第78話
「ふん……弱いクセに」
ブーツの踵を物言わぬ男の顔面に落とし、水色の瞳を不機嫌そうに細めてカイユが言った。
「なんて馬鹿なのかしら、この男達。武人だろうと、人間なんかが私に勝てるわけないじゃない。私を誰だと思ってるの? ……<カイユ>よ?」
その死体が生きていて、耳が聞こえたならば。
それを知り、どう思うのだろうか?
後悔するのか、恐怖するのか。
<カイユ>に剣を向けたことを。
それとも。
その手で死ねた僥倖に。
武人として望むところだと、歓喜するのだろか?
まぁ、俺としちゃ。
んなことよりも、こっちの方が気にかかる。
「ハニー。それ踏み潰すんじゃないよ? 君のブーツが汚れるからねぇ」
機嫌の悪かったハニーは、止める間もなく3人をさっさと始末しちまった。
まあ、ハニーなりにちゃんと考えての行動だったから、術士には手を出さなかったが……。
「確かにそうね。おろしたてのブーツが汚れるのは、嫌だわ」
刀を払って血液を落とした後、ハニーは自分の手から外した白い手袋で刃を拭いた。
柄から先端まで丹念に汚れを取り去り、俺の母親から送られた朱塗りの鞘にそれをしまった。
ハニーには、返り血の一つも付いてはいなかった。
赤いそれが噴出す前に、ちゃんと距離をとる。
それを計算した斬り方ができる。
血の臭いを怖がる母親……ミルミラの為に。
「ハニー。残りの2人はまだ殺しちゃだめだ。俺がもらっていい?」
それができる技量を持った竜騎士に、君はなった。
「そうね。私は手加減が苦手だから、口を割らせる前に殺しちゃうわね。……ダルフェにまかせる」
「了解、団長」
片眼をつぶって礼を言った俺に向けられた顔には。
「ふふっ……それ、最近ジリがすごく上手にまねするのよ?」
帝都を出てから、初めての笑顔。
セイフォンで<娘>を見つけ。
息子を産んでから。
カイユの笑顔が変わった。
いや、舅殿に言わせると‘戻った‘が正しいらしいが。
「さっさと済ませるよ。子供達が、帝都で帰りを待ってるもんな」
透明感のある澄んだ……綺麗なだけじゃない、眩しい笑顔。
その微笑みを向けられた俺の胸は、まるで初めて会った時のように高鳴り。
君に初めて触れた時のように、温かいもので満ちていく。
「ジリには舅殿が付いてるから安心だけど、困ったチャンな婿殿といる俺達の娘が心配だもんなぁ~」
「そうね、まったく……あの方には新しい‘反省部屋‘をプレゼントしたいくらいだわ」
君がもっと笑ってくれるように。
俺は俺にできる事をする。
シャイタンの王城からセイフォンの皇太子達を積んだ……乗せた馬車の御者台から降りて、濡れた石畳の上に立った。
街道の両脇は、俺の身長の倍はある雪の壁。
シャイタンと帝都を結ぶこの街道は、高い通行料をとるだけのことはある。
一般人の使う物より大きい、貴族用車両が対面通過可能な幅を持った2車線道路。
ここは完璧に除雪されている。
あまりに有名な……通称‘金づる街道‘。
正式名称は入り口の門(ここで通行料を払う)に書いてあったみたいだが、見なかった。
帝都は湯が豊富なので、真冬でも多くの人間が訪れる。
治安が良いうえに、金持ち共を満足させる高級店も多い。
年間を通して観光地・保養地としての人気が高い。
だが、冬季は高地にある帝都への道中は雪深く険しい。
そのため以前は移動手段として、最高に高額な<籠>を使わねばならなかった。
シャイタンの先代王はそこに目をつけ、この街道を整備した。
専門の術士が練成した固形燃料が一定の間隔で埋め込まれ、雪を溶かしている。
ここを通れば、真冬だろうと馬車で帝都まで行くことができる。
通行料は<籠>の50分の1の金額。
かなり、お得で……数倍危険。
<籠>よりは安い。
しかし、ここの通行料を払えるのかなり裕福な者だけだ。
金持ち限定ゆえに、強盗するにはもってこい。
ま、護衛に返り討ちって事が多いみてぇだが。
俺が手綱を取り、不機嫌なハニーは馬車の屋根に仁王立ちの状態でこの‘金づる街道‘を通っていたら、予想通り刺客が現れた。
閣下に手傷を負わせた面子だった。
俺達の目的はこいつらであって、馬車にいる‘お荷物‘はついでだ。
シャイタンにセイフォンの皇太子が寄ったのは、ここの王妃に会うためだった。
数年に1度、帝都に来る際には必ずセイフォン王の実妹である王妃に会うのだ。
陛下が手配した籠をシャイタンで降り、陸路で帝都に入る予定だった。
シャイタンの王城から帝都までは、整備された街道を馬車で急げばたった半日の距離だ。
竜体になって、馬車を掴んで飛べばあっという間の距離。
竜体で飛ぶ?
この餓鬼の連れて来た術士が、カイユの母親・ミルミラを殺した。
そのカイユを妻に持つこの俺が、こいつ等のために?
冗談じゃない。
最初は断った仕事だった。
セイフォンの皇太子のお迎えなんざ、まっぴらごめんだった。
側で聞いていた舅殿はいつものようににこにこ笑っていたが……あれは‘王子様‘の笑い顔じゃ無かった。
魔女閣下がやられた聞き、俺とカイユは行く気になった。
あの閣下に手傷を負わせるほどの刺客なら。
腕の良い術士とつるんでいるはずだ。
腕の良い……世界の暗部に生きる術士。
まっとうな生き方を選んだ術士達は、暗殺なんてことには関わらない。
術士は数が少なく、貴重だ。
大商人、貴族や王族、国家。
どこだって高待遇で雇ってくれるからな。
この大陸では、誰もが羨む華やかな職種だ。
俺は、俺達は。
ミー・メイのような表の仕事ではなく、裏の仕事に回される術士に。
俺達<竜騎士>の主である<四竜帝>は、訊きたいことがある。
陛下が考えていた通り【餌】の効果は絶大で、俺達が姫さんをセイフォンから帝都へと連れて行った後は諸国の刺客が皇太子に群がっていた。
だが、あの国には<魔女>が……セシー・ミリ・グウィディス将軍閣下がいる。
あの女は人間にしておくには惜しいほど強いし、頭も切れる。
皇太子を守りつつ、陛下の思っていた……それ以上の成果をあげていた。
成果。
皇太子の命を狙う者……<監視者のつがい>の後見人の座を欲するような、身のほど知らずな輩のリスト。
それと。
捕らえた術士からの【情報】。
どっちかっていうと、こっちのほうが価値がある。
裏の世界に生きる術士の持つかもしれない【情報】が、今の竜族には必要だ。
先月、陛下は姫さんの大陸移動の件を後見人である皇太子に告げた。
皇太子は姫さんが移動する前に、会いたいと望んだ。
陛下は了承し、籠を手配してやりこいつ等をシャイタンまで運んでやった。
表向きバイロイトがセイフォンからの仕事請け、旅客課のやつを派遣し……シャイタンの城までの契約だった。
そこで2日過ごす間に、魔女閣下が手傷を負った。
予想外だった。
予想外の……幸運だ。
皇太子の暗殺がいつまでも成功しないことに痺れを切らせた連中が、子飼い以外の術士も使い出したんだろう。
<監視者>を怒らせたペルドリヌは教主と上層部の術士達を失い、内乱状態。
姫さんに取り入る為の情報が欲しいと帝都に間者を送り込んでも、かたっぱしから‘行方不明‘で成果ゼロ。
そういったことから<監視者>とそのつがいには、今は近づかない方が良いだろうと各国は考えたんだろう。
だから出来る事に……皇太子暗殺にさらに力が入るって訳だ。
今回は明らかに今までとはレベルが違う術士が、刺客として送られてきている。
<監視者>のつがいの後見人という【餌】は、俺等の探していたモノを闇から引き出し始めていた。
ハニーが片付けたのは3人。
残ったのは<星持ち>であろうの術士と、武人が1人。
「銀髪の雌……あの<カイユ>か! <青の竜帝>の側近中の側近だ。大陸最高位の竜騎士だぞ!? どうする……ひくか?」
人間にしちゃあ大柄で、厚い外套を着込んでいる武人の顔は蒼白だった。
でかい体と黄ばんだ歯が見世物小屋の子猿みたいに震えてんのは、寒さのせいなんかじゃないだろう。
「ひく? 残念だが、それは無理だ。<カイユ>を竜帝が寄越したって事は‘皆殺し‘って意味だぞ? ちっ……昔から竜帝はセイフォンを贔屓してるって話は有名だが、ここまでとはな」
背中の曲がった術士は、かなり高齢のようだった。
赤紫に染め、金細工が縫い付けられた悪趣味な毛皮を身に着けた術士はしわがれた声で言った。
「どの道死ぬなら、やるしかあるまい。低俗な大蜥蜴共は術式が使えん。私が押さえている間に首を落とせ。……赤い髪の雄も<青の竜騎士>だ。外套の間から、青い騎士服が見えとるからな。いいか? 竜騎士は再生能力がそこらにいる竜族とは,桁違いだぞ? 一気に首をとらんとまずい。2匹同時に【檻】に入れるから、手早く始末しろ。無駄口を叩くな……竜は耳が良い」
へえ、ふ~ん。
この老人は、竜騎士に詳しいんだなぁ。
竜騎士は竜帝陛下の親衛隊っつうか、近衛っていうか……そういった認識の方が、この大陸では強いってのに。
俺らの本職が汚れ仕事だってのを、ちゃんと分かってる。
この術士はそれだけ知っている術士ってことか。
「その通りだよ、爺さん。で、さっさとしてくれるかい? 俺らもうすぐランチタイムだからさぁ~」
フードに隠れて老人の表情は見えない。
見えるのは、皴だらけで病的に白い手から生まれる微かに青い光の霧。
瞬き1回の時間で、俺とカイユは青白い霧が作った三角柱の中に居た。
「爺さん、なかなかだねぇ」
まあまあ。
だがクロムウェル以下。
術の‘輝き‘が違う。
厚みはあるが、造りが粗い。
術士の技量は経験じゃ無い。
生まれ持った才能が全てだ。
この爺さんなりに努力してここまできたんだろうが、あのドM術士以下なんて……哀れなもんだな。
「でもねぇ。これじゃ普通の竜騎士は足止めできても、残念ながら俺達にはちいっと役不足だねぇ」
ハニーは大人しく【檻】に入ってる。
理由は簡単。
手加減が苦手だから。
自分では【檻】を壊す時に、術士も一緒に壊してしまうと分かってるから動かない。
「簡単単純なんだよ、術式を破るなんてのは。それ以上の<力>で、叩き潰せばいいだけなんだよ?」
術士の持つ術力と、俺の腕力。
より強い方が勝つだけ。
硝子の窓に石を投げつければ、割れる。
強度を上回る力をぶつければ、モノは壊れる。
それと同じだ。
<ヴェルヴァイド>に四竜帝が勝てないのと同じ。
単純明快な世界の理。
より<力>が強いものが、勝つ。
「安心しろ、あんたは殺さない。……まだな」
剣を抜く必要は無い。
左足で、目の前の青白い霧に回し蹴りを一発。
空気が微かに揺れるような独特な振動と、小さな破裂音。
跳ね返った力で、術士が吹っ飛んだ。
檻が消えると同時に、俺の顔面に剣の切っ先。
「あのねぇ、あんたは行動が遅せぇんだよ。爺さんは直ぐ殺れって言ってたでしょうに……こんな使えないのと組まされて、爺さんは災難だったなぁ」
武人はいらない。
必要なのは<星持ち>の術士だけ。
指で挟んだ剣先を折って、武人の眉間に入れると同時に腹を右足で蹴った。
雪の壁に2箇所に分かれて、男の身体が埋まった。
こいつはもう要らない。
だから、右足。
「爺さん、大丈夫? 腰を打ったのかい?」
俺はハンカチを内ポケットから取り出し、ブーツを拭きつつ術士に声をかけた。
術の‘跳ね返り‘に合い、濡れた石畳にうずくまって呻く老人は赤紫の毛玉のように丸くなっていた。
死んではいない。
意識もあるし、たいした怪我もしてないはずだ。
強い‘跳ね返り‘にならないように、加減して【檻】を壊したからな。
うんうん。
我ながら器用だな~って、感心しちまうねぇ!
「俺はあんたに訊きたいことがあるんだよ、術士の爺さん。雇い主……それと」
たぶん、ホークエの刺客だな。
セイフォンの国土をぶん取ってのし上ったあそこは、今回の後見人の件で大慌てだ。
せっかく大きな戦をしかけようって、この数年間準備してたってのになぁ~。
「<珠狩り>について聞きたいことがある……あんたは<導師>を知ってるかい?」
本命は、こっち。
でも、こいつは俺の髪を見ても驚かなかった。
事情通とは、思えない。
望み薄な……気がするなぁ。
なあ、バイロイト。
てめぇ、どうやってシャゼリズ・ゾペロを見つけたんだ?
ねえ、陛下。
あんた、どうしてシャゼリズ・ゾペロを生かしとく?
さっさと締め上げちまえばいいのに。
泳がすなんざ、まどろっこしい。
「<青の竜帝>はなんだってこう、甘ちゃんなんだろうねぇ? 短気なあんただったら、俺と同じ手を使うだろうなぁ……<赤の竜帝>さん」
やっぱり、俺は母さんの子供なんだな。
陛下みたいに、待てないし。
カイユみたいに、優しくないから。
楽に殺してやるのは、得意じゃない。
「おい、術士殿。なんで俺が刀じゃなく、細剣使ってるか教えてやるよ」
刀は斬れ過ぎる。
それじゃぁ、面白くないんだよ。
俺にはこれが、丁度良い。
「俺、母親に似て器用なんだ」
なあ、陛下。
あんたが大好きな<ヴェル>は、俺に言わせりゃドSなんかじゃないんだけどねぇ?
旦那は他人を傷つけることに、抵抗感なんか少しも持ってない。
何も感じていないんだ。
何も感じない……あの人、ちっとも愉しんでないんだよ。
俺は違う。
「くくっ……俺は料理と裁縫が、得意なんだぜ?」
刃物も、針も。
斬るのも、刺すのも。
俺、大好きなんだよなぁ。