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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
93/212

第77話

 週末は、セシリアさんの授業はお休み。

 だからいつもより遅くベットから出て、のんびりと朝のお風呂を楽しんだ。

 お風呂から出てキッチンに行くと、私とお揃いのエプロンをしたハクちゃんがダイニングテーブルにマグカップを置くところだった。

 小さな手がそっと置いたマグカップには、桜によく似た花と2羽の小鳥が描かれていた。

 初めて街に行った時に、カイユさんのお気に入りの雑貨屋さんでダルフェさんが買ってくれたのだ。

 私は陳列されたそれを、思わず手にとってしげしげと眺めてしまった……桜、大好きだったから。

 そんな私に、お店のご主人は花の名前を教えてくれた。

 桜かと思った花は、ラパンの花だった。

「私のカップ、用意してくれたんだね。ありがとう、ハクちゃん」

 毎朝このマグカップで、私は飲み物を飲むようになった。

 それに気づいたハクちゃんは、こうしてマグカップを戸棚から出してテーブルに用意してくれるようになっていた。

 私もエプロンをして保冷庫から牛乳瓶取り出し、中身を小さな片手鍋に移して弱火にかけた。

 隣の焜炉で、鋳物のフライパンを使ってスクランブルエッグを作る。

 フッ素加工のフライパンに慣れていた私は、最初の頃は鋳物のフライパンだと卵を焦がすことも多かった。

 今はこつをつかんで、うまく使えるようになっていた。

 ハクちゃんがお皿を差し出してくれたので、そのお皿にスクランブルエッグ、ロールパンとハム・カットした果物を盛った。

 全てのせ終わると、お皿を両手でしっかりと持ったハクちゃんがふわふわ飛びながら、ダイニングテーブルに運んでくれた。

 ランチョンマットの上にはフォークとナイフ、スプーンも並べてくれていた。

 私はハクちゃんが準備してくれたマグカップに、温めた牛乳をたっぷりと注いでから席に着いた。

 

 それは、すっかり日常になった朝の風景。

 

「では、いただきます」

「いただきます、なのだ。りこ、あ~ん」

 うふふっ。 なんかこういうのって、とっても幸せ気分になれちゃうんだよね~。

 ほのかに甘いホットミルクを飲みながら、そう思った。

  

 




 温室の床に毛足の長い暖かな絨毯を敷き、ローテーブルの前に正座をして手紙を書いている。

 セシーさんへ出したお手紙が添削されて戻ってきたので、もう一書き直して……それと一緒に封に入れる新しい手紙の下書きも、今日中に終わらせる予定だった。

 前回の内容はお世話になったことへのお礼と、お別れの挨拶ができなかったことへの謝罪。

 それと近況報告。

 元気で暮らしていること、初めて街に出かけた時の事も書いた。

 ハクちゃんとの‘結婚‘の事は、セシーさんは察してくれる気がしたので書かなかった。

 彼女はハクちゃんが人型になれるのを、知っていたんだと思う。

 今思うと、そうとしか思えない言動の数々が……。

 ハクちゃんと毎晩一緒にお風呂に入っているのだと、私が話した時のあのセシーさんの表情……。

 あの顔、絶対誤解してるよぉ!

 うう、恥ずかし~い。

 頬が火照ってきたのを感じ、どきどきする心臓を落ち着かせるために視線を便箋からガラスの向こうに移した。

 温室の外は銀世界。

 春を告げる花が現れ、<花鎖>のお祭りが1週間前に行われたんだけど……う~ん。

 私的にはまだまだ春じゃないんだけどな~。

 日本の立春だって実際は真冬だから、それと似た感覚なのかな?

 はっきり言って、私から見ればまだまだ帝都は真冬だ。

 朝晩どころか、日中だって外は氷点下だし。

「まずは、セシーさんへのお手紙を直さないと。次はミー・メイちゃんで……」

 新しい手紙には<花鎖>のダンスの事とかも、書こうと思う。

 あと、春になったら大陸を移ることも。

 前回はまだ色々決まってなかったからそのことには触れなかったけれど、もうだいたいの日程が決まったようだっだし……私は意見を言える立場じゃないし知識も無いので、移動の事はハクちゃんと四竜帝さん達におまかせしちゃってるのだ。


 ダルド殿下への手紙を最初にに書くべき(資金援助してくれてるし……)だとは思うけれど、彼とはほとんど交流が無かったので手紙を書こうとしても、全く筆が進まなかった。

 だから……つい、後回しにしちゃっている。

 私は当初、<ダルド殿下の良心を利用して、こちらの世界で生き抜こう計画>を実行していたので、なんとな~く後ろめたいというか……彼に苦手意識を持つようになってしまった。

 彼が提案した余興の失敗で、私はこの世界に連れて来られた。

 そのおかげで、ハクちゃんの側にこうしていられる。


 許せない。

 ダルド殿下も、ミー・メイちゃんも。

 家族の悲しみを思うと、許してはいけないって……。

 

 でも、感謝もしている。

 ハクと会えたから……。


 矛盾した思いが頭の中をぐるぐる回り、複雑な感情が胸をちくちくと刺す。 

 セイフォンを離れても、彼は私の後見人として生活費を援助してくれている。

 彼は一生、死ぬまで<慰謝料>を払い続けるのだとカイユさんは言っていた。

 援助してくれるダルド殿下に、どの程度の頻度で礼状を書くべきかと質問した私に……ダルフェさんは、言った。


 -礼状? 基本的には礼状なんて、書いてやる必要はない。まあ、姫さんの性格じゃ向こうに非があるとはいえ、金にかんしちゃ礼の一つも言いたいのは分かるんだけどね。そうさねぇ~年1回、一筆書いてやれば充分なんじゃないかぁ? ああ、注意が一点。どの大陸にいようと<竜帝>を通してくれな。 


 援助してもらっているに、それでいいのかと訊いた私にダルフェさんは苦笑した。


 -姫さん。あの坊ちゃんは<慰謝料>を払い続けることで、罪悪感から多少なりと救われる。あいつは自分自身の為にも金を払うってわけだ。しかも竜帝公認の<監視者のつがい>の後見人の座を手に入れた。それにはあいつが払ってる金額以上の、価値があるんだ。俺から見れば今回の件で、セイフォは‘得‘をしたって感じだなぁ~。


 得をした……後見人は得なんだろうか?

 ハクちゃんは、彼を嫌っている。

 ものすごく、嫌っている。

 あのハクちゃんに、<監視者>に嫌われてしまったのに得することなんかあるんだろうか?


 <監視者>の奥さんになった私は、王族とか貴族とか……特権階級の人からは、距離を置く必要があるようなのだ。

 権力者の中には私に取り入って<監視者>であるハクちゃんを利用しようと考える人もいるから、気をつけなきゃいけない。

 私みたいな‘甘ちゃんなお子様‘は、海千山千の彼等にかかればコロッと信用して、懐柔されちゃうから……竜帝さんが、そう言っていた。

 竜族と人間の均衡を保つ為にも、人間側について欲しくないのだと彼ははっきり口にした。

 竜族は世界の覇権とかには興味が無く、人間との平和的な共存を望んでいるから……ハクちゃんの【力】を利用しないって言った。

 その言葉に、嘘は無いと思う。

 どうみても竜帝さんは、ハクちゃんを大事に思ってるもの。


 四竜帝の総意により、現在の私は人間社会から隔離されている状態。

 そんな私が唯一お付き合い(?)してるのがダルド殿下達……セイフォンだ。 

 この世界で、人間の国の中でセイフォンとだけだ。


 セイフォンだけ。


 政治的に得することが、何かあるのかもしれない。

 政治・得……。


 最初、彼の良心にすがってこの世界で生き抜こうと考えた私だけど。 

 利用されてるのは……私?


 彼は誠実な人だった。

 セシーさんやミー・メイちゃんも良くしてくれた。


「ハクちゃん……これ合ってる? 赤字のところ、直してみたんだけど」


 もし、ハクちゃんが私をつがいにしてなかったら。

 私って、どうなってたんだろう?


 ハクに会えなかったら。

 この世界で私は……誰か他の人に恋をして、結婚して暮らしてたんだろうか?


 有り得ない。

 元の世界が恋しくて、独りだってことが寂しくて。

 ダルド殿下達を憎んで、恨んで……。 

「どれ。……ここと、ここは良い。ふむ、後はここだけだな。綴りが違う」

 ハクちゃんが、間違ってる箇所を指してくれた。

 全身に沁み込んでくるかのようなその声に、暗い場所に入りかけていた意識が引き戻される。


「……りこ?」 


 無意識に。

 私はペンを置き、両手でハクちゃんの服を握っていた。

 ぎゅっと、強く握り締めていた。

「あ……ご、ごめんなさい。つい、その。なんでもないの」

 ハクちゃんの膝から慌てて手を離した。

 腕が触れ合うほど近くに寄って正座をして、彼は私が手紙を書くのを見ていた。

 私が言わなくても靴を脱いで絨毯に上がり、しかも靴をきちんと揃えることが出来た。

 私のすることを見て、同じようにしてくれたのだ。

 ハクちゃんのそういうところって、すごいと思う。

「ありがとう、ハクちゃん。辞書を見て、書き直すね」 

 ハクちゃんは私が質問しない限り、一切口を出さない。

 側で見ているのだから、間違ったものを書いてるって気づいてるはずだけど言わない。

 ここもまた、彼がすごいと感じるところで……。

 私が彼の立場だったらつい必要以上に口出ししてしまい、ちっとも勉強にならなくなる。

 小学生の時、宿題をしていて分からない問題をお父さんに質問しながら勉強したら、ますます分からなくなったことがあった。

 お父さんはヒントをくれつつ……私がもう少しで答えを出せそうなのに、それを言ってしまうのだ。

 そして「答え、分かったろう? ほら、次やろう!」って、どんどん進めてしまう。

 間違った答えを書いていると、書きかけのそれを消しゴムでさっさと消してしまって……。

 普段は忙しくて遊んでくれないお父さんが、にこにこしながら相手をしてくれるのが嬉しかったから……だから、言えなかった。


 答え、言わないで。

 私が書いてるのを、勝手に消さないでって。


 お父さん、どうしてるかな。

 禁煙、ちゃんと続けられてるかな……。


 安岡さんとお見合いして、結婚を決めた時。

 お母さんは喜んだ。

 お父さんは「……いいのか?」って、言った。


 ハクちゃんもすごいけど。

 お父さんも、やっぱりすごいよ。

 

 あの言葉はとても重いものだったんだね。

 あの時は、分からなかったけど。

 ハクちゃんと……心から好きになった人と結婚した今は、お父さんが何故そう言ったのか分かる。


 お父さん。

 お母さん達を支えてくれてるよね……守ってくれてるよね?


「あ……なんかお腹空いてきたかも」


 ああ、駄目だよ。

 こんな気持ちのままじゃ、手紙を書けない。

「りこは腹が空いたのか。では茶に……いや、昼食にするか?」

 私は持ち直したペンを置いた。

 気持ちを切り替えなきゃ。

 ハクちゃんの前で、しょんぼりしてちゃいけない。

 元気で笑ってなきゃ……。


 【元気】といえば。

 生理がこないことを気にしていると知ったカイユさんは、人間のお医者様を手配してくれた。

 でも、ハクちゃんは診察を受ける事を許してくれなかった。

 体液から病気でないことが分かっているので、必要ないのだと言って折れなかった。

 話し合いの余地皆無なハクちゃんの態度に、私もカイユさんも診察は断念した。


 ー女医だろうと、りこは診せん。医者が必要であるかどうかは、我が判断する。月経の件は心配無い、りこの身体に現時点で異常など無い。夫である我が毎日きちんと体液を採取し、確認しておるのだから安心しろ。


 あの過保護なハクちゃんがそこまで言うなら、私は健康に違いない。

 急な環境変化(なんたって、違う世界に来たんだしね)によるものだろうから、今後何ヶ月もこなかったらその時にお医者様に相談しようって事になった。

「この続きは、午後にするね。……約束した時間よりちょっと早いけど、竜帝さんの執務室に行こうか? 今日はお昼を一緒にしようって言ってくれたの。あ、なんか大事なお話もあるんだって……何だろうね」

 カイユさんとダルフェさんは急な出張が決まり、昨日の早朝にはお城から出て……ジリ君は、カイユさんのお父さんに預けられていた。

 私はジリ君が【おぢい】と呼ぶセレスティスさんに、まだ会ったことが無い。

 会ってみたいとカイユさんに言ったら、彼女はちょっと困ったような顔をしたから……。

 無理にじゃなくて、機会があったらでいいのと慌てて私は言った。

 だいぶ譲歩してくれるようになったハクちゃんだけど、基本的には男の人を周りから排除したがる。

 そんな危険なハクちゃんに、自分のお父さんを近寄らせたくないってカイユさんが考えるのも当然だもの。

 言うんじゃなかったと、後悔した。

 カイユさんを困らせちゃ、駄目。


 カイユさんといえば。

 あのカイユさんが……水の妖精みたいなカイユさんが、ダルフェさんが所属している青の竜騎士団の団長さんだったのだ!

 カイユさんが連れて行ってくれた雑貨屋さんの店長さんが「団長」って、呼んだ事から分かったこの事実。

 しかも、竜騎士団の順位は実力で決まるらしいのだ。

 つまり。

 カイユさんが最強ってことになる。

 ハクちゃんが言うには、ダルフェさんの方が強いけれどつがいであるカイユさんに頭が上がらないため、彼は副団長。

 騎士団は、在籍たった8名。

 団っていうより、それだけしか居ないならどっちかっていうと……チームみたいな気がしなくも無い。

 竜騎士の素質のある人は、超貴重。

 ジリギエ君は竜騎士だった。

 個体数の少ない竜族の中で、両親が竜騎士なんてことは宝くじ的確立らしく……すごいぞ、ジリ君。

 君はスーパーエリート竜騎士ってこと!?

 だからハクちゃんが、四竜帝を討てるほど強くなんて言ったんだろうか?


 数が少ない竜騎士団の皆様は、必然的に多忙なわけでして。

 私が帝都での暮らしにもすっかり慣れたので、カイユさんも本職(?)に復帰した。

 カイユさんは渋ったらしいけれど、お父さんが説得したのだとダルフェさんが言ってたっけ……。

 あのカイユさんのお父さんなら、きっとカッコいいおじ様なんだろうな~。

 バイロイトさんみたいな、渋い系かな?

 前団長さんだって言ってたから、クロムウェルさんばりの筋肉マッチョ系だったりして。

「このまま転移してよいのか?」

 筆記用具と便箋を文箱にしまい、靴を履いた私にハクちゃんが言った。

 あ、時々お茶菓子とか持っていくから……。

 ハクちゃんって、本当に私のこと良く見ててくれる。

 ありがたいな~。

 最近、すごく丸くなったし。

「うん、今日は手ぶらです。お願いします、ハクちゃん」

 もう魔王様は卒業(?)かもね。






「こんにちは、竜帝さ……」

 ハクちゃんがいつものように転移して、連れていってくれた執務室。

 女神様は書類が積み上げられたデスクからぱっと顔を上げ、私達を見た。

 

「げっ!? おちびっ、急いでじじいを抑えろっ! おい、お前はそこから動くなっ」


 竜帝さんにそう言われ、とりあえずハクちゃんのお腹にしがみついた。

 抑えるって、これでいいのかな……え?

  

 竜帝さんの青い眼を追うと。

 こちらに背を向けて、ソファーに座っている人がいた。

 動くなと言われたのにその人は立ち上がり、ゆっくりと歩いて私の正面で止まった。

 

 そこにいたのは青い騎士服を着た……。


「カイユ?」


 違う。

「……吃驚したよ、ここで御対面とは」

 声、低い。

 背も高いし、体つきも……ほっそりしているけれど、男性だ。

「パス達に聞いてはいたけど、なんというか……貴方、いろんな意味で損な顔だね。で、お嬢さんが噂の奥方様だね? ふふ、陛下が仰ってるように、確かにおちびちゃんだね」

 ハクちゃんに蝉のようにくっついていた私を、彼は覗き込むようにして顔を近づけた。

 私も彼のその顔を見上げて……凝視してしまった。

 似てる、すっごく似てる。

 肩で切りそろえられた真っ直ぐな銀髪に、水色の瞳。

 カイユさんと同じ、髪と眼の色。

 顔もそっくり……双子? 

 お兄さん?

 でも、竜族なんだから兄妹なんて有り得ない。

 じゃあ、この人は……誰?

 他人にしては、似すぎてる。


「駄目だっ! それ以上はやばいっ、下がれセレスティス!」


 竜帝さんが怒鳴った。

 机の上の書類が音を立てて、床に落ちた。


 セレスティス?

 今、セレスティスって……まさかっ!


 私はハクちゃんの腰に回した腕に、さらに力を込めた。 

「駄目、ハクちゃん、駄目よ! この人っ、セレスティスさ……むきゃっ!?」

 私の背中と腰に添えられていたハクちゃんの両手が、ぐっと私を自分の身体へと押し付けた。

「これ以上りこに寄るな、抑えがきかなくなる。……我はお前を傷つけるわけにはいかん。カイユが泣けば、りこが悲しむ」

 ハクちゃんの冷たい声にも、涼しげな微笑は消えなかった。 

「残念。殺してくれれば、ミルミラを追えたのに。ああ、僕が死んでもあの子は泣かないよ? ……そういう約束だからね。……おっと、珍しく乱暴だね、陛下」

 銀色の髪が数本、舞った。

 彼は一瞬で3メートル程後ろに下がり、床に方膝をついた。

 彼の前には女神様が左手を掲げて立っていた。

 上げられたその手には、青く鋭利な5本の刃物……爪!?

 あの手でセレスティスさんを払い除けたっってこと!?

 だから髪の毛が……ひょ、ひょえぇええー!

「いい加減にしろ、セレスティス。ヴェルを困らせんな……それから、何度も言わせるんじゃねぇ! 死ぬのは許可できねぇんだ」

 竜帝さんの艶のある青い爪が、30センチ位伸びていた。

 竜体のハクちゃんがかぼちゃを切った時みたい……。

「おちび~、来るのがちょっと早かったな。まあ、いいけどよ。もう分かったみてぇだけど、こいつはセレスティス……カイユの父親だ。ま、顔見りゃ分かるか。そっくりだもんな」

 竜帝さんが右手を軽く左右に振ると、長かった爪が一瞬で元の状態に戻った。

「ちっ……父親」

 どうみても20代にしか見えない。

 あ、そうか。 竜族は長命種だから……それにしたって。


 違う。


 私のお父さんと違いすぎるっ。

 揚げ物を食べつつ特保飲料をがぶ飲みし、加齢臭に悩む私のお父さんとは全く違う~っ!!

「初めまして、おちびちゃん。僕はセレスティス、カイユの父だよ」

 立ち上がったセレスティスさんは、ソファーに寄りかかりながらにっこりと笑った。

 カイユさんとよく似ている端整なお顔に浮かんだ微笑みは、とっても穏やかで……甘い。

 自分の頬に熱が集まるを感じて、急いで眼をそらした。

「は、初めまして! カイユさんにお世話になっている……ト、トリィです。あの、ご挨拶が遅くなって、申し訳ありませんっ」

「気にしないでいいよ。カイユが許可しなかったんでしょう? 僕もずっとこうして会ってみたかったんだけど、あの子のお許しがでなくてね」

 白い手袋をした右手で、自分の顔を撫でながら言った。

「僕とカイユ、そっくりでしょう? 会わせなかったのは、この顔だからだと思うよ。ふふっ……あの子は、意外と恥ずかしがりやさんなんだよね」

 この人、まるで水の妖精の……王子様だ。

 そう、王子様。

 ダルド殿下は本物の王子様だったけれど、私的にはセレスティスさんこそが<理想の王子様>よ!

 小さい時に憧れた、物語に出てくる王子様が本から飛び出しちゃったみたいっ。

 女神な竜帝さんがお父さんと並ぶと、なんてお似合いなんだろう……クロムウェルさんには悪いけど。

 やっぱり、女神様の隣にはマッチョより王子様が良い。

「僕の娘であるカイユは、君の母親になったようだから……君もジリと同じように僕のこと‘おぢい‘って呼んでもいいよ? あ、ヴェルヴァイド様は駄目ね。貴方の方が年寄りだから、おぢい使用不可です」

 おぢい。

 女の子が夢見る理想の王子様みたいな、この人を?

 おぢい……!?

「お、おぢいなんて、無理ですっ。王子さ……セレスティスさんって、呼ばせてください!」

「うん、いいよ。ふふっ……‘おじいちゃま‘でも大歓迎なんだけどな」

 セレスティスさんは水色の瞳を細めて優しく……甘く微笑んだ。





 私とハクちゃん、竜帝さんはソファーに座った。

 セレスティスさんは扉の横に立った。

 一緒に座って欲しいとお願いしたけれど、彼は微笑むだけで頷かなかった。

「気にすんな、おちび。ヴェルは蜜月期続行中……普通の竜族なら、雌を他の雄に見せることすら拒む期間なんだ。じじいなりに、人間のおちびに合わせてるんだ……この点じゃ、ヴェルは凄ぇよ」

 向かいに座った女神様の言葉に、私は口を噤むしかなかった。

 また、失敗してしまった。

 穏やかな‘普通の生活‘は、ハクちゃんが私の為にいろいろ抑えて……我慢してくれて成り立っている。

 ハクちゃんは隣に座った私の左手にしっかりと指を絡め、握っていた。

 こうしていないと……私とどこかが触れ合い、繋がっていないと蜜月期の雄の本能に引きずられて他人を傷つけてしまうから。

 私は繋がった手の上に、右手も置いた。 

「ハクちゃん。ありがとう……」

 ‘ごめんなさい‘じゃない。

 ありがとうなの。

 感謝でいっぱいだから。

 私は貴方に‘ありがとう‘って言うの。


 色素の薄い唇が降りてきて、私の唇と重なって……ゆっくりと離れた。


「う……まあ、仕方ねぇな。じじいがそれで大人しくなってくれんだから」 

 女神様は両手で顔を押さえ……隠していた。

 竜族は人前で手や髪にキスすることはあっても、口にはしない。

 それは竜族のつがいにとって、特別な……深い愛情表現だから。

 でも、ハクちゃんは全く周りを気にしない。

 私としてはちょっと……かなり恥ずかしいけれど。

 今は、ハクちゃんの好きなようにしてくれてかまわない。

 必要な事だって、分かるから……。


「もう話していいか? 飯食いながら話そうかと思ってたんだけどよ……カイユ達はダルドを迎えにシャイタンに行ったんだ。あの2人が城から出てる間はセレスティスが竜騎士達を仕切ってるから、ダルド達が滞在中の警備のこととか打ち合わせしてたんだよ。おちびが来る前に終わらせるつもりだったんだがな、ちょっと揉めて長くなっちまった」

 ダルド……セイフォンのダルド殿下?

 彼がこ、ここに来るのー!

 初耳なんですがっ!? 

「セシーと宮廷術士が一緒なんだが……道中ちょっと色々あって、セシーが怪我をしたって連絡が入ったんだ。あれに怪我をさせるような連中が相手のようだから、カイユとダルフェをやった」

 セシーさんが怪我!?

 宮廷術士って……ミー・メイちゃんも一緒ってこと?

「あのセシーさんが怪我したなんてっ! まさか……カイユ達、危険なお仕事に行ったの!?」

 壁に叩き付けられても、なんともなかったあの人が怪我するなんて。

 連中って、何?

 何があったの……どうしてそんなにまでして、帝都にダルド殿下達は来るの!?

「心配いらねぇ、あの2人が揃えば勝てる人間なんていねえって。明日の昼頃には、城にダルド達を連れて帰ってこれるはずだ……よし、今夜はあいつの好きな菓子を作るとすっかな~」

「りゅ、竜帝さん! ダルド殿下達はどうして帝都に……」

「ん? 3年に1回は来るんだ。ダルドは餓鬼の頃、俺が面倒見てたんだよ。セシー達はあいつの護衛でついてきたんだが……あいつ等の今回の最大の目的は、おちびへの謁見だな」


 竜帝さんの顔つきが変わった。


「<監視者>のつがいの後見人として、セイフォンの皇太子には貴女に会う権利がある」


 深い青の眼から、感情が消えた。

 これは……感情を消した‘表情‘が無い顔は。

 ハクと。

 <ヴェルヴァイド>と同じ。

 竜帝さんは、<青の竜帝>として私に言ったんだ。

「……はい。ダルド殿下に会います」

 ハクちゃんと繋いだ手に、意識する前に力が入った。

 そんな私の手を、ハクちゃんは口元に運び……冷たい唇に添えたまま言った。


「ほお……セイフォンの‘イケメン‘王子か」


 そう言ったハクちゃんのお顔には。

 冷たい笑みが……ひえぇぇ~!

 イケメンって言葉をそんなに根に持って、じゃなくて気にしていたなんてっ!

「あ~あ、だからぎりぎりまで黙ってたんだよ。おい! おちび、じじいの抑えは任せたぞ! これもお前の、大事な仕事の1つなんだからな!? 俺様は食堂に行って飯とってくるから、座って待ってろよ。俺様は唐揚げにすっけど、お前は本日のお勧め定食でいいよな?」

 いつもの竜帝さんに戻った彼は素早く立ち上がり、ソファーから扉に向かって走った。

 ドアノブに手をかけながら、私に向けた顔は……苦笑していた。

「俺様が戻って来るまでに、じじいの機嫌を直しといてくれ! じゃあな、頼んだぞっ」

「え? ちょ、まっ」

 少々乱暴に扉を開けて、女神様は廊下へと消えた。

「おちびちゃん、‘おぢい‘からも頼むよ。この方がセイフォンの皇太子君の首をちょんぱしちゃったら、おぢいの老後の楽しみが減っちゃうから。よろしく頼むね……待ってよ陛下、僕もお昼にしますから。唐揚げ……じゃなくて、さっぱりしたものが食べたいな。う~ん、歳のせいかな? じゃあ、またね。おちびちゃん」

 ハクちゃんと私にニコニコ笑顔で手を振って、セレスティスさんも竜帝さんの後に続いて執務室から出て行った。

 扉がぱたんと閉まり、私とハクちゃんが執務室に残った。 

「……ちょっ……あれ?」 

 今。

 何気にとんでもない事、言ってなかった?

 王子様なお顔で。

 さらりと、言わなかった?


 首をちょんぱ。

 ちょんぱぁああ~!?


 老後の楽しみって、普通は温泉旅行や園芸とかじゃないのぉおおおお!?

 ダルド殿下。

 帝都にはハクちゃん以外にも貴方とって、危険な人物が生息していますっ!

 なんで……どういうこと!?

 貴方はハクちゃんだけじゃなく、セレスティスさんにまで嫌われてるんですかっー!!

 座ったまま呆然と扉を見ていた私に、‘魔王様‘は仰った。




「くくっ……明日が楽しみだな、りこよ」




 ハクちゃんが私の指を真っ赤な舌で、ぺろりと舐めた。


「そ、そうかなぁ~?」


 魔王様はご健在のようでございます。

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