第75話
ハクの手は、動きを止めたままだった。
ハクの膝から降りるべきだ、私はそう思った。
降ろされる前に、自分から降りた方がいいと思った。
思ったけれど……思っただけで、降りる気にはなれなかった。
ハクに、触れていたかった。
少しでも長く、この人の側にいたかった。
「驚いた? ……騙されたって、思ったんじゃない?」
私は、目を瞑った。
今のハクがどんな表情をしているか、見たくなかった。
怖い。
見れない。
貴方の顔を、眼を見ることができない。
怖くて、見れないの。
さっき、知ったから。
貴方があんな眼で私を見ることができるんだって、知ってしまったから。
「ハク。私は……」
ハクは私に触れたくないから、自分の手で払いのけないでいるのかもしれない。
さっさと降りろって、ここから出て行けって思っているのかもしれない。
こんな女、もう触りたくないよね?
でも。
あと少しだけ、我慢してほしい。
「私……ハクが……貴方が欲しかった」
とうとう、言ってしまった。
汚い本心。
「こんな世界、私は来たくなかったんだもの。……無くしたものの変わりに欲しいものを手に入れたって、いいじゃない? 勝手に連れて来られて、帰れなくて……家族も何もかも、全部捨てなきゃならなかったのよ?」
ばれてしまった。
醜い心。
「幸せになりたいって思って、なにが悪いの? 帰れないんだから、ここで幸せになるしかないのにっ……私がここで見つけた‘幸せ‘は貴方だった」
ハクといられるなら。
ハクが私を必要としてくれるなら。
貴方が愛してくれるなら、帰れなくてもいい。
失ったもの全てより、無くしたもの全部より……貴方が欲しいから。
「私が死んだ後だって、他の人に渡したくないっ。ハクが他の誰かを愛するなんて、嫌なの……許せないっ」
心の隅っこに溜まって……日々増していった真っ黒な想いは、一度流れ出したら止められなかった。
「ハクは私になんでもくれるって、世界だってくれるって言ったよね……あれは嘘なの? 誰にでも……今までの恋人にも言ってたの?」
こんな言い方、したくないのに。
「なによ、なによ……貴方のあの言葉はなんなのよ…嘘吐きっ、ハクの嘘吐き!」
貴方を責めるような、こんな……っ!
「嘘じゃないならなら……貴方を私に、全部ちょうだいよっ!」
ああ、私って。
最悪。
最低。
ハク。
ごめんなさい。
私。
綺麗に別れてあげるには、貴方が好き過ぎた。
「りこ」
貴方の声。
初めて聞いた時、とってもびっくりしたっけ。
可愛いちび竜の貴方の姿からは、全く想像できない‘声‘だったから。
まだ。
名前、呼んでくれるの?
りこって名前、あんまり好きじゃなかったけれど。
貴方のおかげで、好きになった。
大好きになれた。
「子が欲しかったのは、必要だったのは」
大好きで、愛してるのに。
愛していたから。
私は。
子供という鎖で貴方を繋いで。
「我を捕らえるためか?」
貴方を永遠に……<りこ>という檻に閉じ込めようとしていたの。
「……そうよ」
私の愛し方、間違ってるんでしょう?
愛ってもっと、綺麗なものなんでしょう?
どうして私の愛は、こんななのかな?
想像してた……憧れてた‘愛‘と、ぜんぜん違う。
「そうよっ! わ……私は、貴方の子供を利用しようとしてたのよ!」
私は。
貴方が欲しかったの。
「最低でしょう?」
今の貴方も、私のいない未来の貴方も。
「……軽蔑したよね?」
貴方を、独り占めしたかった。
「は……あはははっ。私って、嫌な女でしょう?」
ばれちゃった。
「つがい……もう、くび決定だね」
もう誤魔化せない。
「私から貴方の竜珠……取り返したいよね?」
酷い女だって、貴方にばれちゃった。
貴方とあたたかい家庭を作りたかった。
ハクに寂しい思いをさせたくなかった。
大好きな貴方の赤ちゃんが産みたかった。
本当に……この気持ちは、嘘なんかじゃないの。
好きな人の赤ちゃん、産みたかったな……。
「あはっ……さっきの、無しね。こんな私なんか食べたら、ハクちゃんが食中毒になっちゃう」
ごめんね、お母さん。
お母さんが望んだようには、なれなかったみたい。
りこ、幸せになるのよって……結納の日に、涙を浮かべて言ってたのに。
ハクがいない未来に、私の‘幸せ‘は無いの。
ここには……この世界にはもう、私の居場所なんか無い。
「と、とりあえず……私、ここを出てセイフォンでお世話になろうと思う。生活はダルド殿下が保障してくれ……んひゃっ!?」
ハクが私の両方の耳たぶを無言でつまんで、軽く下にひっぱった。
感情が昂ぶっていたせいか、体温が上がっていたらしく……今の私には、そこに触れたハクの指先がいつもより冷たく感じた。
「……はぁ」
同時に溜め息が……えっ!?
「貴女のこの可愛らしい耳は、飾り物なのか?」
ハク?
耳が何……?
「この耳に我の言葉は、我の声が聞こえていなかったのか? 今まで何度も言ったと思うのだが」
指先で耳の内側をなぞるようにしながら……ハクは自分の額をこつんと、私の額と合わせた。
「ハ……ク?」
冷たい指先と、触れ合った額から伝わるひんやりとした温度。
それはじわりとじわりと皮膚から染み入って……荒れ狂う私の心をそっと、包み込んでくれた。
「ずっと、願っていた……貴女に強く求められたいと。我だけを望んでもらいたいと」
ハクの、願い?
「なに……言って……」
私に……求められること?
「う、そでしょう? 嘘でしょう? だって私……こんな私、嫌じゃないの?」
私は眼を開けて、ハクを見た。
「嫌? 何故だ? りこの言う‘こんな‘という言葉が、りこのどの部分のことをさしとるのかが我にはよくわからん」
彼の顔を、眼を見たかった。
「ふむ。我のりこは少々記憶力が悪く、そして意外に疑い深い。これでは我はいろいろ心配で、りこを置いて男を根絶やしに‘お出かけ‘などできぬ。……困ったものだな」
怖い。
とても、怖いけれど。
「この我に溜め息をつかせ、さらに困らせるとは……やはり、りこは凄いな。さすが我の選んだ女だ」
しっかりと見なきゃいけない、そう思った。
「何度でも。何百回でも、何千回でも我は言おう」
ハクの顔を見たいのに。
やっとの思いで眼を開けたのに。
ハクとの距離が近すぎて、金の眼に焦点をうまく合わせられなかった。
「この小さな脳がしっかりと覚えるまで。きちんと理解し、信じてくれるまで」
だから、私は何度も瞬きをしてみた。
そうすれば焦点が合うと思ったから。
なのに。
瞬きするたびに、視界はどんどん歪んでいった。
「我には」
ハクの金の眼は、すっかりぼやけてしまった。
それは……池に映ったお月様のようだった。
「ハクには、りこだけでいいのだと」
昨夜、温室の池を2人で覗いた。
夜行性のナマリーナは、昼間より夜に動くから。
夜のナマリーナを観察することが、すっかり日課になっていた。
心配性の貴方は私が池に落ちたら大変だからと、ずっと私の服を握ってた。
水面をゆったりと泳ぐナマリーナの大きな身体が、池に映っていた月を揺らしていたっけ……。
「う、そ。うそ……嘘」
都合の良い、幻聴?
私、とうとうおかしくなっちゃったの?
「りこ。我のりこ」
ねえ、ハク。
今夜もまた、2人でナマリーナを見に行ける?
明日も明後日も。
「りこだけだ。貴女がいてくれれば……他はいらない」
私は貴方と過ごせるの?
「でも、でもハク……竜族にとって、子供はとても大切な……。貴方の赤ちゃ……産めなっ……それなのに、私っ」
伝えたいこと、言いたいことが一気に押し寄せてきて、きちんと喋る事ができなかった。
たくさんの言葉が我先にと咽喉に向かったせいで、胸が詰まってしまい息苦しかった。
ひゅうひゅうと……聞きなれない音が、咽喉から出た。
焦れば焦るほど、呼吸がうまくできなかった。
もっとちゃんと喋らなきゃなのに、この大事な時になんで!?
そんな自分が情けなくて……酸素が足りなくて苦しくて、自分の胸を叩こうとした時だった。
「駄目だ、りこ。ゆっくり、息をしてごらん……大丈夫」
ハクの手が私の髪をなで、背中を優しくさすってくれた。
いつもみたいに、いつものように。
私に、触れてくれた。
「う……うん」
貴方に触れてもらえるということ。
それがどんなに幸せなことなのか、私は知った。
私の呼吸が元に戻ったのを確認してから、ハクは話し始めた。
「りこ。異界人であるりこが知らぬのも当然だが、竜族と人間の交配が不可能だという事は周知のことなのだ」
「あ……」
私以外は皆、知っていたんだ。
もちろん、カイユさんも。
誰も私に教えてくれなかったんじゃなく、誰もが私はそのことを知っていると……ハクから説明されてると思ってたのかもしれない。
そうよ……。
貴方は最初から、知っていたんだよね?
人間と竜族の間に子供が出来ないと知っていたのに、私を妻にした。
「人間の寿命は竜族に比べ短い。その分、繁殖への欲求が強いからな……次代へ繋げなければ、種は滅びる。人間の女であるりこが子を産みたいと考えるのは、生物として当たり前のことだ」
知っていて……私をつがいにしてくれたんだ。
私をつがいに選んでくれた、あの時から。
セイフォンで竜珠を私に食べさせたあの瞬間から、彼は子供をあきらめなきゃならなかったんだ。
「つがいになってくれたりこの望みは、なんであろうと叶えてやる。我は貴女にそう言ったのに」
知っていて。
分かっていて。
私を‘つがい‘にしてくれたんだ。
「我はりこに、我の子を与えることはできぬ」
竜珠をくれたあの瞬間から。
「りこが先ほど言ったように、我は‘嘘吐き‘なのだ」
貴方は、私を選んでくれてたんだ。
「あ……わた……」
私だけを、選んでくれてた。
私だけを!
なのに。
私は……!
「ご……ごめんなさっ……ごめんなさい! 私、私が……!」
私がこの世界に来なければ、貴方は他の女性と……竜族の女性をつがいにしてたのかもしれない。
私をつがいにしたから、ハクは竜族としての‘普通の幸せ‘が……全部無くなっちゃったんだ。
そんな貴方の前で私は赤ちゃんを……ジリギエ君を抱いて、はしゃいで。
子供が欲しいと泣き喚いて。
ずっと子供が出来ないことを言い出せなかった貴方を、貴方の心をまた傷つけた。
酷いことしてしまった。
私はなんて酷いことを、貴方にしていたんだろう。
「ハク、ハク! わた……ハ?」
ハクの指が、私の唇をそっと押さえて言葉を封じた。
「りこ。我は我が竜で良かったと……りこを孕ませられぬことに、安堵していた」
指はそっと……肌の上を滑るように移動して、私の左の目元からこぼれる寸前の涙を拭った。
「ハク……?」
安……堵!?
「我は、子など要らぬのだ」
ハクは私を囲い込むように抱きしめた。
「こ……子など要らぬって……ハク!?」
私との間に隙間ができないように……まるで私達の間に何も、何者も入り込めないように。
「子が欲しいとは思うことが、我にはできぬ」
縋るように、強く……強く。
「りこは我の……我だけのりこだ」
我だけの りこ
貴方のその言葉は。
その言葉の持つ意味は……。
ハク、貴方は。
貴方は子供を望んでなかったの?
子供達に囲まれた家庭を夢見たのは、私だけ?
子供が居れば貴方を独りにしなくてすむなんて、私の思い違い?
私に自分の子供を産ませたいなんて考えは……貴方の中には、ほんの少しも無かったの!?
「……ハク。あ…なたは」
貴方は子供を諦めたんじゃない。
「子になんの意味がある? そのよう存在は、我には邪魔なだけだ」
じゃ……邪魔?
貴方は【家族】を必要としていなかった。
望んでいないんだ。
「りこが我の子を産み、母になったら……りこは子を愛してしまうのだろう? そうなったら我はどうなるのだ……どうしたらいいのだ? 我はりこしか愛せぬのに、りこは他の者も愛するのか? それとも子だけを愛し、我を捨てるのか!?」
他の者。
自分の子供を‘他の者‘と言う貴方。
「幸いにも、人間のりこに我の子は産めぬ。……我はそれがとても、とても嬉しい。貴女が竜でなくて、本当に良かった……我のつがいが人間で良かった。りこも我がおれば子などいらぬのだろう? ああ、もっと早く言ってくれれば良かったのだ」
貴方の心。
私の想い。
「我はいらぬ心配をしてしまったな。りこもこの世界の女と同じかと思っておったが、違うのだな……りこが異界人で良かった。りこの望みは、我と同じなのだな? あぁ、カイユの言った通りだ。我とりこは‘似ている‘のだ」
ハク。
私と貴方は確かに、似ているのかもしれない。
でも、でもね。
私は貴方の子供を愛せる……愛したかった。
「りこの愛は、我だけに……」
あぁ……この人は。
この人は子供を愛さない。
愛せないんだ。
もし、竜族と人間に子供ができたとしたら。
私とハクの子供を、貴方は排除したかもしれない。
<処分>してしまうのかもしれない。
躊躇うことなど、一切無く。
自分の血を引く子供を。
私達の子供を。
私の前で、小さな命を踏み潰す。
「ハ……ク。あな……たは」
竜帝さんも言っていた。
貴方は‘違う‘んだって。
竜族とも、四竜帝とも‘違う‘小さな白い竜。
貴方は独り。
今までも、これからも。
ずっと、独りきり。
「りこ……りこ。我は何でもする、何でも手に入れてみせる。我の子を産ませてやること以外なら」
私が側に居ても、どんなに愛しても。
貴方の心が完全に満たされることは、ないのかもしれない。
永遠に孤独なまま。
自分が孤独だということにさえ、気がつけない……寂しく悲しい貴方。
それは、なんて悲しい事実。
「りこ、りこよ。貴女が望むなら月に咲くという月雫花を採ってこよう、夜空の星を全て落して貴女に捧げよう」
永い時を生きる貴方の中には、子供を受け入れる【場所】が存在しないのかもしれない。
「りこにこの手を拒まれた時、我は……」
隠していた想いを引き摺りだされるほど、貴方に追い詰められたのは……私。
貴方にあんな事を言わせるほど、追い詰めてしまったたのは……私?
「我を欲してくれるなら……先ほどの言葉が真なら、子が出来ぬことを嘆かないでくれ。子の為に……我以外の為にそのように泣かれると、我はっ……先ほどよりもっと酷い言葉を吐き、惨い仕打ちをしてしまうだろう」
違うの。
私が泣いたのは子供のためじゃない。
貴方には、それが分からないの?
「我はりこを泣かせた。傷つける言葉を、わざと選んだのだ」
何かが床へと落ちて、小さな音をたてた。
支店でも耳にした、不思議な響き。
どこか懐かしいそれは……小学生の時に聞いた、鉄琴の音色のようだった。
「我がりこを、泣かせてしまった。壊れてしまえと、我を拒むなら壊してしまえと……。我は、我が怖い……」
ハクが泣いているのだと分かった。
真珠の涙。
「……泣かないで」
それは貴方自身。
「そんなに泣いたら、ハクの中身が無くなっちゃう」
貴方のかけら。
「ハク……泣かないで」
広い胸に抱きしめられた私からは、ハクの顔が見えなかったけれど。
絶え間なく聞こえてくるかけらの音色が、私に貴方が泣いているのだと教えてくれる。
今、泣くなんて。
私を傷つけることが自分にできることを知り、怖いと泣くなんて。
なんて、ずるい人。
なんて、酷い人。
狂おしいほど、愛しい貴方。
「ねえ、ハク。私も自分が怖いって思うようになった……貴方を好きになってから」
強いのに、とても脆くて。
優しいのに……切ないほどに、残酷な貴方。
「愛って、なんなんだろうね……。この気持ちは、心は……どうなっていくのかな?」
私が死んでも。
貴方は、私を忘れたりしない。
できない。
きっと、貴方の心には<りこ>が残る。
そう、思えるようになったのは。
綺麗で真っ白な貴方の中に……真っ黒な何かを垣間見たから。
深い闇のような、貴方の心。
「ハク。さっきの言葉、そのまま返すよ? 私の言葉、ちゃんと訊いてたの? すごく長生きしてるみたいだけれど……耳が聞こえないほど、おじいちゃんじゃないんでしょう?」
それは私と同じ。
ううん。
私より深く、暗い……。
「ハク、私は言ったわ。貴方が欲しいって。私は子供より世界より、ハクが欲しかった」
もう逃がさない、逃がしてあげない。
きっと、さっきが最後のチャンスだったのに。
「私には……りこは、ハクだけでいい」
私は貴方を離さない。
「貴方の顔が、見たい。貴方の眼が……私と同じ金の眼が見たいの」
離さなくていいんだって、貴方が教えてくれたのよ?
「……分かった。これでいいか?」
ハクちゃんは私の腰と背中に腕をまわして、少しかがむようにして私から顔がよく見えるようにしてくれた。
「うん、ありがとう。あ……かけら、止まったね。良かった」
ハクは少し眉を寄せ、切れ長の目を細めた。
「りこの白目が、真っ赤だ。目元も腫れてしまったな。我の所為だな」
この表情は他の人から見れば、かなり怖い顔かもしれない。
「その通りです。まあ、私の自業自得が大部分ですけど、ハクちゃんの所為も少しはあるんだからね!? 反省して下さい」
でも、私には‘心配‘している時の表情だとちゃんとわかっている。
「ふむ……そうだな、我が悪い。こんなに泣かせるつもりは無かったのだ……少々意地の悪い事を言ってしまったようだ。すまなかった、りこ」
「しょ……少々!?」
あれが貴方には少々ってレベルなの!?
ううっ……少々なんかじゃないよ、私にとっては理性崩壊レベルの破壊力だったんだよ~!
「こっ……今回だけは許してあげる! 私も悪かったと思うから。手を引っかいちゃったし、貴方に酷いこと言ったもの。もう二度とあんな悲しいこと、ハクも言わないでね。全部殺すとか……次は、怒るよ?」
とりあえず、そう言ってみた。
うん、次はすご~く怒りますよ、私は。
今回は衝撃的すぎて、悲しさの方が強かったけど。
「お、怒るなりこ! 我はりこに本気で怒られたら、ショックで仮死状態になってしまうやもしれんっ! 我は日々忙しく、仮死状態になっとる暇は無いのだ」
なによ、それ?
どんだけ怖がりなのよ!
あたしゃ、鬼嫁かっ。
「大丈夫よ、もしそうなったらとっておきの‘お呪い‘でハクちゃんを、起こしてあげるわ。私の世界では有名で、とっても強力な‘お呪い‘なの」
私は真珠色の髪を掴んで、ちょっと強引に引き寄せた。
「お呪い? りこはまじないに詳しいな。どうやるのだ?」
首をちょっと傾げるハクちゃんの仕草は、私にとってはかわゆさ満載の大好きな姿だけど。
「内緒。秘密です」
ついさっきまで真珠の涙を流していたのに、もうけろっとしている旦那様には教えてあげない。
「ふむ。では、そうなったら‘お呪い‘を 頼む。直ぐにしてくれ、絶対だぞ?」
王子様のキスで、お姫様は目覚める。
私はお姫様じゃないし、貴方は王子様なんかじゃない。
「はい。任せてください、旦那様。ハクちゃん、なにがそんなに忙しいの? 私と会ってからお仕事も特にしてないようだし……暇に見えるんだけど」
仕事かぁ。
大陸移動が決まったから、私の就職の件は保留になってしまった。
ハクちゃんの‘お仕事‘か……。
<監視者>だから世界中に別荘(?)を建ててもらって、おまけに貢がれて……いろんな意味でウハウハ独身ライフを満喫してたわけで。
ん?
そう言えば……おんな、女。
この泣き虫君は、とんでもないこと暴露してなかったかぁああ!?
「<監視者>として‘お仕事‘はめったに無いのでな。り、りこ。口元が少々おかしな角度に曲がっておるぞ!? むむっ、そのだなっ! 我はりこをか……いかん、内緒なのだ。まだ内緒だ。うむ、我も‘秘密‘なのだ」
挙動不審な動きをする金の眼が、なんかとっても可愛く思えてしまう私は貴方以上に‘変‘なのかもしれない。
「ふ~ん、秘密なの? ま、いいけどね」
秘密。
私も、まだあるから。
貴方の秘密も、そのままでいいの。
貴方が私のために、多くの人を殺めると言ったとき。
私の中の悪魔が、歓声を上げた。
私、嬉しいと思ってしまった。
お願い。
もう、これ以上出てこないで……私の中の悪魔。
悪魔のキスが、魔王を起こす。