17 目覚めぬ影使い
オリヴィアは何かを思い出したかのように、イデアの展開範囲を広げた。
地下を歩いているイデア使いがいる。オリヴィアと彼は直接戦ったことがなかったが、その気配は知っている。気配は夜襲のときと同じ。正確に言えば、ヨーランと戦っていたあの男。
――ということは、クロル家の人。倒さなくては。
『どうかしたか?』
通話中だった晃真は言った。
「敵を見つけた。これから追いかけようと思うんだけど」
と、オリヴィア。
『俺も行く。そいつはどこに向かっている?』
「わからない。でも、駅には近づいてるかも。追いかけるから、出るね」
オリヴィアはそう言って電話を切った。
会計を済ませ、影を追う。強い日差しの中では夜のようにイデアを展開することはできない。が、気配はある。前方、斜め下からの気配は依然として強い。
気配を追うこと10分。
路地裏の道の蓋が開く。そこから出てきたのは銀髪の男。名前は知らなくともその姿はオリヴィアも知っていた。
「仕留め損ねたやつじゃないの。死んでよ」
オリヴィアはやつの顔を確認するなり、イデアを展開。その首を落とそうとした。が、その男――ケースは拳銃で影を弾いて回避。オリヴィアの追撃が来る前に発砲した。弾丸は空中で止まる。
「てめぇか! 総長が苦戦したやつは!」
ケースは言った。その瞬間、弾丸は無数の刃物へと姿を変えた。刃物の切っ先はすべてオリヴィアを向いている。
「なんでてめぇがここにいるんだよ……!」
その一言とともに刃物が降り注ぐ。今はすべてを避けることも弾くこともできない。ここでオリヴィアがとった行動は攻撃。これほどの攻撃を仕掛けてくるのだからどこかに隙はあるはずだ。
影が伸び、ケースの首筋を狙った。ここさえ切り落とせば。
血が石畳を赤く染める。血を流したのはオリヴィアの方。ナイフが体中に刺さり、そこから血がどろどろと流れ出る。が、彼女に諦めた様子はない。襲撃のあった夜のようにいかなくとも影を伸ばした。
「おい、死にかけてんぞ。どうやって総長を追い詰めたんだよ?」
笑いながらケースは言った。
「……知らない」
影はケースをとらえない。ナイフでの攻撃を受けた時点でオリヴィアは劣勢となっていた。それでもオリヴィアは止まらない。否、止まれない。晃真が加勢に来るとはいえ、いつになるかはわからない。
無傷のケースはさらに発砲。撃ちだされた弾丸はすぐさま爆弾に姿を変えた。その間は1秒にも満たず。オリヴィアを確実に殺害せんと迫ってきた。するとオリヴィアは影で自身を覆う。昼間で力を発揮できないながらも、せめて爆風を防げはしないかと。
爆発。弱体化しているとはいえ、影は強い。爆風に吹き飛ばされても、爆弾そのものの威力でオリヴィアは傷を負っていない。
「やっぱり刃物か。決めたぜ、俺はてめえを刃物で斬り殺す」
ケースはそう言って、上に向かって発砲。立ち上がるオリヴィアはそれを止めることもできない。弾丸は刀に姿を変えた。ケースは落ちてくる刀を手に取り、オリヴィアに詰め寄った。
――まずい。
オリヴィアは自身に迫る危機を感じ取った。その0.1秒後、斬撃。居合のような、そうではないような抜刀がオリヴィアの身体を抉った。幸い、心臓や肺には達していない。オリヴィアは体内にイデアを展開した。ケース相手に、外にイデアを展開することはやめた。
「たいしたことねえ相手だな。てめぇ、パスカルの手の者だろ?」
そう言いながらケースは刀を振り下ろす。刃は確実にオリヴィアを斬り殺すはずだった。だが、刀は骨よりも硬いものに阻まれた。ケースが刀を引いても、刀は赤く染まらない。滑るだけだ。
「そうだよ、って言ったらどうする?」
オリヴィアはニヤニヤと笑いながら言った。そんな彼女の傷は塞がっている。いや、黒いもので塞がれている。その気配は禍々しく――
――あの夜と同じか……?
ケースが思い出したのはフォンスの語った「影使い」のこと。「影使い」と直接戦っていないにしても、その気配は知っている。
「まあ、そうなんだけど。あの夜、殺しきれていたらよかったのに」
オリヴィアはそう言ってケースの首を掴み、地面に叩きつけた。ケースが抵抗しても無駄だ。
叩きつけられる瞬間、ケースは刀を持っていない方の手で引き金を引く。せめてここでオリヴィアを葬る。そうするために。
弾丸が姿を変えたのは炎。焼かれてしまえばオリヴィアもただではすまない。刀傷のようにごまかしは効かない。
炎が迫る中、オリヴィアは自身の死を覚悟した。だが――
炎はオリヴィアを焼かなかった。
舐めるような熱は一瞬にして消え去った。何があったのかと思えば、オリヴィアは知っている気配を感じ取った。
「どこの馬の骨か知らん。オリヴィアに手を出すとはいい度胸だな?」
その能力。その声。間違いなくルートビアだった。
「邪魔すんじゃねえ……殺すぞボケ……」
生死を握られたような状態でも威勢をはるケース。傷はなくても立ち上がることはできないでいる。
「邪魔? やめろ、そんな言い方は。俺はオリヴィアを迎えに来たんだ。俺が彼女を連れて行けばお前を邪魔することはない。それはお前にもメリットがあるはずだ」
穏やかな様子でルートビアは言う。
「……ああ」
と、ケースは言った。
「というわけだ、俺と来てくれ。治療はしてあげるから。強引に連れ去っては君を殺してしまうかもしれない」
ルートビアは言った。
迎えに来たというルートビア。だが、オリヴィアは彼を信じる気になれなかった。




