1ー36 スィラージ2号
ルシールは鍔の大きなとんがり帽子を目深に被り、杖を握る。赤く光る瞳を隠し、その他全ての装身具に込めてある魔法を最大強化する。魔力隠蔽、蛇避け、天気予報、魔力循環効率上昇、疲労軽減。
魔法陣の手袋は左右ともアイスランス。攻撃と防御、何でも使えて汎用性が高い。
問題はスィラージ2号とリンガーだ。特にスィラージ2号は身体が大きく気配を隠す術も無い。全力で走ってくれるなら乗って逃げる手もあるが、動きが悪すぎる。近くの岩場に隠れるのは、あからさますぎる。広がる藪に紛れる方がまだ良いか。
「だから早く逃げなさい」
ルシールはスィラージ2号に鞍を乗せず、背を軽く叩く「元気でね」
「ブフ?」スィラージ2号は理解できない。
「仕方ないなあ」ルシールは思い切りバシン! と叩く。
「ヒーーン!(何するの!)ブフブフ?(新しいプレイ?)」スィラージ2号は少し逃げるが結局戻ってくる。
「ブフ」
「行けって言ってんのよ!」ルシールは助走を付けてドロップキック。どてっと落ちて自分も痛い。
「ヒヒヒン(痛)」スィラージ2号は今度こそ逃げて行った。
ルシールは十数秒見送る「……じゃあね」
水と食料、最低限の荷物をリュックサックに押し込み背負い「行くよ」とリンガーを呼ぶ。リンガーを手放すことも考えたが、まだ一匹では生きていけない。リュックサックの後ろのポケットに入れる。リンガーはカンガルーのように頭だけ出した。
持ちきれない荷物は藪に放り込む。焚き火の跡を完全に砂に埋める。足で砂を簡単に均したが、完全に足跡を消す手間は省略。村から遠ざかる方向へ藪の中に歩き出す。
てくてくざくざく。どこから見られているかわからない。さらさらと藪が揺れる。
溜め息。
どんなに気を付けても、厄除けの魔法を使おうとも、完全にトラブルから逃れる術がない。
これだけトラブルだらけだと、さすがにわかる。人には生まれ持ったものがある、と。それは運命とか宿命と呼ばれるもので、一介の小娘にどうにかできるようなものではない。魔法の力なんて微々たるものだ。
あたしはずっとこんな風に生きていくしかないのだろう。
キィーーーー。
ルシールはドキンちゃん。遥か頭上から甲高い音が響き渡った。
仰ぎ見ると赤い筋が一つ走る。火の付いた鏑矢だ。それは右にある小高い丘から自分の方へ、綺麗な放物線を描き、近くの藪にストンと刺さる。
追手が掛かったのだ。
ポツリ、乾燥した藪に火が移る。比較的密集した藪だ。風も少しある。大きな火になるかもしれない。
背中にいたリンガーがリュックサックをよじ登って肩口にやってきた。
「みゃお」
「仕方ないなあ」リンガーの背に手を添える。滑らかで温かい。
リンガーが嬉しそうに頭を擦りつけた。
ルシールは見渡して方向転換。小走りで急ぐ。足元が悪く数回躓く。火矢が飛んだ丘から見えないところまで行かなければ。具体的には少し先に見える丘の向こうだ。すぐ息が荒くなる。
振り落とされないよう、リンガーが必死にしがみつく。
強化聴力が色んな音を拾う。
藪を掻き分ける音。自分の呼吸と鼓動。そして、村の方から届く悲鳴や怒号がドロドロと入り雑じる戦いの音楽。
一方その頃、シフたちを乗せたカダ湖南北航路の定期船。
こちらでは風が止んだので帆と錨を下ろす。
掛け声や帆を畳む作業がうるさくて多くの乗客が目を覚ました。
シフたちも目を覚まし、シフとスィラージは舷側に出て夜の湖面を眺めた。喧騒を避けて船首へ歩く。微風が湖面を撫でて映り込む月影を滲ませている。
スィラージが言った「暇だな」
「ああ」
「寝れないな」
「そうだな」
「あの女は今頃何やってるかな」何度も繰り返す話題。
「宿屋のベッドで涎垂らして鼾かいて腹出して寝てるんじゃないのか?」
「あっはっは、どこのオヤジだよ、それは」
この時のルシールは「来た!」追手を振り切れない。ヤバいヤバいヤバい「もう! あっちもこっちも!」焦燥が全身を駆け巡る。
シフは歩を止めた。湖面の月に視線を落とす「どこに居るのか知らないが、元気にやっていると良いな」
見覚えのある若い男が隣に来た。
「こんばんわ」
「ああ、また会ったな……ロドリゲス」レグスの桟橋にいた男だ。優しそうな顔。
若い男は苦笑して顔を振る「誰がロドリゲスですか」
シフは面白そうに肩を竦めて「あんたも北の人間みたいだな」男の顔立ちはアルメニア人に近い気がする。
「そういう貴方はイタリア、ラテン系ですかね」
「そんなところかな。しかし全く、うるさくて寝られやしない。テレビでもあれば良いんだが」
「そうですね」
スィラージが尋ねる「兄ちゃん、なんか暇潰しできそうな本でもない?」何故か斜に構えてカエサルのポーズ3号(※1)。
「そうですねえ、『カダ王国の概要』でも読みますか?」
「良いね、明るくなったら借りに行くよ」
シフはお返しを考える「じゃあこっちはお返しに杏子(魔法少女杏子ムラサメ)の本を貸してあげよう」スィラージの愛読書だ。
「黙れカスが」スィラージが怒る。
若い男はきょとんとした顔。
シフは話を続ける「あんた、どこまで行くんだい?」
「アンティオキアまで帰るところです。こっちには伯父の仕事で色々と」
「ふうん、シリアのアンティオキア?」アンティオキアという名の街は幾つかあるが、シリア属州の州都アンティオキアが名高い。
若い男が頷く。
「そりゃ遠いなあ。こっちはアレクサンドリアまでだから、もうひと頑張りってところだな」
「じゃあ、アレクサンドリアまでは一緒ですかね」
「そうかもしれない」
シフは好意の正体がわからない。用心を怠らない。
スィラージが言う「アンティオキアと言えば、」
シフは速攻で補足する「ババミトカ・ラグジュアリーの本社があったよな」
「そうだけど、よく知ってたな」
「そりゃあ有名だからな。あの優雅かつ扇情的なデザイン、最高だからな。わかるだろ?」
スィラージが頷く「うんうん、シルクの肌触りと身体に馴染む立体裁断。つまり最高の履き心地。うちの妹もこよなく愛用している。一度履いたらもうやめられない、って違うだろ(汗)! このハゲ! カス野郎! アンティオキアと言えばだな!」
「あっはっはっはっは、履いたことあるのか? 凄いな! 尊敬するぜ。どれ、ちょっと見せてみろ♪」ズボンを脱がしにかかる。
「きゃ――! 変態! やめて!」
「よいではないか、よいではないか」シフは遠慮なくグイグイ行く。
「ってマジで! やめろ! やめてくれ!」
「あっはっはっはっは」
若い男はドン引き「あはは」乾いた笑い。
スィラージは息を荒げて「はあ、はあ、汚された、どうしよう加痔さん、汚されちゃったよう」ノリノリ新世紀。
「あっはっはっはっは、さて! ムーディーな話はこれくらいにしてだな、俺はシフ。こいつはスィラージ。アレクサンドリアの交易ギルド、ベルドゥラルタ商会の契約者だ」カラリと笑って切り替える。
若い男は胡散臭いものを見る眼だったが、こちらも切り替える「おお、ベルドゥラルタ商会の」ニコリ「……私はウィラード。バルチスタ郵便(※2)の者です」できる男の雰囲気を見せる。
「よろしく」シフはにこやかに握手。バルチスタと言えば、アンティオキアでも大手だ。郵便だけでなく、穀物、金融、鉱山、薬品、奴隷など幅広く扱う門閥企業として知られる。ローマ軍とも取引があるという。
スィラージも爽やかに歯をキラリ「どうもよろしくスィラージです」手を差し伸べる。髪は乱れ、ズボンがまだずり下がっていてトランクス丸見え。
「……よろしく」ウィラードが何とも形容しがたい複雑な表情で、その手を握った。
ルシールは藪に伏せて五体投地。息を潜めていた。
「このあたりのはずなんだがな」
「もっと先じゃねえのか?」
「もう少し探してからだ。下手に逃がすと懲罰もんだぞ」
「こわやこわや」
盗賊にしては統制が取れている。
近くを足音が往復するが、明後日の方向を探している。数は4。
ルシールは、これならなんとか、上手くやり過ごすことが出来そうだと思ったが、ところがどっこい、そうは問屋が卸してくれない。
「ヒヒン」
スィラージ2号の声だ。ロバの足音がまっすぐ近付いて来る。
馬鹿。
「……ロバが行くな」
「うむ」
男たちの足音が止まり、スィラージ2号を注視する。
もう無理だ。どうしてこう、何もかも上手くいかないのか。
ルシールは覚悟を決める。両手に青の魔法力場を構築し、月光が揺れる藪の中、ゆらりと立ち上がった。
とんがり帽子の奥で赤い瞳が二つ、ギラリと光る。
怯えたリンガーがどこかへ逃げた。
スィラージ2号が「ヒーン」嬉しそうに鳴くのが聞こえた。
【※1 カエサルのポーズ3号】某漫画の登場人物の奇妙なポーズを奇才スィラージがアレンジしたもの。とりあえず斜に構えてイキってみましょう。
【※2 郵便事業】パクス・ロマーナ(ローマによる平和)の確立により、帝国勢力下はもとより、周辺地域にまで郵便事業が成立し、活況を呈している。公立だけでなく私立事業者も参入し、庶民でも普通に遠隔地へ手紙を出せるようになった。
シフ「ようやく書けたぜベイビー。今回は苦労したな」
スィラージ「ばぶ(そうなの)?」
シフ「ばぶー(そうだ)」




