、彼の口や目――穴という穴から血が流れ出た。
「何をした……」
口から血を吹き出しながらティーデは言う。口から血が流れ出る間にも彼の全身は侵されてゆく。内臓も脳も血管も眼球も。
「殺人バクテリアを適当な量、感染させといた。ちょっと量をミスったみたいで効きだすのは遅かったけどね」
キルスティは得意気に言った。
そう言い終わったとき、すでにティーデの息はなかった。身体中の細胞が壊死して見るも無惨な姿に成り果てた。
「晃真、オリヴィア! このドロドロのオッサンの血には絶対に触らないこと。触ったら死ぬから」
と、キルスティ。
だが彼女の声は2人に届かなかった。晃真もオリヴィアももう片方の敵と戦っている。キルスティは加勢しようとした。だが――鎖がそれを許さない。
晃真とオリヴィアとその敵だけが鎖の中へ入ることを許されている。キルスティは戦いに干渉することも先に進むこともできない。




