''モルブス・アモーリス''を忘れたくて。
年が明け、冬休みももう2週間前の出来事となってしまった1月の終わりの頃。終わらない冬休みの課題、来週に迫った2年生最後の模試、『もう受験戦争は始まっている』と謡う塾の勧誘、裏に『体験無料』と書かれたそのプリントを目のつく所に置く母親、上がらない成績に出来ない彼女、要らない童貞と、百八は優に越えるであろう煩悩に苛まれ、ついにはいつも通り全てを投げ出しスマホを弄り出す日曜日の昼下がり。
慣れた手つきで画面も見ずに3年前から続けているゲームを呼び出す。時間内にどれだけのブロックを消せるかを競うゲーム、『ブレイク・ブロック・ロワイヤル』、通称『ブレロワ』。割とガチでやり込んだから世界ランクは上位10パーセントに入っている。他に大した長所も特技も特徴も無い僕の唯一無二の自慢。そして今日はそのランクの進級がかかった試合がある。勝てば上位五パーの栄光、負ければ10パーから落ちるその大事な試合。相手との力差は無く、集中力が全てを決める。3分間で全てが決まり、そのために部屋の音の出るもの全てを切り、全神経をスマホ1つに集中させる。
そして戦いの火蓋が切って落とされた。
序盤は五分五分、完全な拮抗。しかし中盤に差し掛かったところで相手が一手を無駄にした。その差は中盤の終わりまで埋まらずこちらの優勢で終盤に突入。残り時間は30秒。
いける、このままなら勝てるっ――!!
と思った次の瞬間、メッセージアプリが一通の着信を告げた。
『一通のメッセージが届きました』
その通知は非常にもゲームの画面を一瞬止める。その一瞬の間に大量のブロックが画面の上から下へと落ちて行く。無慈悲にも流れさった時間は戻らず、落ちたブロックはどこかへ消えた。
覆水盆に返らず。
It is no use crying over spilt milk.
嗚呼、我が青春よ……
目に入った''loose''の文字に突き動かされてS級戦犯を確認する。メッセージアプリのトーク一覧、その一番上に表示されていたのは、――お気に入り登録しているから当たり前ではあるのだけれど――、彼女、留守居 羅良さん、
僕の好きな人だった。
その字が目に入った瞬間、ドス黒い殺意的な何かに染まっていた僕の心は、漂白剤か何かをぶっかけられたかのように真っ白く染まり直り、そして淡い桃色を帯びた。
留守居さん、同じクラスの女の子で去年も同じクラスだった。出席番号が近いから授業の席も近く、僕の親友の武勇 久乃伊と一緒に3人でよく話す程度の仲。部活は吹奏楽部で、性格は明るい感じでよく笑いよく話す元気な女の子、そんな印象。髪は動きやすいようにからかシュシュでポニーテールにしている。成績はかなり良くて国公立大学の薬学部を志望しているらしい。成績が下の上くらいの僕では同じ大学に進むのは無理だから、同じ学校に通えるのは来年まで、しかも来年はクラスが文理で別れるから同じクラスにいられるのも今年、つまりあと2ヶ月だけ。この間にどうにかして関係を進めなければ、たぶん以降にチャンスは無い。それが僕の1度きりの青春の現状。
つまり1日1時間1分1秒が大事。急いで彼女からの2日ぶりのメッセージを見る。
『たしかに笑笑』
たったこれだけ。これだけのメッセージに2日かける彼女。対して僕は即レス。彼女からのメッセージの2分後に僕のメッセージは送られた。僕は2分、彼女は2日。彼女はまだスマホを開いているかもしれない。それなのに2日付かない既読の文字。メッセージの返信をあえて遅らして焦らす、という恋愛テクもあるらしい。けれど、前に試しに僕からの返信を2日おいてみたら彼女とのやり取りは4日おきになってしまって、堪えきれずに即レスに戻った。僕は文が長過ぎないか、うざくないか、スタンプはどれにするか、そんなことを散々悩みながら送るけれど、彼女は何も考えていないのだろう。僕は2分かけて考えるのに彼女は10秒もかけていないかもしれない。その上返信は彼女の方が、誇張無しに1000倍も遅い。それなのに、たまに絵文字がついていたり、それがハートなんかだったりしたら、嫌でも僕の心は舞い上がる。どうしようもないほどに跳び上がる。そんな僕を呆れて見ている僕がいる。
彼女への返信に満足し、ゲームに戻る。画面には未だ''loose''の文字が哀しそうに踊っている。でもさっきとは違い、フレンド欄に一件の通知がある。
《 SuO さんからメッセージが届いています》
メッセージの内容は今日の狩りのお誘い。このゲームにはモンスターの育成が必要不可欠で、フレンドというシステムを利用すれば一緒に狩りができる。フレンドと狩りをすると色々なボーナスが付くため僕もよく仲のいいフレンドと狩りに行く。そのフレンドの中でも特に仲がいいのがSuOさんだ。キャラクターは女だけれど、ゲームだから本当の性別は分からない。というか''SuO''が周防から来てるなら男っぽいけれど、でも性別なんてどうでも良くなるくらいに一緒に狩るのが楽しい。チャットもメッセージもあまり使わないけれど、なんとなくのこの関係が心地良い。
一通り狩ってホーム画面に戻る。今日は豊作だ。レア素材もゴロゴロ手に入った。ふとお礼を言いたくなったけれど、今までメッセージのやりとりをしたのことがない。どうしよう。いきなりメッセージなんて怖くないかな?と、一人ベッドでゴロゴロ悶えながら考えているとフレンド欄に通知が来た。
SuO『今日も、ありがと』
――同じことを、考えていてくれたんだ。自然と頬が緩む。僕は『これからも、よろしく』とだけ返事してブレロワを閉じた。
結局日曜日は1時くらいまでゲームやなんやらをしてから3時まで課題をして寝た。写してでも課題は出す。てか出さなきゃ留年。学業面での取り柄は無遅刻無欠席くらいだ。
月曜日の朝、大きな欠伸をしながら家を出ると、数奇屋 桜花、小学校からの幼なじみと鉢合わせた。
「璃来ちゃん、おはよー」
ニコニコしながら桜花が挨拶してきた。
「おはよう、それと僕には望月 璃来といういかにも男子な名前があるんだからちゃん付けはやめろ」
桜花は昔からおっとりした性格で、見た目は大和撫子見たいな感じ。長い黒髪を垂らしていて、その長さは腰に届きそうなくらい。そこにメガネ。黒髪ロング好きにはたまらないんじゃないだろうか。そしてまあまあ美人。あとついでに胸がでかい。
「そんなことより、ちゃんと課題やった?」
僕の抗議は''そんなこと''として流された。
「終わらせたよ、ちゃんと」
「写してでしょ?」
「もちのろん。ここ2年課題を写さなかった日はない」
「偉そうに言わないの」
寝不足頭に正論が刺さる。
「しかも璃来ちゃん今日あんまり寝てないでしょ」
「1時には寝たよ」
「また3時まで起きてたんでしょ」
何故バレてるし。
「何してたの?」
「課題」
嘘は言ってない。
「またそうやってゲームばっかりして、どんどんおバカさんになっちゃうよ?」
漫才並みに会話が噛み合っていない。まあ僕の誤魔化しがバレているだけなんだけれど。
そしてこいつにはゲームの素晴らしさが分かっていない。絶対ゲームとかしなさそうだし、
「あーもう、朝から色々うっさい! お前は母ちゃんか!」
僕は脱兎のごとく逃げた。客観的に観るとダサいことこの上ないけれど。
「もう! 璃来ちゃん!! …………私は璃来ちゃんが心配なだけなのに……」
心配そうな彼女の声は、僕に届く前に冬の風に流されて消えた。
学校に着いてしばらくしてから留守居さんが教室のドアを開けた。去年の秋辺りから僕は今まで遅刻寸前だった家を出る時間を30分早くした。彼女が朝早めに学校に来ていることを知ったからだ。それからは朝時々話す。話せた日は1日ポカポカした気分で過ごせる。けれど僕と彼女は何も話題が無いのに話しかけるほどの間柄ではない。そうだ、今日は小テストの範囲が分からないのを理由に話しかけよう。
「お、おはよう、留守居さん」
しまった緊張で声が上ずった。何度話しても、経験値を貯めても、毎日初対面のように緊張してしまう。
そんな僕の内心などお構い無しに彼女は呑気に気の抜けた挨拶を返してくる。
「おはよー」
『人の気も知らないで』そんな風に毒づきたくなるほどに、やっぱり僕は彼女が好きなのだ。
小テストの話から何とか頑張って話を広げていると、10分ほどしたところで久乃伊が教室のドアを開けた。
「お、久乃伊、おはよ」
「よう、今日も非リアオーラが凄まじいな」
「うっせークソリア充」
「…………遠距離で半年も会ってない状況で、果たしてリアルが充実していると言えるのだろうか?」
「でも6年続いてるんだろ? 十分充実してるじゃねーか三遍死んどけ」
「はいはい、ラブラブで悪うございました」
茶化し合いながらじゃれ合うこいつとのこの朝の時間が僕にとっては一日の中で一番心地良いものだったりする。まあ本人には死んでも言わないけれど。
ふと隣に視線を遣ると、留守居さんが少し沈んだような表情をしていた。でもすぐにいつもの、花が咲いたような笑顔に戻って会話に入ってきた。
「いいなー、私も青春したいな」
さっきのは見間違いか勘違いだったのだろうか?少し気になって考えていると、
「羅良は好きな人とかいないの?」
久乃伊が爆弾を投下してきた。てかナチュラルに下の名前で呼ぶな。僕なんか1年経っても呼べないんだぞ。
「うーん、いる、かな?」
そしてその爆弾は爆発した。えっ!!!???という心の声が外に漏れないように必死に堪えてから、呼吸を整え、1番の核に触れる。あくまで興味本位な感じで。
「え、だれ? クラスの人?」
「えー、言えるわけないじゃん」
笑いながら彼女はそう答える。言えるわけない、とは?
……もしかしたら僕のことが好きなんじゃないだろうか?本人相手に気持ちを言えるわけない、こう考えたら辻褄が合う。留守居さんと両思い…………そんな、わけない。
彼女は僕とじゃあ天秤にかけること自体おこがましい、それほどに釣り合わない。
でももし、この夢物語のような空想が、ご都合主義の妄想が、微かに魅えた幻想が、現実になればいいのにと、願って止まない僕だった。
5日ほどたって、誰も待ちに待っていない模試がついにやってきた。
結局あれから留守居さんの好きな人は誰か分からずじまい。というかあれからまともに話してすらいない。
まあ模試は適当にやって日頃とれない睡眠時間を確保させてもらおう。昨日……というか今日の明け方までブレロワのイベントに勤しんでいたから眠気がやばみざわ。SuOさんも同じ時間まで付き合ったくれた。だからさぞかしおつかれだろう。土曜日は学生でも社会人でも多分休みだろうけど。それこそうちの高校みたく模試があったりしなければ。
そんな気持ちで欠伸をしながら通学路を歩いていると、桜花とエンカウント。
「あれ? 桜花、珍しく眠そうじゃん」
「おはよぉ、璃来ちゃん。うん、今日は学校休みだと思って夜更かししちゃった」
「へー、珍しいな。何してたの?」
「ひ、ひみつだよ。そういう璃来ちゃんこそいつもに増して眠そうだね」
「ゲーム。イベントが来てたからちょっと頑張りすぎた」
「へ〜、奇遇だね」
「奇遇?」
「あ、しまった! な、なんでもないよ」
奇遇、とは?
「え、えっとぉ……あ、そうだ! いや私も好きな小説家さんのイベントが昨日あって、そこで買った本を夜更かしして読んでたから寝不足なの」
「桜花もイベントがあったのか」
「そう、そういうこと! それで奇遇って言ったの」
「でもそういうイベントが平日にあるって珍しいね」
「う、……その作者さんが変わった人で、土日は絶対に休まないと気が済まないっていう人なの」
「へー、面白い人だね。何て名前の人?」
「ええー、そこまで食いついてくるのか……あ、『ブルガン・ジェーン』っていう人」
「ブルガンさんか、ググッてみよう」
「ええっ! うーんと、ベルギーの古典文学の人だから璃来ちゃんには合わないと思うよ」
「ベルギーの古典文学!?」
「うん、まあまあ面白いよ」
「ベルギーは流石に読もうとは思わないなぁ……」
桜花の趣味嗜好が全く分からなくなった。何故か桜花はホッとしているし。
ツッコミどころが多かったけれど校門が見えてきたからそこで別れた。
模試の一番初めの科目は国語。2年生の終わりにもなると内容は200点満点で時間は100分間。かなりハードモードだ。しかも明日もある。土日出勤だ。今週、来週と合計12連勤。あれ、おかしいな、文科省は労基法も知らないのだろうか?ただまあ、休日も留守居さんに会えるというなら眠気まなこを擦って来る意味はあるかな。
「よう首席、調子はどうだ?」
久乃伊に声をかける。こいつは実は頭がいい。うちの学校にいるのがおかしいくらいに頭がいい。それなのに教えるのが無茶苦茶下手だから使えないったらありゃしない。
「おい、朝っぱらからなんか失礼なこと考えてるだろ」
ちなみに勘も鋭い。
「細かいことはおいといて、明日の昼、どっか飯でも行かない?」
「あー、明日はちょろっと野暮用が」
「まじかー、親に飯いらいないって言っちゃった」
「気が早すぎだろ。先に俺にアポ取れよ」
「遊びたくてやった。反省はしていない」
「反省してもし過ぎないレベルだぞ」
明日の昼は一人でファミレスでも行こうか、
「じゃあ私とご飯行かない?」
なんて考えていたら思いもよらない人から声がかかった。留守居さんだ。
「え、ほんとに?」
「嫌?」
「全然嫌じゃないというかありがたみの極みです!!」
「そっか、じゃあ行こう! イウォンで良い?」
「うん、あそこならフードコートとか色々あるしね」
「絶対だよ! 破ったらハリセンボン食べさすからね」
来るなと言われても行く自信がある。というかあれ?針千本は飲ますものじゃ……?もしかしてハリセンボンと間違えてる?
鬼かわいいな
僕は尊さと喜びとワクワクで悶える顔を隠すために、分かりもしない参考書を読み出したのだった。
結局模試は土日の両方とも留守居さんとのランチが楽しみすぎて全く集中できなかった。でも反省も後悔も皆無だと断言出来る。
模試が終わって、留守居さんと念願のイウォンへ行こうとすると、部活仲間の亜門 鉄次郎が絡んできた。鉄次郎も同じクラスだから一応留守居さんとも面識がある。
「なあなあ璃来、今から飯いかん?」
「悪いが先約があるのでお引き取り願います」
「そう連れないこと言うなよ」
「いや着いて来んなよ」
二人っきりのデートを邪魔される訳にはいかない。
「あれ? 璃来って帰り道こっちだっけ?」
諦めて校門まで3人で話しながら行くと、イウォンの方へ道を曲がったところで鉄次郎が聞いてきた。こいつも無駄に鋭いな。
仕方がない、諦めて全て話して察してもらおう。
「今から留守居さんとイウォンでご飯食べるんだよ」
「いいなー、俺も混ぜて?」
ふざけんな察しろよ!
「いいよー」
いいの!?二人っきりじゃないの!?
そんな心の声がもしかしたら漏れてしまっていたのか、留守居さんが答える。
「え、だって2人より3人の方が楽しいよね?」
鉄次郎を追い出したかったけれど、純真無垢な笑顔で言われたら、『はい』以外の何も言えなかった。
学生の、涙無しでは聞けないお財布事情から、僕らの足は自然とフードコートへ向かった。
ランチタイム真っ最中の熾烈な椅子取りゲームを勝ち抜き、4人がけテーブルを確保した僕らは、各々食べたいものを買いに行く。僕はカレーライス、鉄次郎はオムライス、そして留守居さんはカツ丼とうどんとラーメンを買ってきた。
机の上には3人しかいないのに5人前のランチが所狭しと鎮座している。総カロリーは成人男性の一日の摂取カロリーをゆうに超えているであろうそれを、留守居さんはペロリと平らげていく。華奢なその体のどこに入るのだろうか。女子の胃袋はブラックホールに繋がっているという都市伝説は本当だったのか。
そんな風に面食らっている――ちなみに鉄次郎は幸せそうにオムライスを頬張っていて自分の世界に入り込んでいる――と、ポケーっとしている僕の視線を、何を勘違いしたのか留守居さんは、
「美味しそうでしょ。ひと口食べる?」
と、カツ丼のカツを一切れ、しかも半分食べかけの、しかもしかも先程まで彼女が使っていた御御箸で、僕の口元に差し出してきた。『これっていわゆる間接キッス?』と意識しまくって僕の体は動かない。頭が働かない。でもまさに据え膳食わぬは的シチュエーション。反射的に声が出る。
「あーーん」
「あーーーー」
至極の御御カツが口元までいらっしゃる。ただの、フードコートの店のカツが金色に輝いている。そしてそれはそのまま僕の口の中へと――――
「ーーーげないっ」
ひょいとカツは華麗なUターンをきめて留守居さんの口の中へとダイブした。食べるのもが無くなったことに気づかない僕の口はカチンと音を立てて閉じ、期待を裏切られた僕の目は、恨めしそうに彼女を見る。けれど、
てへっ
と、舌を出した彼女の小悪魔的な笑みを見ると、あまりにも可愛くて文句もぐうの音も出なかった。
悪魔のような天使の微笑みの余韻に浸っていると、それまで幸せそうにオムライスを頬張っていた鉄次郎が突如立ち上がり、
「俺一時から塾あんの忘れてた!! じゃあな!!」
と帰って行った。僕と留守居さんは数瞬唖然としたあと、顔を見合わせて笑った。
「急に来て急に消えるって台風みたいな奴だね」
「そうだねー、これからどうする?」
見ると彼女の前にあった大量の炭水化物はブラックホールにすっかり吸い込まれてしまっていた。どうにかして引き留めなければ。しかもようやく二人っきりになれたのに。
「クーポンあるからゲーセンに行こうと思うんだけど、留守居さんも一緒に行かない?」
「うん、いいよー」
その一言で僕の心はまたもや数段舞い上がるのであった。
「あ! あれやろうよ!」
ゲーセンに入ってすぐの所にある筐体を留守居さんが指差した。それは今や誰もが知っている音ゲー、『コンガの達人』。『コン達』という略称で呼ばれているそれは、画面に表示される譜面通りにコンガを叩くというシンプルなゲーム。そもそも音ゲーにはリズム感が必須で、リズム感皆無な僕には向いていないのだけれども、そんな中これだけは人並み程度にできる。されど今は好きな人が隣にいる。人並み以上の実力を見せてカッコつけたい。
「いいよ、協力モードでいい?」
「対戦がいいなー」
「りょうかーい」
言いながら100円玉を投入。ガチャんという音と共にゲームが始まる。コン達は100円で3曲遊べ、その3曲のミスが少ない方が対戦モードでは勝者となる。
一回目から僕の1番得意な曲を選ぶ。難易度はMAX、普通の女子には出来まい。けれど、隣を見ると留守居さんは『この曲はやったことないなー』なんて言いながら同じく難易度をMAXに設定している。
そこで僕はハッと気がついた。
このゲームを選んだのは、そもそもは彼女の方であった、と。
結果は15:20でなんとか1曲目は勝てた。しかし、ここに一つ情報を付け加えるならば、彼女はこの曲が初見で、僕は何十回もやり込んで譜面を覚えているレベルであったということ。そう、留守居さんはコン達が、べらぼうに上手かった。
残りの2曲は言うまでもなくボロ負けした。彼女が選んだ曲は巷で鬼畜曲と有名なもの。見栄を張って彼女と同じ難易度にした僕は、どちらも数百回のミスをして終わった。ちなみに彼女のミスは数回のみでほぼパーフェクトで僕に圧勝した。
「はぁ…………留守居さん強いねこのゲーム」
息を切らしながら彼女の勝利を称えた僕に対して留守居さんは息の一つも切らすことなく、
「次はあれやろう!!」
と、気がついたら他のゲームにコインを入れていた。
小一時間ほど遊んでから僕らはゲーセンを出た。方で息をしてぜえぜえ言っている僕に対して彼女は、『軽く動けて良かったー』なんて言っている。
「楽しかったね! また遊ぼう!」
そう言ってくれた留守居さんの笑顔はとても、形容しがたいほどに素敵で、ミスりまくり負けまくりでカッコの一つもつかなかったけれど、ここ数年で一番楽しい時間を、僕は過ごしたのだった。
模試が終わって3日がたった水曜日の朝、起きてスマホを開くと1件のメッセージが来ていた。留守居さんからだ。
『今週の日曜日、カラオケ行かない?』
まさかのカラオケのお誘い。即返信すると、いつもとは違いすぐに返事が来た。5分ほどで時間や場所を決めてしまい、互いに学校の用意があるため、そこでメッセージのやりとりは終わった。終わった後も僕の気持ちは浮ついたままで落ち着きを取り戻せず、あげく去年のような遅刻スレスレの時間に家を出た。
そんな幸せの絶頂にいるかのような僕の心とは裏腹に、空はどんよりと昏い影を帯びていた。
明日の木曜日が高校入試ということで、今日は短縮授業だった。先生達は用意やらなんやらで忙しくしているが、生徒にとってはただただ早く帰れる日。みんな朝からテンションが高かった。そんな中でも僕のテンションはおかしかったようで、鉄次郎に3回くらい精神科の受診を勧められた。やんわりと丁重にお断りしたけれど。
ただでさえいつもより短いのに、朝から浮かれに浮かれていた僕の場合、授業は物思いにふける暇もなく終わった。
今日も誘われないかな?と少し期待してみたけれど、朝に1日分の留守居さん成分を補給したからかランチのお声かけは無かった。仕方なく一人でイウォンに行くと、某ハンバーガーショップで留守居さんの後ろ姿を見つけた。ラッキー!!と、声をかけようと少し近づくと、留守居さんの向かいに、久乃伊が座っているのが見えた。慌てて距離をとってから再びそちらを眺める。久乃伊の前にはビッグバーガーのセットとナゲットにフライドチキンといういかにも男子高校生なランチが、そして留守居さんの前にはSサイズのポテトとハンバーガー1つがポツンと置かれていた。
ご飯を食べ終わった2人が向かったのはゲームセンターだ。離れたところから様子を伺っていたから会話までは分からなかったけれど、ご飯の間終始留守居さんは笑顔だった。
ゲームセンターに着いた。これまた離れたところから様子を伺っていると、2人はコン達を始めた。
協力プレイの難易度ノーマルで。
コン達の後、4個ほど他のゲームをして2人は解散したようだ。
その間、留守居さんはプレイ回数が4桁に達しているデータカードを使うことも、外野が一斉に息を呑むような人ならざる業をすることも、久乃伊をボロボロに負かすこともなかった。
それはまるで、普通の女の子のようだった。
家までの帰り道、突然降り出した雨に、傘を持っていなかった僕は、ただただ濡れて帰るしかなかった。
もやもやした気持ちを晴らそうにも、学校が無いためどうすることも出来ず、木曜日は一日中ゲームに没頭することで頭に次々と浮かぶ嫌な憶測を振り払おうとした。
唯一の救いがあるとすれば、平日なのにも関わらずSuOさんが一日中狩りに付き合ってくれたこと。でも今日のSuOさんは僕とは反対に、いつもより心無しか機嫌が良さそうだった。
明くる日の金曜日も雨は止まず、僕は傘をさして学校に行った。留守居さんに話しかけようという気は起きず、かといって久乃伊に問いただすこともできず、一日中暗闇を纏っているかのように過ごした。水曜日とは逆の意味で鉄次郎に精神科を勧められた。とりあえず病院の場所だけ教えて貰った。
放課後、止まない雨に包まれながら帰っていると、駅へと続く道に件の鉄次郎と桜花の姿を見つけた。
「これからどこ行くの? お二人さん」
「同人誌のイベント。3週間連続であるんだ」
「えっ!!?? 鉄次郎くん、それは璃来ちゃんには内緒にしてって言ったじゃん!!」
「あ、そういえばそうだった」
イベント…………あ、先週のか!
「桜花、先週はベルギーの古典文学の作家さんのイベントに行ったんじゃなかったけ?」
「え、えっとぉ………………」
「ん? 桜花は俺と一緒に同人誌のイベントに行ったぞ? 週ごとに売ってるものが違うから毎週行かなきゃならないんだ」
「鉄次郎くん!!!!」
「あっれれー? おかしいなー?」
桜花が白状したところによれば、桜花は同人誌、それも主にBLものが大好きらしく、けれどそれを幼なじみの僕にバレたら親伝いに自分の親にバレてしまうと隠していたようだ。
にしても嘘でベルギーを出してくるなんて、やっぱり桜花の頭の中はどうなってるんだか理解できない。
「まあそういうわけだ、じゃあな」
「璃来ちゃん、おばさんには絶対内緒だよ!!」
「はいはい、せいぜい爆発しろリア充ども」
労いの言葉を贈って2人と別れる。朝よりかは少し気分が楽になった。
土曜日を挟んで日曜日、待ちに待っていた留守居さんとのカラオケ。各々ご飯を食べてから、2時に落ち合ってカラオケに入った。
カラオケというのは密室だ。しかもそれなりに近い距離に座るもんだから、色々と思うところはあっても否が応でも舞い上がる。
始まって数曲歌ったところでお互いに理解した。二人とも音痴だと。まあ片方が上手いと気にするけれど、両方とも音痴なら問題は無いか。曲の合間に少し話をしつつ交互に歌っていく。途中で一度僕が飲み物を取りに行った以外はずっと二人っきり。
ちなみに留守居さんはジュースを飲むのがやたら遅い。ストローでチビチビ飲んでいる。靴を脱いでくつろげる部屋だから思いっきり胡座をかいているのに、ジュースだけは女の子っぽく飲んでいて、そのギャップがまた堪らなくかわいい。ただ、暑くなったのか時折スカートをパタパタしたり、足を組替える時に少しめくれるスカートの隙間から見える白い健康的な太ももは目に悪い。いや見る度に視力が上昇している気がするけれど。
ちなみにちなみに留守居さんの服装は制服。部活の午前練が終わった後そのまま来たらしい。私服が拝めるかもと少し期待していたから残念だ。
残り一時間くらいになったところで、留守居さんがおもむろにカバンから小箱を取り出した。
「はい、これ」
「なに? これ」
「バレンタイン。前に欲しいって言ってたヤツ。ホワイトデーは3倍でお願いね」
…………思い出した、去年の12月くらいにバレンタインは某たけのこ菓子が欲しいとかいう話をしたことがあった。そんな何気ない会話まで覚えていてくれて、しかも買ってきたお菓子をちゃんとラッピングまでしてくれて、
やっぱり僕は、彼女が好きだ。たまらなく好きだどうしようもないくらい好きだ。
好き過ぎてしんどくて、彼女の笑顔が尊くて、この気持ちは温かくて。
だから、だからこそ、この気持ちは絶対に隠さなきゃいけない。''友達''として通さなければいけない。
だって彼女は、留守居さんは、久乃伊のことが好きだから。彼女持ちのリア充野郎のことが、僕の自慢の親友のことが好きだから。
本人に聞いたわけじゃない。でもだって、留守居さんから久乃伊へのメッセージは、僕から留守居さんへのメッセージのように、間を空けることなくすぐに返されていたから。
僕が歌っている間、たまに来るメッセージを嬉しそうに眺めている姿を見たら、嫌でもその気持ちに気づいてしまう。見たくなかった現実を見てしまう。幻想は幻想に過ぎないと気づいてしまう。
だから僕はここで断ち切る。覚悟を決めて答え合わせをする。
「そういえば、なんで久乃伊と来なかったの、カラオケ」
「だって武勇くんと二人っきりでカラオケなんてドキドキで死んじゃうよ! …………あっ!」
しまった!という顔になる彼女。その顔も好きだな、なんて僕は呑気に思った。
「武勇くんには絶対ナイショだよ。2人だけのヒミツ」
はにかんでいる、大切なものを撫でているかのように話す留守居さんの想いが、僕を通り過ぎなければいいのにと、僕の前で止まってくれれば良いのにと、虚しくて切なくて堪らない。
僕とならお腹いっぱいご飯を食べられるのに
僕となら本気でゲームを殺り合えるのに
僕となら歌が下手でも気にならないのに
僕とならありのままの君で居られるのに
それなのに君は、
あいつの前では少食で
あいつの前ではゲームが下手で
あいつの前ではあぐらもかかず歌も歌わない
あいつのためなら女の子を演じて
あいつのためなら私服でオシャレして
あいつのためなら即レスに変わる
今歌っている下手なラブソングは僕宛じゃなくて
あいつへのバレンタインは手作りで
でもあいつは、久乃伊は、僕の自慢の親友だから、あいつの良いところも嫌な程知っているから、『僕じゃダメですか?』なんて口が裂けても言えない。
君はその気持ちを伝えられないだろう
その、大切な恋心をいつか無かったことにするのだろう。
その気持ちの尊さを、たぶん僕は誰よりも分かるから、
『諦めろ』なんて、例えそれが僕に都合の良い言葉だとしても、口が裂けても言えない。
だからせめて、これ以上君を困らせないために、僕は自分の大切なものをここで壊す。
大事な想いをここで断ち切る。
大丈夫、一晩あれば忘れられる。無かったことにして友達に、ただ純粋な''友達に''戻れる。
そう、出来もしないことを自分に言い聞かせた。
お会計を済ませてから、留守居さんを駅まで見送る。まだ涙は我慢出来る。腕を思いっきりつねって堪える。
雨はまだ止まないようだ。
「それじゃあ今日はありがとう。また遊ぼうね!」
「うん、また今度」
「じゃあまた明日!」
「バイバイ」
別れの言葉に、僕の想いも乗せる。よくやった、よく耐えた、自分を褒める。
「あ、そうだ!」
歩いていた彼女が突然振り返りスマホを僕に見せる。
「このゲームやってる? やってるならフレンドにならない?」
スマホに表示されていたのは見慣れたゲーム、ブレロワのプロフィール画面。そしてユーザー名は…………
…………ユーザー名を見た瞬間、僕の頬にツゥーと何かが1本の道を作った。
「いや、……やってない」
「そっかぁ、残念。それじゃあね」
「うん、バイバイ、、、、、、」
別れの挨拶の最後に、僕は誰にも聞こえない声で付け足した。
SuOさん、と。
ブレロワはやっていない、嘘はついていない。
だって今から、3年楽しんだそのゲームを削除するから。
サヨナラ
一言呟いた後にブレロワが、僕のスマホから存在を消す。それを確認したあと、貰ったバレンタインのお菓子を、包装紙を丁寧に取ってから、駅前だというのに周りの目を気にせず一気に口に詰め込む。
大好きなそれは、いつもより心無しかしょっぱい味がした。口に詰め込んだ、たけのこ状のそれらを粉々に噛み砕いて一欠片も残さずに飲み込む。
そして僕は、
乗ってきた自転車も
目から溢れた何かも
一年育てた想いも
三年打ち込んだ特技も
何もかもを忘れて、いつの間にか激しさを増した雨の中を、家へと向かって走り出したのだった。
傘もささずに
暗闇に呑まれる僕を、照らしてくれる人は何処にもいなくて
雨に濡れる僕を、温めてくれる人は誰もいなくて
けれど今まで育てた大事な想いを、忘れることはできっこなくて
それが僕の、くすんだ''青春''の一ページ
青くもなく春でもない、空は曇って天気は雨で
そんな何処にでもある、ありふれた青春の一ページ
もう書かないと活動報告には書きましたが、書いちゃったんで投稿しました。
多分当分書かないです笑