14 博愛と狂気
誰からも愛されぬ人がいる。23年の人生でこれを知ったキルスティは、博愛をモットーとして考えるようになった。彼女の場合、その博愛は主に戦う力を持たない者、あるいは自分に大きな敵意を向けないものへと向けられる。だが、彼女は時として敵に対してさえそのようなものを向けることがある。
「戦う力や意思のない者を蹂躙するのは倫理的によろしくない。どうなんだ、聖職者」
キルスティは言った。
「僕だけが助かることになるのか……姉さんも先生も兄弟姉妹たちも死んでいく中で……」
ランディは言った。
「君の言うことが本当なら、兄弟姉妹たちは異常だ……セフィリア教で自殺は禁じられているというのに、喜んで命を捨てに行くなんて……そんなのは自殺と変わらない……なんでこうなったんだ……」
「知らん。が、あれを自殺だと言うことについては私も同意する。解ってんじゃねえか、聖職者。この異常な空気で、あんたはどうしたい?」
キルスティはここでランディに選択の余地を与えた。生きるか、死ぬか。誇りを捨てて仲間を裏切ったうえでの生か、誇りを捨てなかった末の自殺か。
ランディは返答に困り、黙り込む。そんなときだ、ここにもう1人――いや、もう2人の人が現れたのは。
「ランディ先生! 妹を助けてください!」
彼は銀の矢が右胸に刺さった幼い少女を抱き抱えていた。おそらく少女はエレナの矢を受けたのだろう。
「聖職者。必要としてくれる人が現れたようだぜ」
キルスティはそう言うとランディから離れた。
「あ……あぁ……テリー、その子をこちらに」
取り繕ったかのようにランディは言う。するとテリーと呼ばれた青年は少女をランディの前に下ろす。
少女はまだ息をしているようだった。
「まだ間に合うか。これが神の御業だ」
ランディの背後に展開されたのは神々しい異形のビジョン。人の形をベースとしていながら、その周囲には手が羽のように浮いている。その姿を神と呼ぶ者がいてもおかしくないだろう。
異形は少女に手を伸ばし、矢を抜いた。さらに傷口に触れればその傷はみるみるうちに治癒してゆく。
「神の御業ねえ。この見た目なら確かにそれらしい。新興宗教の教祖にでもなれそうだ」
と、キルスティ。
「あとはこの子が目覚めるのを待つだけだ。テリーはどうするかな?」
「……そこの異端を殺す以外にすることがありますか?」
テリーは言った。
「……そうか。ならば僕も立ち向かうよ。これでもハリソン先生の後継者だ」
テリーに何か気付かされたのか、ランディは再び銃を取り引き金を引いた。同時にキルスティは射線の切れる方へと回り込んだ。すると今度はテリーがキルスティに近づき。
「ランディ先生は俺が守る。この命に代えても、だ!」
テリーは言った。
「言うじゃないか。やっぱりお前からも感じるんだよなぁ、ここの信者特有の狂気を。一体これは何だ?」
と、キルスティは尋ねる。
その右手には相変わらず鋏を持っている。少しでもテリーが変な動きをすれば、その鋏はテリーを切り裂くだろう。
「人聞きが悪いな。俺たちは神のために、聖人にも肩を並べるハリソン先生やランディ先生のために戦うだけだ。それが狂気だと?」
テリーは聞き返す。
「そうだよ。神のために自分の人生投げ捨てるのはやはり理解に苦しむ」
キルスティはそう言い、テリーに斬り込んだ。対して、テリーはジャックナイフを抜いて応戦。キルスティの鋏を受け止めた。
「神を侮辱する者は、殺す! ランディ先生! これは信仰のための聖戦だ!」
狂信者も無神論者も、互いに刃を納めなかった。金属がぶつかり合って金属音が響く。ランディは2人に置いていかれ、その様子を黙って見ていることしかできなかった。ランディには戦う力がほとんどないのだから。
――ついてくるか、私の速さに。
キルスティは簡単に首筋を狙わせてくれないテリーに対し、ある種のじれったさを感じていた。ただでさえスーツを着た相手。狙える部位など限られている。
テリーは再びキルスティの鋏を弾いた。
「そりゃ、初見殺しができなきゃ暗殺じみたことはできないわな」
キルスティは一度距離を取って言った。
「どういうことだ――」
テリーが聞き返したそのときには、キルスティは姿を消していた。いや、テリーの懐に入り込んでいた。慌てて対応しようとしたテリー。それを見越してさらにフェイントを入れたキルスティ。
「こういうことだ」
キルスティがそう言うのと同時に鋏がテリーの首筋を切り裂いた。切り裂いてしまえば後は早い。たちどころにテリーの肉体は蝕まれ、腐敗するようにして死亡する。
キルスティはランディの方に向き直る。
「さて、聖職者。もう戻れないな?」
キルスティは言った。
「……戻れなくてもいい。ここで逃げて、何がハリソン先生の後継者だ」
と言って、ランディはキルスティに銃口を向けた。
「いいだろう。ここでどちらかが必ず死ぬな?」
と、キルスティ。
ランディは引き金を引いた。と同時にキルスティの姿が消える。背後か、とランディがその身を翻したときだ。キルスティがざっくりとランディの首に刃を入れたのは。
「ただでさえ一芸特化なものでね。いつも背後というわけにはいかない」
キルスティは言った。このときまでランディは意識を保っていたが――すぐに体は蝕まれてドロドロの腐乱死体と化した。そして、キルスティはさらに教会の奥に進むのだった。




