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1ー37 命は、人間の持つ最大の武器だが、惜しんでいては武器にならぬ

挿絵(By みてみん)

 夜風が勢いを増す。立ち尽くすルシールのマントが揺れる。

 やってきた騎兵の数は5。間隔を均等にとり、足元が悪くても乱れが少ない。上手い乗り手たちだ。

 賊の長と思しき男の顔が月光に曝されている。

 ルシールは一目見て危険を嗅ぎとる。

 年は30くらいか、点々と無精髭、綺麗に刈り込まれた黒髪、隙の無い視線、引き締まった口元。欲望も動揺も見えない。倒れた仲間を見ても表情を変えない。馬上からルシールの全身をじっと観察し、パチン、徐に指を鳴らす。

 騎上から部下と思しき若い男が前転しながら飛び降りる。槍を下段に構えてざくざく歩いてくる。こいつも油断できない。

 ルシールは警戒を改める。

 それが誘いだったのか。

 次の瞬間、別の男がいきなり眼前に現れ、打ち込まれた拳に遅れて気付く。視界が暗転して腹部に鈍痛。足の力が抜けて膝を着く。帽子がずれ落ち、子鹿色の三つ編みが露になる。遠ざかる意識。歯を食い縛る。

 杖を取り上げられた。見た目だけは怪しい只の杖。

 「ブフ?」スィラージ2号が蹲るルシールをきょとんと覗き込む。

 長が薄く笑う「ほう、浅かったんじゃないのか? ラガルド。ふむ、こいつもしかして報告にあった氷の魔法使い、か? こいつは高いぞ、きちんと縛っておけよ」

 生き残った男がルシールの顎を自分へ向かせる「お前、覚悟しておけよ」

 長が少し砕けた口調で嗜める。

 「あー、お前ら、期待しているところ悪いんだが、手出しは許さん。他の女にしとけ」

 部下たちは残念そう「そんなあ」

 「返事」

 「「了解!」」統制が行き届いている。

 「ふむ、さあ、大物も獲れたし撤収準備だ。今回は中々の稼ぎになりそうだ」

 「ちょっと立て、縛りにくいだろ」男がルシールの三つ編みを引っ張る。

 「ぐうっ」ルシールの髪がブチブチと引きちぎられた。

 

 突然。


 ぽかんと眺めていたスィラージ2号がいきなり暴れだした。後足を蹴り上げる。男たちに体当たりをかます「ヒヒン!」

 「お前!」ルシールは辛うじて首筋にしがみつく。スィラージ2号がそのまま走り出す。

 「なんだこいつ!」

 「主人を守るか、早く楽にしてやれ」

 「了解!」男の槍がスィラージ2号の腹を容赦無く貫いた。

 「ブフッ!」スィラージ2号は止まらない。相手の男を馬蹄に掛けた。バキンと槍が折れる。腹に槍を残したまま走り出す。ルシールは首筋にしがみつく。腹の傷口から血が噴き出して服を濡らす。刺さったままの槍が体内を掻き混ぜている。

 「もうやめて! 死んじゃうでしょ!」スィラージ2号は止まらない。

 騎乗の男たちが当然追ってくる。

 スィラージ2号はしばらく走り続けたが、糸が切れるように崩れた。

 ルシールは振り落とされ藪を転がる。頬が切れた。

 「スィラージ」痛みを堪えてスィラージ2号の元へ這い寄る。もう全身血塗れ埃塗れだ。

 スィラージ2号が無意味に足掻く。ルシールの使う通常の回復魔法にこれを癒すほどの即効性は無い。

 「お前は……本当に馬鹿なんだから」あたしの苦労を全て無駄にして。大きな目が彼女を捉える。

 ルシールはその頭を抱きかかえる「でもありがとう、ごめんね」

 スィラージ2号が僅かに頭を振った。また胸に頭を押し付けようとしたのだろうか。

 それきり動かなくなった。流れる血はまだ温かいのに。

 草と血の臭いが吹き抜ける。眼を閉じてやる。


 スィラージ2号が死んだ。

 

 また馬蹄の響きが近付いて来た。

 ルシールは諦めの眼差しで待ち受ける。ゆっくりと、悄然と力無く立ち上がる。眼光の赤が光を増す。穏やかに自嘲した。

 「結局あたしは巻き込んでしまう」両手に青魔法の力場を練る。鮮やかにうねる青の奔流「ごめんとしか言いようがない」力場内を氷刃群が狂ったように乱舞する。ぞっとするほど寂しそうな笑みを浮かべて「だからせめて」ポツリと言った「仇くらいは討たせてよアイスランス・フルバースト」


 「ヤバい全員伏せろ!」長が慌てる。

 牽制ではない。殺すつもりのフルバーストだ。過半の魔力を消費するがもういい。今はとにかく殺したい。




 朝方、煌めく湖面。

 前方に湖岸線が見えている。

 街らしき粒々がある。

 それを眺める定期船の上甲板。

 風は僅かに逆風。どん、どん、どん、と太鼓のリズムでオールが回る。

 バルチスタ郵便のウィラードが少し驚いた「へえ、ダブネルは砂鮫料理が名物なんですか。それは、ちょっと想像できませんね」

 シフの各地名物食べ物談義は続く「そりゃそうだな、下手したらこちらが食べられる側になるんだから」

 スィラージもとりあえず一言「腹を割ったら人の手とか出てくるかもしれん。げに恐ろしや」

 「あっはっはっはっは、何が恐ろしやだ! そういう所だぞ!」シフは笑う。そういう所がモテない理由だ! ノグソしたことあるか、とか平然と訊いてくるところ! 折角イケメンなのに台無し!

 「それは嫌ですねえ」

 砂鮫料理が名物の理由、ダブネルの食料事情が厳しいからだろう。少しでも美味く食べようと工夫してきた歴史の断片を、シフは昔聞いた。

 「そうか食べたいのか」

 「申し訳ありませんが遠慮します」

 「はっきり言うじゃないか」

 スィラージが前のめりなコメント「心配するな相棒、俺は行くぜ、この果てしなき男道を、な」


 

 シフたちを乗せた定期船は北岸の街ダブネルに着いた。

 太陽はもうすぐ中天。

 「見せてもらおうか、ダブネルの街の実力とやらを」スィラージが嘯いた。

 「お前はいったい何を言っちゃってるんだ」

 「あらよっと」スィラージが紳士のポーズで桟橋に飛び降りる。しかしバランスを崩し「うぎゃっ!」ドボン! 水中に転落。桟橋がぐらついていたようだ「たっ助けてくれー!」

 「あっはっは、馬鹿な男だ」

 「やれやれ」

 ウィラードが呆れ顔「元気な人ですね」彼は予定を変更して数日この街に滞在するという。手紙の受け渡しでもあるのだろう。

 スィラージが平泳ぎで泳いでいく。中々達者な泳ぎっぷり。気持ち良さそう。皆の注目を集めている。さすがに港内には砂鮫はいないようだ。

 他の者は桟橋を歩いていく。

 シフは港を見渡し、王国水軍の軍船の不在を知る。

 船の上甲板から、パン売りの少女がこちらを見ている。まっすぐな視線に込められた何かの気持ち。

 シフがむすっとした顔を作り小さく手を振ると、少女も目立たぬように手を振って応じた。

 「またどこかでお会いしましょう」ウィラードが別れを告げる。

 「ああ、またな。お母さんによろしく」シフは会ったこと無いけど。

 ウィラードが苦笑して雑踏に消えた。

 港は中々の賑わいだ。湖面を砂塵が滑るように舞う。崩れかけた桟橋に、綻びの酷い天幕の群、埋もれかけた石積み家屋。それでも溢れる活気。ガラガラと荷車が行き交う。

 「危ねえだろ! このクソ虫がっ!」

 「ああん? このイカれポ◯チ、良い度胸だな」

 口の悪い連中ばかりだ。同時に人間の逞しさが実感できる。再開された定期船に皆喜んでいるのが伝わってくる。

 それと先日の盗賊騒ぎの結果だろうか、妙に奴隷が多い気がする。鎖に繋がれているからそれとわかる。彼らの眼差しは絶望に沈んでいる。

 



 シフは手早く駱駝の手配、宿の確保を済ませた。言語と風習に通じ、陽気で物怖じせず積極的な性格は物事をスムーズに進める。出発は明朝で良い。無理に急いでもロクなことは無い。着実に遅滞無く。それが彼の旅のスタイルだ。  

 「じゃあ行くか、砂鮫の死肉とやらを食べに」シフは誘う。これまで食べる気になれなかったが今回は違う。

 「あっはっは、死肉とか言うな」

 「どんな風に食べるのか教えてやろうか」

 「いいよ、どうせまた叫ぶか悶えるかだろカス野郎が」

 「違うって! 今度のは違うから!」

 「それが既に嘘臭い」

 「そうかい、もう! 後で知りたいとか言っても、もう教えてやらないんだからねっ!」シフはツンデレ風味堂。

 「ぺっ! ぺよんじゅ!」そして何故か某国俳優の名を叫ぶスィラージ。

 「え、やっぱ教えてくれ? もう仕方の無い野郎だな」

 「あっはっはっはっは、人の話を聞かない男だよ」

 「さあ行くぞ! ゴー!」

 「行くぞとゴーは同じ意味なんだけど」

 ガボルアがいいかげんにしろと促す「行くんだろ、早くしろ」

 ダブネルはローマ帝国との国境であり、中継交易と兵役で成り立つ。そこは幾ばくかの魚と湖水の他、まともな産物の無い過酷な土地だ。

 しかし湖上交通の要衝である。この街から北西へラクダで二日行けばナイル河に到達もする。そこで上手く船に乗れればしめたもの。河口のアレクサンドリアまでは一気だ。

 

 一行は酒場『砂鮫屋』へ繰り出した。盛況のオープンテラス。軒先には大量の砂鮫が吊るされている。討伐軍の戦果だろう。損傷の激しいものが多い。

 バリッ。何かが割れる音。

 シフはスィラージの男を試す「はたしてお前にできるかな? やってやるとか言いながら結局できない。そんな奴を俺は数えきれないほど見てきたが。くだらない強がりはやめた方が身の為だぜ?」

 「そうかい? 別に難しくないと思うけどな」

 バリバリ、バキッ。

 「ちょ待てよ!」シフは某イケメン俳優の真似をする「まだ慌てるような時間じゃないだろ」

 メキメキ、バキッ。

 「や、やめろ! やめてくれ! お前には優しさってもんが無いのか!」

 バキンッ! バキョ! バギュルギパキパキ!

 「し、し、しぎゃぴー!」闇の底から魂切る悲鳴。

 スィラージが笑う「あっはっはっはっは、さっきから君は何を言ってるんだ」その手には香草ハーブ焼きにされた砂鮫の骨付き肉がある。こんがりパリパリ香ばしい。分厚い鱗が所々残っていて裂くとバリバリ鳴る。

 「いやあ、身体を引き裂かれる砂鮫の気持ちを伝えようと思ってさ」

 酒場にやってきたシフたちは、おすすめの砂鮫料理とやらに挑戦していた。砂鮫の前足が特に美味い。豚足ならぬ鮫足だ。穴掘りで鍛えられて筋肉の塊で、コラーゲンたっぷり翌朝はお肌艶々間違いなし。

 スィラージがうまうま「思ったよりは食べやすいな」

 「だろ?」香辛料が程良く効いている。

 「少しからすぎるかな」

 「それが良いんじゃないか」

 ガボルアは我関せずとパクパクもぐもぐゴックンぷりーず。


 シフは質問する「それで、今来ているのは、どこの部隊なんだい?」

 酒場の親父が応える「知らんのか。ニコポリスから来た第九大隊だ」

 「隊長は?」

 「たしかアルガスなんとかと言ったか」

 漆黒のアルガスか。

 「それから」

 「おおっと、それ以上聞きたいなら。わかるだろ?」皿を拭く親父がニヤリとする。

 「んじゃ、次は砂鮫のキムチ鍋でもいってみるか」

 「あいよ」

 「なんだか奴隷とか捕虜がたくさんいるみたいだが」

 「ご想像の通り、討伐軍の戦果だな」

 「漆黒のアルガスは恐ろしく強いからな」

 アルガス・バストーニア・カエサル。ガリア属州の出自ながら評判の男だ。嘘かホントか、あのユリウス・カエサルがガリア戦役当時に縁を結んだ血筋だという。いつでもどこでもプレイボーイだったカエサルならさもありなんと一概に否定できない。困ったものだ。

 アルガスは皇族ゲルマニクス(※1)に見出だされ、彼のオリエント遠征に従い転戦したが、その彼の早すぎる死にもガリアへ帰らずニコポリスの軍団に赴任した。以後十数年、中隊長(百人隊長)としてエジプト近隣の敵性部族討伐で名を挙げてきたが、近年大隊長に昇進してからは帝国の指揮官らしく外交にもソツが無く、現地有力者と良好な関係を築くという。

 敵に対してはとことん残酷で、死神を想起させる黒髪からも、畏怖を込めて『漆黒のアルガス』と渾名される。


 砂鮫のキムチ鍋が出てきた。

 スィラージが驚く「うわ真っ赤だな。辛くないか。俺、あんまり辛いのは無理」

 「そこまで辛くないぞ」とは言いながらシフは既に汗だく。

 「明日の朝大変だよ? どうしてそこまで鍛えるんだい? アナルを」

 「あっはっは黙れカス野郎」

 「さすが違うぜアナルアスリート隊長は」わかっていたけどゲスである。

 「もう俺、下品なの嫌なんだけど」

 「何言ってんだ、俺だって嫌だよ、ただ君が喜ぶかと思ってさ。仕方なく、仕方なくやってるんだぜ?」

 「嘘をつくな」いつものセリフでシフは締める。

 ガボルアが強い酒をあおる。

 




 【※1 ゲルマニクス】BC15~AD19。初代皇帝『神君』アウグストゥスの妻リヴィアの連れ子ドゥルーススの息子。2代皇帝ティベリウスの甥にあたる。直系ではないがアウグストゥスの血縁でもある。ティベリウスの後継者として、次期皇帝最有力候補だったがオリエント遠征において不審死。快活晴朗、積極果敢と魅力的な人物であり、その死が惜しまれた。

 死因については陰謀論が流布したが、現代の研究ではマラリアというのが定説。

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