17 虚無の影
吸血鬼ハンター一族クロル家。
吸血鬼という存在がこの大陸に現れた頃からその一族は貴族としてあり続けた。恐れられる吸血鬼という存在がいる中、彼らを討伐するクロル家は人々にとって正義の象徴でもあった。
だが、クロル家は徹底した人間至上主義――吸血鬼の因子や遺伝子を完全する思想や男尊女卑、その他の思想を守り続けたことで時代についていけなくなりつつあった。だから人々の支持もなくしつつあった。
クロル家はカナリス・ルートの接触を受け、支持を取り戻すために大陸の支配者に賛同することとした。
そんな中、モーゼスはトイフェルの命令でとある女のことを聞く。
「分家の人間にマティルデという人物がいるだろう。彼女の強さはほれぼれするものだ。彼女をどうにかして重要なポストにつけてやってはくれないか?」
「何をおっしゃいますか、ボス。女に役職が務まるとでも?」
モーゼスはトイフェルに言った。
「そういう感想か。だが忘れるな。見出したのは俺だ」
と、トイフェルは言う。
モーゼスは平静を装うも、つい下唇を噛む。
「そうですか。私は何もしません。マティルデを重用するならそちらで進めてください。ですが、あなたはクロル家の理念に反することをクロル家の人間に向けてしていることをお忘れなく」
モーゼスは言った。
その後、トイフェルはモーゼスの忠告も無視し、事実上トイフェルが管轄する吸血鬼猟兵部隊を設立した。隊長はマティルデ。
さらにトイフェルは同じく目をつけていたダフネをカナリス・ルートではない、直属の部下とした。
「今はまだ正会員ではないが、モーゼスが死ねばお前を会員に繰り上げる。やつは有能な男だが、俺とは意見が合わん」
ダフネに対し、トイフェルはそう言った。
ダフネはそのことを信じていなかったが、数年後にモーゼスが殺され、実現することとなった。
会員となったダフネに対し、マティルデは声をかける。
「カナリス・ルート会員だからって気負うものじゃありませんよお。クラウディオなんかを見ていればよくわかるじゃありませんかあ」
彼女の言葉は確実にダフネを勇気づける。だが、ダフネには別に不安なことがあった。
「重用されているのはわかってるんだ。でもね、私はトイフェルがわからない。支配者だとはわかっているけど……」
「大丈夫。私がいますよお。私たちはやるべきことをやっていればよいのですから」
そのマティルデの微笑みは、ダフネがカナリス・ルートとして活動するうえで活力となっていた。
†
表情を歪めたダフネは砂嵐での反撃を試みるもミリアムはそれ以上に速く。
「ぁあああっ!」
イデアに抵抗性を持った剣によって砂嵐も消される。さらにミリアムはダフネの懐に飛び込み、一閃。
腹部を切り裂かれたダフネは崩れ落ち、地に膝をつく。砂嵐と幻影は明らかに弱くなった。
「ダフネ!」
砂嵐が弱まったことに気付いたマティルデは一瞬だがダフネの方に目をやった。と、そのときだ。オリヴィアが再び黒に染まった姿に変わり、とてつもない密度の影をマティルデに叩き込んだ。
マティルデはレイピアで影を受け流そうとするも、あまりの強さにのけぞり。
「これが力あるダンピールですか。やはりいいですねッ……あなたは!」
マティルデはのけぞりながらも鎖を影にぶつけ、体勢を立て直して再び斬り込む。
そのタイミングで砂嵐が完全に晴れる。
どうやらダフネはミリアムの手で重傷を負わされ、イデアを維持する力も無くしていた。
「ごめん……マティルデ。生き残れそうにない……」
地に膝と手をつき、ダフネは息を切らしながらそう言った。
「何を言っているのですか。あなたには私がついているでしょう? 私とあなた、命を共有します。共に生きてともに死ぬのです」
マティルデがそう言うと、ダフネの負わされた傷が塞がる。痛みこそ残るが、この時点での消耗は避けられる。
「そうだね、マティルデ。ありがとう」
ダフネは立ち上がり、砂嵐を起こす。撹乱から攻撃に切り替え、砂嵐で鎌を形作る。攻撃が目的ならば見えていないことは枷となる。
ダフネがモーションもなしに放った砂嵐の鎌がミリアムに命中する。右半身を狙った攻撃は脇腹を抉った。さらにミリアムの右腕が宙を舞う。
「ミリアム!!!」
オリヴィアがそう言った瞬間。死角からマティルデが斬り込んだ。
スラニアの森に深紅の血飛沫が舞った。
「ふふ、虐殺気分を味わわずに済んだのは良いのですが……虚無ですねえ。まあいいか、これで」
マティルデは言葉を切った。
彼女はすぐにオリヴィアを殺せていないことに気付いたのだ。
そして、オリヴィア。
彼女は体内にもイデアを展開。黒く染まる姿のまま立ち上がる。
傷は塞がり、疲労も消耗も一切見せない。さらにオリヴィアが立ち上がってから妙なノイズのようなものが辺り一帯を包みこんでいる。これは一体。
「虚無」
と、オリヴィアが言うとこれまでとは比べ物にならない影が展開される。それらは手、鎖、刃の形をとって奔流となり押し寄せる。影はマティルデとダフネを飲み込み、押し潰し。
「もう何も考えなくて良い。何もしなくていい。無とはそういうこと」
影――闇の中ではマティルデとダフネは異様な感覚を味わわされていた。激しいようで優しくて、世界から開放するような。
死は解放である。
「マティルデ……」
「ダフネ……怖くないですよお。彼女が私たちを殺す力を持っていただけのことです。あまり悪い気分ではないでしょう?」
マティルデが言うと、闇の中の2人は影に浸食され生命を保つことができなくなり、絶命した。
マティルデとダフネの死を確認すると、オリヴィアはミリアムに駆け寄った。
大量出血していたがオリヴィアが傷を塞いだことで一命はとりとめたようだ。そのままオリヴィアは影をミリアムに添わせて彼女の身体を修復する。錬金術と同等のことはできないが、死なせないことならできる。
「お願い、生きて」
オリヴィアがミリアムに寄り添うとき、近くにピリピリとした気配が2つ近づいていた。いずれもオリヴィアとどこか似ている。まるで親族のように――




