第73話
カイユさん達がお城を出て17日目の夜。
新しい家族を連れて、カイユさん達が帰ってきた。
月明かりの差し込む夜の温室で、私は初めて【弟】と対面した。
「わあ~! この子がジリギエ君? かわいいっ、とってもかわいい! あ、でも……えっと諸事情ありまして……1番かわゆいのはハクちゃんで、ジリギエ君は2番目です」
かわいい……かわゆい事に並々ならぬこだわりを持つハクちゃんの手前、私はすぐに言葉を付け足した。
カイユさんに抱かれて眠るこの子が……ジリギエ君。
なんて綺麗で、かわいい赤ちゃんなんだろう。
そう思った。
「トリィ様。この子を……【弟】を、抱いていただけませんか?」
カイユさんに抱かれた<赤ちゃん>は私が知っている<赤ちゃん>ではなかった。
「え……いいの?」
ハクちゃんにお許しをもらい(彼は抱っこにもこだわりがあるようなのだ)、カイユさんにジリギエ君を抱かせてもらった。
私の腕の中にカイユさんがそっと、ジリギエ君を置いてくれた。
間近で見た【弟】は、想像以上に可愛くて……綺麗な存在だった。
「わぁ……素敵な鱗」
青みがかったグレーの鱗は1枚1枚は半透明で、それが重なり合い全身を覆っていた。
蛇のような細長い体に、短い手足がちょこんとついていた。
平たいお顔に、大きなお口。
眼の脇に小さな突起物……お耳かな?
「姫さん、ほら。見てごらん? この翼は幼生の時だけなんだ」
ダルフェさんがジリギエ君を起さないようにそっと、開いて見せてくれた翼は広げるとけっこう大きくて……淡い月光を通すほど薄い皮膜がついていた。
シャボン玉で作ったようなそれは、ため息が出るような美しさだった。
「綺麗……竜族の赤ちゃんって、本当に綺麗だね」
ジリギエ君の重みを腕に感じながら、ハクちゃんそっくりの小さな竜の赤ちゃんを胸に抱く‘お母さんなった私‘を想像して……自分の口元が緩むのを感じた。
カイユさんが私に抱かせてくれた小さな【弟】は、見た目よりも体重があり、羽毛のように軽いハクちゃんとは全く違った。
ハクちゃんと四竜帝は、ダルフェさんやカイユさんとは竜体の大きさも能力も……いろいろ違う点が多いみたいだった。
人型と竜体を持つ竜族。
竜族だけど、普通の竜ではない<監視者>のハクちゃん。
そんな彼と私の赤ちゃんは、どんな姿をして産まれてくるんだろうか?
「ジリギエ君、姉様ですよ~……ふふっ、これからよろしくね」
すやすや眠るジリギエ君を抱っこしてにやける私の姿にカイユさんは硬かった表情を和らげ、いつもの透明感のある微笑を浮かべてくれた。
ダルフェさんはいつもよりさらに目じりを下げて、なぜか爆笑した。
「やっぱ、すげ~なぁ姫さんは! 心配して、損しちまったなぁ……ぐげべっ!? いててっ……むへへへぇ~っ」
ジリギエが起きてしまうでしょうって、カイユさんに注意され……背中を蹴られたダルフェさんは、とっても嬉しそうだった。
カイユさん……帝都ではセイフォンの時に着てたメイド服じゃなく、アオザイのような衣装だから蹴りやすくなったのだろうか?
「あぁ、久々の蹴り……俺的にはもっと激しく連打して欲しいっ」
ひえぇ~、嬉しそうを通り越して恍惚としている気が……ちょっと不気味ですよ、ダルフェさん。
青い騎士服を着て見惚れるような姿をしていても、やっぱりダルフェさんはダルフェさんなのだ。
「ダルフェ、なにを心配したの?」
ジリギエ君をカイユさんにかえしてから、訊いてみた。
私とダルフェさんの距離は、かなりぎりぎりな2ミテをずっとキープしている。
ダルフェさんにも竜帝さんと同じく‘ハクちゃん2ミテルール‘が適用されることになったからだ。
カイユさんは出産し、妊娠期間が終わった。
だからダルフェさんは近いうちに【雄】の成竜に戻る。
蜜月期中のハクちゃんにとって本来は排除対象になってしまうんだけれど、ハクちゃんは2ミテ宣言をしただけでダルフェさんを受け入れてくれた。
「ん~、心配ってのは……まぁその。竜族の赤ん坊は人型じゃないからねぇ」
なるほど!
ジリギエ君が……赤ちゃんが<人間>の姿をしてないから、私がもっと驚くかと思ってたんだ。
私は赤ちゃんが人型じゃなくても、別に驚かない……驚けない。
竜族っていうくらいだから、本来は竜体がメインな種族なはずだし。
小竜の旦那様を持つ私だもの、確立(?)は半々かなぁって漠然と考えていた。
ちょっと意外だったのはハクちゃんみたいな‘いかにも竜です‘って小竜じゃなくて、爬虫類っぽいちびちゃん竜だったことで……。
私はハクちゃんに視線を向けた。
初めて見た竜族の赤ちゃんに大興奮の私とは違い、ハクちゃんは竜体で大人しく池の淵に座っていた。
会話に入ってくる様子もなく、ただ静かに。
私達を透明感の無い金の眼で、眺めていた。
その眼からは彼がジリギエ君を見て何を思い……考えてるのか、私には読み取れなかった。
もしも。
私と同じように、未来の自分達の姿をカイユさん達に重ねてるんだったらと思うと……一瞬だけ、お腹の中がきゅっと痛んだ。
カイユさん達はお城に帰ってきて、まず私のところに来てくれたのだ。
これから竜帝さんの所に行って簡単な挨拶と報告をして……正式な‘挨拶‘は後日、大広間でお披露目会のようなものがあるらしい。
お披露目会。
それを聞いて、竜族にとって新しい一族の誕生はそれだけおめでたいことで……重要視されることなんだと改めて感じた。
子供は一族の宝……子供といえば。
ダルフェさんは赤の竜帝さんの子供……息子だった。
彼女はダルフェさんの事を心配していた。
「あのっ、ダルフェ! 私、赤の竜帝さんに電鏡の間で会ったの。ダルフェのお母様だったなんて、びっくりしちゃった。あれ? うわわぁ~、もしかしてダルフェって王子様ってこと!?」
ダルフェさんはぎょっとしたように後ずさりした。
手をぶんぶんと自分の端整な顔の前で振り振り、言った。
「げげぇっ、母ちゃ……ブランジェーヌに会ったのか!? 王子様……ぶぶっ! やめてくれよぉ、がらじゃねぇし。それに竜帝は世襲制じゃないからねぇ。母ちゃんが竜帝だろうが俺は庶民よ、庶民。俺の父親は赤の竜帝の帝都で食堂やってるごく普通の親父なんだぜ?」
明日の午前中に‘お祖母ちゃん‘になった赤の竜帝さんに、電鏡の間でジリギエ君を会わせるのだと……ダルフェさんは頬をかきながら言った。
ちょっと照れたようなその仕草は、それを見た私の心をほっこりと温めてくれた。
カイユさん達は20分程で帰った。
明日のお茶の時間にゆっくりしていってくれることが決まったので、今夜は書き取りの練習は止めてシフォンケーキを作ることにした。
いつでも作れるように、材料の準備はしていた。
さっき、ダルフェさんが私に教えてくれたのだ。
竜族の子供は長い妊娠期間を経て、ある程度育ってから生まれてくる。
ジリギエ君は厳密に言うなら赤ちゃんではなく、幼生……人間でいえば3才児くらいの知能があり、お乳も飲むけれど大人と同じものも食べられる。
つまり、ジリギエ君はケーキを食べることが出来るのだ。
私はダルフェさん作のいつものエプロンをして、竜体のハクちゃんには唐草模様の緑のスカーフをエプロン風に巻いてあげた。
ハクちゃんと私。
初めて、2人でケーキを作った。
竜帝さんとの試作はちょっと失敗しちゃった私達だけど、今回はちゃんと……うまく焼けた。
ハクちゃんが卵白を完璧な状態に泡立ててくれたのが、成功の秘訣だと思う。
ハンドミキサー愛用者の私では、泡立てのパワーが不足していたのでとても助かった。
試作では11本のホイッパーを壊しちゃったハクちゃんだけど、練習の成果が本番にこうして発揮され……彼もとても満足そうだった。
明日のお茶の時間に出すお祝いのふわふわシフォンケーキからは、卵とバニラの甘い香りがした。
部屋に漂う優しい香りに……ほんのちょっとだけ、切なくなった。
「ジリギエ君、出ておいで」
私は膝をついて身をかがめ、ソファーの下を覗き込んだ。
「……大丈夫、ハクおじちゃんはジリギエ君をいじめたりしませんよ~」
いじめるどころか、ハクちゃんはこの子に無関心のようだった。
フォークを握ってちょこんとテーブルに座ったハクちゃんの視線は、ケーキに釘付けだった。
ダルフェさんがケーキをカットしてくれるを、じっと待っている。
昨日の夜、私とハクちゃんで作ったシフォンケーキ。
バケツサイズのビックなシフォンケーキ……ハクちゃんのハンドパワー(?)が遺憾なく発揮された作品でございます。
「ジリギエく~ん。姉様達とケーキを食べよう?」
「……」
ジリギエ君からは返事が帰ってこない。
そんなに怖いの?
かわゆいおちび竜のハクおじちゃんが……。
ハクちゃんはジリギエ君に何かしたわけじゃない。
午前中のシスリアさんとの勉強会からず~っと、私にぺとっと張り付いて……。
いつもより甘えん坊さんなハクちゃんは、朝からずっと竜体のまま私にくっついていた。
お茶の時間に合せてカイユさん達が来てくれたのに、私の胸から顔をあげようとしなかった。
カイユさんに抱かれたジリギエ君を見もしなくて……ハクちゃんまで赤ちゃんになってしまったかのようだった。
外せない用事があってお茶会に参加できなかった竜帝さんがこの場にいたら、絶対に突っ込みを入れていたはずだ。
そんなハクちゃんの姿とジリギエ君を見比べ、苦笑するカイユさんの腕の中を背伸びして覗き込むと。
ジリギエ君は震えていた。
小さな眼は、私に抱っこされたハクちゃんに向けられていた。
初めて見たジリギエ君の眼は、ダルフェさんと同じ鮮やかな緑をしていた。
カイユさんが居間のソファーにジリギエ君を下ろすと同時に、彼はソファーの下へ潜ってしまった。
ダルフェさんは気にするなって言ったけれど、私には無理だった。
ハクちゃんが原因なら、なおさらだ。
「トリィ様、お茶にしましょう。トリィ様の焼いてくださったケーキ、とても美味しそうですわ」
カイユさんが茶器をテーブルに置き、にこにこしながら言った。
母親であるカイユさんも、隠れてしまったジリギエ君をなだめて席に戻す様子は無かった。
それどころか、嬉しそうに微笑んでいる。
「カイユ。ジリギエ君、このままじゃ可哀相だよ。どうしよう?」
うう~っこの状態は、私的にはかなり悲しいのだ。
「この子はヴェルヴァイド様に恐怖し、身を隠しました。ふふっ、検分にかける手間が省けましたわ」
ふわりと紅茶の香りが漂い、4つのカップにお茶を注ぐ音がリズミカルに響いた。
「検分?」
それって、なに?
「ええ。<竜騎士>かどうか、通常は専門の判定機関で調べるんです」
カイユさんはジリギエ君の隠れたソファーの前にしゃがんでいた私を立たせ、向かいのソファーに座らせた。
「いいかげんになさい。姉様が心配してるわ」
そう言ってジリギエ君の隠れているそこに腕を差し入れ、手足を踏ん張って抵抗するジリギエ君を引きずり出した。
カイユさんの右手に長い胴を掴まれて、短い手足で宙をかきながらジリギエ君は叫んだ。
「ギキッキキューギー!」
青みがかったグレーの細く長い胴をくねらせて、皮膜の張った翼をばたばたと動かしていた。
「この子は間違いなく<竜騎士>ですわ。ヴェルヴァイド様を絶対的強者と認識したからこそ、怯えたのです。まあ、そのうち慣れますからご心配なく」
竜騎士……それって職業名じゃないの?
警察官みたいに試験を受けてなるんじゃなくて、生まれ持った才能が重要だってことなのかな~。
悲痛な叫びをあげ続けるジリギエ君を自分の膝に押し付け……じゃなく、座らせたカイユさんの前に上手にカットしたシフォンケーキに生クリームを添えたお皿を置いて、ダルフェさんが言った。
「こらこら騒ぐなって、しょうがねぇだろ~ジリ。このおっかねえ旦那は、お前の姉様のつがいなんだから。お前はこの旦那と一生付合うんだぜぇ? 多分、お前の子供も孫もなぁ。腹くくっとけよぉ、ジリギエ」
薄いピンクのシャツに真っ白なふりふりエプロンをしたダルフェさんは、ジリギエ君の額を指先でちょんちょんとつつきながらニヤリと笑った。
「さあ、愛娘の作ってくれたケーキを食わんとねぇ。父ちゃんは幸せもんだなぁ」
カイユさんの隣に腰を下ろして、ダルフェさんはお皿のシフォンケーキをぱくっと1口で食べてしまった。
「うん、美味いじゃないの! なんつうか……あったかい味のするケーキだねぇ~。俺、好きだなぁ。丸ごと食いたいくらいだ。ありがとな、姫さん……と、旦那。旦那?」
ハクちゃんはシフォンケーキにぐさっとフォークを突き刺して、ぐりぐりと生クリームに押し付けていた。
あわわ、そんな風にしたらせっかくのふわふわ感が台無しだよ!?
「食え」
「え?」
あ~んじゃなく、食えって言った!?
「ハクちゃん?」
ふわりと浮いたハクちゃんが、カイユさんに捕獲されたジリギエ君の口元にシフォンケーキを差し出した。
私に言ったんじゃないのね、びっくりしたぁ~。
ジリギエ君はぴたりと鳴き止み、固まってしまったように動かなくなった。
宝石のような緑の瞳が突き出されたケーキと、それを突き出している白い小竜を交互に見た。
「食え」
ハクちゃんはジリギエ君の口を左手でぱかっと開けて、シフォンケーキを突っ込んだ。
「美味いか? 幼生よ」
ハクちゃんはフォークをくるくると回しながら、言った。
「お前は我のりこの<竜騎士>だ。たくさん食い、強くなれ。四竜帝共を討てるほどにな」
ジリギエ君がごっくん、とケーキを飲み込む音がした。
「旦那ぁ。あんた四竜帝と戦争でもおっぱじめるつもりっすかぁ~!? まあ、確かにそいつは強くなりますよ、なんたって俺とカイユの子ですからねぇ」
ダルフェさんが楽しげに、とんでもないことを言った。
「ああ、そうだ! そのうち俺らで、世界征服でもしますか? とりあえず、セイフォンぶっ潰してのあの皇太子君を血祭りにしましょうやぁ~! はははっ、想像するとかなり面白いっすねぇ~! 舅殿も連れて、派手にやっちまいましょうぜぇ!」
ダ、ダルフェさん?
ひょぇ~、そんな物騒な事をなんでとっても楽しそうに言っちゃうのですぅ!?
今のは悪の手下が、親分さんの前で言うようなセリフでしたよ?
「まあっ。それ、良い考えだわ。私も賛成よ? 父様も喜ぶわ。あ、セシーは私の獲物よ。あの糞生意気な女はこの手で……うふふ」
カイユさん!?
賛成しちゃうんですか!?
しかも、それじゃまるで悪の組織の女幹部のようですぅ~!
ああ、指をぽきぽきしないでぇ~、洒落になんないよぉ!
「ふむ。我は別にかまわんが……りこはどうしたい?」
ハクちゃん、なんで私にふるんですかあぁぁ!?
そこは即、否定すべきでしょうが!
今の会話、まずいでしょう!?
このままじゃ私達、完全に悪役……世界征服を目論む魔王様御一行(しかも子連れ)になっちゃうじゃないですかー!
「世界征服なんて、そんな暇はないよ! ひ……引越し準備しなきゃ、引越し! 皆で大陸間大移動なんだよー!?」
言ってから、自分のお馬鹿加減に泣きたくなった。
皆は冗談で言ったのに、つい……だって、ダルフェさん達が妙に生き生きして言うんだもの。
ちょっとだけ‘マジですか、そりゃいかんでしょう!?‘って本気で思ってしまった。
「ぶ……ぶはっ! 暇がないから世界征服計画中止かよ!? さすが俺の【娘】だなぁ~……あはははははっ」
ダルフェさんが噴出きだして、笑いが止まらなくなって。
そんなダルフェさんの頭にカイユさんが拳骨を落として。
ハクちゃんが‘りこ、あ~んだ。あ~ん‘と私にケーキを差し出して……。
賑やかで、楽しい時間はあっと言うまに過ぎてしまった。
大きな窓から入ってくる光が、部屋をオレンジ色に染め始めていた。
ハクちゃんが着替えに行ってる間、私はカイユさんのお膝で丸くなって眠る弟の姿に見入った。
本当に、かわいい子……姉様は君にめろめろでございます。
「しばらく起きねぇな、こりゃ。旦那が離れたから、一気に気が抜けちまったんだなぁ。ハニー、俺がジリを部屋で寝かせてくるよ」
ダルフェさんは両手でそっとジリギエ君を抱き上げ、私にウインクして居間から出て行った。
「うふふっ、かわいかったな」
あ、男の人がいないから……よし、質問しちゃおうっと!
こういうことは、やっぱり女性同士が話しやすい。
「カイユ、あのっ。私も早く子供が欲しいなぁって思ってるの。私は人間だから、そのっ……頑張れば2~3人は産めるの? 人間と竜族の間の赤ちゃんって、どちらで生まれるの? この際言っちゃうけど、実は生理が……カイユ?」
カイユさんは私を見ていなかった。
私の……後ろ?
「……ヴェルヴァイド様っ、なぜです!?」
着替え終わったハクちゃんが立っていた。
いつものように漆黒の服。
そしてなぜか。
外套を持っていた。
銀色の毛皮のついた、黒に見間違えそうなほど濃い紫の……おでかけですか?
あ、私のコートも持ってる……。
私もお出かけってこと?
「あなたは……まだ言ってなかったんですか!?」
カイユさん、急に怖い顔して……どうしたの?
ハクちゃんが何かした?
「私、トリィ様はもうご存知なのかと。だから私……あぁ、なんてこと!? ジリギエをその腕に抱いて、母になれると夢をみさせて……後で……トリィ様がっ、この子が妻として女としてどんなに辛いかっ!」
何の話しているの?
「ヴェルヴァイド様、なぜなんです!?」
どうしてハクちゃんを怒るの?
「人と竜の間にはっ……なぜ言って……教えてさしあげなかったのですかっ!? なぜ伝えなかったのですか! まさか……人間であるこの子に、蜜月期の雄として交尾を要求したのですか!? 私は蜜月期は繁殖期間だとこの子に教えましたっ……子孫を残す為の期間であると……雄は子を得る為に雌を強く欲するのだと……」
人と竜。
それって。
私とハクちゃんの事だよね?
「つがいである貴方が……この子の夫である貴方が言うべきことだと思ったからっ! だから、だから私はあえて口にしなかったのに! 貴方がこんなにも酷い仕打ちをこの子になさるのならば、私が最初から全て……‘全て‘を話すべきでしたっ! 子供が出来ないことも含めて全部っ……!」
赤ちゃん。
ハクちゃんの子供。
コドモガデキナイ?
「カ……イユ」
こどもができない?
子供が出来ない!?
「カイユ……な、なに言ってるの? 私、カイユの言ってることの意味が……あ、あれ? 聞き間違い……」
そうだよね?
違う、そんなはずないもの。
「あ……カ……カイユ、カイユ! ハクちゃんを怒らないで! ……いつだって、すごく気をつけてしてくれてるの。私は大丈夫だから安心して……あ……そうだ、カイユ! 私、生理がきてないの。ちょっと早いけど……支店で妊娠したのかもしれないし! お医者様を呼んで、調べてみたいの。まだはっきり分からない状態かもしれないけどっ、一応……」
私の言葉に、カイユさんは水色の眼を見開いた。
晴れ渡った冬の空に、私の顔が映っていた。
あ。
変な顔。
何、これ……口元が歪んでる。
ああ、今の私はなんてひどい顔してるんだろう。
こんな顔、したらだめ。
ハクちゃんが心配しちゃう。
笑え、私。
笑いなさい、りこ!
「……ありえませんわ」
なんで?
なんで否定するの?
そんなことカイユに……【母様】に言われたら、笑えなくなっちゃうのに。
「おね……お願い、カイユ」
私はカイユさんにしがみ付いた。
アオザイに似た衣装はシルクのようになめらかな生地で、しっかり掴まらないと……今の私のこの手では、するりと滑り落ちそうだった。
「カイユ……カイユ。お医者様を呼んでよ、お願い! あのね、私……カイユがいない間……ハクちゃんと……身体に負担がかかるから毎日したらいけないって、ちゃんと断りなさいってカイユに言われてたけどっ! ご、ごめんなさいっ。でも……だって、だって……赤ちゃん、早く欲しかったから」
自分の声が、他人の声のように聞こえた。
「ごめんなさい。私が悪いの……ハクちゃんに、私がお願いしたの……」
手が、震えていた。
足に力が入らなかった。
立ってられなくて、両膝を床についてしまった。
「ハクちゃんは子供の話をしなかったけど、内心は早く子供が欲しいんじゃないかと思って……竜族は結婚したら子供が……だから、だから私……人間の私……ダルフェと同じで時間が……だから……急がなきゃって……」
どうしちゃったの、私……。
身体、変。
誰かが私の心臓を、がんがんと叩いてる。
頭の中がぐちゃぐちゃのばらばらで……気持ちが悪い。
なに、これ?
助けてカイユさん、カイユ……!
「カイ……カイユ! あぁ、私……生理が遅れて……そうよ、私は赤ちゃんが出来てるかもしれない……は、早く……早くお医者様、お医者様に診てもらわなきゃっ!」
大変。
お腹に赤ちゃんがいるかもしれないのに。
ハクの赤ちゃんが。
私の赤ちゃんが。
いなくなちゃう。
いなくなっちゃう?
赤ちゃん、いなくなっちゃう!
「トリィ様? しっかりして……しっかりなさい! どうか、カイユの話を……母様のお話を聞いてちょうだいっ! とても大事な事なのよっ!? 人間をつがいにした竜はっ……ぐっ!?」
ハクちゃんの左手が。
カイユさんの首を正面から掴んだ。
「黙れ、カイユ。それ以上は許さん」
私の肩を掴んでいたカイユさんの手が離れ、ハクちゃんの手の甲に爪を立てた。
「なにし……や、やめ……ハクちゃん、やめてぇ! カイユを放し……!?」
カイユさんが消えた。
転移だ。
転移、させちゃったんだ。
なんで?
「カイ……ユ。どこに?」
ハクちゃん、なんで?
支えを失った私の身体は、そのまま床に吸い込まれるように……濡れたハンカチみたいにぺたりと落ちた。
「……りこ、おいで」
私に差し出された右手。
大きくて、優しくて……大好きな貴方の冷たい手。
「我の手をとれ、りこ。塔に夕焼け観に行こう……約束したろう? また連れて行くと」
大好きなのに。
私はその手を、とれなくて。
「さあ、我と行こう? 急がねば陽が沈んでしまう」
震えの止まらない手を、ハクちゃんの視線から隠したくて。
強く握って、自分の胸に押し付けた。
「きょ……今日……行か……」
お祝いのお茶会だった。
お母さんに習ったふわふわのシフォンケーキで。
昨夜、貴方と2人で作ったケーキで。
「い……行かない。今日は塔には……行かない。ジリギエ君が起きたら、また抱っこさせてもらうの……」
そうよ、今日はお祝いだもの。
ジリギエ君……竜族の赤ちゃん。
「抱っこ……? りこはあの幼生が、人間共が蛇獣と蔑む異形がそんなに気に入ったのか?」
異形なんかじゃない。
あの子、とっても素敵よ?
竜族の赤ちゃんは、宝石のように綺麗だった。
「ハクちゃん……カイユは? カイユをどこにやったの!? ここへ戻してよ……お医者様を呼んでもらわなきゃだし……まだケーキ、残ってる。お祝いなのに……だから……だって、ケーキ……ダルフェとジリギエ君と……皆でお祝いの続きしなくちゃ……ケーキ……ハクと作ったケーキだから……」
皆がいる、あの優しい場所に帰りたい。
温かいお茶と、ふわふわのケーキ。
カイユさんの……【母様】の澄んだ微笑み。
ダルフェさんの……【父様】の明るい笑い声。
口の周りの生クリームを一生懸命舐める、ジリギエ君の……【弟】のかわいい仕草。
私の膝にちょこんと座って、短い手足をにぎにぎする貴方……私の【夫】。
怖いことも、辛いこともない穏やかな時間。
あそこは。
あの場所は。
「そうか。では、夕焼けでぇとは中止だな」
貴方が‘用意‘してくれた、私の世界。
「ふむ……りこ。先ほどのカイユが言っていた件だが」
だめ、言わないで。
ハクちゃん、私が聞きたくない事を言うつもりでしょう?
お願い、言わないで。
後で聞くから。
今はやめっ……!
「竜族と人との間に、子は出来ぬ」
ハク。
貴方は竜で、私は人間。
「我とりこの間に、子は出来ぬのだ」
愛してる。
氷のように冷たくて、お日様のようにあたたかく。
全てを隠す雪のように残酷な。
私の愛しい白い竜。