2 パスカルとロム
「ちょっとシンラクロスの郊外に用事があってね。これから一度そこに向かおうと思うんだ」
パスカルとヒルダに連れられて向かったホテル。その一室でパスカルは言った。
「郊外?」
オリヴィアが聞き返す。
「そう、郊外。あそこにはね、ダンピールとその子孫が身を潜めている。いろいろとあって、苦労している人が多いんだよね。吸血鬼の方の親が討伐されてしまったり、両親がいなかったり」
そうやって語るパスカル。
彼女の言うことは他人事ではないのかもしれない。オリヴィアはそう感じていた。特に、両親がいない、ということについて。
――もし、ロム姉がいなかったら私はどうなっていたんだろう?
オリヴィアはありもしない仮定の過去を考えた。ひょっとすると生きてすらいなかったかもしれない。
「パスカルはそんな人を助けているんだよ。人を殺した吸血鬼に罪はあってもその子供には罪がないって。でしょ?」
「そうそう。だからね、私はそういう人を助けたい……」
パスカルは何かを言おうとしてやめた。
それはオリヴィアを気遣ってのことかもしれないし、そうでもないのかもしれない。が、そのときのパスカルはどこか迷っているようにも見えたのだ。その表情の変化をオリヴィアは見逃さなかった。
「パスカル、何を言おうとしたの」
オリヴィアは言った。
するとパスカルは少し迷うようなそぶりを見せ。
「オリヴィア……あなたの記憶は正しい? 記憶を書き換えることなんて、そういう能力があれば簡単なこと。本当に、あなたの恩人はロムって人?」
と、パスカル。
彼女がそう言うと同時にあたりの空気が張り詰めた。オリヴィアは笑顔でなくなったし、ヒルダも焦っている。
「わからない……だって、屋敷が地面に落ちて連れ去られて。それからまた連れ出されて。短い間にいろいろありすぎてわからなかったんだよ!?」
オリヴィアは言った。
彼女の目にじんわりと涙が滲む。その姿を見たパスカルは罪悪感を覚えたが、ここではもう割り切ることにした。
「それはわかった。あなたは相変わらずロムを探しているんだろうけど、しばらくそれは中止。できれば本当のことがわかるまで。マルクト区には行くけど、そこで探るのはロムの素性」
パスカルは言った。
「わかったよ……でも、絶対に会うからね」
と、オリヴィア。
「まあ、それまでに気持ちの整理はつけといてね。それと、あなたがこれからしたいことも考えること」
パスカルは言った。
オリヴィアは渋々納得したが、彼女の胸のつかえは取れていなかった。その疑念は夜になっても消えない。
「あの有名な吸血鬼の娘のくせに、そんなこともできないのね。期待した私が馬鹿だったわ」
そう言ったのは――ロム。
近くにあったのは吸血鬼の脚。オリヴィアは血濡れの銀のナイフを握りしめていた。
吸血鬼の脚は断面から灰になってゆくが、オリヴィアが刺したところは灰にならない。ただ血が滲むだけ。
「光の魔法なんて私でさえ使えるのに。ま、これだからトイフェルはお前を捨てたんでしょうね。こんな出来損ないに比べればあの子の方がマシに決まってる」
ありえない。
オリヴィアはまずそう感じた。ロムは優しくて、自分に色々なことを教えてくれて。それがオリヴィアの知るロムだった。が、今の彼女はそうではない。オリヴィアを出来損ないと罵って。
「わたしだって……」
オリヴィアの小さな声は、ロムに届かなかった。だが、彼女の持った力はロムを驚かせるのだった。
膝をついたオリヴィアの影から黒い触手が現れた。それは、オリヴィアの思いに呼応するようにするすると伸び、ロムの足首を掴んだ。
「いっ……」
声を漏らし、倒れるロム。そんな彼女はオリヴィアの使った力を感覚的に理解した。
ロムは立ち上がり、オリヴィアに近寄った。
「ごめんね、オリヴィア。出来損ないとか言っちゃって。これから、色々なことを教えてあげるからね」
と、ロムは言う。
「……」
言葉が出てこない。オリヴィアを出来損ないと言ったロムと、オリヴィアに優しいロム。どちらが本当のロムなのかもわからない。
……それからロムはオリヴィアの知るようなロムに変わる。
――どっちだろう、ロム姉は。
オリヴィアは頭痛とともに目を覚ました。
今ここにいることが夢か現実かもはっきりしない状態で当たりを見回した。朝日が差し込む部屋の中ではパスカルとヒルダが寝息を立てて眠っている。どうやらあれは夢だったらしい。夢でよかった、と安堵すると同時にオリヴィアは新たな胸のつかえを抱えることとなった。
確認しなくてはならないことはたくさんある。
オリヴィアは髪を整え、いつも着ている服を着る。
「おはよー、オリヴィア。眠れた?」
洗面所にヒルダが現れると、オリヴィアは驚いて髪留めを床に落とした。
「ね、眠れたけど。パスカルはまだ起きてない?」
「まだ寝てるよ。疲れたんだろうね」
と、ヒルダ。
「そっか。パスカルたちも色々とあったんだ……」
「何もなかったって言えば嘘だけど、結構こっちは穏やかだったよ」
ヒルダはそう言うと、ブラシを取ってその黒髪をとかしはじめた。




