7 この世界にさよなら
その人物が現れた瞬間、オリヴィアは身構えた。その人物はオリヴィアにとっても因縁ある人物で、オリヴィアは彼女のことを良く思っていない。
その人物とは、グラシエラ。
ロムの拠点での戦いで行方をくらませ、その後は誰も彼女を見ていなかったという。が、今ここでグラシエラはなぜかオリヴィアとアナベルの間に割って入った。
「グラシエラ!?」
オリヴィアは声を漏らす。
「あの場を離れて色々と考えた。なぜあなたがロムの下から逃げたのか。なぜリンジーはあなたに執着するのか。彼女と再会してよくわかったの。それから、ある人の証言で姉さんの本性を思い出してね」
と、グラシエラは語る。オリヴィアはよく理解できなかったが、グラシエラが今は味方であることだけは理解した。
「敵の敵は味方だ。もっとも、あなたと顔を合わせるのはこれが最後。言い残したことは?」
「なんで最後って言えるの……? それはあなたがここで死ぬようにきこえるけど」
オリヴィアは言った。
「死なない。人には生きるべき場所があるのでね」
グラシエラはそう言うと、持っていたアタッシュケースを開き、中身を手に取る。
中身は人工のゲート。心臓を思わせる大きさ、形で実態を持つようで持たない塊。グラシエラは人工のゲートを空中に放り投げて言う。
「帰ろう、姉さん。いるべき世界が私たちを待っているから」
その言動からグラシエラはオリヴィアの目には理性ある人物のように映った。が、グラシエラはオリヴィアの虐待にも無関係ではなかった。
オリヴィアはもう、何もわからなかった。
「嫌だよ。こんな無価値な私、この世界でリビドーが向く矛先を殺して殺しまくった果に死ぬのがお似合い。帰らないよ」
と、アナベルはついに本心からの望みを吐いた。
オリヴィアを助けたのも、彼女の敵を殺したのも、彼女の前に敵として立ちはだかったのも。すべてアナベルのリビドーゆえだ。
信じていた相手の本性を知って呆然とするオリヴィアを前に、グラシエラは触手と一体化して血を垂れ流すイデアの剣を手に取り。
「いや、あなたは殺してでも連れ帰る。オリヴィアはここを離れて。アナベル引き寄せられたのは解っているの。お願い」
オリヴィアにとってのアナベルとグラシエラの立場は完全に逆転した。
この状況をどうにかするには、グラシエラに任せてこの場を離れるしかない。
「ごめんなさい、グラシエラ。さよなら」
オリヴィアはそれだけを言ってこの場を後にする。
彼女を追おうとするアナベル。だが、グラシエラはアナベルを食い止める。
「行かせない」
と、グラシエラ。
「だめだめ、君相手だと冷めちゃう。もっと滾らせてくれるような人でないと」
にやりと笑い、アナベルは糸を射出する。
すると、グラシエラは糸を剣で斬った。悍ましい外見の剣だが、その斬れ味はアナベルの想像以上。
さらにグラシエラは返す刀で結界を形成していた糸を斬り刻んだ。だが。
「それで全部切ったと思ってるんだねえ」
アナベルは言う。
グラシエラが察したときにはもう遅い。
アナベルの糸はグラシエラの体内に入り込み、絡みついていた。
「いつの間に!?」
体内に入り込んだ糸から逃れる手段をグラシエラは持たない。そんな彼女を見てもアナベルは表情ひとつ変えず、糸を引く。
空中で固定され、激しい痛みに襲われるグラシエラ。
「いつだろうね? とにかく、冷めちゃう相手は早く終わらせるに限る」
アナベルは言った。
それでもグラシエラは諦めない。剣を握りつつ、彼女は能力を解放した。
それは恐怖の波動。人の精神に直接作用し、意志の弱いものは正気を失う。
アナベルも恐怖の波動に当てられ、精神が乱される。グラシエラさえも意図しない方向で。
アナベルは恐怖さえも快楽と解釈し――快楽にその身体をびくつかせ、手元が狂う。
意図しないアナベルの様子でも、グラシエラは見逃さなかった。
「冷めると言っても身体は正直らしい」
グラシエラは自身を縛る糸を切り、さらに絡みつこうとする糸に向けて剣から出る触手を伸ばす。糸が触手に絡みつけばグラシエラは触手を剣から切り離す。触手は囮だ。
「君に言われたくないなあ。私、さすがに血縁者で滾れる人間じゃないんだよ」
囮を掴まされたアナベルはそう吐き捨てる。
囮となった触手は糸で括り切られ、黒い粒子となって消滅する。
かと思えばグラシエラは地面に剣を刺し、地面を伝って触手を操り、アナベルを縛り上げようとした。
「君には捕まらない」
「そうか。別に捕まえられなくてもいい。一緒に元の世界に帰れるのなら」
と、グラシエラ。
彼女の視線の先には安定したゲート。人工のゲートが周囲の空間に同調し、この世界と異世界とをつなぐゲートと同質になった。
グラシエラはこの時を待っていたのだ。
「この世界で生きていくと思ったのに……なぜ……?」
アナベルは言う。
「あなたがおかしくなったのはこの世界に来てからでしょう。目を覚まして」
と、グラシエラ。
アナベルはゲートから伸びる黒い影に捕らわれる。グラシエラも。元からこの世界の人間ではないからだ。
アナベルは焦りを見せるが、グラシエラは平静を保ち。グラシエラはアナベルの手を取った。
「帰ろう。私達が純粋だった世界へ」
2人はゲートに取り込まれ、世界線を超える。
アナベルとグラシエラがこの世界から消えた後、ゲートは爆散。
その場に残ったのは人工のゲートの残骸だけだった。




