1-32 サバンナ満天の星空。ラピスラズリが例えられるのは間違ってない。あたしが生まれる遥か昔から変わらずに美しいんだろうな
ルシールはその日、草原で野営した。追跡者の姿は無い。
しかしスィラージ2号は健康だ。あの村では仮病だったのかなと思うほど元気に歩く。小さな痛みを大袈裟に訴える性格なのかもしれない。
敷物を敷いて寝袋を広げる。テントは持っていない。焚き火がパチパチ鳴る。湯を沸かす。
馬装を解かれたスィラージ2号が足を投げ出して横になっている。寝転がったままだらしなく草を齧る。野生の本能はどこへ行ってしまったのだろう。火を怖がることも無い。
それを横目にルシールはリンガーをあやす。
「リンガー♪ どうしてお前はそんなに可愛いの?」
「みゃお(肉くれ)」リンガーが小さな手を伸ばす。悪魔的な可愛さである。
「おやや? そんなところ触るなんて♪ リンガーのエッチ♪」ルシールはハッとして「あたしとしたことが何故こんな下品なことを……?」奴らの影響と思われる。常に会話に何かの冗談や小噺を入れようとする男たちだった。干し肉を噛んで柔らかくしてからリンガーに与える。
「しかし……あいつら今頃、何してるかな」今日もラピスラズリのような星空を眺める。雲は少なめ。月はもうすぐ満月か。彼らは今夜レグスの港町だろう「またあの酒場かな」あのツクネは旨かった。
リンガーが全力で干し肉に齧りついている。
珈琲を淹れる。豆袋を見るとかなり減っていた。
皆、喜んで飲んでくれたからなあ。
改めて別れの場面を思い出す。良い別れ方だったと思う。思い出すと寂しさよりも温かさが溢れてくる。
ルシールは、立ち上る珈琲の香気をしばらく堪能した。
焚き火を中心に結界を張ってある。一人の時は認識阻害と侵入検知だけでなく、自動迎撃を加え、効果範囲を倍以上に広げる。魔力とハーブを消費するが、ルシールはそれぐらいやらないと安心できない。
「月よ」ルシールは見上げて呟く。昔、アテネで聞いた歌だ。
「月よ照らせ、月よ示せ、あたしの道を、彼らの道を」数拍置いて「迷わぬように、転ばぬように」
視線を落とすとまだリンガーが干し肉と格闘している。
「星よ紡げ、星よ誘え」その先は思い出せない。代わりに魔導書にあった詠唱を繋げてみる。
「氷の女王に誓う。古き精霊の導きは今も変わらず。クリッツピューラーの名を汚すこと無かれ。塞き止める時の流れは激流に等しく。氷の砂時計はしばしの暇、滴のささやきは豊穣の祝詞を綴る」
パキンッ。何かが小さく虚空に弾けた。寝よう。
翌朝。
「ヒッヒーーーーン!」
ルシールはスィラージ2号の悲鳴で目を覚ました。スィラージ2号がぴょんぴょん悶えている。何故か尻にアイスランスが刺さっている。結界の外に出ようとして自動迎撃を発動させてしまったようだ。
「やれやれ」
「みゃお(愚か者)」人間と違い、多くの動物は魔力の気配に敏感だというが。
「ブフ! ブフ! ヒン! ヒヒーーーーン!(痛い! 痛い! たっ助けてくれー!)」
「どうしてだろう既視感を感じるよ」ルシールは朝から無駄な回復魔法を使う羽目になった。
先日の戦い、結局はエルクの方から拳を引いてくれてシフはほっとした。戦意が削がれたようだ。ガボルアが圧倒的な実力を見せつけたというのも大きいか。
結局彼の腕は折れておらず、少し肩を痛めた程度のようだ。あれなら数日で治るだろう。
エルクが告げる「あの女がいないのなら、勝っても負けても意味が無いからな」
「アニキがそう言うなら」ヨリバナもナイフを納めた。
シフは歩み寄る。
「これで勘弁してやってくれないか、エクストラヒールだ」惜しげも無く巻物を差し出した。使っても良いし売れば帝国金貨10枚はくだらない。捌き方によっては倍の価値が付いてもおかしくない。これを持ち帰れば彼の上役にも言い訳できるのではないか、そういう思惑だ。
「あんた、馬鹿な男だなあ」エルクが部下に指示する。男が警戒も露に巻物を受け取る。
「たまに言われるよ。ところで、あいつがどうして逃げ出したのか。本当のところを聞いても良いかい?」
「なんだ、知らずに戦っていたのか」
「そうなるな。嫌な婚約相手から逃げたとは聞いているが」
エルクが小さく嘆息する「簡単に言うと……そうだな、魔法を使える子供を得るための結婚だったからだ」
「そういう話か」
確率は低いが魔法の才能は遺伝する可能性がある。ルシールのように常人同士の子供でも魔力を発現することはあるがその確率はさらに低い。だからこの手の話は正直珍しくなく、権力者や魔法使いの家系でたまに聞く。魔法にはそれだけのアドバンテージがあった。
しかし、この地域において畏怖や忌避される存在であることは変わらず、生まれた子は苦労するだろう。
「なるほど、それで相手があのオヤジか? 最低だな」
エルクは応えない「話は終わりだ。引くぞ」部下を率いて去っていった。
繁華街にざわめきの余韻が残る。群衆が注目している。
シフはしばらくじっと見送った。エルクをあまり信じてはいない。言葉ではああ言ったが、まだルシールを追いかけるつもりかもしれない。さすがにそこまでは面倒見れないが、今は無事を祈ろう。
後になってスィラージが言う「もしもこれで終わりなら、あいつ(ルシール)逃げる必要無かったんじゃないのか?」
「逃げる癖が付いているんだろうよ」
「あいつも結構馬鹿だよな」
「ああ、そうだな。本当に全くその通りだ」
そして翌朝、夜明け前。
カダ湖南北航路の定期船は日の出を待って出港する。
空が白んでいる。幾分肌寒い。晴天。雲は少ない。風も弱い。水面に靄が立ち込めて幻想的だ。
船は先日見た2階建て中型の平船だ。帆だけでなくオールも備えており無風でも出航できる。
シフたちは桟橋で待っていた。水夫たちが忙しそうに動いている。
桟橋の根本のあたり、若い男女が見詰めあっている。旅立つ男と見送る女か。只ならぬ雰囲気で何か話している。シフたちのところまでは聞こえない。
暇なのでセリフを当ててみる。
スィラージが女の子を担当する。
「あの子のことはどうするの?」
シフは即応「ジュリエッタ」やれやれと溜め息「だから何度も言っているだろう、誤解だと」
「嘘! この前も会っていたくせに!」
「それは誤解だっていうのに、まったく、困った子猫ちゃんだぜベイビー」
「じゃあ証拠を見せてよ、証拠を」
「証拠って言われてもな」
「今ここでキスして」
「ここで? それは、ちょっと」
「できないのロドリゲス? 意気地無し! カス野郎! このハゲーー! 違うだろ! 違うだろうーーーー!」思い込みの激しい、情緒不安定なキャラを演出。なかなか声に力がある。
「「あっはっはっはっはっは」」周囲からも笑い声が上がる。当の若い男女がこちらを見る。
「きゃ、あいつら何だかこっち見てニヤニヤしているんだけど。特にあの胡散臭いメガネの男気持ち悪い」
「そうかい、その隣の金髪男の方がヤバそうに見えるけど、仕方ない。君があんまり魅力的だから発情しているのさ。ヤりたくてヤりたくてたまらない、まさにヤングアニマル」
「え、そうなの? それならいっちよ二人の愛の力を見せ付けてやらないと」
「おいおい、それはちょっと」
「できないの? あたしのこと愛してないの?」
「愛してるさ、世界中の誰よりも」
「それなら今すぐここであたしを抱いて」
「だからどうしてそうなるんだ、少し落ち着け」
「できないのロドリゲス? 意気地無し! カス野郎! このハゲーー! 違うだろ! 違うだろうーーーー!」同じオチ。
「「あっはっはっはっはっは」」またも周囲で笑い声。
件の若い男が、女との話を中断してやって来た。まだ20歳くらいか。なかなか精悍な面構え。
「あのー、俺たちをネタにして遊ぶのはやめてください」
女もこちらを睨んでいる。
「すまん。暇だったんでつい」
「貴方たちとは喧嘩したくないんですよ。だから少し大人しくしていてください」なんだかこちらを知っている口振りだ。昨日の立ち回りを見ていたのか、なんとなく好意的な表情だ。
「悪かった。調子に乗りすぎたよロドリゲス」
男は苦笑い「誰がロドリゲスですか」
「彼女にも悪かった、って言っといてくれ」
「はい」
「お前さんも船に乗るのかい」
「はい」男が少し笑って女の方へ戻る。手を振っている。女が切なさを込めた眼差しで見返した。
スィラージは眺めてポツリ「若いって良いな」
ガボルアが同意する「そうだな」
スィラージが普通の声音で問う「……あたしのこと好き?」
「ああ、多分な」
「正直ね。見つけてくれる?」
「また会えると言っただろう。見つけて見せるさ」
「なるほどね」
「全ては心の中にある。今はそれでいい」
「りょーかい」
「先ずは仕事を終わらせないとな」彼には仕事に対する責任がある。
「そう……もう一度聞かせて。あたしのこと、愛してる?」
「ああ、もう認めるよ」シフは一息ついて「世界中の誰よりも愛してる、今度見つけたらもう離さない、ってマジで気持ち悪いぞ」
「あっはっはっはっはっは」それが聞きたかった。
何も知らない周囲の旅行者は訝しげ。
日が昇り、水面の靄が複雑に輝く。ガボルアが眩しそうに眺める。鐘が鳴らされ出港の時。一気に明るくなってきた。
スィラージ子「見せつけてやらないと! 二人の愛の形を!」
シフ男「どうどう、ちょっと落ち着け」
スィラージ子「できないの? 意気地なし! カス野郎! 感想書いて!」




