12 この町の記憶
オリヴィアは必ずここに来る。
ヴァレリアンは確信してあえて死地に向かわなかった。
今ヴァレリアンがいるのはストラウス邸の前。彼はオリヴィアを待ち構えることを選んで、見張りのように立っている。ストラウス邸近くはまだ、旧ディサイド市街のように地獄にはなっていない。が、終わりのときは刻々と近づいていた。
「あの老いぼれに咎められても手立てはある。むしろここで消えてもらった方が好都合だ」
ヴァレリアンは呟いた。
彼の言葉を聞いた者はいないし、彼の狙いを知る者は既に墓の中。ヨーランの後任としてカナリス・ルートに入り、当主ラインハルトの信頼も得たが、それはすべて偽りだった。
ランスは地図を開き、地下通路にある目印と照らし合わせた。
今オリヴィアとランスがいる場所にはかつて地下鉄駅として使われていた場所と案内板がある。人の手入れが行き届かなくなった今、それらは錆び、苔が生え。張り紙はぼろぼろになっている。一部は地下水か雨水かで水たまりになっていた。まるで人類が滅亡してから10年ほど経った場所のよう。
「ここで合っている。この地下鉄駅だったところから地上に出て、少し歩いたらストラウス邸に着く」
ランスは言った。
「うん」
オリヴィアは頷いた。
2人は手近な階段を上って地上に出る。
いよいよだ。地上に出てからストラウス邸まではさほど時間はかからない。
やがてオリヴィアたちは地上に出た。
そこで待ち構えていた者がひとり。オリヴィアにとってはさして印象の強くなかった人物だが――
「待っていたよ、オリヴィア・ストラウス。僕の考えた通りにここに来てくれて、嬉しいよ」
慇懃無礼な男、ヴァレリアン・ドラガノフ。
一目見ただけでオリヴィアもランスも察した。この男は危険だ。が、2人はどちらもイデアを展開しなかった。
「どういうこと?」
イデアを展開しなかったかわりに、オリヴィアは尋ねた。
「そのままの意味だよ。全ては僕の思う通りに動いている。一番警戒すべきだったカテリーナも死んだ。イザークもいない。他の兄弟姉妹は連絡が途絶えた」
「話が見えない。カテリーナとかイザークって誰?」
語り始めるヴァレリアンにオリヴィアは尋ねる。するとヴァレリアンは少し黙る。少し黙り、何かを思い出したかのように、再び口を開いた。
「君は自分のルーツをよく知らなかったのか。失念していたよ」
「わたしがストラウス家にとって不都合な人間ってことは知ってる。あなたはどっちの人間? ストラウス側か、わたしたち側か」
オリヴィアは淡々とした口調で、表情ひとつ変えずに尋ねた。するとヴァレリアンはオリヴィアを小馬鹿にしたように微笑み。
「オリヴィア……世の中はすべてが二択ではないんだよ」
ヴァレリアンの口調は子供を諭すようだった。
彼はオリヴィアのことを見下している。見下す相手はオリヴィアだけではない。手を組んでいるはずのストラウス家や当主ラインハルト、仲間であるはずのカナリス・ルートの面々まで見下していた。
だが、その態度がオリヴィアの地雷を踏んだ。
「でもわたしの前では生きるか死ぬかだよ」
彼女がそう言った時、ヴァレリアンの足元に黒い影が広がり――
「なるほど」
ヴァレリアンもオリヴィアに応じるようにイデアを展開。そのビジョンは雪の結晶。温度を下げる能力だとオリヴィアは予測する。だが、実際は違う。
オリヴィアとヴァレリアンの足下の影が消えた。
次の瞬間、ヴァレリアンは隠し持っていた拳銃を抜いてオリヴィアに向け。
「僕は今、いつでも君を射殺できる。君の行動に制限をかければ簡単にね」
薄ら笑いを浮かべるヴァレリアン。物腰は柔らかくともその底は見えない。恐らく動けば撃たれるだろう。オリヴィアはそう見越していた。
「動かないでね、ランス。この人は危険」
「動くも何も、彼以上に危険な人物がこの近くに潜んでいるぞ。ねばつくような気配、これは何だ? 殺意か?」
と、ランス。
オリヴィアもヴァレリアンも気づかないほどだったが、確かにこの3人以外にいる。ヴァレリアンはとある人物の可能性を思い立つ。
「アナベル・パロミノ」
ヴァレリアンは言った。
「いるんだろう? 危険人物。このところあまり活動していなかったようだが――」
「地獄絵図、見といでよ」
その声は紛れもなくアナベルのものだった。彼女は姿を見せず、糸を引く。すると、ヴァレリアンの身体に見えない糸が巻き付き、拘束された。
「何をする!? お前は! どこにいる!? アナベル!」
ヴァレリアンがわめく間に、糸で吊り上げられたままディサイドの市街地まで彼は飛ばされる。仕掛け人のアナベルはあまりにも無慈悲だった。
ヴァレリアンがオリヴィアたちから離れたことで、オリヴィアたちは再びイデアを使えるようになった。ちょうどそのとき、アナベルがストラウス邸の屋根から飛び降りてきた。
「危なかったね、オリヴィア。私がいなければ死んでいたよ」
アナベルは言った。
彼女を前にしてランスは身構える。それも当然だ。放つ気配は異質、その性格は異常。初めて見るアナベルに対して恐怖や敵意を抱かない者はかなり限られるだろう。
「あんたがオリヴィアを……」
「そうだよ。私もストラウス邸に殴り込んでみてもいいかい?」
と、アナベルは言った。
オリヴィアにもランスにもアナベルの意図はわからなかった。だが、ある程度アナベルを信じていたオリヴィアは答えた。
「いいよ。一緒に行こう、アナベル」




