1 闇に堕ちた少女
シェルターの外に単独で出るのは初めてかもしれない。
正規の鍵は閉められて、信頼する者たちはもう1ヵ月戻らない。それも、連絡をすることなく。だから、シェルターに残された一人の少女はフェンスを破壊して外に出た。
彼女の後ろには穴の空いたフェンスがある。吸血鬼と人間のハーフ・ダンピールの少女を囲っておくには、あまりにも脆すぎたのだ。
オリヴィア・ストラウスの眼前に広がるのは荒廃した町。暗くてよく見えないが、路地で屈強な男2人が殴り合っているのが見える。おそらく喧嘩だろう。
7年も前にアンデッドの騒ぎがあった町のように、この町には麻薬の売人だっている。道端には体を売ろうとしている女だっている。法も秩序もないようなこの町だが、オリヴィアがこれまで生きてくるためには好都合だった。
オリヴィアは警戒することもなく町を歩いている。特に用事もないと言えば嘘になるが、直接の目的はここにない。
「おい、ねーちゃん。こんな時間に出歩いてると危ないぜ?」
「楽しいことしようや」
近くをうろついていた男がオリヴィアに近寄ってくる。
オリヴィアは確かに魅力的な外見をしているが、ある筋では危険人物ともいわれている。この男たちはわからないだろうが、彼らの運命も話しかけたときから決まっていた。
「楽しいこと。それはつまり、あなたたちの血でこの道を染め上げるということでいいの?」
オリヴィアはそう言って振り向いた。
彼女は恐怖をあおるような笑みを浮かべている。男たちは今、恐怖を覚えた――が、それはもう遅すぎる。
「ロム姉はね、ならず者は殺せって言ってたんだぁ。多分あなたたちも私と同じならず者でしょ? こんな町にいるんだから」
男たちが恐怖を覚えたところでもう遅い。彼らはオリヴィアに目を付けられた。
オリヴィアの足元を中心にして黒い影と、そこから伸びる黒い手が現れた。纏っているのは、この世のものとは思えない禍々しい気配。
これが、イデアという能力。人それぞれ、行使する力や見た目は違うが、オリヴィアはこの形をとっている。
「さようなら。さすがに食人鬼のような真似はしないけど、絡んでくる男は殺せって言われたから。多分私からしても合理的なんだよね」
オリヴィアがそう言うと、男たちの首が胴体から切り離された。正確に言えば、引きちぎられた。断末魔を上げることもできずに男たちは死体となって地面に転がされた。
彼女はまさに悪魔だった。この様子を近くで見ていた者は誰もが震えあがり、やましいことがあるような者は逃げるようにその場を去った。が、その中に一人だけ例外がいた。
物陰からオリヴィアの様子を見ていた人物は確かにいた。
赤髪の女はその能力、外見から探している人物がオリヴィアであると判断した。
「……どうしてこうなってしまったのかはわからないけど、見つけた。ただ、問題は私がオリヴィアに近づいて生きていられるかってことだ」
近づいてきた男たちの目的が目的だったとはいえ、オリヴィアは何のためらいもなく人を殺していた。そして、彼女の言っていたロム姉という単語。赤髪の女には覚えがある名前だったが、今それを考えることは得策ではない。
「さて、私はこの通りだけどランスはどうなってる? 考えなしにオリヴィアに話しかけないといいけれど。仮にそうしたら、多分」
赤髪の女は考えることをやめた。
いくらランスでもそうすることはないだろうと信頼したから。だが、それが間違いだったのかもしれない。
「え……ランス!?」
再び町の通りで騒ぎが起きる。
仲間が殺されたからか、オリヴィアに因縁をふっかけて殺そうと迫ってくる男たち。その中には殺すだけではなく、凌辱しようとする者だっているだろう。
「たかが若い女だろ! ぶん殴れば大人しくなるぜ!」
そんな声がオリヴィアの耳に入ってきた。男たちの中にはオリヴィアを舐め腐っている者もいるらしい。
オリヴィアは彼らの接近をすべて感じ取り、近くにいる者から血祭に上げてゆく。一人は首をねじ切られ、一人は胸に風穴を開けられ、また別の者は頭蓋骨を粉砕される。
イデアの見えない男たちはオリヴィアに近づこうとしては殺される。やがて、そのうちの恐怖を感じた者は顔を青くして逃げ出した。
「オリヴィア……何やってるんだ!」
それはもはやゴロツキたちの喧嘩ではなく、もっと危険な匂いのする騒ぎだった。ランスはその中に飛び込んでいったのだ。
「ランス! 考えなしに突っ込まないで! いくら目的の子がここにいるからってね、手段くらい選びなさい!」
赤髪の女は声を上げた。が、その声はランスにもオリヴィアにも届かない。
騒ぎはどんどん大きくなり、ついにはその中心にいたオリヴィアが再びあの能力を使うまでに至った。
「どうせ私を恨んでるんでしょ。そうだよね、ロム姉も私も恨まれることはしてるから。けどね、私にもやることがある。邪魔するなら、一般市民でも殺すよ」
オリヴィアは漆黒の影のイデアを再び展開したのだった。