29 恨むべき相手とは
彼は思いがけない助っ人。実力はパスカルにはわからないが、支部長だから強いのは確か。
「クリシュナ……!」
パスカルは声を漏らす。
やって来たのはクリシュナだ。輝くような銀色の髪を靡かせ、クリシュナはつかつかと会議室の中へ。
彼の後ろには戸惑うマリカもいる。
「少し確かめたいことがあってね。存外早く見つかったな、プロスペロ。てっきりもっと奥で怯えているかと思ったよ」
クリシュナは言った。
「どこから嗅ぎ付けてきたか知らんが、ここまで来られては生かして返す訳にはいかんな。ヴァルト」
「そうだね。さてはプロスペロのことが好きだろ、君」
と、ヴァルト。
「そいつの言葉に――」
「馬鹿な――」
「な訳ないでしょうが! クリシュナさん、私にかなり愚痴ってましたからね!?」
パスカルとクリシュナの言葉を遮るマリカ。と、同時にヴァルトが一瞬だけ焦りを見せた。ターゲットが逸れたのだ。
ヴァルトの瓶はマリカを引き摺り込み、マリカは瓶詰めにされる。このとき、クリシュナは既にイデアを展開していた。クリシュナが展開したのは、脳とそこから伸びる神経のビジョン。ヴァルトとプロスペロは「気持ち悪い」と感じた。
2人が一瞬怯んだのをクリシュナは見逃さず、脳から伸びる神経をプロスペロに伸ばし。
「何だったか忘れたが、錬金術学会とアカデミーで相当やらかしてくれたな。同じ錬金術師として恥ずかしい」
クリシュナは言った。
「認識から違うな。私は学会とアカデミーを壊すために潜入したに過ぎん」
と言うと、赤いアメーバが10体ほどクリシュナに襲い掛かる。クリシュナはごく冷静に神経のビジョンをアメーバに突き刺し。
「そうかい。ところで、君のアメーバは死滅したよ。イデアだけで終わると思わないことだ」
クリシュナは言う。
事実、アメーバは青白く変色してドロドロに溶けて動かなくなった。
「やってくれる……! 私もイデアだけでは――」
プロスペロがそう言ったときだ。
クリシュナはプロスペロの背後に回り込み、鋭いナイフでその首を搔き切った。
噴き上がる鮮血、血で赤く染まるクリシュナの頬。
プロスペロが見たのは視界の端でとらえた刃だけだった。
「そっちは、加勢した方がいいかな?」
クリシュナは呟いてパスカルたちの方を見る。
パスカルとヴァルトの戦いも終わりに近づいていた。主にパスカルの体力の意味で。今、パスカルは何箇所か撃たれた状態で戦っており、あえて血も止めていない。少しずつ、だが確実にパスカルの顔から血色が抜けていた。
「挑発に乗らないのは分かったよ。それにしても、ダンピールはどこまで耐えるんだ……!」
と言って、ヴァルトは斧の一振りを躱す。
大振りな一撃、外せば隙は大きくなるだろう。ヴァルトはそう考えていたが、パスカルは一撃の勢いを利用して回転、もう一撃加えた。
「……っ!」
パスカルの攻撃が左肩に入り、ヴァルトはよろめいた。刃が通り抜けた瞬間からヴァルトは身体を再生しようとしたが――うまく再生できない。
「くそっ! 再生しろ! 僕は吸血鬼なのに!」
ヴァルトは何度も試すが、身体は再生しない。どころか、力が抜けていく感覚を覚えた。
はっとするヴァルト。
ダンピールの血液は吸血鬼にとっては猛毒だ。少し体内に入るだけで命の危険が出てくる。
「うあああああァッ!」
吠えながらパスカルに突っ込むヴァルト。パスカルはヴァルトの弱々しい拳を受け止めた。
「ごめんね。こうするしかできなくて」
パスカルは言った。
「情けをかけるつもりかよ!? 殺せよ! ほら、僕は君たちダンピールの恨むべき敵だ! 吸血鬼がいなきゃ、生まれながらに地獄を味わうこともなかった!」
と、ヴァルト。
パスカルはつい彼の言葉を否定しそうになったが、展開された空の瓶のビジョンが目に入り、言葉を飲み込んだ。
「その通りね。だからロムも苦しくて、世界を恨んだんでしょうね」
パスカルは言った。
「知ったような口を利くなよ……」
と言うと、ヴァルトは咳き込んだ。同時に鮮血が飛び散る。もはやヴァルトは立っているのも限界のよう。
「幸せになる方法くらいいくらでもあるのに」
「なれないから世界の破滅を望むんだよ」
ヴァルトは言う。
次の瞬間、ヴァルトは血を吐いて倒れた。
「……分からない。救われなかった人を幸せにする方法が。ロム」
と、呟くパスカル。
そんな彼女に声をかける者がひとり。
「幸せって言っても色々ありますからね」
声をかけたのは銀髪の少女、ちょうどオリヴィアと同年齢くらいの少女。シーラ・アッカーソンだった。
「貴女は……」
「シーラ・アッカーソン。お願い、手を貸して下さい。私、訳あって孤立してるんです」
シーラは言った。
面識のない人物だが、パスカルはその名前だけは覚えていた。タスファイの元にいた少女。戦いからは遠ざけられ、取引の情報も与えられずにただ「囲われていた」少女。
パスカルは言葉に詰まる。
自分が助けたオリヴィアが、シーラを囲っていたタスファイを殺したのだ。少なからず恨まれているのかもしれない、と覚悟する。
「貴女は、敵にも縋りたくなるほど追い込まれているの?」
パスカルは尋ねた。
「凄く。というか、救われなかった人を幸せにしたいなら私を幸せにしてよ。そうしたいんでしょ……?」
シーラは言った。その目力にはパスカルも圧され。
「ええ。怖いくらい幸せにする。それより、早くここを離れましょう。まずいイデアの気配が迫っているから……」
パスカルは言う。
彼女だけは気付いていた。ロムがある技を使ったのだと。




