1-28 悪夢
昼間は風が強かったのに、夜になると中庭は殆ど無風の静けさに包まれた。
建物に囲まれて、巷の喧騒も疎。
つぶらな緑の瞳をした少年だった。重層正三角形魔法陣の角のひとつに緊縛してある。ガチャガチャと気でも狂ったように暴れる。緊縛の鎖は細いが少年程度の力で切れはしない。
「わ、う、わ! やめろやめて! がっ! おねがいやめて! ぎあっ!」
ルシールがそれに応えることはない。詠唱を続け、魔法陣の起動を進めていく。初めての魔法だが迷いはない。全ての手順と理論が脳裏に刻み込まれているからだ。わからないところは無いが、それでも慎重に、ひとつひとつ感触を確かめるように進めていく。
「光の裏にある影。光と影は同じもの。影は命の裏返し。あなたはわたし。わたしはあなた。1次展開第3領域から時空点火。めぐる命とつなぐ命。2次展開第7領域から天命逆行。捧げる命と拾う命。3次展開第2領域から大地暗転、そして原基来迎。傾ける天秤と選択する名簿。取り替える名簿」
「うああっ! ぐ! あうううああ!」少年が物凄い眼をしてルシールを睨む。
「だからゴメンて言ってるでしょ! そんな眼で見ないで!」
青い稲妻が、中庭に描いた魔法陣を、それから中庭全体を駆け巡る。触れても不思議と痛くない。組み上げた魔法式に間違いが無いと実感できる。魔法陣が光を増す。論理的で精緻な魔法式が無慈悲に隙無く構築されて起動。
「あ! あぐあああ! うわああああああああ!」少年がさらに暴れる。細い鎖をガチャガチャ鳴らし、その四肢が傷ついて血が飛ぶ。それでも全力で暴れる。
ルシールの四肢が熱い。少年と感覚が同期しているのかな、と思った瞬間に自分も叫んでいることに気が付いた。少年の声と重なっているのでそれまでわからなかった。少年の恐怖が怒濤の勢いで流れ込んでくる。
心臓を掴まれるような圧迫感。自分の中の何か大切なものが形を変えて、何かと繋がる。ヤンシュフ先生が隣に立ってくれた。氷のように青褪めた顔だ。
そこからはもう一気呵成、流れが止まらず最後まで行った。それがエリクサーアレイズだ。
青い稲妻がひときわ強く迸り、それから静寂が戻った。
母親が普通に朝起きたような顔で身体を起こした。ルシールはほっとして、それから皆を見るが、皆の表情は恐怖一色。彼女は動揺して視線を泳がせ弟を見る。しかし何故か弟の顔が、恐怖に歪む触媒の少年のものになっており、慌てて触媒の少年を見ると向こうが弟の顔になっている。動揺してもう一度弟の顔を見直すと、弟は弟の顔に戻っていたが炭のようになってボロボロと崩れ落ちていく。駆け寄り抱き留めると、簡単に砕け散り腕が空を切る。
「うわあああああファリダット!」ルシールは弟の名を叫ぶ「……どうして」
崩れ落ちながら弟の唇が動く。死んだ眼と無機質な声「それがアレイズだ」
ルシールの全身に鳥肌がたつ。
「お前は何もわかっていない」
ルシールは汗だくで目を覚ました。夜空が見えた。夢だった。シフが自分の肩を揺すっていた。
「おい大丈夫か」
うなされていたようだ。
焚火がちょろちょろ燃えている。
ルシールは息を荒げて涙目。ひときわ大きく息をついて「大丈夫だから。ごめん」久し振りにあの夢を見た。もう5年以上経つというのに、どこまで行っても逃がしてくれない。いつも唐突に彼女を苦しめる。最近は圧迫感が増してきた。悪夢の在庫は他にもあり、考えると死にたくなる。
そこはオアシスにほど近い小高い丘。まだ夜は明けない。吊るされた無限灯が静寂を強調する。他のメンバーはいない。気を利かせてくれたのか。さすがに全員に見られたら恥ずかしいかな。
「もう少し寝てろ」シフが胡座をかいて座る。
「ごめん、でもさすがにこれはもう寝れないかな」ゆっくり体を寝袋から出す。
「悪い夢か」
「そんなところ」
「ほら珈琲飲め、スィラージの分だから心して飲むように」持たせてくれたコップが温かい。いや少しぬるい。今は彼が不寝番か。
「それなら遠慮なく飲むしかないね」啜ると超苦くてルシールは顔をしかめる「ちょっとこれ苦すぎるんだけど」
「良薬口に苦しとも言う、たくさん飲め。幾らでもあるから。レモングラス入れるか?」
「さすがにもうレモングラスは勘弁して。ってそれはあたしの豆でしょ」
「そうか? あいつ結構持ってたぞ。ちょろまかしてたんじゃないのか?」
「マジで! 全く。道理で減りが早いなと思ってたんだ」
「あっはっはっは」
近くの岩陰からスィラージたちの会話が聞こえる。結界の少し外側だ。
スィラージがごねる「そんなにダメ出ししなくても良いじゃないか。ちょっとネギを入れようとしたくらいで」
ガボルアが嗜める「珈琲とネギが合うわけないだろ」
「夜泣きに痔、ノイローゼに悪い夢。効かない病は無いってシフは言ってたんだけど」
「お前はホントに馬鹿だな。もう少し考えんか」
「何事も挑戦せずして成長無し」
「だから時と場合を考えろ」
「ぐむー(※1)」
ありがとうガボさん、止めてくれて。
ルシールは言う「これはもう、お仕置きするしかないね」
「あっはっはっは、それはあいつにとっては御褒美ですな。ネギでバシッとやってから『オラ鼻に指引っ掛けて3階から吊るすぞ!』って言ったら泣いて喜ぶんじゃないのか?」
「じゃあ、何をやったらお仕置きになるの?」
「さあ? 褒めてやったら良いんじゃないのか?」
「特に褒めるところがないのに?」
「あっはっは、ひどいな。少しは良いところあるだろう? 例えばおすすめアニメ情報教えてくれるとか」
「あたしそれほどアニメ見ないから」
「漫画の描き方教えてくれるとか」
「あたし漫画あまり読まないから」
「仕方ない野郎だな。じゃあ顔がイイところとか。俺が言うのもなんだが、なかなかのイケメンだぜ?」
「それを打ち消して余りある変人だからねえ」
シフは首を竦めておどけた仕草「全く困った女だな。じゃあ料理が美味いところとか?」
「美味いというよりはそこそこかな」ルシールは珈琲を飲み干す「あー苦かった。どうやったか知らないけどコレスィラージが淹れたんでしょ。ちょっとやりすぎ」
「厳しいなあ。もうちょっと優しくしてやっても良いと思うんだが」
「うふ」
「おっと、さあ飲め二杯目が来たぞ」ガボルアがそっと二杯目を持ってきた。これはガボルアの分か。
「うぷ、飲めば良いってもんじゃないだけど」
「まあ頑張って飲め、元気が出るぞ」
ルシールは溜め息をつく。もう無理。物事には加減てものがあります。既に胃もたれしている。余りにも濃すぎる。煮詰めたのかな?
「じゃあ砂糖入れてやろうか」砂糖は貴重品。
ルシールは首を振る「いいよ、勿体無い。それに、ホントにもう大丈夫だから」
「そうか?」
「うん」
「じゃあ俺が飲むかな」ごっくんプリーズ。
「悪い男」
「うん? 細かいことを気にするな」シフが美味そうに珈琲を啜る「これはそんなに苦くないな。さすがガボルア、基本に忠実」
「あたし、寝言で何か言ったかな」余計なことを口走ってないか心配だ。
「いや? 別に」
「そう」
「あの村で魔力を使いすぎたんじゃないのか。だから変な夢を見たとか」
「そうかもしれない」
「昼もそうだが働かせ過ぎたな。悪かった」
「別にいいよ、あれくらい」
「そうか、ま、横になれ。眠くなくても横になれば少しは休める」
「あんたたちは寝ないの?」
「そこの岩棚で寝る。良い夜だしな。お前さんを一人にしてやった方が良いかなと思ったんだが」
「別に構わないけど、ありがとう」おとなしく身体を横たえる。
「ま、眠れるなら眠っとけ。不眠は健康に悪いからな。美容にも良くない」
「りょーかい」
「そうだ俺の安眠枕使うか?」他のメンバーはリュックサックなどで代用しているところ、健康マニアのシフだけは携帯式の安眠枕を使用。具体的には蕎麦殻を詰めた袋。
「遠慮しときます」
「コホン」シフが咳払いをひとつ「ところで」
「何? 話していると眠れないよ?」
シフが頭を掻く。痒いのかな?「また、悪い夢を見たら嫌だろう? だから、そ、そ、添い寝してやろうか」
「いっ」ルシールは変な声が出た「けっ、けっこうでふ。セクラハ? セクハラ防止委員会に言っちゃうよ?」
「うん、だから手、手を握っといてやろうかなと思ってな」
「ぐるるるるるるぅぅぅぅぅぅぅ……ぐおぅん……ぐおぅん……ぐおぅん……」ライオンの遠吠えが聞こえる。昼間とは違う群れだろうか? あれだけ痛い目に遭わせてやったのだから。
「あ、あたしはそんな乙女じゃないんだけど、」
「そうだな、乙女というよりアマゾネスだ」
「何それ」
「伝説にある屈強な女戦士の一族だ」シフの口調が固くてどうも笑えない。
「はあ、でもまあ、折角だしお願いしようかな」
「そ、そうだ折角だからな」シフがルシールの頭の横に座り直して片手をためらいがちに伸ばす。顔を背けて周辺を見ている。
ルシールはそっと片手で掴んだ。あたたかくてゴツゴツしている「……変なの」
「そうだな。俺もそう思う」
「とりあえず、ありがとう。頑張って寝てみるよ」ルシールはぎゅっと握る。
「ほう、意外に握力あるじゃないか」シフが同じくらいの力で握り返してくる。
「うるさい黙れ」
30分後。ルシールはまだ眠れずに与えられた手を握っていたが、その横でシフが座ったままこっくりこっくりと居眠りを始めた。珈琲を飲んでも平然と眠る男である。
「はあ、やれやれ」
星空の下、彼女はその寝顔をまっすぐに見上げた。彼の手はしっかりと自分の手を握り、簡単には離してくれそうにない。代謝が高いのか温かい手だ。無防備な寝顔。穏やかな寝息。無精髭が点々と生えている。怪しいダテ眼鏡。精悍で朗らかで胡散臭い。そうやってずっと寝顔を眺めていると何故か涙が滲んできた。
変な人だなあ。
ルシールは、起きる様子が無いのを何度も念入りに確かめ、誰も見ていないのを確かめてから、胸元で握る手に、そっと唇を押し付けた。
そして翌朝、シフがうなされて「うわあああああああ! パンチョ! ロドリゲス~ッ!」と叫んで飛び起きた。ルシールも驚いて目を覚ましたが、その時の感想。
うっわー……あいつ(スィラージ)も変だけと、この人もやっぱり物凄く変だ。
今日も暑くなりそうである。結界のおかげで無事に朝を迎えられた。
小高い丘の上からオアシスを見る。思ったよりも大きなオアシスだ。象、ハイエナ、インパラ、キリン、猿、シマウマ。多くの獣が集まっている。草食動物ばかりで肉食動物はそう簡単に姿を見せない。水辺は大混雑。綺麗なオアシスの筈だが獣たちの出入りで茶色く濁っている。
「色々いやがるぜ」シフは興味津々、嬉しそうに眺める「おい、見ろよインパラがいるぞ」
「たしかに」スィラージが応える。
「あの角、なかなか尖っているな」尖端愛好症の疑い有り。
「だから何? 刺したら良いんじゃないのか? 君のケツに」
「はあ下劣」ルシールは言った。
ガボルアは既に話を聞いておらず、テント周辺を哨戒。獣の足跡などを確認しておく「おっと危ない」近くの岩場に太めの蛇がうねっているのを見つけた。全長は1mほどだがそれにしては太い。こいつはパフアダー、クサリヘビ科で猛毒。ガボルアは槍を一閃、頭を潰す。さらに一閃、切り落とした。槍の適さない近間でも器用に使う。大きな毒牙にはしばらく毒が残るので頭は埋めておく。尻尾を掴んでぶら下げる。頭の無い蛇がぴくぴくと痙攣する。切断面から真っ黒な血が流れ落ちていく。
「B氏(※2)によると生でも喰えるらしいが……とてもそんな気持ちにはなれんな。焼いても……俺には無理だな」
上空を大型の鳥が飛んでいる。ヘビクイワシだ。この蛇が欲しいのだろう。長い足をまっすぐ伸ばした美しい飛行姿勢である。
一方その頃、山村ダシル。
シャリアはメッサリーナの教会堂を訪れた。松葉杖でひょこひょこ歩いてきた。
メッサリーナはいつでもシャキッとして美しい。
「迷える子羊よ、こんな朝早くからどうしたのですか」
「シスター。実は、女体化スィラージを描いてみました。見て貰えますか。お姫様テイストです」
「それはなかなか興味深いものを描きましたね」
「はい、とっても上手く描けたから、これはもう、是非見て貰わないといけないと思って」
「そうですか」彼らが村を出たのは昨日の朝。それから描いたのだろうか。
シャリアがイラストを提出する。
小鳥がチュンチュン鳴いている。
イラストは、お姫様の格好をしたスィラージが日が差し込む室内で足を組んで椅子に座り本を読んでいるもの。浮かせた足先に子犬が噛み付いている。スィラージ姫は眉を上げて意味ありげな微笑。高密度の書き込み。技術的にはまだまだだが、見ていると楽しい気持ちになる。あのスィラージという男は、この少女に何か良いものを与えたようだ。
メッサリーナはしばらく面白そうに眺めて「ああ、せっかく顔が良いのに下品でマニアックでむっつりスケベで……優しいところが良く描けていますね。良いと思いますよ」遠慮が無い。
【※1 ぐむー】 悪魔超人が困ったときに洩らす声。ところで最近本屋さんに行ったら子供向けの超人図鑑なるものが刊行されていました。化石・動物・宇宙など自然系の図鑑と同じ、昔懐かしい装丁でした。あんなノリ大好きです。もう少しで買ってしまうところでした。危ない危ない。
【※2 B氏】ブリタニア(現イギリス・ブリテン諸島)出身、ローマ帝国正規兵除隊者。所属は特殊部隊(多分精鋭)だったという噂。砂漠・ジャングルなど過酷な環境におけるサバイバルを趣味? にする有名な変態。蛇やら蜘蛛やらなんでも食べる。「おいしい」のハードルが極めて低い。サバイバルの日々を綴った『そいつは食用だ』シリーズは意外なロングヒット。最新刊は第8巻、サブタイトル『王家の谷で食べ歩いてみた』ガボルアは既読。通称B氏。本名忘れた。
7月分として投稿。キャラが勝手に。そしてオチを作らないと気が済まない困った作者。




