21 恨みを買ったから
オリヴィアには、マティルデの言葉が薄っぺらなものに聞こえた。それ以上に不快だった。
「クロル家にそんな概念があったって、驚き」
オリヴィアは言った。それは彼女なりの煽り。
彼女の狙い通り、マティルデはその煽りに乗った。表情にこそ出ていないが、オリヴィアの正面に現れ。
「それ、地雷ですよお。これだからダンピールは」
マティルデはそう言うと突きを繰り出す。一度にはとどまらず、何度も何度も。オリヴィアは避けられないと判断して影を盾にした。それでもレイピアの尖端は影を突き破る。下手すればミリアムより速い。
「……本当に馬鹿みたいな貫通力。しかも本人も速いじゃない」
オリヴィアは呟き、影にまぎれる。避けることはできなくても、影に身を隠すことはできる。
「こいつ、キルスティより速くない?」
と、オリヴィア。
一方のマティルデはといえば、影の塊を前にしてニヤニヤと笑っていた。
「鎖は繋がっているんですけどねえ。それで逃げたつもりですか?」
マティルデはレイピアを自身の右の太ももに突き刺した。
痛み、血。当然、傷口からは血が溢れ出る。一見無意味な行動だが、マティルデの行動には意味と意図があった。
影の塊の中、オリヴィアは右の太ももを押さえてうずくまる。剣で刺されたような激痛だ。血は流れなくとも肉体の組織が壊されたようだ。
「いっ……」
この突然の痛みに声も出ないオリヴィア。立とうとしても、呼吸をしても痛い。何をしても痛い。
――愛の契りです。愛は与え愛、受け取り合うものでしょう。
オリヴィアはマティルデ本人が放った言葉を思い出す。そうだ、これはマティルデの愛。クロル家の歪んだ愛だ。
「あのお、侵入者さん? 死ぬ前に名前を聞かせて下さいます? 私、殺した人のデータが欲しいので」
影の外からの、マティルデの声。妙に軽く甘ったるく、不快な声は確実にオリヴィアの神経を逆撫でした。
「ダンピール……あなたとしては……これで十分でしょう!? クロル家も壊滅したのに!」
オリヴィアは声を張って答えた。
「そうですねえ……半吸血鬼猟兵としてはそれで十分ですが。その隊長としては名前まで必要でして」
直後、影が切り裂かれる。刺突に特化したはずのレイピアは影を切り裂き、マティルデはオリヴィアの方へ。からの刺突。やはり速い。だからオリヴィア、影でマティルデを包み込んだ。今彼女がいるのは、影の腹の中。
「あなたはダンピールの恨みを買って死ぬんだから不要でしょ?」
オリヴィアは冷たい声で告げる。
対するマティルデは――影の塊の中で自身の腹部を何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度もレイピアで突き刺した。その度にマティルデは痛みで声をあげるが、そんなことはどうでもいい。ダンピールであるオリヴィアを殺せるなら。
「恨みなんて私の愛の前には無力ですね!」
影の外のオリヴィア。マティルデが刺した傷はオリヴィアにも反映される。が、オリヴィアに関しては傷を受ける度にその肉体を作り直していた。
「その愛、ヒルダにも向けられるの?」
オリヴィアは言う。
「そんなはずはありませんね! クロル家である以前にダンピールですよ?」
「そうだよね、どうせ出涸らしとか言うんでしょ。安い愛だよね」
オリヴィアがそう言ったとき、マティルデが「愛の契り」と呼んでいた鎖がオリヴィアの胸から消える。オリヴィアは鎖が繋がっていた部位を破壊し、作り直すことで傷の共有から逃れた。
これでオリヴィアは遠慮なくマティルデを殺すことができる。
「もう一度繋いでも無駄だから。わたしは何度でも外すし、何度でも再生する。傷を負うのはあなただけ」
オリヴィアは影の中に閉じ込めたマティルデに、無数の影の刃をぶつける。マティルデの方は何としてでもオリヴィアに鎖を繋げようとしたが、無駄だ。鎖を繋いでもオリヴィアは自分の体を作り替えて外してしまう。
「ヒルダを否定した口で、二度と愛なんて抜かさないで」
マティルデに刃が届いたとき、オリヴィアは言った。
「っ……クロル家の誇りに殉ずるのなら……ティーデ伯父様……」
絶命する直前、マティルデは言った。その声をオリヴィアは聞いていたが――そんなものはオリヴィアにとって聞く価値もなかった。ただ、ヒルダやミリアムと関係あるクロル家はオリヴィアが思う以上に複雑らしい。
影が晴れた。
オリヴィアの目の前にはマティルデの亡骸が転がっている。亡骸は傷だらけで、どれが自傷したものかもわからなくなっていた。
絶命したマティルデを見て何を思ったか携帯端末で写真を撮るオリヴィア。さらにオリヴィアは何人かにあるメッセージを送る。
「……ミリアムはこいつのこと、知っているのかな。もし知らないのなら」
と、曖昧な言葉を吐いてオリヴィアは抜け道へ。
抜け道はエレインの居場所へと続いている。
それはほとんど一本道で、部屋を迂回しているのか曲がりくねっている。当然ながら見通しは悪い。が、オリヴィアはイデアで進む先がわかる。だからオリヴィアに迷いはなかった。




