16 ばれないイカサマは存在するか
あいつだ。アナベルは確信を抱いた。
彼女の視線の先を男たちが歩いていった。何を話しているか聞き取れなくともその男たちの正体はわかった。
アナベルの鋭い感覚は4人の男たちのイデアを感じ取る。その男たちこそが、襲撃の主犯と命令した人。モーゼス・クロル。純白のスーツに身を包んだ白銀の髪のモーゼス。だが、その腹の内は黒い。
モーゼスの姿をとらえ、アナベルはぐっと糸を握りしめ。
「楽しい賭けの始まりだよ♡」
モーゼスたちに聞こえない声でアナベルは言った。
とはいえ、まだことは起こらない。目標を捉えたがまだその時ではない。周囲の様子を探りながら糸を張り巡らした。この糸はアナベルの意思で出し入れ可能。仮にばれたとしても1秒で消せる。
「……たかが出涸らしだ。逆らえばどうなるかも身をもって知らせたし私はパスカルより強い。どうせあの女の味方はたいしたことない連中ばかりだ」
糸を伝って聞こえるのはモーゼスの声。アナベルはその声を追うことにした。
「こちらでございます。ごゆっくりお楽しみくださいませ」
案内した女はそう言ってドアを開けた。
ドアの先は、一般のフロアとは別世界のようだった。フロアには大理石が敷き詰められている。さらに照明はどれほどの価値があるのかもわからないシャンデリア。解放感はあるものの、その部屋――VIPルームに窓はない。
そして解放感とは裏腹に、人体の標本までもが飾られている。
豪華絢爛ながらも不気味さのあるVIPルーム。その一角には1人の中年の男がいた。
「はっはっは。遅かったな、モーゼス。あまりにも遅くて、全財産賭けてしまうところだったぞ」
彼がジャック・ハルフォードだ。
平均的な体格だが、その眼差しはただ者ではないことを物語る。彼こそが死の商人にしてモーゼスの取引相手だった。
「ご冗談を。全財産を賭けたとなれば貴方の商売は成り立たないでしょう」
と、モーゼスは言った。
「少しは冗談に乗ったらどうだね、モーゼス。私も寂しいぞ」
と、ジャック。
「とはいえ、このカジノは凄い。オーナーは君の一族の人間なのだろう?」
「さすが、死の商人様の情報収集力です。ええ、私の叔父がオーナーなんですよ。ここで得た金は吸血鬼ハンターの資金源になるのです」
モーゼスは答えた。
「そうか、あの金はここから出ていたのか。時代が変わって、吸血鬼狩りが儲からなくなったとは聞いていたが。いやあ、君たち一族に新しい資金源があってなによりだ」
ジャックは言った。
「さて、取引は――」
「その話は置いておきましょう、ミスターハルフォード。盗聴する能力を使う人間がいたらどうするんですか」
と、モーゼス。
「何か不安なことでもあるのかね?」
「警戒すべき相手がいるわけですよ。あの出涸らしはともかく、我々を狙う連中がいるのです。高砂晃真……やつが仕掛ける前に私がやつを消さなくてはならない。やつに、取引を邪魔されてたまるか……!」
モーゼスははじめて焦りを表に出した。パスカルやヒルダに対する思惑とは打って変わって。その変容にケースは目を丸くした。が、フォンスとロドルフは初めから知っていたかのようだった。
「だから、明日の取引の後の食事は中止してください。武器商人にすぎない貴方がこの町に残るのは危険すぎるのです」
モーゼスは言った。
「焦りすぎだ。とはいえ、君の言うことも一理ある。わかったよ。取引が終わればすぐにここを出る」
ジャックは自分の立場と状況を理解したようだ。そして、モーゼスの置かれた状況も。
「感謝いたします。あとは……パスカルの一派にも注意をはらうべきか。ケース、彼女たちを消しに行けるか?」
モーゼスはケースの方を見た。
「俺っすか? いや、まあ裏工作よりは戦闘のが楽なんすけど」
「君が断れば適当にあてがう。ただし、君がやる場合より成功率は下がるだろうね?」
と、モーゼス。その目はケースに「行け」といっているようだった。鈍いケースもさすがにそれに気付いたようで。
「行きますよ。それだけ俺が信頼されてるってことっすよね?」
「いや、向き不向きの問題だよ。工作と駆け引きは君には荷が重い。それでしくじるくらいなら戦場で暴れてくれた方が私が助かるのだよ」
実に合理的な答えだった。
「で、いつやればいいんすか」
「今から、かな。協力者が増える前にやるのが理想だよ」
と、モーゼス。
「了解、しました」
ケースはそう言って入ってきたドアから出ようとした。そんなとき。
「そっちじゃ危険だ。この裏道を使いなよ」
モーゼスはそう言って赤いカーペットをめくった。そこにあったのは鍵つきのふた。この下に何かがあるのは明白だった。そしてモーゼスは鍵を取り出して解錠する。
「さて。ここはシンラクロスのとある路地裏に続いている。先ほど入手した情報だが、パスカル・ディドロはホテルペイルサンドにいる。どうにか潜入して、消すんだ」
「任せてくださいよ」
と言って、今度こそケースはその場を去った。隠し通路からはケースの足音が響く。




