15 マティルデとダンピール
気が付けば森の中には砂嵐が吹き始めており、オリヴィアの視界から仲間2人の姿が消えていた。オリヴィアはイデアの展開範囲を動かし、2人――リンジーとヒルダを探す。だが、砂嵐には探知を阻害する力があるのかオリヴィアは2人を見つけることができなかった。
砂嵐の中、ヒルダも周囲の様子を探ることができなくなっていた。五感に優れたヒルダだったが、彼女の耳をふさぐかのように砂嵐はノイズを奏でる。さらに、砂嵐は視野を狭めていたし、方向感覚やイデアの感覚さえも麻痺させていた。
そんなヒルダの前に人影が姿を現す。
ヒルダはイデアを展開し、人影に向かってトリガーを引く。だが、それはフェイク。
「違う! 敵は――」
と言ったときだ。
ヒルダは背後から心臓を貫かれ。
「え……」
刃つきレイピアが身体を貫通してから、今起きていることを認識した。それほどに砂嵐はノイズとなり、マティルデの接近を隠していた。それだけでなく、マティルデはキルスティよりも速い。
「ああ……こちらのダンピールはしょうもないダンピールでしたか。私の手を煩わせないでくださいますか?」
ねっとりとしていながらも気品があり、どこか狂気を湛えた声がヒルダの耳に入った。
「リンジー……オリヴィア……こいつは――」
ヒルダが最期に声を上げた瞬間、マティルデはヒルダに刺していた刃つきレイピアを振りぬいた。そうしたことでヒルダの心臓や肺なんかは切り裂かれ、彼女の身体からは血が噴き出す。
ヒルダを殺したマティルデは、また純白のハンカチでレイピアを拭い、ヒルダの亡骸に向けてハンカチを投げ捨てた。
そして、リンジー。彼女はマティルデが直接殺意を向けている相手ではない。ダンピールではないから。息をひそめる彼女はこの砂嵐のことを知っていた。
「……ダフネ。あんた、ここにいんの?」
マティルデに聞こえない声でリンジーは呟いた。
リンジーは砂嵐の能力の持ち主――ダフネを知っている。準会員だった頃、何度か顔を合わせていた。さほど接点はなかったが、一度だけ共闘したときに互いの能力の一部を見ることになったのだ。
ダフネのイデアは砂嵐のビジョンを持つ。砂嵐には探知や五感、第六感の妨害や幻覚の能力が付与されている。リンジーはこの能力をかなり厄介なものだと認識していた。リンジーはこの能力に太刀打ちできなかったのだ。
「違う……誰かがこの力を借りて使ってるんだ。ダフネの気配がない」
リンジーは呟いた。
彼女は神経を研ぎ澄まして辺りの様子を知ろうとしたが、それに意味などなかった。
砂嵐に囲まれ、オリヴィアは完全にマティルデを見失っていた。地面に影を展開して周囲の様子を探るも、全く状況がわからない。
そんな中、オリヴィアの背後から声がする。
「……やれやれ、しょうもない子でしたよ。あなたの仲間は」
それはマティルデの声。慇懃無礼で狂気を隠しきれていない声だ。
オリヴィアはその身を翻し、展開していた影を刃にしてマティルデに向けて放つ。
すると、マティルデはその陰すべてを見切り、受け止め、切り刻み。影とレイピアがぶつかり合った。
「しょうもない……? エミーリアが? ヒルダが?」
オリヴィアは顔つきをかえてそう言った。
「ええ、はっきりと言えばそうですね。私、しょうもないものが嫌いでして。ダンピールというある意味力ある種族のくせに力を放棄するなんて、莫迦みたいでしょう?」
マティルデは嘲笑を含んだ口調で言う。
そんな彼女に対し、オリヴィアはふつふつと怒りが湧き上がり。仲間を殺しただけでなく、彼女たちを「しょうもない」と吐き捨てたのだ。
「莫迦みたいって……そうやって人を否定しないでよ。莫迦みたいなのはあなた。何もわかってないんだから」
オリヴィアがそう言ったとき、展開していた影は彼女の中に入り込み。オリヴィアは覚醒した姿、イデア界から「降ろした」姿をとった。
死体のように血色を失った肌に、黒い髪。瞳は吸血鬼のように赤く染まり。四肢は黒く染まった。
放つ気配はこれまでとはけた違い。ぴりぴりとした気配は対峙するマティルデだけでなく、砂嵐に包まれたリンジーも感じていた。
「わかっていない……あなたの仲間についてはそうでしょうが。あなたは違いますよお。あなたは、私が認めるに値する人物です」
マティルデはオリヴィアに斬りかかり、影でレイピアが防がれれば砂嵐をぶつける。砂嵐がオリヴィアを襲えば、オリヴィアは影で砂嵐さえも上書きしようと試みる。
そのたびに歪む空間。世界は揺らぎ、本拠近くと大陸のどこかとの距離が狂う。
オリヴィアとマティルデの繰り広げるぶつかり合い。影とレイピアと砂嵐がぶつかり合い、時折干渉しようとした荊が切り刻まれる。
そうすることで空間の揺らぎは加速する。これが覚醒したイデア使いの戦い――まさに天上決戦だった。
「ダンピールにこう言うのは癪ですが……あなたがしょうもない人間でなくてよかったです」
空間が大きく揺らいだときにマティルデはそう言った。狂気的な彼女だが、どこか喜びを覚えているよう。
その大きな空間の揺らぎはある人物たちを引き寄せた。
「――まだ時間がかかるはずだがここは!?」
その人物たちとは、ミリアム一行。車で本拠へと向かっていた彼女たちはマティルデとオリヴィアによって強制的に移動させられた。
急に転移したことでミリアム一行の車は横転する。ミリアムはブレーキをかけ、他の3人が危険にさらされないようにしていたが――彼女も車外に投げ出されることとなる。
そこで彼女はオリヴィアでもリンジーでもない、よく知る人物を目にすることとなった。
「……マティルデ」




