23 宣戦布告
――できることなら意識を手放したい。消えたい。もう私は何なのかもわからないから。
ホテルの裏手に出たミランは剣を抜く。
春月――レムリアの東の果ての方には腹を切る自殺の方法があるという。ミランはその方法をフォンスから聞いたことがあった。そのフォンスはティーデに教えられたとのことだった。
剣では頭を撃ち抜くことは当然ながらできない。だが、腹を切ることはできる。剣を腹に刺して十文字に切る。それだけだ。
ミランが腹に剣を刺そうとしたそのとき。彼女の携帯端末に着信があった。相手しだいではそのまま続行することも考えたミランだが――相手はアナベル。ミランは電話に出た。
『連絡なかったからかけてみたよ。そちらは、どうかな?』
電話越しのねっとりとした声。そんな声は自ら命を絶とうとしたミランの脳に響く。
「何のことだ……? だいいち、ホテルペイルサンドにいる理由もわからない……私は一体何を……」
『ヒルダのこと。殺されそうって言ったら君、ヒルダはお姉ちゃんが守るって言って出ていっただろう?』
アナベルは言った。
ミランはしばらく黙りこむ。やはり記憶とずれがある。ミランはそんなことを覚えていない。
――私はそんなことを言わないはずだ。
『わかんないかな? まあいいや、私もやることがある。それが済んだらいつもの場所で落ち合う。それでいいかい?』
「ああ……よくわからないが……聞きたいことがありすぎる」
『じゃ、ちょっくら宣戦布告してくる』
「は……」
ミランには理解が追い付かない。
身の振りさえも決められていない彼女はこれからの動きも決めていない。今の人格がミランではなくミリアムであれば決断もすぐにできたことだろう。
――アナベルにつくか、クロル家につくか。いや、私には責任がある。
そこに選択の余地はない。ミランはフォンスの元へ「ケースが死んだ」と報告に向かおうとした。そのときだった。またミランの携帯端末に着信があったのは。
かけてきたのはモーゼス。ミランはあれこれ考えを巡らせて電話を取った。
『ミリアム・クロルに通告する。本日をもってお前をクロル家から追放し、親衛隊の副長から解任する。後任はロドルフだから、安心してくれ。お前よりずっと有能だからね』
突きつけられた現実は残酷だった。いや、こうなることは決まっていたのかもしれない。
「お待ちください。まだ私からも報告が」
『知っているよ。お前がケースを殺したんだろう。これを私が知っているにしては生ぬるいと思うだろうが、シンラクロスは封鎖したしこれから市民もお前の首を狙うよ』
モーゼスの嘲笑う顔がミラン――いや、ミリアムの脳裏に浮かぶ。実兄の取った選択肢はミリアムに二択を突き付けるものだった。
一般市民を殺すか、ミリアムが死ぬか。
『せいぜい楽しんでくれ』
と、モーゼス。
このときの彼はミリアムの心情など知ったことではなかった。どうせミリアムは泥臭くも生きようとするだろう。そう考えていた。
「……わかりました。では、銃器を取りに参りますので」
ミリアムがそう言うと、これ以上聞くことを拒んだのかモーゼスは電話を切った。
モーゼスはこの期に及んでも都合よく動こうとしないミリアムに気持ち悪さを感じていたようだった。
こうしてミリアムは後ろ楯を失った。
戻る場所などないわけだが、そんな彼女が真っ先に思い浮かべた人物がいた。ヒルダではない。今は亡きミリアムの曾祖母エルセ・クロル。
【クロル家が間違ったことをするのならクロル家を潰してでも止めなさい。200年前のことを忘れてはなりません】
それが彼女の遺言だった。エルセの遺言は正しいとミリアムは信じているが、クロル家が間違ったことをしているとは思えないでいる。
だからミリアムはヒルダの元へと向かう。彼女なら、わかるかもしれない。彼女――ヒルダもまた、エルセのことを知っている。
「宣戦布告だ」
キルスティは言った。
「クロル家への宣戦布告なら当主とサシでやれる。カナリス・ルートの介入もなくな。エレナと私の中継がなければこの案も成立しなかったさ」
キルスティの言葉を聞いていたのか、エミーリアがそう言いながら部屋にやって来た。
オリヴィアは何を思ったのか。
「ねえ、今どうなってるの。エレナは協力できないって……」
「直接の協力は機密事項が漏れるので避ける。情報の提供とか、連絡なら引き受けてくれたさ。だからアナベルとの連携も上手くいくだろうね」
得意気に言うエミーリア。
彼女の言っていたことは晃真も知らなかったらしく、少し驚いた様子を見せた。
さらにエミーリアはベッドサイドテーブルに印のついた地図を出した。
「で、これがクロル家の泊まっているホテル。エレナいわく情報の出所は信用できるんだとさ」
と、エミーリア。
印がつけられていたのはシンラクロスセントラルホテル。カジノの隣に建てられた超高級ホテルだ。
「場所は決めた。時間は、今夜だな。タイムリミットは近いだろう」
と、晃真。
「準備はしていたんだ。やれることはやる」
キルスティは言った。




