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1-35 プロテインの意味を知っているか? そうだ、真の男になるための必需品だ! わかっているじゃないかお前! お父さんは嬉しいぞ! 筋肉だけは疑うな!

 「ごめんね。のぞき見するつもりじゃなかったんだけど」ルシールは岩陰から出る。

 少年がスクワットを中断する。

 「あんた誰? 村の人じゃないよな」

 「旅の途中でちょっと寄っただけ。お邪魔しました。それじゃ」

 「その猫は?」リンガーがルシールの足首にしがみついている。

 「旅の仲間かな。今のところは」

 「触っても良い?」猫好きらしい。

 ルシールは少し考えて「いいよ」しゃがんでリンガーを掴まえる。

 リンガーが身を捩る「みゃお」

 「うわあ、これはかわいいね」少年が眼を輝かせる。

 「はいどうぞ」

 少年がリンガーの黒い背中をそろそろと撫でる。「ほかほかだ……」

 リンガーがじっと少年を見る。観察の視線。まん丸の目。少し怯えているか。

 少年は黙々とリンガーの背中を撫でる。

 ルシールは視線を上げて周辺警戒。草原の向こうに家並みと小川が見える。風が草原を滑る。炊煙がたなびく。夜が近い。

 「この猫、名前はなんていうの」

 「……通称リンガー。正しくはデスブリンガー(死をもたらす者)かな」

 「そ、そうなんだ(汗)」

 「カッコいい名前でしょ?」

 「う、うん。良いと思います」

 「みゃお」リンガーがひと鳴きする。

 少し雑談する。やはりこの村の住人は隔意が薄い。



 「へえ、女一人で」

 「そう。ロバと猫も一緒だけどね」リンガーが足にしがみついている。

 「そうなんだ」少年が水筒の水を呷り、それから小袋に入った何かの粉も口中に入れもう一度水筒を呷る。顔をしかめて不味そう。ゴホンと咳き込む。

 「それは何?」

 「プロテインだけど。飲みたい?」

 「美味いの?」

 「美味いわけがないよ、こんなもん。味なんてほどんど無いし」

 「じゃあ何で飲むかというと?」

 「お父さんが言うには『女は裏切るけど、筋肉は裏切らないから』だって。だから飲めと」

 ルシールはなんとも言えない表情「……そう……(涙)それで、これ飲むとどうなるかというと?」

 「筋トレした後にこれ飲むとたくさん筋肉が付くんだよ」

 「そういうことか」

 「お姉さんはどこから来たの?」

 「ずーっと北の海の近くかな」つい零れた正直な回答。シャーハットには海があった。境界が空と溶け込むように青い海だった。

 「海かあ、見たことないなあ」

 「カダ湖は見たことあるでしょ、あんな水面がさらに延々と広がっていて生き物が多くて水が塩辛い。そんな感じよ」

 「へえ」

 吹き渡る風が涼しい。




 カダ湖南北航路の定期船。風が出てきたので帆走に切り替えられる。

 カダ湖の西岸に日が落ちようとしている。ほとんど線にしか見えない西湖岸。シフはぼんやりと眺める。夕焼けが美しい。帆が染まり人が染まり、全てが色調を変えていく。変化するところにこそ美しさがあると思う。もう一番星が見える。月はまだ見えない。この夕日をルシールも眺めているのだろうか。

 乗客の中に先日レグスにいたさすらいの吟遊詩人(笑)がいて、歌を始める。リュートをゆっくりジャラランと掻き鳴らしそれからアルペジオでメロディを作る。それは割と有名な歌でシフも知っている。物語仕立てで朗らかさと哀愁が漂う軽快な曲調。


 (共和制ローマの英雄スキピオが攻城戦に勝利した後、美しい町娘が献上されてきた。恋人から引き離されてきたという)

 虜囚の娘、悲しく笑う、涙を溜めて♪

 こんなことならあの人と二人♪

 死んでしまえば良かったんだ♪

 濡れた瞳が相手を射抜く♪ 決意と諦めの眼差しが♪

 あははと笑ってスキピオ(※1)言った♪

 肩を竦めて困った仕草♪

 馬鹿、マヌケ、◯□△◇▽(意味不明スラング。好きな言葉を入れてみよう)♪

 嬉しいさ、そりゃ嬉しいに決まってる♪

 だけど帰してやってくれ♪

 この娘が帰るべきところへ♪帰りたいところへ♪

 娘は意味がわからない♪

 おろおろそわそわどうしたら?♪

 仕方ないので兵士が言った♪

 (早口で)さっさと帰りやがれこんちくしょう! さもないと犯してやるぞ! って言ってんだよ!

 (間奏)

 娘は声をあげて泣き出した♪

 あははと笑ってスキピオ言った♪

 (少し早口で)陣中、気を付けて帰れよ、もし今の彼氏にフラれたら俺の所に来い♪

 それからスキピオ、兵士に言った♪

 そこのお前、あとで反省会だから♪

 敵も味方も大笑い♪

 娘もようやく笑ってくれた♪

 (間奏)

 それでもスキピオは貶められた♪ ハンニバル(※2)は殺された♪

 勝ち負けまとめて思い出の向こう側♪

 錆びた刃が欠けるように、朽ちた刃が崩れるように♪

 何もかもがどうしようもなく忘れられていく♪

 

 (間奏。2番へ続く。今度はハンニバルの物語)


 拍手と小銭が飛ぶ。皆、面白そうに聞き入っている。

 「良いな」スィラージが頷く。

 「これは良い歌だ」

 シフも同意する「ああ、良い歌だな」

 スィラージがまた妙なことを言いだす「ところでスピードの向こう側って知ってる?」



 夜が来た。無限灯が幾つかぶら下げてあるが、星明かりで充分明るく、月も上ってきた。風は途切れず帆走が続く。漕ぎ手は全員寝る。

 シフたちは上甲板の小屋で寝ようとしていた。全員雑魚寝。階下で騒ぎが起こる。「そっちにいったぞ!」「気をつけろ!」バキン!「うおりゃあ!」ドカン!

 スィラージが頭を起こす「なんだろう?」

 シフは即答してやる「痴漢が捕まったんじゃないのか? あれ? 犯人がここにいるぞ?」

 「かーーーーっ、ぺっ! カス野郎が」

 「あっはっはっはっは」

 既に寝床に入っていたガボルアも反応する「……多分、鮫だな」片目を開ける。

 「応援行くか?」シフは問う。砂鮫が乗り込んできたのか。

 「もう終わったようだ。寝とけ」ガボルアが目を閉じる。休む時はしっかり休む。優れた戦士の条件である。




 夜半、ルシールは目を覚ました。何かの物音が聞こえたような気がする。

 月は中天、上弦の白い月。周辺の気配を探る。結界に異変は無い。焚き火はもうすぐ消えそうだ。ちょろちょろと小さな火。薪を一本足す。さやさやと涼しい風。雲は端っこに一握り。月と星明かりが全てを青く染めている。

 物音は村の方から。普通なら音の届かない距離だ。

 スィラージ2号とリンガーが既に起きている。スィラージ2号の耳が村の方を向いている。リンガーがルシールにくっついた。目を見開いて警戒態勢。耳がピクピク動いている。

 ルシールはリンガーを抱いて、村が見渡せるところまで少し歩く。草原の向こうに薄く見える家並み。一見して異変は見えない。しかし彼女の強化聴覚が異変を捉えた。

 風に乗って喚声が届く。

 「……逃げろ!」ドカン!「逃がすわけ……ないだろ!」ズガン!「うぐあっ!」バン!「なんだこの村は?」ギャリン!「一人も逃がすな!」「囲え!」ズバッ!「あの男は殺しておけ! 面倒だ!……」バシュッ!「ぬおおおおお! やらせはせん! やらせはせんぞ……!」ドカン!「その程度で!」バキン!「我らの陣を抜けると思ったか!」

 襲撃だ……!

 一瞬、何かが薄く光る。刃だろう。

 「がぼっ」「さっさと死ね! 忙しいんだよ、こっちは!」「ほらほら貧乏暇無し、しっかり稼げよ」

 やばい! ルシールが振り向くと焚き火の煙がちょろちょろと立ち上り南へ筋を引いている。晴夜の煙は思ったよりも目立つ。ささやかな風は煙を掻き消してくれない。

 急いで戻り焚き火に砂をかける。鎮火の瞬間、燃焼不十分でさらに多くの煙が立ち上る。舌打ち。

 油断禁物。発見されたと考えるべきだろう。

 慌てて荷物を纏める。

 月が明るすぎて見つからず逃げるのは難しいか。

 地形条件としては草原と畑と少しの岩場。多少の起伏があるが、遠望が利く。

 ルシールはマントの留め金のガーネットに手を添えて魔力を充填、聴力強化を最大にする。

 今夜の結界は、触媒に大蒜にんにくとヒバマタ(※3)を用いたもので、結界としては低レベルなものになる。認識阻害、侵入検知、自動迎撃の効果を有するが、特に認識阻害が心許ない。これは五感を阻害するものではなく、意識に働きかけるものであり、相手の力量と状況によっては効果が薄いのだ。

 特に結界外部の煙にまでは効果が薄い。

 視覚阻害できる結界を張るには、触媒としてアマランサスかチコリが必要だがもう在庫切れ。触媒無しで発動できる魔法式を彼女は知らない。

 



 【※1 スキピオ】本名プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル。長い!第二次ポエニ戦争(※1-1)の共和制ローマの英雄。戦争の勝利に大きく貢献。アフリカヌスとは戦後贈られた尊称。『アフリカを征服した者』という意味。実戦経験を経て敵将ハンニバルから騎兵活用包囲戦術を会得した。さらにローマ軍主力たる重装歩兵のグラディウス(短剣)集団戦術を編み出し、その軍事力を大幅に向上させた。

 【※1-1 第二次ポエニ戦争】この時から200年以上昔、共和政ローマとカルタゴとの間で紀元前219年から紀元前201年にかけて戦われた戦争。カルタゴ側の将軍ハンニバルはイタリア半島の大部分を侵略し、多大な損害と恐怖をローマ側に与えたため、この戦争はハンニバル戦争とも呼ばれる。地中海世界の覇者を決めた戦争でもある。

 【※2 ハンニバル】本名ハンニバル・バルカ。第二次ポエニ戦争のカルタゴ側の英雄。極めて優れた戦術家。騎兵を活用する変幻自在な包囲戦術を編み出しローマを追いつめた。隻眼。

 【※3 ヒバマタ】海藻の一種。ブラダーラックともいう。薄く小さな昆布のような外見に空豆のような実が大量にくっついている。簡便な青魔法の触媒に使用される。女性、月、水と関連が深い。

シフ「いち、にい、サンガリア!」

スィラージ「にい、にい、サンガリア!」

シフ「サンガリア! サンガリア!かんそー(感想)!」

ガボルア「あまりにマニアック。それわかる奴いるのか?」

シフ「わかる人にしかわからない、それでいい、あいことば~」

スィラージ「あまりに適当! あまりに無軌道! まさに傾奇者よ!」

シフ「てへ。よせよ、テレるじゃないか」

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