23 リンジーとロムⅢ
出発の夜。
姉さんはあたしの知らないところから車を手に入れていた。車に乗せられて、あたしは大陸の南端近くから北東まで行くことになった。
「大丈夫なの?」
あたしは不安だった。
姉さんの運転が怖いというよりは、途中で襲われないかどうか心配だった。
何せ相手はあのロム。3、4年一緒にいただけでもあの執念深さは伝わってくる。逃げようとした作業員でさえも連れ戻し、再教育して従順な労働者に仕立て上げたのだ。あたしにま同じことをしそうだ。
「任せな。私の能力は光の屈折を操ること。つまり、私たちが見えない状態で逃げられるわけだ」
と、姉さんは答えてくれた。
少しは安心できた。ロムにあたしたちの居場所を探る手段がなければ見つけられないだろう。
「なら、安心」
あたしはそう言ってみたのだが。
「よし。イデアの展開も限度があることだし。飛ばそっか」
姉さんは笑いながら言うと、車のアクセルを思いっきり踏んだ。
すごい加速。すごいスピード。
「ああああァァアあああぁああああ!?」
こんなに姉さんの運転が荒いとは思わなかった。
あたしは意識を飛ばすことになる。
次に目を覚ましたのは山間の道。木が茂っていて周りはあまり見えない。ここはどこだろう?
隣にはちゃんと姉さんがいる。スピードは相変わらずだけど、そつなく運転している。
「目を覚ましたね。そろそろ朝だから休憩しようか」
姉さんは言った。
「う、うん。でもこんな山の中……」
「大丈夫。親友のセーフハウスがあるんだよね」
と、姉さんは言う。
こんな山の中に何がある、とあたしは思っていた。でも、あるもんだね。休めるところ。
車が茂みに突っ込む。
緑の中を突っ切れば、そこには木の建物があった。
姉さんは車を駐めてあたしを車から下ろす。
姉さんの言うセーフハウスには先客、というか主人がいた。
赤毛の女の人。きりっとした顔立ちだけど、隠せない優しさがあった。
この人はいい人だ。
「やあ、パスカル。無事に来れたよ」
姉さんは平然と挨拶する。
「ちょっと早すぎない? まあいいけどね。一応その子が私を知らないだろうから名乗るけど、私はパスカル・ディドロ。ダンピールを助けることが生き甲斐ね」
パスカルという人は言った。
「あたしはリンジー・チャイラット。ダンピールじゃないけど、よろしく」
「うん、よろしくね。
それにしてもアンセム……南の無政府都市からここまではかなり距離があったはず。半日で着くなんて相当ね」
呆れたようにパスカルは言った。
「急ぎの旅なんだ。ちょっとくらいスピード出しても平気平気!」
どこまでも姉さんは楽観的だ。
「でさ。リンジー話さなくてはいけないことが沢山あってね。雑談は後になりそうだよ」
「はいはい。私は……パウンドケーキでも切りながら待ってるから」
と言ってパスカルはキッチンらしき部屋に行き。この場ではあたしと姉さんのふたりきりになった。
「平行世界の話」
姉さんは言った。
平行世界とか言われてもいまいちぴんとこない。わかるのは、『ゲート』を通れば異世界に行けることくらい。
「『ゲート』を越えた先の世界のこと?」
聞いてみる。
「そうだよ。ロムんとこのグラシエラ。そいつは、平行世界の私だ」
と、姉さんは言う。
つまり、ゲートを越えてきた姉さんがグラシエラで、こっちのグラシエラが姉さんということになるのだろうか。
「そうだったんだ……!? いや、それは信じていいことなの!?」
「もちろん。それで、アナベル・パロミノって人が平行世界のリンジー。グラシエラもアナベルも、ゲートを通ってこの世界に来た。さっきは助けられなかったけど、オリヴィアも」
重要なことだとは思えないけど姉さんとしては重要なことなのだろう。ただし、オリヴィアの名前は引っかかる。
「オリヴィアって……」
「オリヴィア・ストラウス。平行世界で生まれたダンピール。しかも……いずれ女神様の視界に嫌でも入るようになる。リンジー、あんたもね」
と、姉さんは語る。
女神様。
視界に入る。
このときはまだ分からなかった。
「あんたもオリヴィアも、いずれ嵐を起こすだろうね。それと、オリヴィアは私たちか北東に逃げた後にパスカルが助けることになってる。だから安心してね」
こうして姉さんは話を終える。
そのタイミングでパスカルが部屋に。パウンドケーキと紅茶を持ってきてくれた。
あたしと姉さんとパスカルはパウンドケーキを食べて、夜まで寝て。
夜になればあたしと姉さんは車でまた北東に向かう。
今回も姉さんはスピードを出すし、あたしは気絶する。
今度気付いたのは、北東レムリアに入るくらいのところ。緋塚の町の南くらいに着いたときだ。
そのとき、スピードはそんなに出ていなかった。
「起きたね。早速だけど、気付かれた」
姉さんは深刻そうな口調だった。
「やっぱり……ロムはすぐに気付くからこれでも遅いと思う」
「あはは、そっか。平行世界にでも逃げなきゃダメだったかー」
と、姉さんは少しでも緊張を緩めようとする。でも、姉さんの手は震えていた。
「確認されているゲートは暁城塞の中……緋塚の町で車は乗り捨てよう。それで、平行世界へ」
と言って、姉さんはまたアクセルを踏んだ。
あたしは、気絶せずに祈った。これからも姉さんと一緒にいられますように。
どうか。
誰からも追いかけられないで暮らしたい。
あたしが一人前になるまでは。
祈りながら暁城塞に足を踏み入れた。




