28 病魔の錬金術師
鉄薔薇の間で、リンジーはヴィルホを前にしてひとりではなかった。この鉄薔薇の間にたどり着く者があったのだ。
「こりゃ、どういう冗談だ? その荊はリンジーの能力なのに、捕まっているのがリンジー。銃がそこにあるというのにお前は鉈を持っている」
そう言ったのはキルスティ。彼女の後ろには蒼――子供の姿にされた蒼倫がいた。
「銃には銃の使いづらさがある。適材適所だよ。そんなことも解らないのかな?」
ヴィルホは答えた。
「悪いね。私は銃を使って人殺しをする人間じゃないんだよ。私の武器は、これで十分だから」
キルスティはそう言うと、右手に血濡れの鋏を持つ。鋏の出し方、持ち方、キルスティの気配から、ヴィルホは一瞬でキルスティの正体を見破った。
ヴィルホはにやりと笑う。それもそのはず、ヴィルホの能力はイデア使い全般の弱点を突ける。
「蒼、手出しはいらねえ。私に試したいことがある」
と、キルスティ。
蒼は頷き、キルスティとヴィルホから距離を取る。それを確認したキルスティは、一瞬でヴィルホに肉薄。
「ろくでもないことをしようとしているのはわかっているさ」
ヴィルホは頸動脈を狙った鋏をはじく。膂力はわずかにヴィルホが勝っている。だからキルスティはその反動を利用して一度距離を取る。
キルスティが距離を取れば、ヴィルホはイデアをさらに展開。触手がキルスティの鋏に向かって伸びる。
「ヒヒッ、待ってたぜ」
キルスティはよけようとしない。が、鋏に向かって伸びてきた触手を、鋏で切り払う。切れ味が良いとはいえ、鋏は鋏。大した傷にはならない。
キルスティはさらに伸びてくる触手を躱しながら、確実に一撃ずつ触手に傷を入れていった。
「待っていたとは? まだ僕に触れることもできていないよ」
余裕ありげにヴィルホは言う。が、その余裕が崩れるまでにそう時間はかからない。
ヴィルホの展開した触手が蝕まれ、腐りおちる。まずは初めにキルスティが傷を入れたものから、彼女が傷を入れた順に腐ってゆく。まるで、致死性の最近に蝕まれて死に至る人のように。
「クソ……何をした!?」
ヴィルホは言った。
「私の能力の効き目を確かめただけだぜ。イデアの生命体もこうして腐らせちまうからよ、生命体に見えたお前の触手にも試したってわけだ」
と、キルスティ。
「はは……面白い能力だな。僕がこれまでに始末した人間にこの類の能力のヤツはいなかった」
ヴィルホはそう言って、リンジーを拘束したイデアを残して展開をやめたと思えば接近戦に切り替える。振るわれる鉈、避けても至近距離で感じる風圧。
「だが、力では僕の方が上だ」
ヴィルホは言った。
キルスティに隙ができた。ヴィルホは見逃さず、キルスティの首をはねようと鉈を振りぬいた。
手ごたえは手に残らない。返り血もない。
「外したか?」
ヴィルホは渾身の一撃の後、鉈の重さでふらついた。その背後に現れるキルスティ。彼女の持つ血染めの鋏がヴィルホの首筋に迫る。
「くそ……! いつのまに!」
鋏を躱しながら言うヴィルホ。
「それくらい自分で考えるこった。考えねえやつは嫌いだ」
と、キルスティ。
さらに鋏での一閃。これは鉈にはじかれ、鋏の刃は真っ二つに折れた。が、キルスティは即座に鋏のイデアを再展開。ヴィルホの鉈をかいくぐって彼に肉薄した。
「やはり速――」
「反射神経には自信があるんでね」
キルスティはヴィルホが言わんとしたことを聞き取り、その言葉を返答で遮った。と同時に、一閃。鋏の一撃は、ヴィルホの顎に傷を入れた。
わずかな痛みでヴィルホは己の身に起きたことを悟る。
「あああああああああ!?」
ヴィルホは一瞬にしてパニックに陥った。それも当然のこと。キルスティがヴィルホに鋏で傷を入れたことはヴィルホの死を意味する。傷さえ入れてしまえば、いかなる生命でも殺人バクテリアに侵される。
「くそ! 入り込んだものを出す! 無力化しなくては!」
キルスティを前にして、ヴィルホは生き延びるために体内にイデアを展開。イデアの支配権を奪うことで無力化しようとはした。だが、それも意味をなさない。
「やれやれ、わかったとたんにそれか。せめて私に斬りかかればいいものの。殺人バクテリアは私にも制御できねーよ」
キルスティは言った。
キルスティにも殺人バクテリアは制御できない。それはヴィルホが支配権を奪っても無駄であることを意味していた。
「あああああ! それを――」
吐血。血涙。ヴィルホの全身の穴という穴から血が噴き出した。そうなればもう長くは持たない。ヴィルホはもはや生命を保つことができずに崩れ落ちた。
ヴィルホの死に伴ってイデアも消えてリンジーも荊から解放される。このときにはすでにリンジーは意識を取り戻していた。
「あのヴィルホ・セランネがこうも簡単に……」
リンジーは言った。
「ああ。あんたの能力とはすこぶる相性が悪いだろうな。私の殺人バクテリアが制御できねえ代物で助かった」
と、キルスティ。
「そういえばさ、あんたのバクテリアって制御できなくて大丈夫なの? バイオハザードどかにならない?」
「今のところは大丈夫だ。生態系に対して使えばどうなるか分からねえからよ、使うタイミングは考えてる」
キルスティは答えた。
ヴィルホを斃し、鉄薔薇の間の奥へ向かおうとしたそのとき。陽葵とエミーリアが鉄薔薇の間に到着した。




