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1-40 強く願えば何かの形で返ってくる。人生とはそういうものだ。

 この時代、重装歩兵を中核とするローマ帝国軍の精強さは群を抜く。

 各軍団はライン河やドナウ河、または地中海東部沿岸諸国の最前線に配され、弛むこと無く前線を堅持する。堅持と言っても、どこかの国のように敵性国家を隣に専守防衛などという絵空事とは無縁だ。近隣の敵性部族や盗賊団に対して積極攻勢を仕掛け、やられる前にやる、そうやって国境を守る、史上初の常備軍である。

 帝国は地中海世界一円、北海ブリタニア南部から中東アンティオキアまで広大な領域を支配するが、その正規兵の兵数は存外少なく20万を超えない。補助兵含む関連人員を全て足しても40万程度だろう。帝国の半分以下の領国しか持たない東の強国パルティア王国でさえ、20万もの傭兵軍を動員するというのに驚きの少なさだ。

 それは帝国の軍事力が精鋭化されていることの証でもある。

 兵士はローマ市民権を持つ正規兵と、それを持たない現地民を主体とする補助兵に大別される。

 市民権を持つローマ人による重装歩兵が中核を成すのは確かだが、他にも多様な兵科が作られている。主なものだけでも軽装歩兵、軽騎兵、重騎兵、投石兵、弓兵、楯兵、輜重兵、近衛兵インペリアルガードなど多岐にわたる。珍しいものでは攻城工兵キャステルムブレイカー、そして龍挺隊ドラゴンダイバーズだろうか。

 特筆すべきは、平時は全員が優れた土木建築工兵に一変するところか。だから宿営地の設営など、一夜限りのものでもそこらの村落より遥かに優れたものを作り上げる。橋を掛けたり砦を作ったり、『ローマはツルハシで勝つ』と言われる所以だ。ただし近衛兵インペリアルガード龍挺隊ドラゴンダイバーズはさすがに精鋭中の精鋭、花形であり、これには参加しない。

 また、軍団には必ず一人、皇室魔導院から魔導師が派遣され、軍団下数人の魔法使いを統括する。彼らは戦闘、伝令、探査、予知など多方面を支援するが、基本的に個人差が大きく組織的運用が難しい。



 港町ダブネルは今日も朝から雲一つ無いが、季節外れの南風ギブリが吹いた。湖上を滑る風は湿気を帯びて朝露をもたらし、大地の渇きを少しは癒してくれる。

 中型の風帆船が一艘、南風に押されるようにして姿を現した。二層甲板を持つ平船の貨物船だ。帆が半ば破れ、浸水があるのか少し傾くなど、船体各所に破壊が見られる。小舟から呼びかけても応答が無い。二層甲板とはいえ平船なので舷側は低く簡単に手がかかる。数人の水夫が調査に乗り込んだ。

 船は無人だった。

 厳密には無人ではなかったが生者はいなかった。上甲板は死体が散乱しており、軍装から見て兵士と思われた。戦闘の痕跡がある。何か槍のように鋭いものに鎧ごと貫かれ、大きな血溜まりができていた。半ば凝固している。

 砂鮫に荒らされなかったのは不幸中の幸いである。

 もう座礁しそうなほど岸に近かったのでそのまま投錨された。

 船倉に下りるとさらに凄まじい。

 驚くほど大量の血溜まりが、むせかえる強烈な血の臭いが、皆の歩みを制止した。我慢できずに吐瀉する者が出た。血溜まりの中には数十人が倒れていた。兵士だけでない。緊縛の痕跡と同じ貫頭衣から、捕虜と思しき者も多かった。それぞれ主な損傷は刀傷で、武器を手に絡み合ったままの者もいる。両者の間で戦闘があったのは明らかだ。捕虜の反乱か。女子供も混じっている。

 港は騒然となった。

 行政府の役人が呼ばれてきて検分に当たる。

 何故か帝国軍の連中もやってきて検証、遺体を収容する。船に乗っていた兵士たちは、砂賊の残党を湖南へ追っていた部隊の一つだったのだ。そろそろ帰還の予定だったという。

 隊の兵士は10人ほど足りず、隊長の遺体も見つからなかった。湖に落ちたのだろう。補助兵を上手く使う、平民出の、冷徹な歴戦の中隊長(百人隊長)だったという。部下に手練れを揃え、捕虜の反乱を許すような甘い男ではなかったはずだが、と噂された。

 生存者がいないので真相はわからない。

 隊の中には中隊長始めローマ市民権を持つ正規兵がいたことから放置はできない。情報収集のため、湖南へ調査隊が派遣されることになった。



 日の出前に出発したシフたちはその情報を知らない。


 彼らは北西へ向かう中規模商隊の端っこに加えてもらい帰途を行く。借りた駱駝に荷を預ける。砂の大地は平坦で起伏が少ない。

 シフは今後の予定をスィラージに話す「あの女を探しに、またこっちに来るんだから、お前をここに残しておく手もあるんだが」

 「でも給料出ないんだろ」

 「まあ、そうなる。そこまで手持ちも無いし、やっぱ駄目か」

 「焦るなよ、先ずは帰ろう」

 「ああ、わかっちゃいるんだけどな」

 「2チェ(※1)が出たら32回まわす。どんなに急いでいてもそれが基本だろ」

 「お前の例えは分かりづらい。分かるけど」

 「うふん」

 「キモい。さて」シフは隣の駱駝の男に顔を向ける。こちらをチラチラ見ているからだ。眼光の鋭い、精悍な顔付きの若者だ。比較的良い身なりだ。商隊の幹部だろうか。唐突に声をかける。

 「やあこんにちは! 今日も良い天気だね! ところであんたはカツカレーをカツから食べる人?」

 「ぷっ、あっはっはっはっは、相変わらずだなあ、シフ。親父さんは引退したのか?」

 「? そういうお前は! ケント! まさか ケント・デリカットじゃないか!」

 「いや違う、俺だよ俺、忘れたのかオイ」

 「冗談だ憶えてるさ、ステファヌスだろ。久しぶりだな元気してたか?」

 「……それも違うんだが」

 「そういう君はディオ・ブランド〇」

 「いい加減にしろよ貴様ァ! っっっっぶっ殺してやる!」何故かスィラージが叫ぶ。

 「あっはっはっはっはっはっは、まったくしょうがない男だ。エドムントゥスだよ、ルクソールの」謎の男がようやく名乗る。

 「あらまあ、ホントに久しぶり」

 「まったく、物覚えの悪い男だ」

 6年ぶりにもなるか、昔ルクソールで知り合った男だ。

 「実はもしかしてそうじゃないかと思ってたんだよ。だけどへへっ、恥ずかしくてさ」

 「すぐわかる嘘をつくんじゃない」

 互いに笑いあう。久しぶりの友人は嬉しいものだ。シフはスィラージとガボルアを紹介し、近況報告を交わす。

 エドムントゥスはこの商隊の副長を務めていた。商隊もルクソールに帰るところで荷物は没薬や硫黄か。それに男奴隷(※2)を二人連れていた。彼らは棺桶を一つ担がされていた。

 シフは自分たちの仕事を手紙の運搬だと説明しておく。

 「そうか親父さん、もう旅には出られないのか。寂しくなったな」

 「でも元気だぜ。多分帰ったら弟か妹が産まれてる」

 「マジかよ、親父さんもう50過ぎだよな」

 「まさにアレクサンドリアの種馬と言っても過言ではない」

 「過言だろ」

 「過言だな」スィラージが頷く。

 「あんたも苦労させられてるみたいだな」

 「わかってくれるかい、コイツ物凄い変人だから。俺、もうストレスで胃に穴が開きそうだよ」

 シフは反論「なんてこと言うんだよ、ナイスガイ・スィラージ先生かつてのペンネーム

 「へ、へへへ、何のことだか意味が分からないな」

 エドムントゥスは呆れ顔「まあ俺も結婚したんだが、帰ったら子供が二人」

 「ぐはっ!」何故かスィラージが血を吐く(吐いてない)。

 「しっかりしろスィラージ! 傷は浅いぞ!」似た者同士の二人である。

 「やれやれ」ガボルアが脱力。

 「貴方があのガボルアですか」エドムントゥスが話しかける。アレクサンドリアでも屈指のガードたる彼の名はこんなところまで聞こえている。

 ガボルアが無言で肯定する。

 夕刻、何事も無く宿営地に到着した。突き出した岩場を目印に周辺に天幕を張り巡らせただけの簡単な宿営地だ。オアシスがあるわけでもない。そして結構高い宿代を取られた。僻地でも交通の要衝だから仕方ない。夜警の必要が無く、天幕を使えて、水と食事が出る。それだけで充分ありがたい。

 シフはエドムントゥスと昔話を少しして早目に寝る。基本的に旅人は夜更かししない。



 邂逅はいつも突然で、その時シフが目を覚ましたのは運命としか言いようがない。


 

 深夜、シフは何故か目が覚めた。疲れているはずだが早寝が過ぎたのか。

 隣の寝台のスィラージが死んだように熟睡している。こいつは昔からよく寝る。深夜アニメのある時は全力で夜更かししているようだが。

 さすがに伊達メガネは置いておく。外に出るといつものように煌めくような星空で、軽く散歩するにはちょうど良い。しかし寒いくらいに冷えている。無限灯を片手に歩く。

 テントの一つから声が聞こえた。微かな呻き声、それから男たちの会話。何やら揉めているらしい。

 最初の声にならない呻きを、シフはどこかで聞いた声だと思った。

 「起こしちまったか」エドムントゥスがやってきた。縄や薬の壺を抱えている。

 「いやあ、なんとなーく目が覚めた」

 「そうか? うるさくしたのなら悪いが」

 「何かあったのか」

 「昨日拾った死にかけの奴隷が、なんか騒いでいるんだよ」エドムントゥスが嘆息する「まったく、副長も楽じゃないよ」

 「ふうん、ご苦労様です」

 「まったく、勘弁してほしいよ」

 テントの中に入るエドムントゥスの後から、シフも覗いてみる。

 奥に棺桶が見えた。寝台に誰か寝かされている。細い手足が伸びて藻掻く。女だ。蹴ったり殴ったり、まるでヤマネコのように猛烈に暴れている。

 それを男奴隷の一人が押さえようとしている。

 もう一人の男奴隷が膝をついてエドムントゥスに報告する。

 シフは理解して眉を顰める。

 拾った奴隷というのは女で、エドムントゥスは慰み者として男奴隷に与えたらしい。男奴隷を統制する手法として聞く話ではある。

 正直感心できないが、他所の国、他人の商隊、他人の奴隷の話だ。シフは男たちの合間から黙って眺めた。ローマ帝国にも奴隷制度がある。

 エドムントゥスが壺に入れた鎮静剤を飲ませようとする。手慣れた所作だ。縄を渡し、男奴隷に女の手足を掴むように言う。慣れた所作だ。女は簡単に拘束されて鎮静剤を飲まされた。

 半裸の女が髪を振り乱し、尚も抗おうとするが、急速に弱っていく。昼は棺桶の中で全く気配が無かったが、元々弱っていたのだろう。先程の抵抗は最後の力だったのか。

 しかしその呻き声はやはり聞き覚えがある。

 こいつ…………まさか、あの女!

 「ちょっと待て!」垣間見てシフはようやく気付いた。割り込んで、今にも犯されようとする女の顔を確かめる。無限灯で照らし出す。

 「ルシール!」

 血と汗と砂で汚れ、傷だらけでボロボロ、鎮静剤の効果か表情にはもう力が無い。シフを見ても反応は無いが、確かにその女はルシール・デュランザルフであった。

 「お前! こんなところでどうしたんだよ!」

 肩を掴んで呼びかけるも返事は無い。

 「なんだ知り合いか?」

 エドムントゥスも男奴隷たちも警戒する。

 「知り合い、だ。こいつ、どこで拾ったんだ?」

 「今朝、浜(カダ湖北岸)に倒れていたんだよ。せっかくだから拾ってきた。最初からボロボロだったぜ?」

 「そうか」シフはルシールの頭をそっと寝かせる。無限灯の弱い闇と光が照らし出す。

 長い沈黙の末、エドムントゥスが言った。

 「……助けたいのか? だいぶ弱っているが」

 シフは大きく頷いて向き直る。本気の顔で言う。

 「頼む、買い取らせてくれ。幾らでも出す、どんなことをしても出す。大切な女なんだよコイツ」

 「そうか、なら帝国金貨200枚(2000万円相当)だ」

 エドムントゥスが無表情に応える。それは一般成人女性の奴隷相場としては十倍以上にあたる大金だ。おいそれ払える額ではない。

 シフは即答する「わかった、一生かけても払う」

 エドムントゥスがシフの表情を見詰める。

 「おいおい本気かよ」

 「ああ」

 「へえ、お前、変わったなあ」一転エドムントゥスが面白そうに笑った。

 「そうかもしれないな」シフの表情は揺るぎない。

 「なるほど、わかった、売ろう。だが、値は普通の値でかまわんよ、帝国金貨5枚(50万円相当)で良い」

 「……ありがとう、恩に着る」

 「ああ、恩に着てくれ、いつか返してくれよ」

 「わかった」

 エドムントゥスが差し伸べた手をシフは握る。互いに力を込めて握りあう。

 女を取り上げられた男奴隷二人が、テントの隅で居心地悪そうにしている。

 

 ルシールを背負ったシフが外に出ると、騒ぎを聞きつけたガボルアが待っていた。

 ガボルアがルシールの蒼い顔を見る「大丈夫か?」

 「ああ、大丈夫だ。鎮静剤は明日には抜けるらしい。大丈夫だよ大丈夫」 




 朝になって、寝かされているルシールを見たスィラージが叫ぶ。

 「なんじゃこりゃあ!」

 起きてすぐうるさい男だ。シフは教えてやる。

 「空から少女が降ってきたんだよ」

 「どんな時でも嘘をつく男、ぺっ!」

 「あっはっはっはっは」

 夕刻、ついに一行はナイルの川岸に到達した。

 乗合客船で一路河口のアレクサンドリアへ向かう。

 ルシールは駱駝でも船中でも延々と眠り続け、頻繁にうなされた。たまに目を開けても力無く、すぐまた眠りに落ちる。鎮静剤は抜けたはずだ。過労、いやもしかして魔力欠乏症だろうか。

 「邪念だらけの男にはまかせられん」とガボルアが着替えや排泄を世話した。スィラージも献身的に世話をした。

 順風に恵まれて予定が早まる。ナイル中流のルクソールでエドムントゥスと別れ、アレクサンドリアに到着したのは要期前日の夕刻。相変わらず賑やかな街だ。地中海の水平線、潮の臭いがなんとも懐かしい。

 ルシールをスィラージが背負い、一行はベルドゥラルタ商会本店へ向かう。洗濯したマントを掛けてフードを頭に被せてある。

 「変なところ触るんじゃないぞ」シフはスィラージに注意する。

 「うへへ、しないしない、したこともない」

 「うん全く信じられないな」

 「やれやれ」ガボルアが周囲を警戒する。

 シフはルシールの頭を優しく撫でた。


 ベルドゥラルタ商会の本店にて、シフは大切に運んだ荷物をギルマス(マリーダ)に渡す。あっさりすぎて拍子抜けしたが、大きな稼ぎだ。

 「それよりも! あのコ何!?」

 あの変人ファンタスティックビースト(シフ)が女を連れ帰った! と騒ぎになり、皆が覗きに来た。

 この時、ルシールは客間のソファに寝かされていた。髪は乱れ顔色は蒼白。ガボルアとスィラージが近侍して厳重に守った。




 【※1 2チェ】パチスロ「保苦妬の県」に使用されるチャンス目の中段チェリーのこと。これが出たら32ゲーム以内に7が揃う可能性があるのでやめられない。

 【※2 奴隷について】主な供給源は戦争捕虜、次いで貧困者の身売り。奴隷だからと言って全てが非道な扱いを受けていたわけではない。オリエント(現トルコ以東アジア方面)のように酷い話も聞くが、運命共同体としてそれなりの扱いを受ける者の方がずっと多い。己の運命を選ぶことができない者、それが帝国における奴隷の位置付けである。貯めた給金で自分を買い取り解放奴隷となる者もまた多い。奴隷でも貴族に買われるギリシア人教師などは驚くほどの高額で、高待遇を受けることができた。

第一章「人は過ちを繰り返す」完結。


第二章「人は正しい道を選べない」へ続きます。別の作品として執筆中。

舞台は皇帝直轄領エジプトのアレクサンドリア。フィルサークレアキャラバンとベルドゥラルタ商会の問題児たち。


多分また後から色々いじりたくなる病気が発症すると思われます。

今作の反省点は、クライマックスを意識すべき。冗長を避けるべき。

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