第69話
山盛りの唐揚げをのせたワゴンをガラガラと音を立てて押し……竜帝さんが南棟に現れた。
「よう! 待たせたな。昼飯にしようぜ、おちび」
温室に置かれたベンチにハクちゃんと座って本を読んでいた私に、竜帝さんは唐揚げを1つ口に放り込み……もぐもぐしながら言った。
摘み食いですか、女神様。
きっと食堂からの道中、唐揚げを摘み食いしながら来たに違いない。
唐揚げ……鶏肉かな?
うわ~、一個一個が大きい。
お母さんが作る唐揚げの3倍はありそう!
「なに読んでんだ? なになに……[初めての帝都! お勧めスポット・ベスト10]って、おい。まさか2人で市街観光に出かける気かよ!?」
油のついた手をハンカチで拭きながら、竜帝さんは本とハクちゃんを交互に見た。
「今度、カイユ達と行くんです。あ、でも当分は延期かな?」
カイユさんにはゆっくりしていて欲しい……。
お産後の彼女を帝都観光に連れ回すなんて、絶対に駄目。
赤ちゃん……ジリギエ君、もう産まれたのかな?
お母さん似かな、それともお父さん似?
むふふっ、楽しみ!
あ、お祝いのシフォンケーキ作りの事を竜帝さんに相談しなきゃ。
そんな事を考えてた私の隣から、ハクちゃんは立ち上がり。
「<青>よ。昨夜は気づかなかったが、母親その他が同伴では‘でぇと‘の枠から出てしまうのではないのか?」
ハクちゃんは私の膝から本……ガイドブックを取り、表紙を竜帝さんに向けて言った。
「見ろ。この本の表紙も、人間の男女が仲睦まじく南街を散策する様子が印刷されておるぞ? 保護者同伴ではない。ん? お前に訊いても無駄か、未だ情人の1人すらおらんのだし……ふむ。こういったことに詳しいダルフェが居らんのでは、確認しようがないな」
人間向けの帝都観光本。
一昨日の晩御飯前に、ダルフェさんがハクちゃんに貸してくた数冊の中にあったこれ。
ハクちゃんが珍しく一緒に読もうって、言ってくれたんだけど……けどぉ~!
表紙にはらぶらぶな人間のカップルが、あはは・うふふ・べたべた的に……ううっ、ダルフェさんのチョイスにはなんかこう変な共通性がある気がする。
私だったら、この表紙じゃ買わない。
レジに持っていく勇気が無い。
「で……でぇとってデートって言ったのか!? おちび、このじじいは正気なのか? お前の旦那は<ヴェルヴァイド>で<監視者>で最強、いや最凶最悪の竜が……デート? 鬼畜じじいが、でぇとぉおおおー……いってぇー!? なにすんだ、このドS!」
青い眼をまん丸にして叫ぶ竜帝さんの額に、ハクちゃんはいきなりでこぴんをしたのだ。
でこぴんにしては、ちょっと異様な音がしたけれど。
竜帝さんの額は少し赤くなっただけだったので、ほっとした。
「煩い、<青>。お前は知らぬようだが……人間の男女にとってでぇとは恋文同様、非常に重要な儀式であると書物にも載っておるのだ。もっと本を読め」
ハクちゃん。
私は人間だけど、一応は異世界人なのですよ?
言ってなかったけど、私の世界では恋文はかなり廃れてるんです。
う~ん、平安時代が恋文最盛期だったのかな?
それにだいたい……デートが儀式って、どういう事!?
「こ、恋文? ……おちび、お前の旦那はいったいどんな本を読んでんだよ!? なんか……言ってることが妙っつーか、変じゃねぇか?」
宝石のような青い眼を瞬かせる女神様に、私は<原因>を告げた。
「あのっ……ハクちゃんが読んでるのはダルフェのお勧め本ばかりでして、そのっ、あのっ」
ダルフェ本ばかりじゃ、ハクちゃんに変な情報ばかりが詰め込まれてしまうかもっ!?
実録新婚シリーズは、最悪だった。
ちらっと見たけれど……あれは絶対に、実録じゃな~い!
異世界人の私から見たって、あんな……あんな赤面新婚生活は有り得な~い!!
「うわっ! そりゃ災難だな。あいつは俺にも時々、ここでは言えねぇようなすげぇタイトルのを持ってくんだぜ!? ダルフェとしては親切心で貸してくれてんだろうが……」
竜帝さんと私は顔を見合わせて……溜め息をついた。
ダルフェさんは悪気ゼロ。
だから断れないんですよね~。
「はあ……飯、食おうぜ」
でこぴんされた額をさすりながら、竜帝さんは言った。
ハクちゃん、でこぴんを知ってたんだ。
こっちの世界にも、でこぴん文化(?)があるんだね。
「はい。ハクちゃん、竜帝さんがお昼ご飯を持ってきてくれたから部屋に戻ろう。あ、昨夜のスープの残りを温めようっと! けっこう残ってたから2人分は有るから……ハクちゃん?」
ハクちゃんは長身をかがめて、ワゴンを覗き込んでいた。
何をして……?
「また魚か……昨夜も魚だったな。りこ、肉も食べなければ駄目だぞ? 昨夜読んだ本に、健康はバランスのとれた食事が重要だと書いてあった」
竜帝さんの押してきたワゴンの料理を1つ1つチェックしつつ、ハクちゃんは言った。
昨夜?
あれから1人で本を読んでたんだ。
ハクちゃんは、眠らないから。
私が寝てる間に、ハクちゃんはいろいろな本を読んでいるんだね。
「……なんていう本?」
「[目指そう長寿・正しい食事で快適シルバーライフ!]だ」
長寿……。
いろんな本を貸してくれてるんですね、ダルフェさん。
ダイニングキッチンに移動して、3人でのランチタイム。
温めなおした朱紅魚のスープは、お魚の風味が少しマイルドになっていた。
昨夜も美味しかったけれど、また違った味わいが……カレーと同じで、翌日の味も楽しめるスープだった。
まあ、カレーは飲み物じゃないけれど。
お父さんはカレーが大好きで、某タレントをまねてカレーは飲み物だってよく言ってたな……。
お父さん。
ちゃんと禁煙を、続けられてるだろうか。
お父さん……あ、駄目。
今は考えちゃ駄目だ。
「竜帝さん、カリキュラムが変わるっていうのは……?」
私はスープを飲んでいた手を止めて。
唐揚げをスナック菓子のように、ぱくぱくと平らげていく竜帝さんに質問した。
彼のパンとサラダは、ほとんど減っていない。
そういえば。
昨日、カイユさんに野菜も食べなさいって注意されてた。
野菜が苦手なのかな?
「じじいに聞いてないのか?」
質問しましたが。
ハクちゃんの答えは。
-四竜帝の都合だろう。我は関与しておらん。
それだけだった。
私の表情から察してくれたのか、竜帝さんはハクちゃんをチラッと見て溜息をついた。
「おい、ヴェル。ちゃんと教えてやれよ。ああいった重要な事は、夫であるじじいがきちんと話すべきだと思う。……って、聞いてんのかよ!?」
「……黙れ、ランズゲルグ。気が散る。舌を引き抜かれたいのかっ」
私の横に座ったハクちゃんは、鮭に似た魚のムニエルと格闘していた。
「すまぬ、りこ。スープを飲んで待っていてくれ」
「う、うん。ありがとう、ハクちゃん」
魔王様はフォークとナイフを武器にちまちまと、勇者とではなく小骨と戦っていた。
さすがの無表情冷酷悪役顔の魔王様もイライラMAXのご様子で、普段よりさらにつりあがった金の眼で魚を忌々しげに睨んで……。
はっきり言って、すごく怖い顔。
あんな殺人光線を発射しそうな顔で睨まれたら、心臓麻痺を起こす人もいそう。
お魚さん、魔王様に遭遇するのが料理された後で良かったね。
心臓麻痺を起こそうにも、心臓ないし。
切り身だから目も無い……このおっかないハクちゃんを見なくて済んだね。
まあ、顔がどんなに怖くても。
私は全然怖くない。
私のために小骨をとってくれてるんだし。
「ううっ、骨の件は俺様が悪かったよ。さっきも謝ったじゃねぇか、そんなに怒んなくたってよぉ」
竜帝さんは食堂のランチメニューから、お魚がメインのコースを私の為に持って来てくれた。
彼自身はもちろん、お肉コース。
そして。
食べ始めて、すぐに問題が発生した。
お魚の小骨はそのまま食べれる程度のものだから、下処理されてなかった。
でも、竜族と人間の私とでは小骨レベル(?)が違ったのだ。
竜族にとっては全く気にならず食べれる小骨が、人間の私にとっては小骨だなんてかわいいものじゃなくて。
竜帝さんが骨ごと食べれると言ったので、ハクちゃんは小骨満載の魚を私の口に入れた。
私もなんの疑いも無く噛んでしまい。
そして。
痛い目にあいました。
数本の骨が歯茎に刺さった。
でも、少~し血が出ただけ。
もうなんともない。
この事から。
ダルフェさんは人間である私の為に、下処理を徹底して料理を作ってくれていたのだと知った。
彼が帰ってきたら、改めてお礼を言おう……。
「あのっ、竜帝さんは悪くないです。私が確認しなかったから……ハクちゃん、ごめんね。びっくりさせちゃったね?」
骨が刺さった本人よりも、ハクちゃんがショックを受けたようで。
私が口を押さえた瞬間、真珠色の髪の毛がぶわわ~って広がった……怒った猫みたいに。
私的には小骨より、そちらにびっくりしてしまった。
「うむ……りこ。すべての骨を取ったぞ! あ~んだ、あ~ん!」
鮭フレークに変身したムニエルをスプーンにのせて、ハクちゃんは私に差し出した。
術式で骨を取り除けば確実で簡単だと、竜帝さんは言ったけれど。
ハクちゃんはそうはしなかった。
なぜ、術式を使わないのか。
私にはなんとなく、分かる気がした。
「ありがとう、ハクちゃん。……うん! 骨、無いね。すごく美味しいっ」
竜帝さんが居なかったら。
きっと、我慢できずに……私は泣きながら食べてたと思う。
嬉し泣きなら、してもいいから。
ハクちゃんが食べさせてくれた、元ムニエルの鮭フレークには。
ハクちゃんの心がいっぱい……いっぱい、入っていた。
ゆっくりとランチをとって……アクシデントもあったし。
竜帝さんの持参したで茶葉で、お茶を入れた。
台湾旅行のお土産にもらった高級烏龍茶にそっくりで、すごく美味しいお茶だった。
まさか異世界で、またこのお茶を味わえるなんて!
忘れてたけど竜帝さんは、なにげにセレブさんでしたね。
あれ?
よくよく考えると、超がつくほどのセレブさんなのかな?
「え~っと。じゃあ、じじいの変わりに俺様が説明すんけど。小難しい部分は省くからな……あちっ、まだ熱いな」
女神様は猫舌なのか、カップのお茶になんどもふ~ふ~と息をかけていた。
それでもまだ熱いらしく、いったんカップをソーサーに置いた。
彼にお茶を出すときは、温度に気をつけてあげなきゃ……今度は少し冷ましてから出そう。
竜帝さんはカップの縁を包帯で包まれた指でなぞりつつ、ハクちゃんを青い眼で流し見た。
「難しい事を言っても、まだわかんないだろうからな。まったく、ヴェルは……しょうがねぇな~」
むむ。
相変わらず時々妙~に、色っぽいですね。
ハクちゃんの審美眼がかなりずれてて、良かったかも。
ハクちゃんはこんな美人が同席してるっていうのに、私に食べさせるお菓子選びに夢中だった。
テーブルに置かれたクッキーの缶から、全く視線が動かない。
竜帝さんがくれたクッキーの缶には15種類も入っていたので、ハクちゃんは「我は非常に忙しい。移動の件より、今はりこに与える菓子選びが重要なのだ」といって会話に参加する気ゼロ。
私だったらクッキーより、女神様を見るけどな~。
「このじじい……<監視者>は新しい、若い四竜帝の居る大陸を中心にして動くんだ。ヴェルと竜族の古~い盟約……盟約は難しいか。簡単に言えば<約束>か? 俺が赤ん坊の頃、ヴェルは<黄>の所から移ってきた」
約束?
赤ちゃんの頃……。
ハクちゃんと竜帝さんは、赤ちゃんの時からの長いお付き合いなんですね。
「まあ活動拠点がそこになるってだけで、じじい自体はいつも世界中のおん……い、いやっそのっ! りゅ、竜宮とかをふらふらしてんだが、以前とは状況が変わった。じじいは‘つがい‘を得たからな、今後はおちびを拠点にヴェルは動くことになる。これは竜の雄の本能的なもんだから、俺様達四竜帝にもどうにもできない」
状況が変わった……私がつがいになったから。
「つまりお前が大陸を移動しないと、ヴェルも動かないんだ。でも<約束>は守ってもらわなきゃなんねぇから、おちびに<黒>の所に移ってもらう。……<黒>はもうすぐ代替わりするんだ」
ハクちゃんの<監視者>ってお仕事は、世界中に出張(?)するってこと?
独身時代(なんか違うかな?)は出かけたっきり、世界中の竜宮で自由気ままにぷらぷらしてたけれど。
今のハクちゃんはつがいである私の所からお仕事に行き、私の所に帰ってくる。
だから私自身が、黒の竜帝さんお城に居る必要が……黒の竜帝さんが代替わり?
「竜帝さん。代替わりって、引退?」
代替わりって、子供さんに地位を譲るって事?
「ちょっと違うな。今の<黒>はもうすぐ死ぬんだ。新しい<黒>に変わるんだ」
死ぬ?
「黒の竜帝さん、死んじゃうの!? 病気?」
そんなっ、死んじゃうなんて……。
「老衰だ。まあ、すぐにぽっくり逝くわけじゃねぇし。黒の爺の次に歳食ってんのは<赤>だけど、あのおば……<赤>の姉ちゃんは、まだまだ現役だ。だからおちびはこれからの人生……かなりの期間を次代の<黒>んとこで過ごすことになる」
竜族はとても長生きだって言ってた。
人間の私は黒の竜帝さんの大陸で、寿命を迎える事になる。
そう言いたかったんだね、女神様。
貴方は優しいから。
ハクちゃんの前で私の寿命……死を口にするのを、避けてくれた。
「俺の大陸の事より、あっちの大陸の事を知ったほうがいいだろう? 俺様の所とあそこは……嫌になるくらい、全く違う。<黒>ん所は戦も多いし、四大陸の中でもかなり特殊だ……おちびには、俺様の大陸の方が性に合ってると思う。あんな大陸に……すまん」
竜帝さんは青い眼を伏せ、艶やかな唇を少しだけ噛んだ。
戦……黒の大陸って、いったいどんな大陸なんだろう?
竜帝さんは黒の大陸に、良い印象を持っていないみたいだし。
でも、大体は分かった。
私は青の大陸から黒の大陸に、お引越しが決定したってことだよね?
カリキュラムが変わるのは、私の生活する場所が変わるから。
この大陸についての知識だけじゃなく、引越し(?)先の事を予習しておくべきってことになって……。
ハクちゃんは人間の日常生活に疎いので、私自身ががもっとしっかりしないと困るだろうと……女神様はなんとも言えない、微妙な表情で仰った。
う~ん、確かに。
ハクちゃんはセイフォンで、トイレの使い方も知らなかった。
トイレ事件、なつかしいなぁ~。
大陸が違うと和式・洋式みたいに、トイレ文化も違うのかも。
「あ、うん……はい」
これから<伝鏡の間>で開かれる竜帝さん同士の会議は、ハクちゃんの移動について……と、いうより私のことに関しての話し合い。
この大陸からの移動時期・手段等の問題が山積みなんだと、女神様は苦笑した。
人間である私を安全に、確実に運ぶのはそれほど難しいことじゃなく。
繭に入って籠を使えば、安全に海を越えられる。
でも、それだとハクちゃんが耐えられないらしいのだ。
セイフォンから支店への移動のさい、ハクちゃんは【面会謝絶は3日が限界宣言】をしたのだそうで……。
そうなると、黒の大陸に行くのは最短の海峡経由で赤の大陸に渡り。
赤の大陸から黄の大陸を通って黒の大陸に入るという、とんでもなく長い移動になってしまう。
繭で一気に移動する案はハクちゃん的に無理なので、私の移動には通過する大陸に居る赤と黄の竜帝さんのサポートが必要不可欠になり……。
なんか私って、竜族の皆さんに迷惑ばかりかけてる。
この世界に連れてこられてから、周りに迷惑ばかりかけて。
「このじじいは、お前の顔が3日以上見れなければ狂うんだとよ! すでに狂ってる気がしなくもないが……いい年して我儘ばっか言いやがって。我慢って言葉が、このじじいの脳内には足りてねぇな! あ、そうだ、おちび! 今後、ヴェルにお前の許容範囲を超える変なことをされそうになったら、はっきり嫌だって言うんだ。迷わずきっぱり言うんだぞ!? 俺様はこの大陸から出れねぇから、助けてやれねぇ。……ここを出るまでに、もっと強くなるんだ」
人間の私が……しかも異界人がハクちゃんの‘つがい‘になっちゃった事は。
竜族にとって、あまり歓迎できない事だったのかも知れない。
私とたった3日間でも離れるのを拒む、寂しがりやで怖がりなハクを。
数十年で置き去りにする、人間の私なんか……。
赤ちゃんの時からハクちゃんといる竜帝さんは、じじいだとか憎まれ口ばかりだけど。
ハクちゃんを自分にとって‘特別な人‘にして、想ってくれているのがよくわかる。
竜帝さんは。
私がいなくなった後の事を、今から考えてるはずだ。
とても優しい人だから。
私がハクのつがいになったのを知った瞬間から、避けられない未来に眼を向けて……心を痛めてる。
私、頑張らなくちゃ。
「は、はぁ……はい。あの、質問してもいい?」
もっと、もっと。
頑張らなくちゃ駄目なんだ。
「なんだよ?」
ありがとう、竜帝さん……ランズゲルグ。
この大陸から出たら、人間の私はもう二度と貴方と会えないけれど。
女神様のように綺麗で優しい貴方を、ずっと忘れない。
「竜帝さんの言う変なことって、なに?」
ハクちゃんて、基本的に変……というか変わってるし。
でも、嫌って言うほど変かというと……そうでもないし。
まあ、デリカシー皆無な奇天烈思考回路にも慣れてきたけれど。
変が多すぎて、竜帝さんの言う‘変‘が分からないのです。
「なんで質問がそれなんだよ!? 普通は移動についてとか<約束>についてとかに疑問をだなっ……。変な事だとぉお~っ、おおっ俺様の口からはとても言えぇ~ん! 俺様は仕事だ、会議だ! 忙しいからこの場には居られないのだっ! さらば、おちびよ!」
顔を真っ赤にさせた女神様は、ふらふらと立ち上がり。
ダッシュで部屋を出て行った。
どうしたんだろう?
ゆっくりしすぎて会議に遅れそうとか……ま、いっか。
「りこ。我はこれが最も良いかと思うのだが……どうだ?」
竜帝さんに無関心な旦那様は、真ん中に穴の開いたリングクッキーを自分の顔の前にかざした。
表面に刻まれたオレンジピールがトッピングされいて、とっても綺麗なクッキーだった。
「穴からハクちゃんの眼が見えて、面白いね。ハクちゃんからも、私が見える? 美味しくて綺麗で……しかも面白いのを選んでくれたんだよね?」
私の言葉に、ハクちゃんはうなずき。
「うむ。りこ、あ~ん」
金の眼を細めて、私にクッキーを差し出した。
「素敵なクッキーを選んでくれてありがとう、ハク」
竜帝さん。
この世界での【私の居場所】は、この人……ハクだから。
どこだって、どの大陸だっていいの。
竜族とハクちゃんとの<約束>とか、あんまり気にならないの。
ハクがいてくれれば。
ハクが連れて行ってくれるなら。
「うん。美味しい! ねえ、ハクちゃん。雨、今日は降らないんだよね? 夕日を見に行くの、すごく楽しみ」
地獄にだって、ついて行く。
意外なことに。
30分程で彼は戻ってきた。
バーンと音を立てて扉を乱暴に開き、キッチンに突入してきた。
走ってきたのか、結っていた青い髪が乱れていた。
竜帝さんは、頭を両手でがしがしと掻き毟り叫んだ。
「がぁあああー、むかつく~! じじい、おちびと一緒に伝鏡の間に来てくれよっ、俺様じゃ話になんねぇ~。<黄>も<赤>もおちびを見せろ会わせろってごねやがるっ!」
さっき使ったお皿を洗っていた私は、言葉を失った。
みっ、見られたぁ~!
ハクちゃんにつかまれてお皿を洗う、この恥ずかしくて情けない姿をー!
「断る」
うろたえ、あわあわしてお皿をシンクに落として割った私とは対照的に、ハクちゃんは全く動じていなかった。
「なんでだよ!?」
竜帝さんを見ず、私を床に下ろし。
私からゴム手袋を外しながら、ハクちゃんは言った。
「嫌だからだ。りこ、手を……ああ、良かった。怪我はしておらんな。<青>よ、割った皿でりこが怪我をしていたら、この城を潰していたぞ」
私の両手を確認したハクちゃんは、竜帝さんから隠すかのように私を背中のほうに移動させ……。
「おい、あと一歩で2ミテを越える。首を落とされたいのか?」
私はぎょっとしたけれど、竜帝さんはひるまなかった。
「首~? 目玉をえぐるんじゃなかったのかよ!? どうせ、おちびの前じゃやんねえクセに。ヴェルじゃ話になんねぇな。おい、おちび。お前だって他の竜帝を見てみたいよな? ほら、じじいに‘お願い‘をするんだ。他の竜帝に会ってみたいって……このじじいは、基本的にはおちびに逆らえないからな」
「え? は、はい」
私も他の竜帝さん達には興味津々だけど。
ハクちゃんがどうしても嫌なら、諦める。
ハクちゃんの気持ちを最優先してあげたいし、我侭を言って優しいこの人を困らせたくない。
でも、竜帝さんもお手上げ状態みたいで気の毒だしな……。
「ハクちゃん、なんで嫌なの?」
背中をつんつんして、訊いてみた。
ハクちゃんは竜帝さんを睨んだまま、言った。
「あのような陰気くさい場所は、小さな花のように愛らしい我のりこに相応しくない」
ぶほっ!?
は、花ですか?
私なんか、雑草です。
ぺんぺん草です!
「しかも<伝鏡の間>は照明が一切ないのだぞ、転んだらどうするのだ? りこは明るい所でも時々躓くのに。あのように暗くては危険極まりないではないか」
そ、それはその。
単に私が鈍くさいからであって……気づいてたんだ。
うう、恥ずかしいな。
私って昔から、何も無い所で躓くんだよね。
妹もそうなんだけど……。
心配してくれるのは、ありがたいけれど。
そんな理由なら(私が鈍くさいからなんて、うう~情けない)、他の竜帝さん達に会えるチャンスを逃したくない。
「じゃ、じゃあ! ハクちゃんを掴んでる」
私はハクちゃんの腰の辺りを両手で掴んだ。
うん、これでオッケー!
「こうして服を掴んでるから、真っ暗だって平気だよ?」
「服?」
振り向いたハクちゃんは。
私を見下ろし、金の眼を細め。
「……なるほど」
あれ?
ハクちゃん、一瞬だけど微かに口元が上がったというか。
ニコッ、じゃなくてニヤッて……。
見間違いかな?
「良い案だな」
そう言って。
「きゃっ!?」
私をひょいっと抱き上げ……ぎょわぁ!?
「ちょっ、ハクちゃん! 高いよ、怖いっ……下ろしてぇ~!」
右肩に座らされたので、目線が有り得ないくらい高くなってしまい。
さすがに怖くて、ハクちゃんの頭にしがみついた。
いくら私が小柄だからって、さすがに肩には……リス猿じゃないいんだし、肩に乗せるなんて無茶苦茶だよ!
「何故だ? これなら転ぶ恐れが無い。安全で安心だぞ……我の頭部に、そうやって掴まれば良かろう?」
何言ってるのよ、もうっ!
安全かもしれませんが、安心できませんって!
恐ろしく高いし、上半身が不安定だから怖くてハクちゃんの頭が離せない。
ハクちゃんは私を落としたりしないと頭では分かっていても、怖いものは怖いのだ。
「や、これ嫌……高くて怖い! だったら、せめて抱っこにしてよ。ねぇ、お願いハクちゃん。抱っこにしてっ!」
そう‘お願い‘すると、ハクちゃんはすぐに私を抱えなおしてくれた。
「そうか、りこは我に抱っこされたかったのだな。最初からそう言えば良いのだ……夫の我に遠慮など無用だぞ?」
私の両腕を自分の首にしっかりと絡ませ、腕に座らせて……ひえぇ~、お子様抱っこじゃないですか!
「おちび、同情するぜ。ったく、狡猾なじじいだな~」
呆れたようにハクちゃんと私を見る女神様……うう、視線が痛い。
今回は正式な奥さんとして他の竜帝さん達に会うのに、抱っこ状態でご挨拶なんて……うう、こんなの嫌だぁああ~。
あれ?
目の前の女神様は、小さくてかわいい青い竜だったよね?
他の竜帝さんも、かわゆ~いちび竜!?
会議……竜体だといいなぁ。
かわゆ~い鱗のちび竜さんが、会議だなんて!
なんて、素敵な光景でしょう!?
想像するだけで……ああ~んっ、堪んない。
うっとりしちゃうよぉ!
「おい、おちび! 顔、緩んでるぞ? 何を考えてんだか想像つくけどよぉ……俺様の時みたいになんのは勘弁してくれよ!? あそこにある大型伝鏡を全部あわせたら、国家予算並みの金額になるんだからな! 絶対にヴェルを暴れさせんなよっ!」
私は慌てて妄想を止め、ハクちゃんの顔を見た。
げっ!?
わ……笑ってる。
笑ってるけど、この笑いはやばい方の笑い方だぁあ~!
「良い機会だ。誰が1番かわゆいか、はっきりさせようではないか。くくっ……なあ、りこよ」
ハクちゃん。
貴方……会議を<かわゆいコンテスト>にするおつもりでしょうか?
貴方の奥さんの移動方法が主な議題の会議だそうですから、お手柔らかにお願いいたします。