19 生きる目的、大切な人
アポロの過去。
アポロ・デュカキス。
ディサイドの町に生まれ、10歳にもならない時期に住んでいた町が崩壊。生きる力を十分に持たない中で家族を喪った。
温室育ちにも等しかったアポロは何もかもが崩壊した町では生きられない。様々な意味で搾取され、犯罪の片棒も担がされた。力なき者はディサイドの廃墟で生きることもゆるされなかった。
そんなアポロに手を差し伸べたのがトイフェルだった。
当時のトイフェルはまだ若かったが、自身が関与した事件で苦しんでいた子供を見過ごせなかった。そのひとりがアポロ。
「君は何ができる? 何をしたい?」
トイフェルはまだ子供だったアポロにそう尋ねた。
「俺は……」
その当時、アポロは知らなかったが彼自身はイデア能力に目覚めていた。
トイフェルの役に立ちたかったから、能力を利用して運び屋になった。
実際、アポロにしかできないことがあったから、トイフェルからは重用された。トイフェルのお気に入りだった。
アポロだってトイフェルに重用されてカナリス・ルートの会員として生き、トイフェルに受けた恩を返そうとしていた。
だからアポロはアナベルに屈しない。
「俺の生きる理由はボス・トイフェル。お前なんかじゃない」
アポロは振り向きざまに言った。
「そうなんだねぇ……一途なのは嫌いじゃない。私もこの人のために生きたいと思った人がいたよ」
そう言うアナベルからはこれ以上ない狂気が溢れ出ていた。
アポロはこの手の人間を知っている。近いのは昴やクラウディオ。だが、この2人は情欲をアポロに向けることはない。アナベルが情欲を向けているのは、まぎれもなくアポロ。
「君のその純粋さ……じゃなくて熱情。嫌いじゃない。トイフェルは君の何なのかな?」
「黙れ……! 危険人物が! ボスのことを語るな!」
アポロは激昂し、アナベルの間合いに入る。周囲に矢印のビジョンを展開し、イデアの結界を作り出す。それでも糸は複雑に絡み合い、アポロを絡め取る。そうして再びアポロはアナベルに拘束されることとなるのだが――
アポロの展開していた矢印の中にはアナベルが認識していないものもあったのだ。
「そうなんだねえ……一途なのは嫌いじゃない。私もこの人のために生きたいと思った人がいたよ」
アナベルがアポロを糸で絡め取ったことも、アナベルの発言もなかったことになった。
違う。アポロの展開していた矢印は時間を操作する矢印。一次元が線、二次元が面、三次元が空間だとするならば、四次元は時間。アポロは一度首を落とされた瞬間にイデア界に到達し、三次元までしか対応していなかったイデア能力を四次元にまで拡張した。
今のアポロなら、自身の意識をわずかではあるが、過去に飛ばすことができる。
「知らん。どうせろくでもない人間だ!」
アポロはアナベルの戯言を無視して突撃。アナベルに向けて鉄パイプをフルスイングし、先ほどと同じようにして殺害を試みる。が、アナベルは再び糸でアポロを拘束。幸いアポロが拘束されたのは右脚だけ。急いでアナベルと距離を取る。
「へえ……それがたとえトイフェル・カナリスの娘だとしても」
と、アナベル。
トイフェルの娘という引っ掛かる物言いを気にしたアポロは反応が遅れる。そこにアナベルは漬け込んだ。
「さて、もういちど絶頂するといい」
アナベルは糸を引き、アポロの首を落とそうとした。
瞬間、アポロはイデア能力を時間に対して使い――自身がしくじる前まで戻る。
「一途なのは嫌いじゃない。私もこの人のために生きたいと思った人がいたよ」
三度目の正直。アポロは今度こそ、と話を聞かずにアポロの死角へと回り込む。だが。
「待ってたよ、アポロ。時を巻き戻しても赤い糸はつながっているんだねえ!」
その声こそが絶望だった。
アナベルは糸をたどり、自身の意識までアポロとともに過去に移動していた。
これから起きることを知っていたアナベルはアポロのさらに上をいく。空間、アポロの身体に糸を張り巡らせ、糸で切り刻む。
首が切断され、臓器が切り刻まれる。アポロは生命を維持できなくなり、地面に倒れた。もう絶命していた。
アポロが絶命する瞬間、アナベルの顔は恍惚で紅潮していた。
「フフ……赤い糸でつなぎ、命のやり取りを堪能する。私が蕩けそうだよ……」
と、アナベルは呟く。
とにかく彼女は強力なイデア使いを殺害できた余韻に浸っていたのだが――それと同時に熱くもどす黒く残酷な感情が渦巻いていた。
その感情の矛先はオリヴィア。
「オリヴィア……君のために生きたいと、この世界に来た時から思っていた……確かに君は私の思う通り強くなってくれたし、私の予想の上を行った。でもね……ここまで私が君を求めてしまうのは想定外。ここまで育ってくれて……私の心も体もどうにかなりそう……」
今、オリヴィアと顔を合わせればアナベルはオリヴィアを殺してしまうだろう。一方でアナベルはオリヴィアのやりたいことをさせたいと願ってはいた。トイフェルも他に因縁ある者もオリヴィアに譲る。が、それでもアナベルの情欲は収まることを知らない。
アナベルは昂る感情を抑え、この場を去った。




