幕間 森島和平 『僕が好きになる人。』
・・・ネコ科の獣が、獲物を狙っている。
僕が初めて“カーリング”というスポーツを見たとき、氷上の人がそんな風に見えた。
軽井沢駅から車で20分程。
今、僕がいるここら一体は、室内プール、体育館や柔剣道場、屋内外スケートリンク、フットサルコート、サッカー場等々。
冬季は屋外スケートリンクとして機能するリンクは夏季にはフットサルコートやローラースケート場になると父は言っていた。
そんなありとあらゆるスポーツが年間を通して行える巨大な施設郡がそびえ立つ、その一画に日本最大級を誇るカーリング場がある。
三万人そこそこの町がこれだけの施設を運営している。
それだけでもこの軽井沢町という日本有数の避暑地の力が伺える。
一月の半ば。
午後六時を過ぎた外は真っ暗で深呼吸をすると冗談抜きで肺の中が凍るのではないかと思える程の空気。
それぐらいに凍てついた空気は、混ざりっ気がなく、汚染もなく、つまりとても新鮮にも思えた。
僕が暮らしている東京の空気は、例え冬だって深呼吸したいなんて思わない。
しかしそんな外とは裏腹に、カーリング場内は暖房が効いており、コートがいらないくらいに暖かい。
競技をしているカーリングホールと、今僕が観戦しているラウンジとは、入り口は二重の扉で区切られ、窓ガラスも分厚い。
温度の管理は徹底されているのだろう。
そして今ガラス一枚隔てた眼下では、そのカーリングと呼ばれる氷上の競技が行われている。
カーリング…。
全く知らない訳ではない。
今から五十年程前にこの地で長野オリンピックのカーリング競技が行われ(その時はこのカーリング場ではなかったそうだが)、その競技を目の当たりにした子供達が次の世代を築いたという。
一見すると地味な競技だ。
スピードスケートの様な爽快感も、アイスホッケーの様な力強さも、フィギュアスケートの様な優雅さもそこには無い様に思えた。
しかし、漬物石(?)のような石を滑らせている老若男女。
そう、まず驚くべきはその年齢層の広さ。
未就学児と思しき子供から、腰の曲がった高齢者まで。
いや、それどころか車椅子に乗ったままプレーする人もいる。
皆、とても楽しそうだ。
そんな中で僕は高校生くらいの女の子達の集団に目を奪われていた。
正しくはその中の一人に、だけど。
その長い髪の毛は角度によっては黒髪にも金髪にも見え、氷上を滑る彼女の動きに合わせて光を纏いながら靡く。
ふとした瞬間に見える素顔は、美人だが目つきが鋭く、一見すると取っ付きずらそうな印象。
ラウンジからでは目の色までは分からないが、等身の高いスタイルからも、ひょっとしたらハーフなのかもしれない。
僕は直に観てみたくなり、ラウンジから二重の扉を経て観客席へと移動する。
二つ目の扉を開けた瞬間、冷凍庫に入ったような香りと冷気が僕を包む。
当たり前だがラウンジよりずっと寒い。
入り口に置いてある毛布を手に取り、観客席の上段に座る。
僕にとっては珍しい光景でも、軽井沢では当たり前の光景なのだろう。
観客席で見学している人はまばらだった。
「Yes!」
彼女の声がカーリングホール内に響く。
すると両脇に控えていた女の子達が一斉にデッキブラシらしきモノで氷を擦る。
デッキブラシに全体重を乗せ氷を擦る姿は、それをやった事がない僕にもキツそうだと思わせるに充分だった。
合間で彼女達の息遣いが聞こえてきた。
彼女が投げた漬物石(?)が円の中の石を一掃する。
赤色と黄色の石が弾かれる様子はさながら、おはじきのようだった。
「リューリ!ナイス!」
円の中にいた女の子が叫ぶ。
こちらも金髪だが、染めているのだろう。
漬物石(?)を投げた彼女は当てる角度なども分かっていたのだろうか?
円の中の石が次々と弾かれる様子は、ルールをよく知らない僕でも凄い事だと分かった。
前言を撤回したい。
爽快感も、力強さも、優雅さも全てが兼ね備えられている、と。
黒と金色の髪を靡かせて氷上を滑る彼女。
「綺麗だ…」
思わず僕は呟く。
その言葉が聞こえるはずはないのだが、彼女が振り向き…僕と目が合う。
そして彼女は優しく微笑んでくれる…訳ではなく、鋭く吊り上がった細い目をより一層細めて僕を睨む。
その瞳はカーリングの氷上と同じ透き通った薄い青色。
睨んでいてもやっぱり綺麗だな、とそれでも僕は感心してしまう。
目を合わせていたのは一秒にも満たなかっただろう。
彼女からふいっと目を逸らす。
「こっちで観てたのか、和平」
「和平だよ。自分でつけた名前くらいきちんと呼んでくれない?」
「いや、すまない。呼びやすくてな。で、こっちに引っ越してきたら、やってみないか?カーリング」
「…考えてみるよ」
いつの間にか横に父さんが座っていた。
「どうだ?面白いだろ?これなら…」
これなら、腰を痛めたお前でも出来るんじゃないか。
父さんが言葉を飲み込んだのが分かる。
「ねぇ父さん」
「なんだ?わへい」
「カーリングは円の中心に石が止まると何点入るの?」
「…」
父の表情から察するに僕はかなり的外れな質問をしたのだろう。
「よし、まずはそこから話そうか」
父さんとカーリングホールの一階に向かう。
すると、先程カーリングをしていた女の子達がホールを出てくるのが見えた。
あの黒と金色の髪の子も一緒だ。
周囲の子達は年相応といった風で、お喋りに花を咲かせている。
一方黒と金色の髪の子はお喋りには混ざらず、グローブを外し、髪をかきあげながらこちらに向かってくる。
僕と擦れ違う。
瞬間、僅かな汗の香りとシャンプーと、あのカーリングホールの氷の香りが僕の鼻孔をくすぐる。
それが、僕のカーリングと、機屋リューリとの出会い。




